一柳廣孝
ナイトメア叢書の刊行がはじまった。文化現象としての「闇」への想像力に目を向け、隣接人文諸科学の成果を結集した新たな場となることを目指すシリーズである。東雅夫氏、高原英理氏をはじめ、多くの方々から激励の言葉をいただいた。ありがたいかぎりである。その反面、こうした企画の困難さもあらためて認識することとなり、気を引き締め直しているところである。
さて、この叢書はいつ、どこから生まれたのか。私の記憶が曖昧なので、共編者の吉田司雄さんにお聞きしたら、別の編著を作っていたときの飲み会で出た企画だという。やはり企画とは、飲み屋で生まれるものらしい。
吉田さんの指摘にしたがって手帳やメモのたぐいを調べていたら、この企画が出たのは2004年8月1日であることが判明した。メモには、こうある。「ナイトメア。幻想文学や怪奇オカルト系を含みこんだ形で、テーマを決め叢書化。年一回刊行。原稿募集。しかし相手がのってくれるかどうか」
思い出した。提案者は、吉田さんである。「ナイトメア」の命名者も、吉田さんである。さらに付け加えれば、メモにある「相手」とは、もちろんわが青弓社である。のってくれたわけである。ありがたいかぎりである。
さて、時代はいま、ぼんやりとした不安に包まれている。それが闇を引き寄せる。1990年代あたりから本格化してきた「闇」への眼差しは、多様なジャンルを越境しながら、さらに増殖をつづけている。こうした動きの背景に、グローバル化が進み多元化された社会の、複雑かつ劇的な変化を指摘してみたところで、あまり意味がないだろう。考えなければならないのは、そうした先の見えない世界で生きざるをえない、私たちの「心」のありようである。
私たちが「心」の奥底で育ててしまった闇の深さと広さは、いまや論理のレベルで回収できない状況にまで進んでいる。しかし闇が生み出した多様な現象に切り込み、言説レベルで再構成していくそのプロセスは、闇を「闇」として認識するための、貴重な手がかりを与えてくれるだろう。
「ナイトメア叢書」の第1巻、『ホラー・ジャパネスクの現在』は、私たちの「闇」への眼差しが生み出した結晶のひとつである。村山守さんの装幀、佐伯頼光さんの写真が、編者である私たちの思いを、形にしてくださった。私は一目で、やられました。
さらに……本書を購入してくださった方は、カバーをはずしてみてください。闇を切り裂いた空間から、こちらを見つめる瞳があなたに突き刺さります。この瞳は、闇の彼方からあなたをうかがう他者の瞳です。また、それは同時に、闇に潜むあなた自身の眼でもあります。ふたつの眼差しが交錯する闇が生み出した結晶として、本シリーズが読者のみなさまに受け入れられますように。