この本は私にとって、はじめての書き下ろしである。オペラという広大な森に入り込み、笑いの角度からあちこち枝を切り取って、コラージュを作ってみた。一つのキャンバスにいろいろなものを構成して貼り付けていくような感じでやってみた。筆者の気のむくまま、好き勝手に書きつらねたように見えるかもしれない。しかし、じつはけっこうそれなりに頭を使ったのだ。とにかく、書いた当人がおもしろがりながら書いたものだから、読む人にもそれが伝わるだろう、と期待している。
この本を手にする人は、おそらくオペラを少し聴く人であろう。私としても、通向けに書いたのではない。それにしては、あまりメジャーじゃない作品がいくつも入っているじゃないか、と言われそうだ。しかしオペラ本が山ほど出ている昨今、日本でメジャーな作品ばかり集めてもいまひとつ意味がないように思われた。そのかわり、それぞれの作品解説を時代順に並べるような堅苦しいことはしていない。時代と無関係に、内容で大きくタイプ分けして、おおまかな鑑賞のしかたを提言したつもりである。問題があるとすると、本書を見てCDを買おうとして、手に入りにくいものもあるかもしれないということだ。探すのもまた楽しいことであると割り切って、お許し願いたい。
カバーは渋い赤色で、デザインも素敵なものに仕上げてもらった。いうまでもなく赤は劇場の色。古いオペラハウスの座席のクッションや幕はふつう深紅が多いのではなかろうか。ハレの日のおしゃれな色なのだ。こう書いてふと思い浮かぶのは、パリにあるフランス古典劇の殿堂、コメディ=フランセ-ズのパレ=ロワイヤル劇場である。喜劇王モリエールの根城でもあったここでは、当時オペラもやっていたが、いまではオペラはオペラ座に移ってしまった。現在になって建物のわきのほうにちょっとした売店が設置されて、観光客用のおみやげグッズなどを売っていた。思い起こせば数年前、何の気なしに私はここでモリエールの小さな像を買ってきたのだった。ポスターやカレンダーなどのグッズは、みな同じ凝った深紅を基調としたデザインで統一されており、ディスプレイを見るだけでも楽しく、フランス人の色彩への執着を感じた。像はむろん白い普通のものだが、店員はそれを同じ渋い深紅の包み紙に包んだものをくれた。じつはこの像を眺めているうちに、本のアイディアが浮かんできたのだが。
この本のタイトル『笑うオペラ』は「笑うためのオペラ」という意味だ。笑いをおこすオペラのすばらしさ、楽しさをわかってもらおう!というのが表向きの趣旨である。その裏には笑いをモチーフにした私の舞台芸術論が隠されている。そしてその根底にもやもやと流れているのは、日本における舞台芸術を取り巻く消極的な現状、沈みつつある状況そのものを憂えている、私の個人的な思いだ。多くの人にせめて言葉でなにかのメッセージを伝えねばならないのだ。それがいちばんいちばん手っ取り早い。むろん日本で、欧米のようにオペラを低料金で観劇できるようになるなどという、贅沢な日々が訪れるとはまったく思わない。異文化の輸入ものであるからだ。しかしながら、これほどまでに疲れきってなるべく小さく生きようとするいまのような時代になれば、当然、じゃんじゃん金を捨てるようなものと思われている舞台芸術の優先度はどんどん低くなる。そうしてオペラだけでなく舞台芸術全般において、芸術家にも、プロデューサーにも、創作意欲が失われていく。そうなると、そんな人たちの創ったものなどレヴェルが低くておもしろくないので、目の肥えた観客はますます育たないという悪循環になる。せっかくバブルのときに建てられた公立の劇場は、税金の投入に見合う質の高い活動をしているだろうか? そのうち取り壊されて駐車場にでも姿を変えはしないだろうか? 結局、建物は業者が潤うだけのものだったのか? それにしても、日本で劇場がいっぱいできたときのあの盛り上がりはいったいなんだったのか。熱しやすく冷めやすい日本人と、どれだけ言い古されてきたことか……。
楽しそうな宣伝文を書かなければと思いつつ、悲観論になってしまった……。まあ日本の将来のことはさておき、好きな人は自分だけで楽しい思いをすればよいのだ。オペラなら映像も出ているし、いまや海外も行きやすい時代だから、そちらで吟味して観てくるのもいい。
ほかにPRしたいところをあげるとしよう。自作のイラストについてである。なぜ描いたかというと、白黒写真や図版などよりもシルエットのはっきりした漫画のような絵のほうが、強いインパクトを残すと思ったからだ。私は子どものころに『ベルばら』を読んだ世代。オペラに出てくるような豪華絢爛な世界を漫画をとおして知った。それこそ昔は、『ベルばら』の登場人物の似顔絵を描くのは大得意であった。そんな私でもこの本のために、笑い顔を描く練習を相当重ねた。好きで描いているのは楽しかったが、笑い顔っていうのはホントに難しい。ちょっとした1ミリ程度の線のゆがみで、怒ったような顔にもなってしまうのだ(笑い顔とは関係ないけど、たとえば無表情なウサギのミッフィーみたいな、あんな単純な絵でもまねて描いてみると、微妙な線の違いで表情がまったく変わって別人のようになってしまいますね)。それから理想としては、もっとアマチュアくさい感じの不器用な絵にしたかったのだが(アマチュアでなければ描けない絵ってあると思う)、自分で言うのもナンだが、こういうことにはわりと器用なほうで、そういう絵を描くのはかえって難しかった。
とにかくここで紹介した作品は、リヒャルト・シュトラウスの『エレクトラ』だのプッチーニの『トスカ』だのと違って、お家でワインでもあけながら、のんびりビデオで楽しめるようなものがほとんどだ。くつろげることを保証する。日本茶を飲みながらではよさは半減してしまう。ワインはやっぱり赤、なかでも深紅のボルドーがいいだろう。いまは夏だから赤ワインよりビールかもしれないが、じきにオペラの季節がやってくる。オペラ好きな人も、そうでない人も、とにかくみなさん、まず本を買って読んでみてくださいね!