まさか自分が古本日記を書くことになるとは思わなかった。ただ、ひとの読む本、買う本が気になるほうで、ひとの日記を読むのはずっと好きだった。
たとえば、殿山泰司の『JAMJAM日記』や、小林信彦『1960年代日記』は何回も読んでいるし、木佐木勝『木佐木日記』は、図書新聞社版ではあるが、おもしろくておもしろくて読み終えるのがもったいないと感じたぐらいだ。現代史出版会の『木佐木日記』全四巻本は値段の問題でまだ持ってないが、ぜひ揃えたいと思う。書いていると欲しくなって、安く出ていないかネットで見てみたが、やはり三、四万円している。どこかの出版社、文庫にしてくれるとありがたいが。迂闊なひとは、そんなにいい本なら、四万円でも五万円でも買えばいいではないか、と思うかもしれないが、値打ちのある本はこれだけでなくいっぱいあるわけで、多少高くても、なんてのんきなことを言ってては、即破産まちがいない。
もちろん、経済状態の問題もある。わたしのところなんか、妻に、「必要なものでも買わないのが本当の節約だ」と言い聞かせているぐらい厳しい状況で、そんななかでの古本買いなのだ。だから、百円なら買うが三百円では買わないといったような、神経をすり減らすような、まるで、なにかの修行みたいになるのである。
自分で古本日記を書くようになり、古本屋で、これは日記に書けるぞ、とか思うのは、いいことなのかどうか。また、古本屋の店先に座ってごそごそ均一本を探していると、店主がそれを見てにやにや笑っていたりする。古本まつりの会場で知人に会うと、「百円均一どうでした」なんて聞かれる。「どうせわたしは安い本専門ですよ」と開き直るしかないのだろうか。
こんなわたしだけれど、はじめからこんなんではなかった。
わたしの周りに本が集まりだして、いつのまにか、二十五年ぐらいになるだろうか。思い出せば、はじめのころは私もかわいかった。新刊本屋でも売っているような文庫を古本屋で五十円ぐらいで探し出しては、友人に自慢していたのだから。
大学は出たけれど、就職せずに、京都三条のやっと首が出せるような窓しかないアパートに住んで、せっせと本を読んでいた。お金がなくなると、アルバイト。ライオンの歯磨きやシャンプーを店頭で冗談いいながら売っていた。実演だといって、その場で頭にシャンプーをかけ洗いだしたときには、さすがに店長に注意された。
時間だけがたっぷりとあった。いまから考えれば図書館を利用すればよかったとも思うが、当時からもう本そのものへの興味があったのだろう、お金はなくても、買って自分のものにして繰り返し読みたかったのだ。
仕事のほうは、そのあと友人の学習塾を手伝ったりしていたが、その友人が突然、「塾なんかやっててはあかん。これからの教育はシュタイナーや」という言葉を残して塾をやめると言いだした。いまから二十年ほど前の話だ。わたしはそのあとを引き継いでいまも続けているのだが、なんとか食べてこれたのは、そのシュタイナーのおかげだと思っている。仕事が夕方からだということもあり、昼間はせっせと古本屋めぐりの生活というのも、気に入っている。
書いてきて気がついた。わたしという現象は、はじめからあまり変わっていない、ということに。でも、自分でも不思議なのは、本への思いが、多少の波はあるものの、昔ながらの熱を持ちつづけているということだ。ますますのめり込んでいるのかも。古本が絡まないと、力が出ない。そこに本があれば、そこまで行けるのである。
気がつけば古本屋の前の均一台をながめている。買えるときはまだいいのだけれど、たいていはただ見るだけの繰り返しである。
近ごろよく言われるのは、「またこの前、古本見てたな、なんか恐くてよう声かけへんかったわ」。そうでしょう、そうでしょう、そんなときのわたしはきっと哀しそうな背中を見せているのでは、と思う。なにかから、逃げているのだ、と感じるときもある。
そんなわたしではあるが、「一書畏るべし」という気持ちで本を読みたいと思うし、自分の本についても、わたしなりの魂は入れたつもりである。