アートと日々の営み、人々の働き――『芸術は社会を変えるか?――文化生産の社会学からの接近』を書いて

吉澤弥生

 編集者から『芸術は社会を変えるか?』という書名を提案されたとき、これは私には荷が重いのでは……と気後れしたのを覚えている。それからの数年間、何とかその輪郭に収まるように執筆を進めてきた。本書の大半を占める大阪での事例研究のなかには進行中の事業も多く、「いつまで」参与観察を続けるべきかを悩み続けた。結果的に、大阪市立近代美術館建設計画と大阪府立江之子島アートセンター建設計画が始動し、ダブル選挙が決まり、おそらくいろいろ状況が変化してここ10年の大阪の〈芸術運動〉が次の段階に入るであろう年に本書を上梓できたことは、何かに導かれたようなタイミングだった。
  第3章第2節を中心に取り上げたブレーカープロジェクトに、新たな展開があった。2008年以降はまちなかで神出鬼没に制作発表していて恒常的な拠点をもっていなかったのだが、今年度から地域に根ざした創造拠点をつくり、若手アーティストなどの作品制作や発表の場として整備していくことになったのだ。拠点となるのは西成区にある「福寿荘」。持ち主はきむらとしろうじんじん『野点』の開催をはじめ、当初からブレーカープロジェクトに参加して折にふれ協力してきた住民である。自らが一から作った(!)このアパートを壊すのではなく、地域の子どもや高齢者が集えるような場所にしていきたいというその住民の思いを大事にしながら、スタッフは初夏からその築60年を迎えようとする古い木造アパートに入り、掃除と改修作業に取り組んだ。その後も、参加アーティストとサポートスタッフはじめ多くの協力者とともに改修して展示空間づくりを進め、ちょうどいま、その「新・福寿荘」で梅田哲也展覧会「小さなものが大きくみえる」が会期を迎えている(2011年12月4日まで)。夜間限定プログラムなど、滞在場所があるからこその試みも用意された。数十年間さまざまな人が暮らし、去っていき、そしてここ数年は床が傾き壁が剥がれていた建物を、アートプロジェクトとして再生させたさまざまな人の思いと働き。人々の日々の営みからアートは生まれ、そして再び日々のなかへとゆっくりとその波紋を広げていく。
  さて、数年にわたる現場のフィールドワークを通して政策上の課題を考察する作業と並行して、筆者は次第に現場の人々のさまざまな仕事に関心を抱くようになった。第5章第2節「芸術という労働」がそれにあたる。もちろんアートプロジェクトはアーティストがいてこそ成立するが、実際の現場は多様な人々の働きによってつくられている。肩書はキュレーター、ディレクター、アドミニストレーター、マネージャーなど、立場はフリーランス、派遣社員、嘱託職員、NPOスタッフなどさまざまだ。ボランティアスタッフの存在も欠かせない。こうした人たちの多くはプロジェクトの表面には出てこない、いわば「名もない」労働者である。そしてリサーチ、進行管理、渉外、書類整備、そして関係づくりのための作業(感情労働)といった、表には出にくい、あるいは形として残らない事務作業を担っている。
  労働への関心を抱いたのは、自身がアートNPOで仕事をしている経験も大きい。NPOでは毎月の定例会議、理事会、年に一度の総会があるが、たいていメンバーは他の仕事(生活費を得ている仕事)を終えてからの開催なので、夜も遅くなると体力的にきつい。理事・監事といった役員ももちろんボランタリーである。事務局は書類作成、会計、広報、備品管理などなど、順調に進めば進むほど目に見えない仕事を担う。ちゃんと雇用できればいいが、一般的にみて簡単なことではない。ディレクターは事業ごとに先方との打ち合わせや調整を進め、メンバーはそれぞれに割り振られた業務を遂行するが、支払いがたいてい納品後なので、それぞれが労働している時点でその対価を受け取ることはできない。まさに季節労働者だ。筆者も経験があるが、毎月ある程度の収入を見込めなければ、仕事のための投資もままならず、社会保険などはどうしても後回しになる。
「芸術」と「労働」を同じ地平で論じることにはいろいろな反発があるだろう。しかし現在のアートプロジェクトやアートNPOの活動に、労働は不可欠だ。筆者としてはまずアートに携わる人々の労働がどんな様子なのかを知るところから始めたいと、少しずつ聞き取り調査を進め、今年(2011年)春にインタヴュー集『若い芸術家たちの労働』を制作して公表した。現在、来春に公表するその続篇のために調査を進めている。これからも日々の営み、そしてさまざまな人々の働きのなかに、アートの輪郭を見定めていきたいと思う。