インターネットから生まれた学術書――『公文書をつかう――公文書管理制度と歴史研究』を書いて

瀬畑 源

 本書『公文書をつかう――公文書管理制度と歴史研究』は、学術書の出版としてはやや異例の経緯をたどって出版された。
  そもそもこの本は、2009年の秋に、編集者の矢野恵二氏が私のブログ(「源清流清――瀬畑源ブログ」http://h-sebata.blog.so-net.ne.jp/)を読んで執筆をもちかけたことから始まる。私は当時大学院博士課程の院生であり、論文も多く書いているとは言いがたい研究者だった。そのため、公文書管理問題についてこういうことを書いてほしいという明確な要望があるのだろうと思いながら矢野氏に会いに行った。
  ところが、矢野氏は会って早々、私に「どういうことが書きたいですか?」と投げかけてきた。そこで、思い付いたことをとめどなく話すと、「では企画書を私に提出してくださいますか?」と言った。私は内心「本どころか博論さえ書いていないのに、私に任せてしまって大丈夫なのか?」と逆に心配になってきた。すると矢野氏は、「ブログを見て、これだけのことが書ける人ならば大丈夫だと思っている」というような趣旨のことを話してくれた。
  私はこのとき、「ああこの方は、ブログや論文といった掲載された「媒体」で判断するのではなく、「書いたもの」をそのまま評価してくださったんだ」と感じた。それは私にとっては何よりもうれしいことだった。
  私のブログは、国(宮内庁)を相手とした情報公開訴訟を他の方に知ってもらうため、2006年8月に作ったものだった。初めは読者を引き付けるために、研究テーマである天皇制に関する時事問題を中心に取り上げ、公文書管理問題はあくまでも副次的なものにすぎなかった。しかし、自分が資料公開で苦しんでいる原因が公文書管理制度にあることに気づきはじめ、公文書管理問題についての記事が少しずつ増えていった。
  私のブログが公文書管理問題に偏っていくきっかけになったのは、2008年1月に歴史学研究会総合部会で情報公開法と公文書管理問題について報告したことである。この部会にはアーカイブズ関係者が多数おとずれ、用意していた教室に入りきらないほどだった。もちろん、集まった方の多くは他の報告者が目当てだっただろうが、なかには私のブログを読んでくださっている方もいた。そして、私が話した情報公開請求などで培ってきた知識を面白がってくださる方もいた。これまで私はブログを「自分の裁判のため」に書いてきたのだが、それにとどまらない広がりがあることに気づかされた。
  ちょうどこの時期は、福田康夫氏が首相に就任し、公文書管理法制定の動きが現実化し始めたときだった。裁判も終わり、ブログを今後どう運営していこうか考えていた私は、このまま福田首相の公文書管理法制定の動きを追い続けることが、せっかくこれまで読んでくださっていた方の期待に応えるものだという考えに至った。また、一人の研究者として、この問題についてブログを書くことが、自分の研究成果を社会に還元する方法になるとも考えた。そこで、論文を書くレベルの緻密さを保ちながら情報をわかりやすく伝えるという方針をもって、ブログを書き紡ぐことにした。
  そして、公文書管理法制定の動きについてブログを書けば書くほど、様々な分野の方が私のブログの存在に気づき、読んでくださるようになっていった。次第に、メールで直接連絡をとってくださる方も現れ、私自身も公文書管理法制定運動に深く関わるようになった。歴史学の学会では知り合えない様々な分野の方とブログを介してつながることができ、私が普段知りえないような情報をたくさん教えてもらった。その知見をもとに、さらにブログを執筆していくという好循環ができていった。
  自分にとっては、このブログは「社会への窓」の役割を果たしていた。だからこそ、わかりやすく読みやすい文章にしようと何度も推敲を重ねてから記事をアップロードしていた。そして私には、論文を書くこととブログを書くことは、同じくらい重要な意味を持つものになっていった。矢野氏はそのブログの文章を評価してくださったのである。
  本書の執筆中には、調べてわからなかったことをtwitterで聞いてみたり、ブログなどを通して知り合った方にメールで問い合わせたりした。まさに、インターネットがあったからこそ生まれた本だったと改めて思う。
  人と人とのつながりの不思議さを感じながら、今後もその関係を大切に、そして広げていきたいと思う。