張嵐
『「中国残留孤児」の社会学――日本と中国を生きる三世代のライフストーリー』のもとになった博士論文の執筆からすでに2年近く経った。中国残留孤児をめぐる事情も「中国残留孤児国家賠償請求訴訟」の事実上の和解と「新たな支援策」の実施によって大きく変わった。
厚生労働省が2005年3月に公開した「中国帰国者生活実態調査」(2003―04年実施)によると、現在の生活状況が「苦しい」「やや苦しい」の合計が孤児64.6パーセントだった。それに対して10年10月に公開された「平成21年度中国残留邦人等実態調査結果報告書」によれば、「苦しい」「やや苦しい」と答えた帰国者は28.6パーセントで、前回調査より30パーセント以上減少した。また、「収入が増えた」「気持ちのゆとりが増えた」「役所・福祉事務所の対応が良くなった」「親族訪問に行きやすくなった」などの理由で、「新たな支援策」に対して、約80パーセントの残留孤児は「満足」「やや満足」と答えている。さらに、帰国後の感想についても、約80パーセントの帰国者は、帰国して「良かった」「まあ良かった」と答え、前回調査(64.5パーセント)より大幅に増加している。
中国残留孤児をめぐる問題を円満に解決し、彼らが望んでいた「日本人らしい」生活をようやく送れるようになったのだろう。だとしたら、裁判の結果が出る前の彼らの暮らしをいま書く意義はどこにあるのかと思う人もいるかもしれない。
しかし、一つ忘れてはならないのは、裁判の朗報を聞けず失意のままこの世を去った残留孤児は決して少なくないことである。論文の執筆中、残留孤児の訃報を何度も受けた。
一人の調査協力者が癌をわずらったと聞き、手術後にお見舞いに訪れた。裁判の中心メンバーとして積極的に参加していた人物である。声を出すことすら困難だったが、私に対して「裁判は絶対勝ちます」と力強く訴えた。しかし、その一カ月後に訃報が届いた。裁判の結果が出るわずか数カ月前のことだった。
その協力者はきっと裁判の結果を自分の耳で聞きたかったのにちがいない。裁判の勝利を信じる、そのときの目の輝きをいまでも忘れることができない。そして、その無念を思うと心が痛む。
中国残留孤児は、一般人の想像を超える辛酸を嘗めながら中国と日本の狭間でさまざまな困難と闘い、一生懸命生きてきた。そのときどき、その時点の彼らの気持ちをそのまま記録することに大きな意義があるように思う。本書が彼らが懸命に生きてきた証しになれたらとてもうれしく思う。そして、残りの人生をどうか健やかに穏やかに過ごしてほしいと切に願う。
日本と中国は古来から「一衣帯水」と喩えられ、お互いに欠かせない大切な隣国である。しかし、戦争のせいで中国国民だけではなく日本国民の多くも犠牲になった。日中戦争の記憶が現在も両国関係に大きく影響し続けているのも事実である。
「忘却」は恐ろしい。過去を忘れると同時に、過去の失敗から学べる教訓も一緒に忘れてしまうかもしれないからだ。それは再び同じような過ちを犯す恐れにつながるだろう。豊かで平和な日常に埋没している多くの人たちが、第2次世界大戦を忘れ、世界の戦乱に関心をもたなくなった。戦争の悲惨さと痛々しい教訓を継承しなければいけない。「戦争とは、決してあってはならないもの」と戦争経験がない世代へ伝えなければならない。戦争経験者が少なくなったいま、戦争経験がない私たちの世代の責任である。
中国の春秋戦国時代の思想家である老子がこう言った。
九層の台は、塁土より起こり、千里の行も、足下より始まる。
高層の建物も一盛りの土を丹念に積み重ねることででき、千里の道も一歩より始まるという意味である。一人だけの力は限られる。しかし、いくらどんなことでもはじめは小さいことから始まる。この言葉は私の座右の銘であり、この道理が日中友好関係の構築にも通じると私は考えている。歴史・過去から学ぶと同時に、お互いの違いを認識し、理解し、小さいことから始めることが大切である。本書を私にとっての千里の道の第一歩にしたいと思っている。