10月12日、東京オペラシティの「ウィークデイ・ティータイム・コンサート11」に行った。内容は上岡敏之指揮、ヴッパータール交響楽団で、オール・ワーグナー・プロ。まず、『ジークフリート牧歌』に始まり、後半は『ニーベルングの指環』のハイライト。平日の昼間だからチケットなんかいくらでもあるだろうと思ったが、念のために当日の朝チケットセンターに電話した。すると、これがけっこう売れていたが、かろうじてそこそこの席を1枚確保する。
開演前に指揮者の短い話があったのち、まず最初の『ジークフリート牧歌』である。弦の人数は全く減らさないフル編成。第1ヴァイオリンは14人か16人いたと思う。コントラバスは8人、これは客席からきちんと数えることができた。やはり、これだけの大きなホールであれば、この程度の人数でもぜんぜんおかしくない。以前、同じくフル編成でウラジミール・フェドセーエフがモスクワ放送交響楽団を指揮したチャイコフスキーの『弦楽セレナード』を聴いたことがあるが、厚ぼったいとか、重苦しいとか、そんなふうには全く思わなかった。むしろ、大編成のメリットの方を感じた。その点では今回の上岡の演奏も同じである。ただ、彼の解釈はあれこれと実にさまざまな工夫を盛り込んだものだ。作為的に思えた個所もないとはいえなかったが、全体としては個性豊かな美演奏という印象である。
後半は「ワルキューレの騎行」とか「ジークフリートのラインへの旅」とか、おなじみの曲が演奏された。ただし、曲と曲との接続部分は耳にしたことがないものだった。これらの曲でも上岡は独自の解釈をみせ、オーケストラもそれによく応えていた。私がいちばんいいと思ったのは「森のささやき」で、次点は「ヴォータンの別れと魔の炎の音楽」だろうか。最後は「ジークフリートの死と葬送行進曲」。地味に終わるので、きっとアンコールは派手にやるだろうと予想した。『ローエングリン』第3幕前奏曲とか、『ニュルンベルクのマイスタージンガー』第1幕前奏曲あたりだろうと。やがて、予想どおりにアンコールが始まる。ところが、頭の中がすっかりワーグナー・モードに切り替わっていたため、何の曲かがわかるまで時間がかかってしまった。「??? これはワーグナーの……何だっけ? えーと、えーと、違う……あっ!、これは『英雄』の第2楽章じゃないか!」。気づくまでに12小節以上も経過していた。
ベートーヴェンの『交響曲第3番「英雄」』の第2楽章をアンコール演奏した意外性にも驚いたが、もっと度肝を抜かれたのはその演奏内容である。テンポは恐ろしく速い。しかも、そのえぐり取るようなすさまじいエネルギーと狂気は晩年のヘルマン・シェルヘンのライブを思い起こさせた。十分にびっくりさせてもらったが、ふと頭によぎったこともある。
それはふたつ。ひとつは前回来日したときに上岡が振ったベートーヴェンの『交響曲第5番』と解釈が違いすぎることだ。むろん、『英雄』とは曲も違うし、前回の来日から3年も経過しているので、違っても当たり前とも思えるが、私は一貫性のなさも少なからず感じた。
もうひとつは、これだけ意表を突くアンコールというのは、メインの印象を希薄にするのではという危惧。それと、お客の側に芽生えてきそうなアンコールへの過度の期待である。もちろん、こうしたことを今後絶対にやってくれるなと言っているわけではない。自分も楽しませてもらったけれど、やはり気になることは気になると、ちゃんと書くべきだと思った次第である。
いずれにせよ、このように書けるのも、上岡が注目すべき逸材だからだ。このあとの10月18日、ヴッパータール響とのマーラーも楽しみだし、今後予定されている日本のオーケストラとの共演も興味津々である。
Copyright NAOYA HIRABAYASHI
本ウェブサイトの全部あるいは一部を引用するさいは著作権法に基づいて出典(URL)を明記してください。
商業用に無断でコピー・利用・流用することは禁止します。商業用に利用する場合は、著作権者と青弓社の許諾が必要です。