最新の名探偵ホームズがわかる本――『ホームズなんでも事典』を書いて

平賀三郎

 ホームズ100周年(1987年)のころには各社からたくさんのホームズ本が出版されたが、その後は繰り返しになったのか、出版業界の不況の影響を受けたのか、ホームズ研究本の新刊はやや滞った感がある。
 一方、日本シャーロック・ホームズ・クラブ(JSHC)が設立されて30年、その活動のなかで発表された国産研究も多い。欧米の先行研究や各種の解説についての再チェックが進んだのである。2000年ごろまでに活字になった本は、半世紀、四半世紀前に発表された欧米での研究レベルを出ないものが多いが、その後クラブのフォーラム、セミナーや支部例会で発表されたものにはなかなか充実した新しい研究がある。
 たとえば、作家のコナン=ドイルは、2人の夫人と5人の子ども全員に「コナン」の名を与えている。ミドルネーム・洗礼名としては、これはおかしい。家族全員がコナンを名乗っている事実は、ドイルに関する本を読んだほとんどのシャーロキアンは知っている。しかし、これが姓なのか名なのかは、欧米の研究では取り上げられているものがあるが、わが国ではJSHCの年次大会でもクラブの会誌でも公然と発表されてはいなかった。作家研究も、本人の自伝や子息の友人が書いた好意的な伝記が翻訳されているが、これだけを読んで、それを無批判に信用するのでは研究にはならない。どうやら自分の代から複合姓にしたようである。
 ホームズの愛好者シャーロキアンの特徴は、すなわちアイドルのファンクラブとの違いは、この「研究」にある。架空の人物が、あたかも18世紀から19世紀のロンドンで活躍した歴史上の人物のようにとらえ、事件簿全60編を読み解き、当時の地理・歴史・文化・社会上の事実に照らした作品研究をおこなうのである。もちろん、会員相互の親睦を忘れてはならないが、この「ホームズ学」こそ、事件簿が出版されて130年を経た今日まで読み継がれ、世界各国にシャーロキアン団体が結成されている最大の理由だろう。
 クラブも30年たった時点での国産研究の成果をとりまとめ、2009年に、平賀を編著者として会員13人の共著で『ホームズまるわかり事典』(青弓社)を上梓した。ホームズを読む人、これから研究する人を対象にして、JSHC内の発表のなかから出版にふさわしいものを選択し、 101項目を「読む事典」として編集した。約30年前に出版された『シャーロック・ホームズ雑学百科』(小林司/東山あかね編、東京図書、1983年)や、約10年前に編集された『シャーロック・ホームズ大事典』(小林司/東山あかね編、東京堂出版、2001年)などの会員による労作からは30年なり10年なり進んだ、新しい研究を反映させたものを目指している。
 代表的な辞典の『広辞苑』(新村出編、岩波書店、1955年)も版を重ねるたびに項目が入れ替わり、記述も補正される。そもそも事典は、最終不動のものではなく、学問や社会の進歩によって内容は次々と更新されるべきもので、その時点で最新のものであっても翌日から古くなっていく宿命にある。
 ホームズに関するその時点で最新の解説や研究の項目は、とても前著の101項目にとどまるものではない。今回は第2弾を『ホームズなんでも事典』として刊行した。大学教授や単著で出版している作家なども加わったシャーロキアン19人の共著で、103項目を所収している。
 冒頭は「青いガーネット」である。クリスマスの宝石盗難事件だが、わが国の「義理堅い」シャーロキアンのなかには「ガーネットは赤い宝石で、青いガーネットなどありえない、荒唐無稽な事件である」と批判する人がいたり、「本来は赤い宝石が青いからこそ珍しいのである」と擁護する人がいたが、鉱物学的に結論が得られた。宝石の色は微量の成分の差によるので、青いガーネットもありうるし、自然科学の発展途上であった当時、ほかの青い鉱物をガーネットと思い込んだ可能性もあるという研究書が発表された。「青いガーネット」はこの最新の研究に基づく項目である。
 次は「アビ・ハウス」。ロンドンを訪れたシャーロキアンが必ず立ち寄ったベーカー街221番地に立ち、1951年の英国フェスティバルで地元の区役所がホームズの部屋を復元して展示した建物である。しかし、最近再開発され、入り口に掲げられていたホームズの横顔のデザインのプレートも姿を消した。シャーロキアンにとって、ロンドンで必ず訪れる場所が失われ哀愁をさそう項目である。
 以下「ワトスンの結婚」まで、興味をもった項目から自由に読んでいただけるものとして編集している。