ギモン6:赤ちゃん向けの展示ってあるの?(第1回)

難波祐子(なんば・さちこ)
(キュレーター。東京都現代美術館を経て、国内外での展覧会企画に関わる。著書に『現代美術キュレーター・ハンドブック』『現代美術キュレーターという仕事』〔ともに青弓社〕など。企画した主な展覧会に「坂本龍一:seeing sound, hearing time」〔2021, M WOODS Museum | 木木美術館、北京〕など)

乳幼児を対象とした展覧会

 2010年の夏、東京都現代美術館で「赤ちゃん(1)から大人まで楽しめる」参加型・体感型の展覧会「こどものにわ(2)」がオープンした。同館では、それまで教育普及プログラムの一環として、乳幼児を対象にしたワークショップやギャラリーツアーを実施していたが、展覧会として実施するのは、これが初めてだった。結果的には約2カ月の会期中に8万3,000人を超える入場者があり、展示室入り口のベビーカー置き場は、連日ベビーカーであふれかえることになった。この展覧会は、卑近な例で恐縮だが、私自身が4年越しで準備して実現した展覧会だった。
 展覧会は通常、館の学芸員による企画会議で各学芸員からのプロポーザルなどと年間のプログラムの予算、同時期開催予定の展覧会同士の内容のバランス、実施のタイミングなどをもろもろ検討しながら決まる。この展覧会に限って言えば、実施が決まるまで3年、実施決定から展覧会オープンまで1年を要した。3年間、企画会議で却下されるたびに、何度も案を練り直し、ブラッシュアップした企画書を作成し続け、その根拠となるための調査研究を進めた。なかでも、上司から言われたいちばんの却下理由は、「赤ん坊にアートを見せても、わからないのでは? 展覧会に連れてくる意味があるのか?」というものだった。そう、そもそも赤ちゃんにアートを見せても、わかるのだろうか。赤ちゃん向けの展示というものはあるのだろうか。ギモン5「日本人向けの展示ってあるの?」では、日本人向けの展示に関するギモンを入り口として、キュレーションを取り巻く文化の表象の問題について考えてみた。本ギモンでは、同じ日本人でも世代が異なる場合、特に乳幼児を対象とした展覧会のケースについて、まず前半となる第1回で、近年の乳幼児の認識能力に関する研究についてひもといていきながら、赤ちゃんと美術館の関係について考えていきたい。また後半の第2回では、「こどものにわ」を具体的な事例として取り上げながら、世代や背景が異なる人々に対する展覧会や社会的包摂のことを考えた展示について、その可能性を探っていきたい。

「こども向け」の展示とは?

 もういまから15年以上前の話だが、当時2歳になったばかりの息子をベビーカーに乗せて、広島市現代美術館で開催されていたシリン・ネシャットの展覧会(3)に行った。息子は、親の仕事の都合上、0歳児の頃から美術館には連れ回されているのだが、その日も、たまたま帰省先の広島で開催中のシリン・ネシャットの展覧会に息子連れで訪れた。シリン・ネシャットはイラン出身の女性アーティストで、イスラム世界の女性の存在などをテーマにした写真や映像作品で国際的に活躍している。扱っている写真や映像は、黒いベールを被った女性や儀礼の様子、イスラム社会の男女の対比を描くものなど、深刻で重い内容のものがほとんどである。息子には悪いが、完全に親の趣味で行った展覧会だった。だが、『パッセージ』(2001年)という映像作品の部屋で息子が釘付けになり、ほかの展示室を回った後も、その部屋に戻って何度も観たがり、ほかの展示室はそそくさと後にして、ずいぶん長い時間、その部屋で過ごすハメになった。作品自体は埋葬の儀礼が題材になっていて、前半は、黒いスーツ姿の男性たちが海辺から砂漠へと屍を運んでくるシーンと、黒装束の女性たちが砂漠で埋葬用の穴を手で掘り進めるシーンで構成される。最後に屍が運び込まれて、大地が激しく燃え上がる圧巻の映像と、ミニマル・ミュージック(4)で知られる作曲家フィリップ・グラスが書き下ろした崇高なサウンドで締めくくられる。そんな作品にベビーカーに乗った息子が反応するとは思いもよらなかったのだが、この話はここで終わらなかった。家に帰ってしばらく自分の部屋にこの展覧会のチラシをうれしそうに貼っていた息子だったが、美術館に訪れた際に予約受け付け中だったカタログが後日、自宅に届いたときに事件は起こった。包みからカタログを取り出して、息子に「広島で行った展覧会のカタログが届いたよ」と話しかけたところ、「◯◯(自分の名前)の!」と言ってそのカタログを持ち去って、お気に入りの某きかんしゃキャラクターの絵本などが並ぶ自分の部屋の本棚にしまい込んでしまった。私は1ページもカタログを読む暇もなく、あっけにとられてしまった。それまで「こども向け」の本やイベントやテレビ番組などはカラフルで楽しげなもの、といった先入観にどっぷりハマって子育てしていた私にとって、お世辞にも「楽しい」とは言えない、かなり渋いシリン・ネシャットのカタログが息子にとっては、展覧会を観て、しばらく時間がたっていても、忘れ難いお気に入りの思い出の品になっていたことは、まさに灯台下暗しの、目からウロコの事件だった。そこから、大人が勝手に考えている「こども向け」展示ではない展覧会の可能性について、真面目に探求してみようとリサーチを始めることになった。

乳幼児の世界観

 1970年代頃までは、1890年にアメリカの心理学者ウィリアム・ジェームズが「咲き誇るがやがやとした混乱(5)」と形容したように、乳幼児が知覚する世界は混沌としている、と多くの発達理論家が考えていた。生まれたばかりの赤ちゃんは目が見えない、痛みの感覚が鈍い、何もわからず何もできない、といった無力な赤ちゃん像が一般的だった(6)。しかし、近年の脳科学をはじめとする諸分野の研究成果から、乳幼児はいままで考えられていたよりもさまざまなことを認識し、感じていることがわかってきた。例えば、赤ちゃんは胎児のときから音を聞き、生まれたばかりの新生児でも目が見える。ただし視力は悪く、新生児は0.001程度で、生後半年までに急速に発達し、その時点で0.2程度(7)、4、5歳になってようやく大人並みに見えてくる。しかし、そのようなぼんやりとした視覚世界にいる生まれたばかりの新生児でも丸と三角の形を区別できるし(8)、人の顔も早い段階から認識し、特に母親の顔は生後数日でも注目することができる(9)。また、こうした乳児の視覚、聴覚、触覚などの個々の感覚は、関連することなくばらばらに独立して機能していると思われていたが、近年の研究で、乳児の個々の感覚は、生まれたときから調和してはたらき、統一された世界を知覚することがわかっている(10)。さらに、赤ちゃんは、外からの刺激によって反射的に動いているだけではなく、生まれた直後からすでに「意識的に四肢を動かしている」ことも明らかになっている(11)。このように赤ちゃんは、高度の認識能力を備え、能動的に行動していることがわかってきた。さて、ここで「赤ちゃんはアートをわかるのか?」という初めの問いに戻ると、美術館や展覧会に来た赤ちゃんは、少なくとも全く何もわからないわけではなく、むしろ、普段とは違う環境に置かれて、かなりさまざまな刺激を受けている可能性が高いと言えるだろう。特に現代美術の場合、視覚だけでなく、聴覚や触覚、ときには嗅覚など、五感を使って感じる作品も多い。しかし、公園に出かけるのと、美術館に出かけるのとでは、赤ちゃんにとって何か違いはあるのだろうか。

作品を観る行為と他者への共感

 これまでのギモンでも見てきたが、あらためて美術館、あるいは展覧会という場所を特徴づけているものは何か、と考えると、美術館は、美術作品が展示してあり、それを鑑賞する場、ということが挙げられる。作品は、一般的な事物と異なり、多くの場合、作家やキュレーターが、その作品をほかの人に鑑賞してもらうことを前提として制作・展示したもの、という人の意図が込められている。他者の意図を汲み取ること、あるいは作家やほかの鑑賞者の思いに共感することは、乳幼児にとって(そして大人にとっても)美術を鑑賞する行為をほかの日常的な営みとは異なる特別な体験とする重要な要因になっていると思われる。
 これまでに、2歳児でも、意図的に作られたものは絵と認めるが、偶然できたものは認めない、という興味深い実験結果がいくつか報告されている。例えば、男性の形に見える絵を見せて、一方のグループには、それが意図的に描かれたことを伝え、もう一方にはそれが偶然の産物だと伝える。つまり、一方には「ジョンがお絵描きの時間に、先生にあげようと絵の具で絵を描きました。それはこんな感じでした」と伝え、もう一方には、「ジョンのお父さんが壁にペンキを塗っていたときに、ジョンがうっかりペンキを何滴か床に落としてしまいました。それはこんな感じでした」と伝える。そして、その後、それぞれに「これは何かな?」と質問すると、意図的に描かれた絵だと説明を受けたグループは「男の人」など描かれた対象を答える傾向が強く、偶然できたものと説明を受けたグループは、材料の「ペンキ」と答えることが多かった(12)。さらに年齢が低い0、1歳児だと、言葉によるコミュニケーションが難しく先のような実験はできないが、別の実験や観察から、少なくとも他者の意図を汲み取ったり、他者の感情を理解したりすることは、かなり早い段階からできることが明らかになっている。
 乳児は、生後1年間の間に自分と他者を区別し、またさらに他者や自分以外のモノとの関係性を徐々に培っていく。生後2カ月頃には、大人がほほ笑みかけると、それに応じて乳児がほほ笑む、という「社会的微笑」と呼ばれる現象が現れ、自分と他者を区別して知覚する人-人の二項関係が成立し始める(13)。また生後5、6カ月には事物に関心が向かうようになり、見せられた物をつかんだり、振ったり、口に入れたりなどするようになり、人-物の二項関係も成立する。この頃から、他者が見ているものを目で追うことができる「共同注意」と呼ばれる現象も見られ始める(14)。さらに生後9カ月頃には、自分が遊ぶオモチャを大人に見せてその反応をうかがう、など乳児-物-他者の三項関係が成立するようになる(15)。また乳児は、成長するにつれて、自分の情緒について経験するだけでなく、他者の情緒に対しても共感したり理解するようになっていく。もっとも初期の他者との情緒の交流の形として、新生児に大人の「喜び」「悲しみ」「驚き」といった表情を見せると、大人と同じ表情を模倣する「新生児模倣」が知られている(16)。新生児模倣は、その後、成長すると観察されなくなってしまうが、生後2カ月には、先に述べた社会的微笑が観察されるようになる。さらに、生後7カ月頃から、乳児は周りの状況を判断する際に、母親などの信頼できる人の様子をうかがいながら自分の振る舞いに適用するようになる(17)。このような現象は、「社会的参照」と呼ばれている。有名な実験に、生後12カ月の赤ちゃんを見せかけの断崖である「視覚的断崖」に載せると、断崖の向こう側にいる母親が見せた表情によって行動が変わるというものがある。この視覚的断崖は、深さ約30センチの溝の上にガラス板が渡してあり、見た目は断崖だが、ガラスの上を渡ることができ、また断崖の向こう側には魅力的なおもちゃが置いてあるという装置である。この実験で赤ちゃんは、母親が否定的な表情や不安そうな表情を示すとガラス面の上を渡ろうとはしないが、母親がほほ笑むなど肯定的な表情を見せると大半が渡ることがわかった(18)。また、共感に関するメカニズムは、1990年代以降、脳のなかに他者の経験を自己に鏡のように写し取るようなミラーニューロンシステムと呼ばれるものがあることが明らかにされている(19)。例えば、快または不快な刺激を受けた他者の表情を知覚すると、観測者自身が同様の快・不快の刺激を知覚したときのような神経活動が脳内で生じる(20)。ミラーニューロンシステムについては未解明の部分も多いが、近年の実験で、6、7カ月の赤ちゃんも成人と同様に他者の行動を見るだけで、他者と同じ運動関連部位の脳活動が見られることがわかっている(21)。
 乳幼児の美術鑑賞に関しては、美術教育の分野でも比較的最近になって扱われるようになった分野であり、科学的な研究の方法論が確立されているわけでもない。そのため、あくまで推論にすぎないが、これまで見てきたような乳幼児の高い認識能力を考えると、「作品」として認識し始めるのは2歳ぐらいからだとしても、二項関係が成立しはじめる0歳児からでも、ある程度の大人の関わりなどがあれば、それぞれの年齢や発達段階に応じて美術鑑賞を楽しむことはできそうである。公園や家などの日常的な場所と異なり、美術館では、まず何よりほかの人が作った作品を「観る」という行為が特徴的である。乳幼児にとっては、美術館という場所は、新奇なモノがたくさんあること自体が興味の対象であるとともに、大人が観ている行為や、大人の反応や心の動きも、自らがそのモノをどう判断するかの基準になっていることだろう。大人が楽しそうに観ていれば、その気持ちが伝わってくるし、逆に自分が面白いと思ったものに対して、大人がそれを共有してくれることはこどもにとって喜びとなるだろう。また、気になった作品に手を伸ばしたときに大人に咎められれば、触らずに大切に観なければならないものがある、など、美術館での鑑賞のルールも成長に応じて徐々に理解していくだろう。

子育て支援と美術館

 赤ちゃんを連れて美術館に行くことは、赤ちゃん自身だけでなく、一緒に行く大人にとっても普段の生活では気づかない、さまざまな発見や驚きを得られる機会になる可能性を秘めている。考えてみれば当然のことだが、赤ちゃんが自らの意志で美術館に来ることはない。赤ちゃんを美術館に連れてくるのは、たいていお母さんをはじめとする周りの大人たちだ。子育て中の母親などの育児者が、普段の生活のなかで行ける場所はスーパーマーケットや公園などに限られがちだ。だが、子育てをしていても、文化的な刺激を受けたいと思っている人はたくさんいるはずだ。小さなこどもがいても、映画やコンサートにだって行きたいし、美術館にも行きたいかもしれない。近年は、赤ちゃんを連れて鑑賞できる映画館も増えたし(22)、0歳児からの音楽会も開催されている(23)。では、美術館はどうだろうか。
 日本では、核家族社会での子育て中の母親の孤立化について、1980年代頃からその問題が指摘されてきたが、90年代に入ってようやく行政も子育て支援施策を本格的に展開するようになった(24)。また、それまでこどもを預けてまで仕事をしたり、趣味に興じることは親のわがままである、と否定的にとられていたが、現代の子育て事情をふまえて、「親子が心身ともにリフレッシュする時間を持つことの重要性から肯定的に受け止めることも必要(25)」であると、これまでの母性観の転換がみられるようになった。確かに一昔前と違って、最近の傾向として、こどもを預けて大人だけで何かを楽しむのではなく、こどもと一緒に楽しむ、また母親だけでなく、父親もさまざまな催しに参加する姿が見受けられる。中谷奈津子は、子育て家庭のための「継続的・定常的な「縁側」のような地域の居場所づくりへの支援」の必要性を説いているが、その際に行政主体の「預かる」「教える」子育て支援、遊びや遊び場の提供型支援だけでなく、子育てをする母親自身が主体的に組織や活動に「参加」するよう促進していく必要性を指摘している(26)。美術館は、自らが主体的に美術を鑑賞することで、こども自身だけでなく、周りの大人もさまざまな感性を呼び覚ますことができる場となりうる。特に現代美術では、これまでのギモンでも見てきたとおり、観客の主体的な参加を促す作品やプロジェクト型の作品が近年増加して、美術と社会の関係について広く議論されている(27)。美術館を地域社会により開かれた場としていくことで、美術館が地域の子育て家庭にとって、既存の提供型支援施設とは異なる第三の「居場所」になれる可能性は高い。
 一昔前までは、美術館の「こども向け」のプログラムと言えば、教育普及事業の一環として開催される小学生以上を対象としたギャラリー・ツアーやワークショップが主流だった。だが、美術館での赤ちゃん向けプログラムは、赤ちゃんが保護者と一緒に展示を観て回るギャラリー・ツアーなどを中心に近年、増加傾向にある。ただし、それらへの参加は、運営上の制約などもあり、人気があっても人数や回数が限定されることが多い。また、小さなこどもを連れて遠方に出かけるのは至難の業なので、子育て家庭が、ベビーカーだけで移動でき、いつでも気軽に行けるプログラムをもつ美術館が自分の住んでいる地域にないと参加しづらい。
 こうした状況をふまえて、2010年に開催された「こどものにわ」では、まず、それまで美術館を訪れたことがない美術館近隣在住の子育て家庭が美術館に来るきっかけになるように、美術館がある東京都江東区の協力を得て、展示に先駆けて区内4カ所の子ども家庭支援センター、児童館、保育園などの子育て関連施設で乳幼児とその保護者を対象としたワークショップを展覧会に参加する作家のKOSUGE1-16とおこない、その成果を展示の一部とした。また会期中に近隣の商店街と美術館をつなぐ形で乳幼児とその保護者を対象としたワークショップを同じく参加作家の大巻伸嗣とおこなった。そして、美術館では、ワークショップやギャラリー・ツアーなどのように一過性で終わるものではなく、小さなこどもを連れた家庭がよりいつでも気軽に美術館を訪れることができるように、約2カ月半の会期で開催する「展覧会」という形式のプログラムを実現した。次回は、「こどものにわ」で展示された作品についてもう少し具体的に見ていきながら、「赤ちゃん向けの展示」がもたらしたものについて、掘り下げて考えていきたい。

大巻伸嗣《Echoes-INFINITY》(2010年)
東京都現代美術館「こどものにわ」展(2010年)における展示風景
撮影:森田兼次、写真提供:東京都現代美術館
出田郷《reflections》(2009/2010年)
東京都現代美術館「こどものにわ」展(2010年)における展示風景
撮影:森田兼次、写真提供:東京都現代美術館


(1)母子健康法では「赤ちゃん」を次のように定義していて、本稿でもそれに準じて各用語を用いる。新生児:出生後28日未満の乳児、乳児:1歳未満のこども、幼児:1歳から小学校就学前までのこども。
(2)「こどものにわ」2010年7月24日―10月3日、東京都現代美術館
(3)「第6回ヒロシマ賞受賞記念 シリン・ネシャット展」2005年7月23日―10月16日、広島市現代美術館
(4)ミニマル・ミュージックは、音型の反復や持続などで構成される現代音楽の形式の一つ。1960年代から70年代にかけてアメリカを中心に隆盛し、世界的な音楽文化にも影響を与えた。
(5)原典はWilliam James,‘one great blooming, buzzing confusion,’The Principle of Psychology, Macmillan, 1890.
 スイスの発達心理学者のジャン・ピアジェも「赤ちゃんは無力な存在である」と唱えた。またオーストリアのジークムント・フロイトをはじめとする精神分析の理論家は、乳児は「混乱しているというより、最初は周りの世界と関係していない」と考えていた(P・ロシャ『乳児の世界』板倉昭二/開一夫監訳、ミネルヴァ書房、2004年、32ページ)。
(6)榊原洋一「赤ちゃん理解の急速な進歩と赤ちゃん学」、産経新聞「新・赤ちゃん学」取材班『赤ちゃん学を知っていますか?――ここまできた新常識』所収、新潮社、2003年、346―351ページ
(7)山口真美『赤ちゃんは世界をどう見ているのか』(平凡社新書)、平凡社、2006年、17―18ページ
(8)小西行郎『赤ちゃんと脳科学』(集英社新書)、集英社、2003年、37ページ
(9)山口真美『赤ちゃんは顔をよむ――視覚と心の発達学』紀伊國屋書店、2003年
(10)前掲『乳児の世界』34-35ページ
(11)前掲『赤ちゃんと脳科学』110ページ
(12)ポール・ブルーム『赤ちゃんはどこまで人間なのか――心の理解の起源』春日井晶子訳、ランダムハウス講談社、2006年、109―113ページ
(13)岡本依子/菅野幸恵/塚田-城みちる『エピソードで学ぶ乳幼児の発達心理学――関係のなかでそだつ子どもたち』(新曜社、2004年)129―130ページでは、二項関係の成立を生後3、4カ月頃と紹介しているが、P・ロシャは、2カ月としている。三項関係の成立については、ロシャも同じく9カ月としている(前掲『乳児の世界』194―198ページ)。
(14)前掲『エピソードで学ぶ乳幼児の発達心理』146―148ページ
(15)同書129―130ページ
(16)同書121―122ページ
(17)前掲『赤ちゃんは顔をよむ』105―106ページ
(18)同書106―107ページ、前掲『エピソードで学ぶ乳幼児の発達心理』50―51ページ
(19)福島宏器「他人の損失は自分の損失?――共感の神経的基盤を探る」、開一夫/長谷川寿一編『ソーシャルブレインズ――自己と他者を認知する脳』所収、東京大学出版会、2009年、192―195ページ
(20)同書194ページ
(21)嶋田総太郎「自己と他者を区別する脳のメカニズム」、同書所収、66―70ページ、嶋田総太郎『脳のなかの自己と他者――身体性と社会性の認知脳科学と哲学』(日本認知科学会編「越境する認知科学」第1巻)、共立出版、2019年、146―149ページ
(22)TOHOシネマズは2003年から赤ちゃん連れで楽しめる「ママズクラブシアター」を展開している(〔https://www.tohotheater.jp/theater/009/info/mamas_club_theater.html〕)。
(23)代表的なものにソニー音楽芸術振興会の「Concert for KIDS 0才からのクラシック®」がある(〔https://www.smf.or.jp/concert/kids/〕)。
(24)中谷奈津子「地域子育て支援施策の変遷と課題――親のエンパワーメントの観点から」、国立社会保障・人口問題研究所編「社会保障研究」第42巻第2号、国立社会保障・人口問題研究所、2006年、168ページ(〔http://www.ipss.go.jp/syoushika/bunken/data/pdf/18095307.pdf〕)
(25)同論文168ページ
(26)同論文170ページ
(27)日本での具体的な事例のドキュメントとして、例えば荻原康子/熊倉純子編『社会とアートのえんむすび1996-2000――つなぎ手たちの実践』(ドキュメント2000プロジェクト実行委員会、2001年)など参照。

 

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地球は見つめられている?(いま何かをするのか、しないのか)――『アトランタからきた少女ラーラ』を出版して

広小路 敏

公私でいえば私人のラーラが

 このメモのタイトルを見ると、「見つめている」主語が神様のように思われるかもしれません。真意は、「ほかのすべての地球に住む人々」か、本当に「別の天体に住む人」。後者である可能性は、私たちが知りうる情報からはほぼ否定されますが、本書のラーラはSFとして、ほかの天体からきて、地球を「体験」しました。彼女にはどう映り、母星へはどう報告するのでしょうか。

犬は人間の友達?

 ケイティは本当に、僕(ケント)の役に立つユーマン(HumanOid)です。
「逆に……」、といいますか、歴史的に犬も、人の役に立つはたらきをしてきました。その点をもっと掘り下げて書くべきだったかな、と思い返します。とくに、この7月初旬の大雨のなかで、被災した人たちを救助するために、人間の数千倍の嗅覚を生かして、また持ち前の強い体力を支えとして、風雨を突いて瓦礫のなかに挑んでいく機動犬の姿を見ると、本当にありがたい気持ちでいっぱいになります。
 作中では、軍用犬の例を強調しすぎたかも、という反省も浮かびます。……あまり書くとネタバレ解説になってしまうのでこのあたりにとどめますが、いずれにしても、人と動物とが愛し合う……、人が、動物の「権利」(友人の浅川千尋という憲法学者が『動物保護入門――ドイツとギリシャに学ぶ共生の未来』〔世界思想社、2018年〕で「動物の権利」を数年前に書いていて、共感)を意識して睦み合うことができる……、そういう社会をめざしたいという気持ちです。
* 編集の進行のなかでプロのアドバイスに沿って、納得のうえで取り外しましたが、人が動物を食べることについて、どう考え、今後どんな道がありうるのかについて、SFは未来予測をしなければならないと思いますし、それは「タイムトラベル」のテーマと合わせて私の近未来課題のひとつです。

鬼軍曹(ルイス・ゴセット・Jr)?

 物語の終盤で、宇宙ヨットのクルーは、ラーラが誰に恋心を抱いたのかを論争します。いつ、どのように、誰に対して彼女は恋したのでしょうか。また、主人公のひとり、司郎が高校入学当初に出会う依子はどんな人だったのか。……これらはとても大切な点で、編集者とのやりとりのなかで、「充実を試みること」ができた諸点です。
 厳しい朱入れを頂戴しながら、「チキショー! それはこういうことなんだよ!」と切歯扼腕、補筆したものでした。こちらはリチャード・ギアのような俳優とは対極にありますが、編集者からの「教育的助言」には、邦題『愛と青春の旅だち』(監督:テイラー・ハックフォード、1982年)に登場したフォーリー軍曹のような厳しさを覚えたものでした。
 あの校正の数日間で、私は変わったかもしれません。感謝しています。

長い「おわりに」

 私は、書籍の出版という作業は、優れた監督者の下に、作者を含む各スタッフがそれぞれに個性(音色)を発揮して、オーケストラのように成り立つものと考えました。映画でも(現場を見た経験はありませんが、みんなが手を取り合って完成を喜び合う(『蒲田行進曲』のオールラストのように)シーンに向かうようなものであってほしいと、勝手に思っています。
 その気持ちがあって、まず、青弓社の編集者各位にお礼を申し上げますとともに、装画を担当してくださった谷川千佳さん、采配をくださったデザイナー(デザイン会社)の方々に、心からの感謝の気持ちを表したいと思います。本当にありがとうございました。
 また、もう一言だけ、「英訳はいつ出るのか」「アラビック版はあるのか」、“Let us pray for miracle! Good luck with your book!” 、「また早く読みたい」と声をくださっている友人(と私は考えています)のみなさん、本当にありがとうございます。
 そして読んでくださった方は、ぜひご意見をください。「私たちは何をしなければならないと思うのか」、そして「微力でも私がしたいと思っていることはこんなことだ」と。
 広小路はみなさんと、どんな立場に立つ間柄であったとしても、どんなことでも一つひとつ話し合いたいと思っています。お便りをお待ちしています。

筆者のフェイスブック:https://www.facebook.com/satoshi.matsuda.54390

 

第34回 ご挨拶と『宝塚イズム43』「宇月颯&如月蓮&貴澄隼人、スペシャル鼎談!」こぼれ話

橘 涼香(演劇ライター・演劇評論家)

 梅雨が明けた途端に一気に酷暑に突入しました。暑くなれば少しは収束傾向になるのでは?と期待していた新型コロナウイルスの感染拡大に残念ながら歯止めがかからず、東京は4度目の緊急事態宣言発出中という混乱が続いています。それでも現在、東京での宝塚歌劇公演は、東京宝塚劇場での珠城りょう&美園さくらコンビ退団公演でもある月組公演ロマン・トラジック『桜嵐記』、スーパー・ファンタジー『Dream Chaser』が、夜の部の開演時間を30分前倒しするだけの変更で華やかに上演中。7月21日から池袋の東京芸術劇場プレイハウスで、トップ・オブ・トップとして20年間、宝塚を牽引した専科の大スター・轟悠の、宝塚の男役芝居としては最後の作品となる『婆娑羅の玄孫』が開幕。さらに首都圏のKAAT神奈川芸術劇場では、7月22日から星組男役スターとしてますます精彩を放ち続ける愛月ひかる主演ミュージカル・ロマン『マノン』が開幕など、このコロナ禍にあって、宝塚歌劇が歩みを止めない姿に勇気をもらう毎日です。

 と、まず時候のご挨拶から入らせていただきましたが、この「『宝塚イズム』マンスリーニュース」では「はじめまして」となります、演劇ライター・演劇評論家の橘涼香です。『宝塚イズム』(青弓社)には、単発でのいつくかの寄稿を経て、『宝塚イズム38――特集 明日海・珠城・望海・紅・真風、充実の各組診断!』(2018年)にご登場くださった朝夏まなとさんのOGロングインタビューを契機に、続巻のOGロングインタビューや、『宝塚イズム41――特集 望海風斗&真彩希帆、ハーモニーの軌跡』(2020年)からは「OG公演評──関東篇」も担当するなど、様々な形で参加してきました。そしてこのたび、絶賛発売中の『宝塚イズム43――特集 さよなら轟&珠城&美園&華』をもって鶴岡英理子さんが共同編著者を退くことになったことから、ご縁をいただき、2022年1月刊行予定の『宝塚イズム44』から編著者の大任に就くことになりました。特に年2回刊行になってから、薮下哲司さんと鶴岡さんが目指してこられた健全な批評誌としての『宝塚イズム』の精神を引き継ぎ、『宝塚イズム』の未来に、微力ながら貢献できたらと考えています。中心になってくださっている共同編著者の薮下さんとは、19年年末に東京宝塚劇場前にある日比谷シャンテビル内の書店・日比谷コテージ主催『宝塚イズム40――特集 さよなら明日海りお』刊行記念のトークショーでもごいっしょしましたし、その前から演劇現場でも様々にお世話になっていましたので、胸をお借りして務めてまいります。自分で申し上げるのも、の感がありますが、人一倍の宝塚愛をもっていると自負していますし、これまでも貫いてきた「酷評するなら書かない」のポリシーを胸に、宝塚、スターさん、作家さんほか、関わる方々へのリスペクトを忘れず、何よりも同じ宝塚を愛する同志である読者のみなさまに喜んでいただける誌面作りを目指していきますので、今後とも『宝塚イズム』をどうぞよろしくお願い申し上げます。

 さて、私の所信表明演説(!?)だけでは「『宝塚イズム』マンスリーニュース」になりませんので、ありがたくも大変なご好評で発売中の『宝塚イズム43』で担当した「『エリザベートTAKARAZUKA25周年スペシャル・ガラ・コンサート』、宇月颯&如月蓮&貴澄隼人、スペシャル鼎談!」のこぼれ話をご披露いたします。

 コロナ禍で果敢に開催された『エリザベートTAKARAZUKA25周年スペシャル・ガラ・コンサート』では、私自身も一瞬にして往時がよみがえるという、歴代スターさんたちが集ったすばらしい公演の数々を堪能しましたが、その日替わりで登場するキャストのみなさまを支える全日程出演メンバーの方々が、どんな思いで公演の土台を築いていったのか。さらにガラコンサート全体を司る大任であるルイジ・ルキーニ役を数多く務められた宇月颯さんは、どんな気持ちで公演に臨み、舞台を牽引されたのか。ぜひお話をうかがいたい!と願ったところからスタートした企画は、関係各所のご尽力とご快諾をいただき、宇月さん、その同期生でゾフィーの取り巻きの「チーム重臣」でヒューブナーを演じられた如月蓮さん、宇月さんと同じく月組育ちで退団同期でもあり、如月さんと同じ「チーム重臣」でシュヴァルツェンベルクを演じた貴澄隼人さん、のお三方にお集まりいただくことができました。鼎談当日はあいにくの雨だったのですが、実はたっぷりゆとりをもって予約したつもりの都内某所の予約時間が超過寸前!! 「あと10分です~!」と大騒ぎになったほど、盛りだくさんのお話が飛び出して和気藹々。実は誌面に載せたものの倍以上のお話がありましたというほど、うれしい悲鳴のなかで、お話をうかがうことができました。
 
 宇月颯さんは宝塚歌劇団時代、なんと言っても優れたダンサーとしての評価が高かった方ですが、霧矢大夢さん主演版の『アルジェの男』(月組、2011年)の終盤「泥にまみれた~」ではじまる主題歌の影ソロを務められたときから、実はものすごく歌もうまい方なんだ!といううれしい喜びが常に記憶にあり、歌ってほしいな、もったいないな……と月組の舞台を観てはいつも思っていました。ですから珠城りょうさんのトップ披露公演『カルーセル輪舞曲』(2017年)で群舞のなかから抜け出した宇月さんが「1人では飛べないこの大海原をあなたの翼になって皆で飛んでいこう」という趣旨の、鮮やかなソロ歌唱を披露したときには、もう心でガッツポーズでしたし、取材仲間から「宇月さんってあんなに歌がうまかったの?」という話題がたくさん出たときにも「もともとうまいんですよ~!」とお前が歌っているのか!?(違います!)くらいに、なんの権利もなく鼻高々になってブイブイ言わせていた、ちょっとおかしいよ自分、な記憶がいまも鮮烈です。その後の宇月さんのご活躍は言わずもがなで、ダンス、芝居だけでなく見事な歌を数々聴いていましたから、ルキーニ役のオファーがうれしくありがたかったけれども、歌中心のガラコンサートで自分がルキーニでいいのか相当に悩んだ……というお話には、なんと謙虚な方だろうと思うと同時に、だからこそ歴代経験者に交じって、堂々とルキーニを演じることができたのだなと、深く得心がいったものです。
 
 その宇月さんの同期生で星組ひと筋の如月蓮さんは、宝塚時代からムードメーカーという言葉がピッタリくる明るさを常に感じさせてくれる男役さんでした。とても印象に残っているのが、紅ゆずるさんが初めて全国ツアーで主演を務めた『風と共に去りぬ』(星組、2014年)で、直近の宙組公演では悠未ひろさんと七海ひろきさんが役替わりで演じたのに象徴される、代々綺羅星のごとき男役スターさんが演じてきたルネ役を繊細に、相手役の妃白ゆあさんを大きくつつむ包容力で演じたかと思うと、紅さんトップ披露公演の『THE SCARLET PIMPERNEL』(星組、2017年)では、王太子ルイ・シャルルにつらく当たるマクシミリアン・ロベスピエールの崇拝者で靴屋のシモンを色濃く演じるといった役幅の広さでした。しかもそんなシモンを演じていても、如月さんの舞台には宝塚を逸脱するほどイヤなやつには決して役柄がならない矜持があって、「如月さんがいらっしゃると場が明るくなる」という貴澄隼人さんのお話に納得する思いでした。「エリザベートのハモリパートの難しさを初めて知った!」という、経験した方だからこその感慨や、無観客上演になってしまった際の涙と渾身を傾けた演技といったご自身のお話だけでなく、宇月さんがいかにルキーニ役として、歴代のルキーニ役者さんに献身されたかの、同期ならではの愛あるお話ぶりにも心打たれました。
 
 そして貴澄隼人さんは、宇月さんと同じく月組育ちの男役さん。三銃士を大胆に脚色した『All for One』(月組、2017年)で、珠城りょうさん演じるダルタニアンの父親ベルトラン役で、ガスコン魂を歌った温かい美声をご記憶の方も多いと思います。なかでもなんといっても『ロミオとジュリエット』(月組、2012年)新人公演でジュリエットの父キャピュレット卿を演じたときに披露した「娘よ」のソロが忘れられません。「どうだ、うまいだろう!」になっても「語り」になりすぎても違うと思えるビッグナンバーを、娘への心情を切々と歌う感情と、ビロードのようだなといつも感じる艶やかな歌声を両立させ、特に喉の調子が整っていた東京宝塚劇場での新人公演で披露した歌唱は、私個人としては歴代キャピュレット卿のなかでも非常に優れた名唱に数えられるものだったと信じています。全日程メンバーが例えば一日だけ入る歴代スターさんの空気を感じることにどれほど配慮されたか、毎日の舞台稽古、そしてご自身の役柄シュヴァルツンベルクの極端に低いソロパートに対する秘話などを、お話されるときもきれいなお声で語ってくださいました。貴澄さんのとことん真面目だけれども面白いという宇月さん、如月さんがおっしゃる側面が、これからの俳優活動でも見えてくるといいなと期待しています。
 
 そんなお三方がそろって出演される古典ラブバトル劇『ル・シッド』の初日も7月21日。池袋あうるすぽっとでの上演で、キャスト10人のうち8人が元タカラジェンヌという座組にも期待が高まります。ちなみに『宝塚イズム43』鼎談時には写真撮影の間だけマスクをはずしていただき、感染対策に厳重に注意しての取材でしたが、そのわずかな時間にも笑顔がこぼれでて素敵でした。中村嘉昭さんが撮影してくださった、そんな瞬間の数々を切り取られたお写真(こちらのカラーを見ていただく方法はないものか……といま、青弓社編集部とも相談を重ねています)も含めて、とても貴重なお話の宝庫である『宝塚イズム43』の鼎談全文をぜひお読みいただけたらと願っています。刷り上がった書籍をごらんになった宇月さんが「たまちゃん(珠城)の退団特集にいっしょに載ることができてうれしい」と言ってくださったのも、あー宝塚愛!を感じて胸に染みるひと言でした。そんな宝塚を、これからもOGさんたちを含め様々な形で見つめていきたいと思っています。末永くどうぞよろしくお願い申し上げます。

 

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第33回 コロナ禍での『宝塚イズム43』刊行!

薮下哲司(映画・演劇評論家)

 オリンピックが始まろうとしているのに新型コロナウイルスの感染拡大は一向に収まる気配がなく、東京は4度目の緊急事態宣言発出中。前代未聞の混乱状態ですが、宝塚歌劇は公演時間を変更するなど感染拡大に細心の注意を払いながら東西ともなんとか通常どおり上演しています。そんななか、わが『宝塚イズム43』も無事に7月初旬に刊行することができ、おかげさまで全国の大型書店で好評発売中です。
 今号は、トップ・オブ・トップとして20年間、宝塚に君臨した専科のスター・轟悠の突然の退団発表を受けて、すでに退団を発表していた月組トップコンビの珠城りょう、美園さくら、花組の娘役トップ・華優希に加えて、轟の退団をメインに据えた特集を組みました。轟の存在が宝塚歌劇にとっていかに大きいものだったか、どんな影響を与えてきたか、などを執筆メンバーに考察してもらい、単に惜別の特集というだけでなく、轟が存在しない宝塚歌劇が今後どんなふうに展開していくのか、将来の展望も見据えた特集になっています。
 そして、昨年3月、退団を発表していながらコロナ禍の休演で半年遅れとなった月組の珠城と美園、そして7月の『アウグストゥス――尊厳ある者』(作・演出:田渕大輔)東京公演で退団した花組の娘役トップ・華の3人の退団には、通常の惜別特集を組みました。華の大劇場千秋楽は無観客のライブ配信という不運に見舞われましたが、珠城と美園は退団の時期はずれたものの『桜嵐記(おうらんき)』(作・演出:上田久美子)というすばらしい作品で見送ってもらうことができた幸せなカップルでした。
 小特集は、今年は花組と月組が誕生して100周年という節目の年にあたることから、花組と月組にまつわるさまざまな思い出やスターの話題をピックアップしてみました。本来は4月に宝塚大劇場で、歴代のスターたちが勢ぞろいしての祝祭イベントがあるはずだったのですが、コロナ禍で中止になってしまい、せめて誌面で応援しようと企画していたところ、11月に大劇場花組公演と梅田芸術劇場で100周年記念公演が決定、タイムリーな小特集になりました。
 また、今年はミュージカル『エリザベート』の日本初演25周年の記念の年にもあたります。歴代出演者が勢ぞろいした『エリザベートTAKARAZUKA25周年スペシャル・ガラ・コンサート』が開催されました。全日程出演するアンサンブルキャストには在団中には出演がかなわなかったメンバーが選ばれるなど、これまでにないフレッシュなキャストで上演されました。そんなメンバーのなかから宇月颯、如月蓮、貴澄隼人の3人に橘涼香さんが貴重な話を聞いてくださいました。この裏話はまたあらためてここで書いていただくとして、『エリザベート』が宝塚の演目のなかでいかにカリスマになっているか、3人の鼎談を読むとよくわかります。
 OGロングインタビューは、2000年から06年までトップを務め絶大な人気を誇った元宙組の和央ようかに登場してもらいました。現在、滞在中のハワイからのリモート取材で、7月に開催する予定だった宝塚ホテルでの里帰りディナーショーの話を中心に『エリザベート』初演時の苦労話などを聞くことができました。しかし肝心のディナーショーが、新型コロナウイルスの感染拡大が収まらず、緊急事態宣言は解除されたものの、その後に発出された兵庫県独自のまん延防止等重点措置のため7月の開催を断念、10月23、24の両日に延期されてしまいました。ゲストも実咲凛音から綺咲愛里に交代するなど、インタビューの内容とはずいぶん変わってしまいますが、そのあたりはご了承のうえお楽しみください。
 それにしてもこんな状態がいつまで続くのか、もう元通りにはならないという悲観論者の声も聞かれますが、一日も早くマスクをしなくてもいい世界になることを祈りたいものです。

 

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ギモン5:日本人向けの展示ってあるの?(第2回)

難波祐子(なんば・さちこ)
(キュレーター。東京都現代美術館を経て、国内外での展覧会企画に関わる。著書に『現代美術キュレーター・ハンドブック』『現代美術キュレーターという仕事』〔ともに青弓社〕など。現在、キュレーションした坂本龍一の個展「坂本龍一: seeing sound, hearing time」が北京の木木美術館〔M WOODS Museum〕で開催中〔2021年8月8日まで〕)

「他者」の表象と日本の現代美術の表象

 ギモン1の「美術館と展覧会の歴史的背景」のところで少し述べたが、「美術史」と言えば、長年「西洋美術史」を示すことが欧米社会だけでなく、それ以外の地域でも一般的な認識だった。だが、1980年代末の冷戦の終焉と90年代の物流や経済のグローバル化、テクノロジーの発達による情報化の波を受けて、文化の面でも変化を余儀なくされ、そのなかで非欧米地域の美術史についての検証と理論化が進められてきた。現代美術史も長らく単線的な西洋美術の歴史の延長線上に位置づけられてきたが、90年代にポスト・コロニアル(ポスト植民地主義)の議論が盛んになるにつれて、複眼的な視点から、これまで美術史の外に置かれていたアジアやアフリカなど多様な地域の美術も含めて美術史を編み直す動きが見られた。国際的なビエンナーレやトリエンナーレでも非欧米地域の現代美術とその表象が大きなテーマとして各地で積極的に取り上げられるようになった。そこでの議論の中心になったのは、「他者」の表象を取り巻く言説だった。
「他者(the Other)」という英語表記で大文字の「O」を用いる言葉は、ポスト・コロニアルの言説でしばしば用いられる特殊な哲学用語である。「他者」とは、要は、異性愛者の白人男性から見た「他者」であり、有色人種、女性、そして近年よく耳にするLGBTなどの同性愛者やトランスジェンダーといった社会的少数派、マイノリティーを指す。こうした「他者」は、歴史的にも政治・経済・社会活動で表舞台から排除され、社会的弱者としての立場を余儀なくされてきていて、現在もその不均衡はまだまだ是正されきっていないのが現実である。美術の世界でもその傾向は同じであり、例えば一般的な美術史の教科書に名を残すような女性アーティストの数は、国や文化によって多少の差はあるものの、歴史的に見れば男性アーティストの数よりも圧倒的に少ない。また欧米諸国のアーティストに比べて非欧米諸国のアーティストは、1990年代に入るまでほとんど欧米で紹介されることがなかった。それが、グローバル化と情報化の流れを受けて、一気に世界中が簡易に移動できたり、瞬時にネットワークでつながるような動きが加速し、美術の世界でもこれまで知りうることが困難だった遠方の地での情報がリアルタイムで入手できるようになった。こうした状況に伴って、これまで文化的にも「周縁」とみなされてきた非欧米地域の美術が90年代に入って一気に紹介される機会が増大した。またこうした非欧米地域の美術を紹介する展覧会は、主に欧米のキュレーターが欧米の観客のためにキュレーションする、という帝国主義的・植民地主義的手法が長く主流を占めてきた。だが、そうしたアプローチに批判が高まってきたのも90年代であった。
「表象」という言葉についてもここで少し補足しておきたい。「表象(representation)」という言葉は、「他者」同様、記号論や人類学などで用いられる哲学用語である。文字どおり訳すと「(何かや誰かの)代わりに示す、表現する」という意味になるが、美術の場合だと、作品をある文化的な特徴を「表象」するものとして捉えたり、あるいはある特定の国や地域の美術を紹介する展覧会のことを、その国・地域の美術を「表象」する事象として扱う。例えば、日本の現代美術作品を集めた展覧会は、日本の現代美術を表象するもの、ということになる。このように「他者」の表象というのは、現代美術の場合、非欧米地域の文化や美術をどのように作家やキュレーターが表し、紹介しているのか、という意味で用いられている。
 先に述べたとおり、1990年代に入って、非欧米地域の美術を欧米のキュレーターが欧米の観客に向けて紹介するという植民地主義的な展覧会への批判が高まった。それに対して、当該地域出身のキュレーターであれば、よりオーセンティックな、本物らしい、その地域の美術を表象できるのではないか、という期待が、欧米の美術関係者のなかでも寄せられていた。例えばアフリカの美術の展覧会ならアフリカ出身のキュレーター、アジアの美術ならアジア出身のキュレーターのほうが、欧米出身のキュレーターよりもより忠実にその地域の美術を理解し、欧米出身のキュレーターにはできない視点からよりオーセンティックな展覧会を作れるのではないか、と思われたのである。先に紹介した戦後の日本美術を紹介する2つの展覧会が実施されたのは、そうした論争が盛んになった時期でもあった。

ディアスポラなアーティストとキュレーターの登場

 グローバル化が進むなかで、同時に台頭してきた世界的な傾向が、グローバルとは対極にある「ローカル」を志向する流れであった。欧米中心主義で画一的なグローバルに対して、自分たちが住む国、地域、地元ならではの個性、良さ、価値観、文化を大切にして、それを外に向けてアピールするような流れである。美術の場合はそれが先に述べた国際展などで顕著に現れた。またこうした国際展も、それまではヴェネチア・ビエンナーレやドクメンタ(ドイツ)、あるいはホイットニー・バイエニアル(アメリカ)など欧米を中心として開催されていたが、1990年代に入って、光州(韓国)、上海、台北、横浜、アジア太平洋(ブリスベーン、オーストラリア)などアジアを中心とする非欧米地域で新しいビエンナーレやトリエンナーレが次々と立ち上がった。こうした新興の国際展は、欧米のそれと差別化を図るうえで、その土地ならではのローカルな文脈を強調したり、その地域・国らしさを売りにする戦略が多く見られた。そしてこれらの国際展で台頭してきたのが、非欧米地域出身のキュレーターやアーティストだった。これらの国際展では、それまでの欧米の国際展では紹介されてこなかった、その開催地域出身のアーティストが、同じく開催地域出身のキュレーターによって数多く紹介された。だが、こうした非欧米地域出身のアーティストやキュレーターの多くは、実は欧米で教育を受けたディアスポラなアーティストやキュレーターが大半を占めていたことで、この「本物らしさ」や「その国・地域らしさ」をめぐる表象の問題はより混迷を深めることになった。
 ここで「ディアスポラ」という聞き慣れない言葉が突然登場してしまったので、少し説明しよう。「ディアスポラ」とは、ギリシャ語で「離散」を意味する言葉で、もともとはパレスチナを離れて世界各地で暮らすユダヤ人のことを指していた。それが転じて近年は、政治的・思想的な理由で国を離れ、自国以外の場所を拠点として活動をおこなう者のことを意味する。現代美術の世界では、1989年の天安門事件をきっかけとして、多くの中国人アーティストやキュレーターがほかの知識人とともにニューヨークやパリへと移り住み、ディアスポラなアーティストやキュレーターの先駆けとなった。また90年代は、アジアやアフリカの富裕層の子弟や国費留学生などが欧米に留学することが一般的になり、彼らが大学卒業後に自国に戻って活躍する機会が増えた。例えばタイでは、主にアメリカの大学や大学院に留学したアーティストやキュレーターが、タイに戻ってアーティスト・ランのスペースを設立して運営したり、アートプロジェクトを企画するなどの動きが活発化した。こうした欧米で教育を受けたディアスポラなアーティストやキュレーターは、英語、フランス語、ドイツ語などの欧米の主要言語と、アートの専門用語(ジャーゴン)という二つの特殊な「言語」を駆使することに長けていて、欧米の専門家に対して、わかりやすく非欧米の表象について語ることができるという、ある意味、特権的な立場にいた(28)。つまりこうしたアーティストは欧米の美術関係者に対して、わかりやすいオーセンティックな「ローカル」の作品を提示することを得意としたのである。またキュレーターは、そうしたアーティストを、「グローバル対ローカル」や「グローカル」「ハイブリッド」などのはやりの言説を巧みに用いながら、その地域の美術を代表するものとして積極的に紹介する役割を果たした。だが、こうした他者の表象の立役者だった彼ら自身が、それまで欧米出身者が主流だった「スター・キュレーター」「スター・アーティスト」と呼ばれる国際展の常連組に同じように名を連ねるようになるには、時間はかからなかった。皮肉なことに結果的には、世界中どこの国際展に行っても、同じディアスポラなスター・キュレーターが選定する同じくディアスポラなスター・アーティストの顔ぶれによる企画が散見されることになった。そしてこうした非欧米地域の美術についての展覧会は、同じく非欧米地域出身のキュレーターの手によるほうがよりオーセンティックな表象になる、という一種の幻想的な期待が欧米・非欧米双方の美術関係者のなかで徐々に崩れ始めていった。

共同キュレーションによる新しい試み

 2000年代に入って、こうした他者の表象をめぐる議論は、世界各地で盛んにおこなわれた共同キュレーションなどの試みによって、新たな方向性を模索していくようになった。そこでは誰が誰をというよりは、お互いがお互いに対話を通して新しい表象の可能性を切り開くというスタイルが主流になっていて、その傾向はいまも続いている。日本では、国際交流基金アジアセンターが主催した「アンダーコンストラクション――アジア美術の新世代」展がその好例の一つになった。この展覧会は、インドネシア、インド、韓国、タイ、中国、日本、フィリピンから9人の若手キュレーターが、アジア各地でリサーチして、アジアの表象について共同で模索する、という一大プロジェクトだった。このプロジェクトでは、2000年から参加キュレーターによる調査とセミナーがおこなわれ、01年から02年にかけて、アジア7都市で単独あるいは共同でキュレーションした展覧会を実施し、最終的には東京でそれまでのローカル展を総括する展覧会を開催した。このプロジェクトをきっかけにして構築されたアジア人キュレーターやアーティスト、美術関係者のネットワークは、その後の日本国内外のアジアの表象をめぐる展覧会にも大きく貢献することになった。
 また2013 年に森美術館で開催された「六本木クロッシング2013 アウト・オブ・ダウト――来たるべき風景のために」もオーストラリア人のキュレーター、ルーベン・キーハンとアメリカ人キュレーターのガブリエル・リッターが森美術館の片岡真実と共同でキュレーションをおこなった。「六本木クロッシング展」は、同館で04年にスタートした3年に一度開催される、日本における多様なジャンルのアーティストやクリエーターを紹介する展覧会である。4回目となった13年は、海外から日本の現代美術に精通している2人のゲストキュレーターを迎え、若手作家だけではなく、異なる世代の作家や海外在住の日本人作家なども加えて、日本の現代美術を多角的に検証する機会とした。ここで大切なのは、キーハンが述べているようにこの展覧会が、「日本美術とは何なのか、何だったのかという問いではなく、日本美術がどうなりうるか、そして何ができるのか」を日本に対して、それも「単に約1億3,000万人の住む列島という場ではなく、何十億という人々がその意味を共有し、協議している日本という考え、概念に対して何ができるのか(29)」と問題提起している点である。

「日本の」現代美術

 さて、ずいぶんとまわり道をしてしまったが、「日本人向けの展示というのはあるのだろうか」という今回のギモンを発端にして、ある特定の国や地域の美術を表象することについていろいろと考えてきた。ここでいちばん考えたかったことは、日本の現代美術は、誰にとって、誰が発信する「日本らしさ」「日本文化らしさ」なのだろうか、というギモンと、現在の日本人にとって、あるいは世界の人々にとってその国らしさを表象するということはどういった意味をもつのだろうか、という大きな問いだ。というのも、一国の文化をプロモーションするというのは、それが誰に向けたものであれ、第二次世界大戦中のナチス・ドイツの一大文化プロパガンダや、戦時中の日本の文化統制などを彷彿とさせるナショナリズムな動きと切り離して考えることができない、危険と背中合わせの行為だからである。異文化はもとより、LGBTや障害者など多様な背景をもつ人々に対する社会的包摂(インクルーシブ)が必要とされる現代社会で、ある特定の文化を表象することについて、私たちは注意深くあるべきである。
 また、ここでこれまで当たり前のように用いてきた「日本の」現代美術が規定する「日本」や「日本らしさ」は、実は一定の決まりきった概念ではなく、時代によっても、また個々人によってもその定義は揺らいでいるものであることには留意する必要がある。日本は長らく単一民族による単一国家であるという幻想があったが、近年のアイヌや琉球文化への見直しや、日本に長期滞在している日系ブラジル人やアジア人労働者などの地域コミュニティとの関わりへの眼差しなどは、そうした考え方に一石を投じている。
 また、同じ「非欧米地域」の「アジア」ではあっても、例えば日本の現代美術の国内外での紹介のされ方と、植民地支配を経験したほかのアジア諸国の現代美術の紹介のされ方を同一視することはできない。もっと言えば、「東洋」というコンセプト自体も、西洋側に規定されてきたものであり、そのことを忘れて十把ひとからげに「アジア」の美術とか、「日本」の美術という言い方をすることは、非常に乱暴な態度である(30)。したがって「日本の」現代美術の展覧会が開催されるときに、それが誰によって、誰のために開催されているか、というその背景にある文脈によって、その定義は常に流動的であることは頭の片隅に置いておく必要があるだろう。
 先に登場した「他者」や「表象」といった言葉も、もともとは英語の「the Other」「representation」という欧米の知識人層で用いられる専門用語である。そもそもこれまで見てきた展覧会や美術館という枠組みそのものや、現代美術というカテゴリー自体が西洋生まれの概念だった。明治の時代に翻訳された「美術」という用語が日本でなじみがなかった概念であったように、文化や地域によって「美術」や「現代美術」の定義そのものも統一されたものではないことは、ローカルの文脈を考えるうえで大切な要素だろう。
 国を挙げて推進されてきた東京2020の文化プログラムに関連する展覧会の多くは日本で実施され、コロナ禍の影響によって当初想定していた海外からのインバウンド客ではなく、日本国内の観客がその主たる対象になった。これらの展覧会を鑑賞する側から見れば、政府や組織委員会の思惑とは裏腹に、それが外国人向けに作られようと日本人向けに作られようと、もはや結果的には大差がないように見受けられる、というか比較検証することも物理的にできない、というのが正直なところだ。これらのプログラムの多くは、主には「海外」の観客に向けて日本文化を発信するものだったが、「海外」と一口に言っても、それは日本人や日本文化の定義が一様ではないように、「海外」を「日本以外」とした、かなり大ざっぱで漠然とした定義であると言えるだろう。先に見てきたように多言語化対応で中国語と韓国語が英語に加えられたことは、想定されていたインバウンド客のなかでもアジアの観客を意識したことは推察される。だが、ここで言う「アジア」も正確には東アジアの観客で、ここには西アジアや東南アジアは含まれていない。

コロナ禍における文化の表象

 ある特定地域の美術の表象が1990年代に問題になったように、それを享受する観客についても、単純に「日本」の観客、「アジア」の観客と一括りにすることは、このグローバルな現代社会で、時代錯誤的な発想であると言わざるをえない。むしろコロナ禍という特殊な状況で、どこの国のアーティストもキュレーターも、そして観客も自由に移動することが制限され、自国にとどまることを余儀なくされたことで、この問題はまた新たな局面を迎えているのではないだろうか。
 例えば、コロナ禍で展覧会や美術関係のシンポジウムもオンラインのプログラムが増えて、どこにいても、世界中のプロジェクトやプログラムを自宅にいながらにして享受できるようになった。そうしたプログラムでは世界各地をリアルタイムで同時に結ぶものも多い。そうなった場合に、対象となる観客の居住地域はもはや重要な要素ではなく、開催されるプロジェクトのテーマや内容に関心がある層であれば、言語や時差の問題はあるかもしれないが、基本的には誰でもどこからでも参加できる。そこでは何がオーセンティックなのか、ということはもはや問題にされないし、逆にいまを生きる私たちに何が必要なのか、またそれを異なる文化や社会に生きる各自がどう受け止めるか、それぞれの状況でどう対処しているのかを互いに学び、共有し合うことのほうが喫緊の課題になっていると言えるだろう。それは、キーハンらが提起した日本の現代美術に対する問いと共通する姿勢ではないだろうか。
 これまで見てきたように日本の現代美術の表象は、時代とともに変化し続けている流動的なもので、今日のグローバルな文脈では、日本の現代美術も、ほかの地域の美術の表象と同じく複眼的に思考されることが求められていると言える。一方で、本ギモンの冒頭で少し例示したように、「日本の現代美術」と言われて、私たちが何となく曖昧にそれらしく思い描くもの、があることも事実である。それが東京2020の文化プログラムでは、よりはっきりと極端な方向性をもって可視化されることになった。だが、そもそも「日本人」にしかわからない「日本の現代美術」の展示などあるのだろうか。「日本人」のアイデンティティや定義が揺らぐなかで、同じ日本人でも年齢や住んでいる地域、生きている時代、自らの関心の対象によって、現代美術の受け止め方もそれぞれであるにちがいない。そして展覧会で「わかる」ことは重要なのだろうか。次のギモンでは、こうした問いについてまた一歩考えを進めていくために、赤ちゃん向けの展示があるのかという問いを通して、展覧会の観客について、また別の観点からあらためて考えていきたい。


(28)ディアスポラの知識人については、香港出身のレイ・チョウ『ディアスポラの知識人』(本橋哲也訳、青土社、1998年)を参照されたい。
(29)ルーベン・キーハン「喪失の構造、解放の構造」、森美術館編『六本木クロッシング2013 アウト・オブ・ダウト――来たるべき風景のために』所収、平凡社、2013年、212ページ
(30)タイの美術史家であるアピナン・ポーサヤーナンは、こうした「西洋」に対するアジアの単一的な「東洋化」や「アジア化」といった見方に対して異を唱えている。Apinan Poshyananda, “Roaring Tigers, Desperate Dragons in Transition” in Apinan Poshyananda eds, Contemporary Art in Asia: Traditions/Tensions, Asia Society Galleries, New York,1996, p. 24.

 

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やるべきことを、やるべきときにやる――『海外ルーツの子ども支援――言葉・文化・制度を超えて共生へ』を出版して

田中宝紀

 約1カ月前、私の初めての単著『海外ルーツの子ども支援――言葉・文化・制度を超えて共生へ』を出版しました。
 私が海外ルーツの子ども支援に携わり始めたのが2010年。その頃の私は、現場のど真ん中で日々子どもたちや保護者と向き合い、必要があれば学校に出向いて交渉や相談を重ねる「支援者」でした。ときには自宅を繰り返し訪問したり、自治体の担当者に状況の改善を求めたりなど、“いま、目の前の子どもに必要なこと”を手探りで続けていました。
 そのような日々のなかで、子どもたちの現状や課題について「書いて発信する」ことを意識し始めたのは、この仕事に携わるようになってから5年後の2015年のことです。きっかけは、同年2月に神奈川県川崎市で発生したある事件で、当時中学1年生だった被害者の男子生徒が、河原で10代の少年たちにナイフで殺害された、残忍で痛ましい出来事でした。
 当時、メディアによる連日の報道によって事件の背景が明らかになるにつれ、私は主犯格の少年が海外にルーツをもっていることを知りました。そしてその主犯格の少年が置かれた環境から、もしかしたらこの少年は「シングルリミテッド」(母語を喪失し、日本語モノリンガルだが、その日本語力が小学校低学年程度でとどまっている状況)なのではないかと感じました。その直感をもとに、個人ブログの記事としてシングルリミテッド状態に置かれた子どもの苦しさや大変さ、なぜシングルリミテッド状態に陥る子どもが存在しているのか、その要因である日本語を母語としない子どもの教育機会が不十分な実態などを、主犯格の少年を理解する手掛かりになるのではないかという趣旨で書いて公開しました。
 正直にいうと、記事を公開するまでは不安や怖さがあり、強い批判を浴びるのではないかと感じていました。どちらかというと、記事の内容が主犯格の少年を“擁護”していると受け取られても仕方ないものだと思っていたからです。しかし、私の小さな懸念が吹き飛ぶくらいその記事は拡散され、最終的に何万もの人読まれました。そして記事を読んだ人から届いた感想やコメントのほとんどが、シングルリミテッド状態に陥る子どもの苦しさについて共感するものや、「(主犯格の少年に)そうした背景がある可能性を知ることができてよかった」といった内容のものでした。また、記事の内容の多くは、日頃海外ルーツの子どもと関わりをもつ私たち支援者にとっては「あるある」の事柄でしたが、読者からは「初めて知った」「気づかなかった」「重要な課題なのでもっと知りたい」といった声を寄せていただきました。
 この出来事をきっかけに、私は私たちの「あるある」がどれほど閉じたものだったか、そのことを「一般化して伝えること」や「身近に海外ルーツの子どもがいない人にわかりやすく伝えること」がどれほど大切であるか、に気づきました。

 それ以降、私は「課題の社会化」を活動テーマのひとつとして掲げ、海外ルーツの子どもやその家族が置かれた状況がどれほど困難なのか、その課題がどれほど重要なのか、どうやってそれを解決していけるのか、などを書いて発信していきました。もちろん、「わかりやすさ」は諸刃の剣であり、ときに偏見を強化することにつながったり、海外ルーツの子ども自身を傷つけたりする可能性も感じてはいました。それでも、伝わるように伝えなければいつまでも子どもたちが置かれている状況は変わらず、その存在さえも「見えない」ままになってしまうという危機感に後押しされ、発信を続けてきました。そしてその発信がどのような広がりとつながりをもたらしたかについては、拙著で書いたとおりです。

 現時点でも海外ルーツの子どものことを知らない人や、知っていても詳しくはわからない人はまだまだたくさんいますが、それでも国や自治体、教育関係者や公益活動の担い手など、海外ルーツの子どもたちにとって重要な役割を担う人々の間では少なからず「課題認知」は進んだ、という実感をもっています。
 半ば意図しない状況から「あるあるを書き、発信する」という役割を(勝手に)担って歩んできたこの数年間。書くべきときに書くべきことを書けないと悩んだり、批判を受けてもう書くことをやめようと思ったり、(私自身にとっては大きな)山も谷もそれなりに経験してきました。それでもなんとか書くことを続けてきた、その結果が、少しでも子どもたちの状況改善や課題解決につながってくれているのであれば、これほどうれしいことはありません。

 今回、これまでの歩みと経験から見いだした「あるある」をまとめたことで、私が担ってきた役割は一段落した、と肩の荷を少し下ろすことができました。これから先、私が書く文章がどのような役割を新たに担うかは、いまはわかりません。
 ただ、いまでも目の前に子どもたちがいて、コロナ禍のなかで状況はよくなる気配をまだみせていません。
【やるべきことを、やるべきときにやる】
 これからもそんなシンプルな日々を積み重ねて、子どもたちの未来を開き、多様な人々がともに生きることができる社会を実現する。その実現に向け、多くの方々とともにその一端を担い続けていきたいと思います。

 

第32回 上田久美子と『桜嵐記』

薮下哲司(映画・演劇評論家)

 新型コロナウイルス感染拡大第4波襲来で4月25日から緊急事態宣言が発出され、再び宝塚大劇場、東京宝塚劇場が2週間の休館となり、花組・星組公演が中止になりました。娘役トップの華優希と二番手男役スター瀬戸かずやの退団公演だった花組公演ドラマ・ヒストリ『アウグストゥス――尊厳ある者』(演出:田渕大輔)とパッショネイト・ファンタジー『Cool Beast!!』(作・演出:藤井大介)は、5月10日の千秋楽を無観客のライブビューイングとライブ配信で開催するという前代未聞の事態になりました。タカラヅカ・スカイ・ステージはサヨナラショーだけを生中継、瀬戸の「宝塚の生徒がこんな光景を二度と見ることがないように祈ります」という挨拶の言葉が痛切でした。
 5月11日までの緊急事態宣言はさらに延長されましたが、大阪府以外は劇場再開が認められ、15日からの珠城りょう、美園さくらの月組トップコンビのサヨナラ公演、ロマン・トラジック『桜嵐記(おうらんき)』(作・演出:上田久美子)とスーパー・ファンタジー『Dream Chaser』(作・演出:中村暁)は、宝塚大劇場に満員の観客を集めて開幕しました。当初の予定では昨年暮れの公演予定でしたので半年遅れ、出演者、関係者そして見守る観客も含めて薄氷を踏む思いの緊張感あふれる初日でした。
 そんななか上演された『桜嵐記』は、いまや宝塚の物語の紡ぎ手として第一人者になった上田が、南北朝時代、南朝に殉じた武将・楠木正行に題材をとって書き下ろした歴史ロマン。楠木正成と正行親子の話は『太平記』でも知られ、1991年のNHK大河ドラマではそれぞれ武田鉄矢と中村繁之が演じていました。正成が河内の国守を任され、庶民に厚く慕われていたことは舞台にもありますが、地元ではいまだに「楠公さん」と親しみを込めて呼ばれていて、現在、河内長野市など大阪府東部の市町村を中心に「楠公さんを主人公にしたドラマを」と再びNHK大河ドラマ誘致運動が盛んにおこなわれているくらいです。ただ、天皇に忠誠を尽くした武将として戦前の修身の教科書で天皇崇拝の象徴として扱われたことで、再評価に不安を覚える人々がいることも確かです。今回の舞台化は、『太平記』の時代に立ち返り、正成と正行の武将としての純粋な生き方を描いたもので、なかでも四条畷の戦いからラストにかけての怒涛の展開は見事なものでした。
 作・演出の上田久美子は1979年生まれ、奈良県出身。京都大学文学部フランス文学専修卒で、2年間の製薬会社勤務を経て2006年、宝塚歌劇団に演出助手として入団しました。13年、月組バウホール公演『月雲(つきぐも)の皇子(みこ)』で演出家デビュー。『古事記』と『日本書紀』で衣通姫伝説が微妙に異なることから自由に物語を紡いだ古代ロマンでしたが、これがすばらしい出来栄えで関係者を仰天させ、当初予定になかった東京公演が決まったほどでした。『桜嵐記』に主演した珠城のバウ初主演作でもあります。
 2014年、第2作の宙組ドラマシティ公演『翼ある人びと――ブラームスとクララ・シューマン』も第18回鶴屋南北賞に最終ノミネートされるなど注目を浴び、大劇場デビューとなった15年の雪組公演『星逢一夜(ほしあいひとよ)』は第23回読売演劇大賞優秀演出家賞を受賞、その後も花組公演『金色(こんじき)の砂漠』(2016年)、宙組公演『神々の土地』(2017年)と次々に力作を発表しました。
 今年は正月に望海風斗、真彩希帆のサヨナラのために楽聖ベートーヴェンの半生を描いた『fff――フォルティッシッシモ』を発表したばかりで、『桜嵐記』は2作目。作家としてまさに脂の乗り切った絶頂期といっていいでしょう。
 上田作品の特徴は、まずストーリーの中心となる人物の生き方に一本芯が通っていてぶれないことにあります。そんな魅力的な主人公が生きるうえで、時代の壁や周囲の人物の思惑で葛藤が生まれ、思うようにはならない。そこに普遍的な人生の縮図が浮き上がり、観客は感動に打ちのめされるという仕組みです。男役をいかにかっこよくみせるかという宝塚の基本をマスターしたうえで、各組メンバーの個性に合わせた配役の妙、さらにドラマ作りのセンスのよさが相まって、観客の充足感の高さは常に上位を保っています。
『桜嵐記』は、宝塚に数ある日本物の芝居のなかでも有数の出来栄えで、宝塚の歴史に残る作品になると思います。悲劇でありながら未来に希望を託したラストの余韻は、コロナ禍まっただなかにあって心に染み入りました。観終わった後、故・柴田侑宏氏の墓前に「後継者が生まれましたよ」と報告したいと思って『宝塚イズム43』の公演評にもそう書いたのですが、本当は、創始者の小林一三翁に報告するのが筋かもしれません。私がすることではないと思いながら、ふとそんなことまで考えてしまった『桜嵐記』でした。

 さて、その『宝塚イズム43』は轟悠はじめ珠城、美園、華と4人の退団者の惜別特集がメインで、執筆メンバーからは熱のこもった原稿が数多く集まっています。OGインタビューは、元宙組トップスター、和央ようかさんがハワイからリモートで受けてくださいました。退団15年、宝塚への熱い思いを存分に語ってくれています。現在、鋭意編集中で、お手元にお届けできるのは7月初旬になりますが、それまで楽しみにお待ちください。

 

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答え合わせ――『言語聴覚士になろう!』を出版して

みやの ひろ

 得てして、職業紹介本はお堅いイメージがある。特に医療系の職業となればなおさらだろう。
 本書の依頼がきたとき、従来のイメージを払拭した、手に取りやすく読みやすい本を書くことが私に課せられた命題だと勝手に考えた。
 幸いにも、編集者から提示された「言語聴覚士になろう!」というタイトルはポップで親しみやすい。このタイトルに合うように、内容面にもある程度の“遊び要素”を取り入れてやわらかさを出し、かつ、メリハリをつけることでストレスなく読み続けられるよう工夫を施すことを提案する。

「すてきなお考えですね。まずは自由に書いてください」

 編集者からの理解も得られ、新しいイメージの職業紹介本の作成に取り掛かる。原稿を書いているうちに、多少、“遊び要素”の域を超えたおふざけの箇所も入ってしまったが、それはそれで一興だろう。
 編集者がどんな反応をするのかワクワクしながら原稿を提出する。そして、数日後、編集部で遊び要素をほぼ削除した校正刷りが手元に届く。
 ……従来どおりのお堅い本になっとるやないかーーーーい! え? 原稿提出段階では面白いって言ってたよね? 個性的って言ってたよね? 自由に書いてくださいって台詞は嘘だったんかーーー!!!
 まさかの全ボツ。最高にハイなスタンド使いも真っ青の無駄無駄ラッシュだ。なぜこうなったのか。よくよく編集者の台詞を思い出す。

「まずは自由に書いてください」。自由に書いていいと言っている。
「まずは自由に」。絶対に言っている。
「まずは」。まずは……!? そのまま採用するなんて一言も言ってない!

 これは、まさか! 叙 述 ト リ ッ ク!
 ……してやられたーーー! まさか一編集者が高校生探偵でも見逃してしまいそうな高等技術を駆使してくるとは! さすが出版業界、レベルが高ぇぇぇぇ!!!
 だが、こちらだって言葉のスペシャリストの異名をもつ職業。やられっぱなしで終わるわけにはいかない。編集者に気付かれないように、いや、むしろ編集者が賛辞を贈るようなトラップを仕組んでやろうじゃないか!
 そう、それはまさに超高難度ミッション。二重三重に張りめぐらせた網の先に、ついに編集者からその言葉を引き出すことに成功する。

「このコラムのタイトル、とてもすてきですね」

 ……よっしゃーーー! してやったぜーーー! ついに、ついに編集者にバレることなくトラップを仕掛けることに成功したぜーーー!!!
 というわけで、本書は遊び要素たっぷりでお送りしました。本書とは全く関係がない「原稿の余白に」でごめんなさい。
 ちなみに遊び要素とは漫画や映画などのパロディーです。わかりやすいものもあれば、すっごく巧妙に隠しているものもあります。最低でも1章につき1つは埋め込んでいますのでぜひ探してみてください(この「原稿の余白に」にもいくつか埋め込んでいます)。
 そういえば、この文章のタイトルは「答え合わせ」でしたね。ですが、トラップの経緯に一生懸命で答えを書く紙幅がなくなってしまいましたので自力で見つけてください。ちなみにヒントのひとつは海賊王です。では、答えの続きはウェブで。なんちて(笑)。

 

ギモン5:日本人向けの展示ってあるの?(第1回)

第1回 現代日本の美術とは?

難波祐子(なんば・さちこ)
(キュレーター。東京都現代美術館を経て、国内外での展覧会企画に関わる。著書に『現代美術キュレーター・ハンドブック』『現代美術キュレーターという仕事』〔ともに青弓社〕など。現在、キュレーションした坂本龍一の個展「坂本龍一: seeing sound, hearing time」が北京の木木美術館〔M WOODS Museum〕で開催中〔2021年8月8日まで〕)

 突然だが、あなたは「日本美術」と聞くと、何を思い浮かべるだろうか。日本画や絵巻物、掛け軸、屏風絵などの墨や岩絵の具を使った絵画、浮世絵などの版画、あるいは漆器や陶磁器、金工、竹細工などの工芸品だろうか。仏像や寺院を思い浮かべる人、着物などの染色や織物を思い浮かべる人もいるかもしれない。では、「日本の現代美術」と聞くとどうだろうか。水玉で埋め尽くされる草間彌生のインスタレーションや、アニメのキャラクターを想起させる村上隆の作品などは、アートに普段なじみがない人でも、目にしたことはあるだろう。これらの「日本の現代美術」には、何らかの共通項があるのだろうか。また「日本の」現代美術は、世界のそのほかの地域の現代美術と何か異なるのだろうか。「日本」というキーワードをめぐる美術作品やその展示というのは、現代の瞬時につながるネット時代のグローバル化した世界でどういった意味をもつのだろうか。また、そうした「日本の現代美術」作品を展示するキュレーターは、日本人である場合とそうでない場合に、何か違いはあるのだろうか。そして「日本の現代美術」の展示を鑑賞する観客が日本人の場合とそうでない場合に、その受け止め方にどのような違いがあるのだろうか。あるいは、そういったことは大差がないことなのだろうか。そもそも日本人向けの展示というものはあるのだろうか。
 ギモン4で、ミシェル・フーコーの言葉を手がかりに作者と作品の関係を考えた際に、「作家」や「作品」をめぐる言説はそれを取り巻く社会的なシステムと結び付いていて、その背景となる時代や文化によって多様な姿を見せている、と駆け足で述べた。本ギモンでは、この点にもう一度立ち返り、日本の文化や歴史、社会的背景と日本の現代美術の関係に焦点を当て、いままでとはまた別の角度から作家、作品、展示、キュレーター、観客にまつわるギモンを捉え直す。そして「日本の現代美術」を日本人のキュレーターが日本の観客に向けて展示することについて、国内外である特定地域の美術に焦点を当てた展覧会のキュレーションの動向なども踏まえながらあらためて考えてみたい。

東京2020と文化プログラム

 東京2020オリンピック・パラリンピック競技大会(以下、東京2020と略記)の開催が決まった2013年頃から、「インバウンド」というカタカナ言葉をやたら耳にするようになった。インバウンド(inbound)とは、もともとは「本国行きの」「市内行きの」など外側から内側へ向かう移動を意味する英語だが、日本では、もっぱら海外から日本を訪れる旅行、すなわち訪日外国人旅行のことを指す。日本は、07年に観光立国を目指して観光立国基本推進法を制定し、翌08年には観光庁を設置した。これを受けて、ビザの緩和や免税措置などさまざまな振興策が功を奏し、05年に670万人だった訪日外国人旅行者数は、15年には1,973万人を超えるまでに急増した(1)。また20年のオリンピック開催に向けて4,000万人まで全世界からの誘客を目指し、18年から3カ年計画での一大プロモーションが観光庁の旗振りのもとに計画された(2)。
 一方、東京都と文化庁でも、東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会と緊密に連携をとりながら、それぞれ東京2020に向けて展覧会事業や公演事業などの各種文化プログラムを推進すべく、さまざまな政策をとってきた(3)。2020年春には、新型コロナウイルス感染症の世界的な拡大によって東京大会が21年に延期され、それに伴って各種文化プログラムもその計画の多くは21年に延期され、さらにこの原稿を執筆している時点(2021年5月)でも、3回目となる緊急事態宣言が6都府県に発出され(4)、不透明な状況へと変更を余儀なくされていて、関係者の胸中を察するに余りある事態になっている。だが、この東京2020を契機として進められた文化・観光面での政策やプログラムの数々と、今日のコロナ禍が世界各地の美術展事業にもたらす影響は、現代美術の展示での「日本」というキーワードをめぐるあれこれについて考えるうえで、いくつかの有益なヒントを与えてくれると思われるので、ここで少し詳しく見ていきたい。
 はじめに、そもそもオリンピック開催がなぜ文化プログラムの推進と関係があるかについて疑問に感じた方もいるかもしれないので、まずは簡単におさらいしておこう。国際オリンピック委員会(IOC)が定めた近代オリンピックに関する規約であるオリンピック憲章では、その根本原則でオリンピズムを「人生哲学」と位置づけ、「肉体と意思と知性の資質を高めて融合させた、均衡の取れた総体としての人間を目指すもの」としている。そして同憲章の第5章第39条に、オリンピック競技大会組織委員会は、オリンピック村の開村期間に「複数の文化イベントのプログラムを計画しなければならない」と定めている(5)。つまり、文化プログラムの実施は、オリンピック開催国の義務になっているのだ。また近年の文化プログラムは、オリンピック開催期間を超えて長期化・大規模化していて、なかでも東京2020関係者の多くが参照している第30回のロンドン大会(2012年)での文化プログラムは、開催年に向けて4年間にわたるカルチュラル・オリンピアードという公式プログラムが過去最大規模でロンドンだけでなくイギリス全土で約17万7,000件以上が実施され、観光産業やクリエイティブ産業に大きく貢献したことは記憶に新しい。特にオリンピック開催中を含む12週間にカルチュラル・オリンピアードの締めくくりとして実施されたロンドン・フェスティバルは、200以上のプログラムが美術や音楽、映画、障害者芸術などの多岐にわたる分野で実現され、2,000万人が参加した(6)。
 こうしたロンドンでの大きな成功事例を踏まえ、東京2020でも、文化プログラムをオリンピック開催前から長期にわたって日本国内各地で実施することが東京2020の基本方針にも位置づけられた。また2016年には国の文化審議会で、文化庁の移転や、東京2020を契機とした文化プログラムの推進による遺産(レガシー)の創出という2つの課題を踏まえて文化政策の機能強化について審議され、16年11月には、「文化芸術立国の実現を加速する文化政策(7)」という答申がとりまとめられた。このなかで、東京2020を世界が日本に注目し、日本から世界に文化発信をする好機と捉えている。さらに東京2020終了後も、そのレガシーの創出までを政策のなかに位置づけて、メディア芸術などを含めた幅広い分野での新たな文化芸術活動への支援や人材育成、基盤整備を進め、「文化芸術立国」を目指すとしている。つまり、この東京2020が契機になって、観光立国と文化芸術立国という国の政策が文化プログラムを通して推進されることになったというわけである。

日本らしさと日本文化発信

 こうして東京2020を取り巻く文化政策は、日本人が考える日本文化をさまざまな文化プログラムを通して海外に向けて発信することを目的として進められている。まず、インバウンドを促すには、ビザの緩和などの法的な整備に加えて、日本の良さ、日本でしか味わえない魅力、日本らしさを海外に向けてアピールすることが肝要であることは言わずもがなだろう。こうした魅力を備えた、いわゆる観光資源のプロモーションのなかで、日本文化が果たす役割は大きい。美術の分野で考えると、文化財などのほか、日本美術のコレクションを擁する美術館や博物館も重要な観光資源である。例えば、東京2020に向けて、公共交通機関や文化財が所在する観光地などに加えて、美術館や博物館も国立博物館・美術館を皮切りに2015年前後から多言語化対応が進められてきた。日本語、英語はもちろんのこと、特に近年急増したアジアからの観光客を意識して中国語、韓国語も含んだ4カ国語による作品解説やキャプション類は、いまでは国立の博物館・美術館では、常設展示だけでなく企画展示でも対応している。解説の文字情報が多い場合は、QRコードから各国語の言語の解説を観客がスマートフォンで読み込んでダウンロードする、といったケースも少なくない。またこうした他言語への翻訳は、外部の翻訳会社などの翻訳者に発注するだけでなく、国立の博物館では各言語を母国語とするスタッフを採用したり、日本美術を専門とする外国人スタッフを採用するなどして、こうしたスタッフが多言語対応にとどまらず、海外の美術館・博物館との人物・学術交流や、国際的な展覧会事業のコーディネートなどを務めている(8)。
 また文化プログラムの一環として、文化庁主催の博物館や芸術祭などの展覧会を開催年に先立って国内外で開催しているほか、東京をはじめとする日本国内各地で、文化庁が中心になって「日本博(9)」という一大文化事業が企画されている。日本博は、総合テーマである「日本人と自然」のもとに「美術・文化財」「舞台芸術」「メディア芸術」「生活文化・文芸・音楽」「食文化・自然」「デザイン・ファッション」「共生社会・多文化共生」「被災地復興」という8つの分野にわたって「縄文時代から現代まで続く「日本の美」を国内外へ発信し、次世代に伝えることで、更なる未来の創生」を目的としている。これには文化庁が主催するもの、美術館や博物館と共催するもの、また地方公共団体や民間企業の事業を補助する事業などがあり、2021年現在もコロナ禍によってさまざまな会期・内容変更などがあるものの、実施・計画されている。
 この「日本博」が掲げるテーマと各分野は、現在の日本人が考える日本らしさ、日本の文化、日本の美術を海外から日本に来る外国人に向けて発信する一連の事業であり、各分野でどのような事業を展開しようとしているかという「日本博」のウェブサイトでの説明(10)と、実際にどのような事業が実施・採択されているのかを見渡してみると、大変興味深い。なかでも特に近年現代美術の領域として展覧会が実施されている機会が増加する傾向にある「メディア芸術」が、「美術・文化財」とは切り離されて一つの独立した分野になっているのは、長年「文化庁メディア芸術祭(11)」を実施してきた文化庁や、経済産業省が中心となって官民が連携して推進している「クールジャパン」戦略(12)と無関係ではないだろう。また全体のテーマは縄文時代から現代まで続く「日本の美」を国内外に発信、継承していくことを謳っているが、これはあたかも日本の美術が縄文時代から現代にいたるまで、単線的に発展してきたかのような印象を与える。だが、いまの日本の美術を形成している要素の多くは縄文時代よりもずっと後になって中国大陸や朝鮮半島からもたらされた文化の影響が大きく、さらに明治時代の近代化による西洋文化の影響や戦後のアメリカ文化の流入など、さまざまな要素を折衷的に取り入れてきたという事実を、日本のオリジナリティを強調するために都合よく排除しているようにも思われる。
 このように今回の東京2020を契機とした海外に向けて発信する「日本らしさ」や「日本美術」というものは、国を挙げて戦略的にプロモーションされたものだった。この「日本らしさ」や「日本美術」というコンセプトや枠組みは、現代美術の文脈では、日本の現代美術が海外、特に欧米で紹介される際にさまざまな物議を醸してきた。ここで少し時間を巻き戻して、1980年代、90年代の欧米での日本の現代美術の紹介のされ方について、特に現代美術に焦点を当てて見てみよう。

1980年代から90年代の欧米での日本の現代美術の紹介

 海外での大々的な日本美術の紹介はギモン1でも少し触れたが、古くは19世紀の万国博覧会が大きな役割を果たした。これを戦後の現代美術の分野に絞ってみると、日本の場合は、1952年に初参加したヴェネチア・ビエンナーレをはじめとする国際展への参加が主な舞台だったと言えるだろう。その後も66年にニューヨーク近代美術館で開催された「新しい日本の絵画と彫刻(The New Japanese Painting and Sculpture)」展などいくつか日本の現代美術に焦点を当てた展覧会は開催されたものの、その評価は「日本の現代美術は欧米の模倣である(13)」という見方を長く欧米の美術関係者に印象づけるものだった。それが80年代に入って、日本がバブル経済で国際的な経済大国として注目を浴びるようになった時期と同じくして、日本の現代美術を紹介する展覧会が欧米の美術館で盛んに実施されるようになり、そのなかで日本の現代美術に対するアプローチも多様化した。日本の現代美術を海外で紹介することについては、72年に外務省の監督のもとに国際文化交流事業を通して国際相互理解の増進と国際友好親善の促進をおこなうことを目的に設立された国際交流基金のはたらきも大きい。ここでは紙幅の関係上、詳細は割愛するが、国際交流基金は、現在もヴェネチア・ビエンナーレ日本館の主催者であり、また特に80年代から90年代にかけては、海外の美術館などと共催して日本の美術を紹介する展覧会事業を数多く手がけてきた(14)。なかでもパリのポンピドゥー・センターで86年に実施された「前衛芸術の日本 1910-1970展(Japon des avant-gardes 1910-1970)」は、戦前から戦後にいたる日本の美術を絵画や彫刻、インスタレーションのほか、建築、デザイン、工芸、写真など多岐にわたるジャンルの作品を通して包括的に紹介した大規模な展覧会であった。また94年に横浜美術館で開催され、その後グッゲンハイム美術館やサンフランシスコ近代美術館に巡回した「戦後日本の前衛美術展 空へ叫び(Japanese Art after 1945: Scream against the Sky)」は、約100人の作家による絵画、彫刻、写真、ビデオ、インスタレーションなど180点の作品が展示されるという、戦後日本の前衛美術の流れを展観するニューヨークでは過去最大規模の日本美術展になった(15)。研究者の光山清子は、その著書『海を渡る日本現代美術』で戦後から95年までの日本の現代美術の海外での受容について、欧米で実施されてきた展覧会を詳細に分析・考察している。ここでは光山が取り上げたなかでも、欧米の日本美術研究者にいまでもよく参照されている「前衛芸術の日本」と「戦後日本の前衛美術」の2つの重要な展覧会について、彼女の分析と考察を参照しながら、少し見ていこう。

「前衛芸術の日本」展での日本の美術とその受容

「前衛芸術の日本」については、そのキュレーションについては、「展覧会は国際交流基金との共催であったが、このような包括的なもの〔視覚芸術だけでなくそれと関連した領域を取り込んだアプローチ:引用者注〕を提案し、全行程を通じてイニシャティヴをとったのはポンピドゥー・センター」であり、こうした包括的アプローチは「企画当初からの重要な原則であった(16)」という。この展覧会に先立って、ポンピドゥー・センターでは「パリ―ニューヨーク 1908-1968」(1977年)や「パリ―モスクワ 1900-1930」(1979年)などパリを中心とするフランスと他国の都市とのある時代の文化的関連に焦点を当てるような展覧会を催していた。したがって「前衛芸術の日本」も、日本がどのように西洋の前衛運動と関わったかを検証することを目的としていた。だが、そのアプローチは、特に日本の批評家や美術関係者からは、ヨーロッパ中心主義であるとの批判を受けることになった。この展覧会で扱う年代の区切りである1910年から70年という設定は、あくまでも国際的な前衛運動に対して設けられたものであり、日本のそれとは関係がない。またこの展覧会では、彼らが用いた「前衛」の概念に基づいて、ヨーロッパ的な観点からの日本美術紹介になったことが問題視された(17)。ここで興味深いのは、光山が指摘するように、こうした日本での批判に対して同展に関わった高階秀爾と千葉成夫が「この展覧会はフランスのイニシャティヴによってフランスの観客のために企画されたものであると述べてこれを擁護している(18)」ことである。つまり、フランス人のキュレーター(19)たちは、この展覧会がフランスの観客にとっては初めて20世紀の日本美術を包括的に紹介する展覧会となることを重要視し、観客が「慣れ親しんだヨーロッパ前衛美術運動の歴史に沿うかたちをとること」で、「日本美術には不案内な観客にも参照事項を与えられるだろうと考えた(20)」。しかし結果的には、こうしたキュレーター側の意図とは裏腹に、観客の大半は、この展覧会を通して、日本の前衛美術はヨーロッパの前衛美術の模倣であると受け止める結果になった(21)。

「ガイジン」のキュレーションによる「戦後日本の前衛美術」

 1995年は、第二次世界大戦後50周年を迎える節目の年だったが、それに先立つ1年前の94年に「戦後日本の前衛美術」展が横浜美術館で企画され、その後94年から95年にかけてニューヨークとサンフランシスコに巡回した。この展覧会のキュレーションを担当したのは、当時ニューヨークと東京を拠点に活動していた20世紀の日本美術研究者でインディペンデント・キュレーターであったアメリカ人のアレクサンドラ・モンローだった。本展でモンローは日本の前衛美術がいかに「西洋美術の範疇で分類されることを拒み、理論の構築を「自己」の内に求めた(22)」かを描き出そうとし、日本国内の美術関係者のなかでもそれまでになかった視点を持ち込み、日本で大きな論争を引き起こした。それに対してモンローは、この展覧会が「ガイジン」によってキュレーションされたという「誤解」があったと弁明し、そうではなく、主催者である横浜美術館の学芸員との協議を踏まえながらキュレーションをおこなったと主張した(23)。だが、この点については、光山も指摘するように、本展のカタログに記載された主要テキストの大半を執筆したのはモンロー自身であり、「日本側がコンセプトのレヴェルで展覧会に本質的な貢献をしたとは考えにくい(24)」。光山は、モンローの高い日本語能力と日本文化に関する豊富な知見に根ざしたキュレーションによる本展とそれを支えてきた研究について、「戦後日本美術史の構成・修正に大きく寄与するところがあった(25)」と高く評価している。例えば、書や陶芸など、いわゆる伝統美術の分野で活動する前衛作家は、日本国内でも、戦後美術史の文脈のなかで見落とされてきていたが、この展覧会では墨人会(26)や走泥社など前衛書家や前衛陶芸家のグループに属する作家たちの作品も紹介され、こうした動きを再評価した。つまりこの展覧会は、日本のことをよくわかっていない「ガイジン」ではなく、日本研究を専門とするアメリカ人キュレーターが企画したものであり、日本美術の展覧会企画で、必ずしも日本人だけが優れた企画、より日本美術の実態に忠実なオーセンティックな(本物らしい)企画ができるとはかぎらないことを立証することになった。
 このように海外で日本の現代美術を紹介した記念碑的な2つの展覧会である「前衛芸術の日本」と「戦後日本の前衛美術」は、性格は異なるものの、いずれも欧米出身のキュレーターが主導した展覧会であり、これまでにない切り口とスケールで欧米の観客に日本の現代美術を紹介することになった。しかしその手法に対して、現地だけでなく、(後者は横浜美術館で展覧されたこともあるが)、日本国内の美術関係者が物議を醸したことは興味深い。そこには、やはり日本美術のことは欧米人よりも日本人のキュレーターのほうがよりオーセンティックな企画ができるという幻想があったように思われる。それは、特に1990年代にアジアやアフリカなどの非西洋、非欧米地域(27)の現代美術を欧米に紹介する展覧会で、当の欧米諸国でも美術関係者の間でさまざまな物議を醸した動きとも関係している。そこで議論の中心になったのは、誰が誰(あるいは何)を誰のために表象するのか、といった問題だった。これは展覧会の場合で言えば、どこの国や地域出身のキュレーターが、どの国や地域の美術をどこの国や地域にいる観客に向けて企画するのか、という問題である。第2回では、ある特定の国や地域の美術を紹介する展覧会で、特に90年代に現代美術関係者の間で大きな問題になった「他者」の表象に関する論争から見ていこう。


(1)JTB総合研究所「インバウンド」「観光用語集」(https://www.tourism.jp/tourism-database/glossary/inbound/
(2)観光庁「訪日旅行促進事業(訪日プロモーション)」(https://www.mlit.go.jp/kankocho/shisaku/kokusai/vjc.html
(3)本稿では、詳しく紹介できなかったが、東京都が進めている文化プログラムについては、「Tokyo Tokyo FESTIVAL」事業を参照されたい(https://tokyotokyofestival.jp)。
(4)東京都、大阪府、京都府、兵庫県の4都府県に2021年4月25日から5月11日まで発出。5月12日からは愛知県と福岡県も加わり、5月31日までの延長が決まった。緊急事態宣言に追加される県は2021年5月現在も増加傾向にあり、5月31日に解除される見通しも立っていない。
 また5月12日からの延長に際して、当初、東京国立博物館、東京国立近代美術館、国立新美術館、国立科学博物館、国立映画アーカイブの国立館5館は開館、都の美術館・博物館は31日まで臨時休館延長となり、国と都での対応が異なるというちぐはぐな状況が生じた。これについて都からの要請を受けて、国立5館も休館を継続することが5月12日に決まった。
(5)オリンピック憲章と文化プログラムの関係については、文化審議会第14期文化政策部会(第2回)議事次第資料1-1文化庁説明資料参照。「文化プログラムの実施に向けた文化庁の取組について――2020年東京オリンピック・パラリンピック競技大会を契機とした文化芸術立国実現のために」(https://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkashingikai/seisaku/14/02/pdf/shiryo1_1.pdf
(6)“Reflections on the Cultural Olympiad and London 2012 Festival”(http://www.beatrizgarcia.net/wp-content/uploads/2013/05/Reflections_on_the_Cultural_Olympiad_and_London_2012_Festival.pdf
(7)文化審議会第14期「文化芸術立国の実現を加速する文化政策(答申)――「新・文化庁」を目指す機能強化と2020年以降への遺産(レガシー)創出に向けた緊急提言」(https://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkashingikai/sokai/sokai_16/pdf/bunkageijutsu_rikkoku_toshin.pdf
(8)例えば、東京国立博物館では、2018年の時点では中国人2人、韓国人2人、アメリカ人1人のスタッフが国際交流室という部署で業務にあたっている(東京国立博物館「多言語対応から感じた日本と中国の美意識」〔https://www.tnm.jp/modules/rblog/index.php/1/2018/06/29/多言語対応/〕)。
(9)日本博については、文化庁ウェブサイト「「日本博」について」(https://www.bunka.go.jp/seisaku/nihonhaku/pdf/r1413086_02.pdf)を参照のこと。「日本博」(https://japanculturalexpo.bunka.go.jp
(10)例えば、「美術・文化財」と「メディア芸術」のそれぞれの分野の説明を比較して読んでみると、「メディア芸術」が「美術・文化財」から不自然に切り離されているような印象を受けるのは、私だけだろうか。文化庁「美術・文化財」(https://japanculturalexpo.bunka.go.jp/about/field-8/art_and_cultural_treasures/)、「メディア芸術」(https://japanculturalexpo.bunka.go.jp/about/field-8/media_arts/
(11)文化庁メディア芸術祭は、「アート、エンターテインメント、アニメーション、マンガの4部門において優れた作品を顕彰するとともに、受賞作品の鑑賞機会を提供するメディア芸術の総合フェスティバル」であり、1997年から実施されている。詳細については文化庁「文化庁メディア芸術祭」(https://j-mediaarts.jp)を参照のこと。
(12)クールジャパン戦略については、内閣府の知的財産推進事務局による以下のウェブサイトを参照のこと。内閣府「クールジャパン戦略」(https://www.cao.go.jp/cool_japan/about/about.html
(13)光山清子『海を渡る日本現代美術――欧米における展覧会史 1945~1995』勁草書房、2009年、65ページ
(14)国際交流基金に関しては拙著『現代美術キュレーターという仕事』(青弓社、2012年)でも詳しく紹介しているので、参照されたい。
(15)両展覧会のデータについては、国際交流基金文化事業部編『国際交流基金展覧会記録――1972-2012』(国際交流基金、2013年)を参照した。
(16)前掲『海を渡る日本現代美術』158ページ
(17)同書159ページ
(18)同書161―162ページ
(19)同展では「コミッショナー」という呼称を使用しているが、キュレーターとほぼ同義なので、本文では便宜上、キュレーターと記す。
(20)前掲『海を渡る日本現代美術』162ページ
(21)同書162ページ
(22)同書167ページ
(23)同書166ページ
(24)同書166ページ
(25)同書168ページ
(26)墨人会は1952年に京都で結成された書家のグループ。走泥社は、48年に京都で結成された陶芸家のグループ。いずれもモンローが本展で紹介したことで、日本の現代美術史の文脈のなかに彼らの活動が位置づけられる大きなきっかけになった。例えば走泥社については、2019年に森美術館で特集展示が組まれ、本展示の共同企画者であったアーティストの中村裕太が、1950年代から60年代の現代陶芸に呼応する新作インスタレーションを発表するなど、ユニークな試みがおこなわれている。森美術館ウェブサイト「MAMリサーチ007:走泥社―現代陶芸のはじまりに」(https://www.mori.art.museum/jp/exhibitions/mamresearch007/index.html
(27)本稿では、便宜上、「西洋」「欧米」といった用語を使用するが、「西洋」や「欧米」といった場合に、同じ西洋のなかでも正確には特に西欧諸国、また北米だけを指しており、東欧や北欧、中南米は、アジアやアフリカ諸国同様に長らく周縁地域とみなされていたことに留意することは重要である。

 

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防犯のAI化と犯行手口の進化――『万引き――犯人像からみえる社会の陰』を出版して

伊東ゆう

「万引きする人って、そんなにたくさんいるんですか?」
 初めて会う人が私のキャリアを知ると、必ずといっていいほどに驚かれる。そのほとんどが犯罪とは無縁の人たちだから、至極当然のことだろう。その一方で、過去の悪事を告白してくる人も珍しくない。
「学生のころ、捕まったことあるよ。ほしいけど高くて買えないもの、平気で盗(と)っていた」
 万引きは軽く思われがちだからなのだろうか、あの店やこの店であんなものやこんなものまで盗っていたのだと、泥棒自慢をされることもある。
「このくらい、いいじゃないか」
「みんな、やっていることだ」
「捕まらないようにうまくやればいい」
 これこそが万引き行為に至る被疑者の心理といえる。しかしながら悪い心を完璧に隠すのは難しく、その多くは挙動に表れ、いずれ私たちの目に留まることになる。万引きの成功体験をどんなに多くもっていても、絶対に捕まらないという保証はどこにもないのだ。
「万引きという言葉が軽いから、いっこうに減らないのではないか。万引きと呼ばずに窃盗と呼べばいい」――そんな意見をよく耳にする。万引きとは商業施設内での窃盗の形態や手口を表す言葉で、スリや空き巣、置引、ひったくりなどと同じように使われている。被害届や逮捕手続書などの罪名欄を見れば一目瞭然、「窃盗(万引き)」と記載されるのだ。「万引きは窃盗だ」と声高に叫ぶ人もいるが、そんな当たり前のことを周知する必要性は感じたこともない。万引きが悪いことだと知らない人は、まずいない。それに万引きを窃盗と呼ぶことになれば、調書などの罪名欄が「窃盗(窃盗)」になってしまう。現場知識がないための意見だろうが、耳にするたびに「そうじゃないんだよ」と説明したくなってくる。
 同様の例を挙げると、オレオレ詐欺を特殊詐欺、盗撮行為を迷惑防止条例違反と呼んでいるが、被害が減るなどの変化は見られない。たとえ万引きを店内窃盗などに言い換えても、目に見える防犯効果は期待できないだろう。
 ちなみに、私自身は捕まえた被疑者との会話で万引きという言葉を極力使わないようにしている。そのかわりに「泥棒」だとか「盗みにきた」という厳しめの言葉を多用する。再犯防止のために、少しでもいやな記憶を残してやりたいのだ。その日を最後にしてくれるなら、多少恨まれてもいい。これからも、そんな気持ちで被疑者と接していくつもりでいる。
 最先端の防犯機器を用いた万引き防止対策は、ここ数十年でかなり進化している。防犯機器を導入する予算がある商店に限られるが、特に顔認証技術は向上していて、常習者情報の共有範囲を拡張する動きも盛んになってきた。防犯カメラ映像の解像度は急速に向上していて、人物の特定はもちろん、手にしている商品や紙幣、小銭までも明瞭に記録できる。映像検証による被害の特定が容易になった結果、被害届が受理される確率は高まり、その後の捜査で逮捕に至るケースも増えた。しかしながら、その多くは大量または高額の被害で、毎日一つだけ盗んでいくような高齢常習者までは対応できていない。私が推奨する「店内声かけ」は、こうした高齢常習者に対して効果的な万引き抑止対策の一つなのだが、新型コロナウイルスの影響で店内で他人と対話する機会は失われ、声をかけることさえもが難しい状況だ。犯行を思いとどまらせるすべは目合わせくらいで、それに気づかないままに実行されてしまえば、たとえ後期高齢者でも被疑者ならば捕捉するしかないのである。
 防犯システムがめざすところは、無人店舗での防犯のAI(人工知能)化のようだ。多様化する精算方式に合わせて、各種セルフレジのほか、精算端末付きのカートを導入している商店も現れ、店舗の無人化を見据えた動きは加速している。支払いに利用する電子マネーなどには身分確認を経た個人情報が保管されていて、そうした状況下で犯行に及ぶとすればホームレスなどによる緊急避難的な行為しか思い浮かばない。そのような人の多くは電子マネーを利用できる環境になく、店舗への入場さえ許されないこともあり、人権問題にまで発展する可能性もある。万引きさせない店づくりの完成形といえるかもしれないが、人間味がなくなると商店としての魅力が欠けることは確かで、そのあたりの調整が難しそうだ。いずれにせよ、近い将来には店内でのすべての行動が記録されるようになることは間違いなく、私たちの仕事が形を変える日もすぐだろう。そうはいっても、万引きは社会情勢や時流に影響を受けやすい側面がある。犯行手口も進化することを忘れてはならない。
 本書の多くは、2018年3月からウェブサイト「サイゾーウーマン」に隔週で連載してきた「オンナ万引きGメン日誌」をリライトして、現実の事件に近づけて再現したものだ。ここで初めて話すことだが、「オンナ万引きGメン日誌」の主人公である澄江のモデルは実在するが、その内容のほとんどは私自身の体験談なのである。女性向けサイトでの連載なので、読者が感情移入しやすいように考えてキャリア40年のベテランオンナGメン澄江を創作して書き始めたのだ。近頃は、澄江の話を聞きたいと各メディアから取材を申し込まれるまでになり、どこか心苦しく感じていた。そろそろ実情を告白しようかと思っていたところ、公私ともに深くお付き合いしている香川大学の大久保智生准教授から青弓社の矢野恵二さんを紹介してもらって、タイミングよく出版オファーを受けた。連載当初から「いつか書籍にしたい」と思いながら書いてきたが、こんなに早く実現するとは予想もしていなかった。自分を主人公にして書き直したいという気持ちもあったので、二つ返事で引き受けた次第だ。サイト内のアクセスランキングで1位になりそこそこ話題になった作品も複数所収しているので、ぜひお楽しみいただきたい。