ライトノベルという問題――『ライトノベル研究序説』を書いて

久米依子

 3年にわたるライトノベル研究会の成果として、一柳廣孝氏と共編著で本書を刊行することができた。ここ数年注目を集めているライトノベルとその周辺現象に、主として文学研究の立場から切り込んだ試みである。若い書き手が多いこともあって、それぞれが自分自身とライトノベルとの距離感を測りながら考察を進めるような、熱気を帯びた論集となった。
  研究会自体も、ライトノベルを「研究」する視座を開きたいという学生たちの願いから始まっている。当初は少人数で開始したが、いつの間にかさまざまな大学の友人・知人が集い、20人以上の会となった。脱会(?)するメンバーがほとんどいなかったのも特色である。サブカルチャーについて少し知的に語り合いたいという欲求は、若い世代に共通してあるらしい。
  3年間、研究の基盤を整えるために種々のアプローチを重ねたが、その間懸念していたのは、急速に発展したライトノベルの勢いが鈍り読むべき作品も減って、研究の意義が失われるのではないかということだった。しかし、どうやらそれは杞憂に終わった。現在のところライトノベル作家には新しい才能が次々と参入し、アニメ、マンガ、ゲームとのメディアミックス展開も活発で、書店のライトノベルの棚は明らかに拡張している。各国語に翻訳される例も出始めた。かつてマンガやアニメが戦後文化として認められていった道筋を、ライトノベルもたどる……かもしれない。そうなれば〈動物化〉した世代の〈データベース消費〉小説、といったこれまでの単純な裁断だけでは論じにくくなるだろう。本書はそのような動向への期待と、しかしこの現象がいったいどこに行き着くのか、という危惧と不安(!)も込めた1冊になっている。読者の方々にも、現在の「ライトノベルという問題」をともに考えていただければと願っている。
  本のなかで明言はしなかったが、こうした青少年向けサブカルチャー研究の可能性が広がったのは、やはりカルチュラル・スタディーズのおかげである。旧来のアカデミズムでは扱いにくかった大衆的な言説文化研究の方向を、カルチュラル・スタディーズから見出すことができた。娯楽的な文化が爛熟している日本社会では、ますます応用されるべき理論・方法だと思う。本書も題材はライトノベルながら、分析姿勢はハード&ヘビーを目指したつもりである。
  研究会の活動は出版によって一区切りついたが、今後はライトノベルだけでなく、現代の多様な文化にまで対象を広げて分析しようと話し合っている。ライトノベル現象そのものも調査を重ねなければならないし、メディアミックスが常態であるジャンルの特質を考えるためには、ミックスされる他ジャンルへの探究が欠かせない。
  再び研究会の成果を問う日がくるかどうかは未知数だが、今回の1冊を大切な指標として、若い会員の意欲的な取り組みが新たな研究シーンを開くことを待望している。
  さて、本書のカバーは印象的なイラストで飾られているが、これも本書に執筆した研究会の女性メンバーの労作である。カバーについては青弓社の矢野未知生さんにリードしてもらいながら、細部まで執筆者たちで話し合い、意匠を凝らした。書店で見かけたらぜひお手に取って、袖のイラストまでお目通しいただきたい。そこに描かれている矢野さんのイラストを見たうえで、「矢野さんはもっともっとハンサムではないか?」といった愛あるご批評などは、絶賛受け付け中です。