カール・シューリヒトが1957年から翌年にかけてパリ音楽院管弦楽団を振って録音したベートーヴェンの『交響曲全集』(EMI)は非常に有名であり、いまでも人気が高い歴史的名演のひとつである。最近はせっせとLP復刻盤を作っている関係上、初期LPをがさがさと探し回ることが多いのだが、その過程でこのベートーヴェンには思わぬ珍事が起きていたことがわかった。
2年前だろうか、ドイツのコレクターから上記の全集のなかの『第3番「英雄」』『第6番「田園」』『第7番』『第8番』のLPを一括で購入した。これらはフランスEMIの初出盤で、番号は順にFALP574、575、576、572である。購入した理由は、そのドイツのコレクターが「これらは片面にプレスされたテスト盤であり、市販盤よりも音がいい。非常に珍しいもので、この機会を逃せば、まず手に入らない」と言ってくれたからだ。こういうふうに言われると、すぐに頭に血がのぼるのがコレクターの悲しい性である。高額なのを顧みずに、思わずエエイッとばかり買ってしまったのである。
確かに、音は良さそうだ。手元にある国内盤CD(TOCE-6214―8)と比較しても、このLPの方が格段にしゃきっとした再生音である。ところが、である。『第8番』の第1楽章の251、252小節が欠落しているのだ。最初聴いたときはドキッとした。けれどもCDはまったく正常である。私は、これはテスト・プレスの段階でのミスであり、市販盤は正常に違いないと思った。
後日、市販されている『第8番』のFALP572を持っている人に聴かせてもらったところ、これが同じく欠落しているのである。さらに、この『第8番』のイギリス初出LP(XLP-20022、1960年12月発売)を購入して聴いたところ、これにも同様の欠落があった。ということはこの『第8番』、最初期のLPは欠落のまま市販されていたのである。
やっぱりフランス人のやることはいいかげんだなあ、なんて思っていたら、ようやく最近になって買っておいた『第7番』のテスト・プレス盤を聴いて、もっとびっくりした。これは第1楽章の211―216小節、今度は6小節(!)も欠落している。こちらも市販盤の方は正常ではないかと思っていたら、あるシューリヒト・ファンから間接的にではあるが「その欠落は昔から一部のコレクターには知られている」という情報を得た。
これだけ派手に抜けているのだから、その昔の批評にもきっとそれが指摘されているのだろうと思い、いろいろとあたってみたところ、この『第7番』のイギリスの「グラモフォン」誌にイギリス初出LPのレビューが見つかった(ALP-1707、1959年10月発売)。そうしたら、ありましたねえ、欠落がある、と。ところが、よく読んでみると、その欠落の個所が第1楽章の35―41小節とある。しかし、手元にあるテスト・プレスの35―41小節はまったく欠落はない。この違いは何なのかはわからないが、ともかく『第7番』もその昔は大きな欠落のまま売られていたことだけは事実のようである。
こうなってくると、まだちゃんと聴いたことのない『第3番「英雄」』や『第6番「田園」』も欠落があるのではないかと疑いたくなるし、所持はしていないけれどもほかの『第1』『2』『4』『5』『9番』なども気になってくる。ただ、ここで強調しておきたいのは、上記の国内盤CD(TOCE-6214―8)を含め、比較的最近発売されたものはまったく正常だということである。
このような編集ミスはしばしば起こりがちである。しかし、このような大きな録音プロジェクトで2個所も大きな編集ミスを起こしているというのは前代未聞だろう。言うまでもないが、この『交響曲全集』はシューリヒトが生きているときに発売されたものである。彼にとってはいい迷惑だっただろう。
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