橋本 晃
本書の出発点となった原稿を書いたのはもう5年近く前のことだ。ペルシャ湾岸戦争取材のころから抱きはじめていた「限定戦争時におけるメディア統制とプロパガンダ」のテーマを1990年代半ば、30代も後半になってのアメリカ留学で集中的に研究し、その後のコソボ戦争での現地取材もふまえて書いた原稿は、ツテを辿って会いに行った某大手出版社の新書編集長からいい感触を得ていた。しかし、その夜、帰りの電車に乗っているときに、海の向こう、アメリカ・ニューヨークではツインタワーにハイジャック機が突っ込んでいた。いわゆる9・11アメリカ同時多発テロである。アメリカの繁栄の象徴である高層ビルの残骸さながらに、唯一の超大国の心臓部を直撃したテロの衝撃の余波で、原稿も粉微塵に砕け散っていった。
その全7章からなる原稿「ユーゴスラビア空爆におけるメディア統制とプロパガンダ」は、和平交渉から開戦に至る詳細な経緯、ユーゴ当局および北大西洋条約機構(NATO)陣営のメディア統制などの現地で収集した事実の記録から、限定戦争時のメディア統制、メディアに内在する問題、「次の戦争」での諸問題の考察まで、いま読み返してもそれなりに貴重な要素を多々含むものだった。何よりも、9・11の後になって新書中心に、必ずしもこの問題をずっと考えてきたとは思えない筆者たちによって「戦争とメディア」をめぐる本が量産されてきたが、それ以前も以後も、本邦ではこの問題に正面から切り込んだ、その名に値するような論考はほとんどない。その意味での希少性と先駆性は十分に備えていた。
が、日本から遠く離れたバルカンの、すでに国際政治のアジェンダ(議題)からも、メディアのそれからも「終わった」ものとしてかえりみられることがなくなったユーゴ問題を事例として分析した原稿は、「あの日から世界は変わってしまった」などといったいささか能天気にも見える9・11後の狂騒のなかで埋もれていく運命を余儀なくされた。それから、長い、雌伏のときが続いた。
もちろん、この場を借りて原稿にまつわるルサンチマンを書き連ねたいわけではない。気を取り直してアタマのなかにあった原稿の注を復活させ、コンパクトな同名の学術論文に仕立て上げ、学会誌に掲載された。ちょうどそのころ、15年続けた新聞記者生活に別れを告げ研究者の道に足を踏み入れたこともあり、論文は本活的な研究活動の出発点となってくれた。研究に関心を寄せるジャーナリストからプラクティス(実践)の経験をもふまえた研究者へと立場が変わると、事実の詳細な記録とそれに基づく若干の理論的考察といった内容ではいかにも不十分に思えてきてならない。量産される新書類は自分に関係のない世界、と自らを厳しく律して、単なる各限定戦争におけるメディア統制、プロパガンダの実際と変遷といった具象的な事象を追いかけるにとどまらず、権力行使過程としての政治コミュニケーション、メディア自体に内在する権力性といったものを、その始原まで遡って、まずは理論的考察の枠組みづくりを試みる作業に専心した。
こうした作業の、とりあえずの中間報告としてまとめたのが本書である。つまり、5年ほど前の“挫折”は、私にとっていいレッスンとなった。
9・11とその衝撃をあまり大きくはとらえようとしない姿勢、また本書の全体に流れるトーンから、あるいは読者は“反米的”なるものを感じとるかもしれない。しかし、やや意外かもしれないが、私はアメリカとそこに住む人々がかなり好きなほうである。また独立革命前夜にプレスの自由の理念をプラクティスから体得していったプリンター/ジャーナリストたち、その伝統を正しく受け継ぐスモールタウンの、草の根のアメリカ。吉本隆明の「大衆の原像」になぞらえていえば、私は「ジャーナリズムの原像」とでもいうべきものを、そうしたアメリカのなかに幻視する。
アメリカおよび国際政治の中心としてのワシントンD.C.や世界経済の中心であるニューヨーク、日本にとって死活的に重要な政治・経済・安全保障上のパートナー、そして冷戦終結後のグローバル化の進む世界で唯一の超大国――。アメリカといえばこうしたものばかり想起してほかの部分に眼を向ける想像力も持ち合わせない、この国の主流派の“大人たち”にこそ、違和感を禁じえないのだ。
本書を制作している過程で、思いははや次なる作品に向かっていった。「ジャーナリズムの原像」が19世紀、北東部主導の産業化、ナショナルマーケットとユニティの成立、マスメディア化の進行といった流れのなかで、新たなテクノロジー、市場、政治、そしてオーディエンスにもみくちゃにされて、どのように変容していったか。それをかの国の19世紀を代表するプリンター/ジャーナリスト/作家の生涯と旅に仮託させて辿っていきたい。私は私自身の個人的な“9・11トラウマ”から、もはや自由になった。過去に深く沈潜しつつ、また書物の扉を開けて広がってくる世界でお会いできる日を楽しみにしている。