喜多村 拓『古本迷宮』本を愛する者がみる現実

 本はゴミだ、という断言が、この本には何回も出てきます。夏目漱石も芥川もゴミだと言い切る尊大さ。芥はゴミですが、芥川や漱石もかと言う方がいるかもしれません。この本を読んで、実に不遜な古本屋だと怒りだす読者もいるでしょう。実際、本がゴミにされる現場を見たことがない人に、この本から現実を直視してもらいたくて書きました。
 ペットブームの陰で、推定で年間五十万匹の動物たちが処分されているように、本は見えないところで大量虐殺されているのです。そのうちのひとりが古本屋なのです。毎週、筆者である古本屋のおやじは、処分を頼まれた純文学系の文庫本、文学全集、美術全集を車で捨てにいきます。芥川だけではない。ゴッホもセザンヌもゴミになります。最終処分場に捨てに行ったのは数年前のこと。リサイクル法が施行されてからは、古紙回収の業者の立て場に持ち込みます。千、二千冊ではきかない店の売れ残りの本も、ドドドドと本の山にぶちまけてきます。その現場を愛書家が見たら、きっと卒倒するにちがいありません。その本の山はブルドーザーで寄せられ、機械で四角い形に圧縮されて、ダンプカーでダンボール箱を作る工場などに運ばれていきます。
 本を愛してこの商売を始めた人にとっては、やがて時代とともに本が粗末にされていくのは見るにしのびない。いまや古本屋は、本が嫌いでなければ勤まらない。本に対して冷酷無惨、残虐なほど本を殺せる人でなければ、やっていけないのが現状になりました。
 この本に登場する北村古書店のおやじは、ホロコーストに遭っている本を救おうと、自分の店を本の駆け込み寺にします。その結果、増殖しつづける本に埋もれて身動きもとれなくなります。こんな本の受難の時代を、ブラックユーモアとして揶揄するだけではない。このまま突き進めば、世の中はどうなってしまうのだろうかという嘆かわしさから、近未来を予言してみました。
 それでも、本が売れないとボヤくのはまだ早いのです。読者がいないと諦めるのもまだ早いのです。これは、地方の一古本屋が四苦八苦しながら、あれやこれやとひとり格闘している涙ぐましい物語でもあります。いまこそ本を救わなければならない。そのために北村は立ち上がった……。
 と言うと、格好が良すぎますが、これは、その暇な古本屋が、暇にまかせて帳場で書いた、古本にまつわるバカげた話なのです。