いわゆる研究書と呼ばれる書物を手にとると、まず最初に「あとがき」を見る人は結構多い。これは、どうやら、私と同じ“業界”に棲んでいる人たちにとりわけ多く見られる習性らしい。『宮沢賢治を創った男たち』を手にした同業者の何人かが、同書の「あとがき」を読んでびっくりした、と伝えてくる。最初に「あとがき」を見て驚いた、というのだ。
「あとがき」には、お世話になった先生方のお名前や、自分を支えてくれた家族の名前を連ね、感謝の意を書くこと、いわゆる謝辞を記すのが通例……とまではいえなくとも、とても多い。私がこの先達の轍を踏まなかったのは、お世話になった先生がいないとか、親族から追放の扱いを受けているから、とかいうわけではもちろんない。たとえば、学位論文を審査した大学教員の方々は、宮沢賢治の作品は大嫌い、であったとしても、大部の論文を一字一句骨を折って読んでくださっただろうし、そういう私もいま、クリスマスも大晦日もお正月も返上して学生の書いた卒業論文(の下書き)を読んでいる立場だから痛いほどわかる。数年来お正月に顔を見せないと文句を言う家族だって、昔はともあれいまは、絶縁するほどには私を恨んではいないはずだし、私だっておせち料理用のたしにと北陸名産かぶら寿司を贈っている(私は以前、金沢で暮したことがある)。
ただ、私は「○○先生、ありがとうございました」「妻の○○へ、この本を捧げる」という特定の固有名へ向けられた語句を目にするとき、名指しされていない、同書物を手にとる読者の大半にとっては、蚊帳の外に置かれた気分になるのではないのか、と思っているのだ。この感じ方には個人差はあるかもしれない。しかし、やはり教員や家族への謝辞を書いていない筆者に理由を尋ねると、「そんなことは、読者にはどうでもいいことだから」という返答があった。あるいは、なかには家族への謝辞をパロディ化して、洗濯機の愛妻号ありがとう、という「あとがき」を記した研究者もいて、つい吹き出してしまった。
もちろん、先生を崇拝し、家族想いの著者であるというメッセージを伝えることはできる。しかし、多くの読者へ向ける言葉としてわざわざそんなパフォーマンスをするのは遠回りだ。また「あとがき」で固有名を出された人たちが喜んだり、その人のメリットになっているとは限らない。この著者とあの先生はお仲間なのね、とカテゴライズされたり、単に審査のために読んだだけなのに「○○先生ありがとう」と書かれて、その著者を後押ししていると誤解され苦笑いをしている人だっているのだ。
閑話休題、この欄は「原稿の余白に」なので、『宮沢賢治を創った男たち』の書物には、綴らなかった私の個人的なことに少し触れたい。同書のプロフィールを見た人から、経歴に関する質問が多いからだ。私は、名古屋にある大学の外国語学部を卒業した。大学在籍中になんらかの“変節”があって、日本文学に転向したわけではない。不本意入学だった(英語の教師になってほしいと思っていた親が入学金を同大に納めてしまった)。しかし、大学生活に息苦しくなり、大学の姉妹校に留学をした。ある文学の講義では、教室が若い人から年配の人たちでいっぱいになり、熱心な議論を繰り返していたことが印象的だった。日本文学を学ぼうと進学した別の大学の大学院では、自分で学費を稼ぐ人が少なくなく、私も貯金やアルバイトで遣り繰りし、書籍代を捻出するため頭を痛めた。調査のために名古屋から東京へ、あいだに国会図書館をはさみ、さらに岩手県・花巻まで夜行バスを乗り継いで移動し、とても疲れたことを覚えている。数年、家賃が二万円に満たない下宿屋さんにお世話になった。コンセントも一つしかなかったので、冬は暖房機はあまり使えずとても寒かった。博士課程のときに韓国・ソウルに語学留学したのは、大学院に韓国からの留学生が多かったことが大きなきっかけだ。みんな、日本語を流暢に話せるのに、日本人の日本文学研究者たちは、韓国語を話せない、学ぼうとしないことに疑問を抱いていた。留学の経験のおかげで、いま、学生を韓国の研修に引率したりしている。