『女子高生になれなかった少年』がようやく世に出た。1年あまりにおよぶメールマガジンでの連載が終わってから、さらに1年あまり。そのあたり当世の出版事情の厳しさなどが垣間見えなくもないのだが、なにぶん本書の舞台は1980年代、私の“高校・大学時代”なので、執筆と出版のタイムラグはさほど問題ではない(その点、初著『性同一性障害はオモシロイ』〔現代書館、1999年〕では、この問題が大きかった。執筆時にはまだパートタイムで“女装”するだけだったのが、出版時にはほぼフルタイムで女性として生活するようになっていたりした)。
それよりむしろ現在の高校生・大学生が本書を読んだときに、1980年代という時代背景が昔すぎて理解しにくいという問題が発生しないかが多少心配である。なにせJRはまだ「国鉄」。音楽聴くのもCDではなくアナログレコード。なにより携帯電話もインターネットもない。だから「そーゆーときは、まずメールしてみたらエエやん!」とツッコミを入れられそうな場面も少なくないが、そんな便利なものがなかったんだからしようがない。
しかし本当のところ、1980年代と現在とでもっともちがいが大きいのは、じつはセクシュアルマイノリティをめぐる情報の質と量かもしれない。インターネットの有無とも関連するが、現在とくらべれば当時はそうした情報が格段に入手しがたかった。したがって自分のセクシュアリティについて正確に把握するための考察もできなかった。だからこそ私は、悶々とした謎の違和感を抱えたまま、貴重な青春時代を男子生徒・男子学生として過ごさなければならなかったのだ。
その点、現在は恵まれている。例えば小学生からも、「5年生の女子です。でも自分は男子のほうがいいと思っています……」などという相談のメールをもらったりするくらいである。これは、早い時機から具体的に悩まなくてはならなくなったとも考えられるが、やはり自分がどういう存在なのか、なるだけ早くわかるほうが、次への対応がはるかにとりやすいので、おそらくはよいことなのだろう。自分の心の性別はこうなんだ、などと自覚さえできれば、学校に対する要望なども整理できるし、進学・就職に関する作戦だって立てられる。そうして、場合によっては「女子高生になる」という本人の希望を、百パーセントではなくても叶えることができるかもしれない。
そういう意味では、最近の若い世代がうらやましいのはたしかである。同世代のセクシュアルマイノリティ仲間と飲みに行くと、そんな話題でひとしきり盛り上がることもある。とはいえ、私たちも現在ではこうあるべき自分・そうなりたい自分として生きているわけである。いまちゃんとしている以上は、将来「あのときちゃんとしていれば……」という後悔を現在以降に対して抱くことはないということだ。しょせん人生、前を向いて歩いていくしかないだろう。
ちなみに私は2003年4月、大阪大学大学院の人間科学研究科に入学した。昨今は講演の機会が増えてきたこともあり、あらためてジェンダーにまつわるさまざまな事柄を勉強しなおしてみたいというのが公式な理由である。だがもちろんもっとヨコシマな動機も他にあって、その最たるものは「女子大生になってみたい」だろう。いざ入学してみると、大学院というところは年齢不詳・正体不明の人の多いこと! 私もそうだったのだが、社会人特別枠を利用して入試を受ける人は少なくないようで、なかには先生と見まごうような年長者もいる。そんな環境で、私が女子大生として楽しく過ごしているのは言うまでもない。女友達とノートの貸し借りをしたり、昼休みにはいっしょに学食でランチなんてこともある。もちろん勉学にも励んでいる……つもりである。
願いはいつかは叶うのだ、なのかもしれない。