田口亜紗『生理休暇の誕生』月経の医療化に抗して――日常的な身体感覚と近代知をつないだ実践の歴史

 たいていの方は、「生理休暇」という言葉を耳にしたことがあるのではないでしょうか。また、職に就いている女性の方で、その労働規約に「生理休暇」が盛り込まれていることを知っていたり、実際にこれを使ったことがあるという方もいると思います。また、労働法制にくわしい方なら、労働基準法第68条に「生理日の就業が著しく困難な女性に対する措置」(労基法改正前の第67条では「生理休暇」)として、生理休暇をはっきりと認めた規定が存在することを知っているかもしれません。
 けれども、この生理休暇という制度、実は成立当時はアメリカなどの欧米にもまったく例のない、日本オリジナルの制度だったことはごぞんじでしたか? それどころか、大正期にはすでに月経時の休暇を要求する声が登場していたこと、昭和初期にはいくつかの企業で実際に生理休暇が獲得されていたこと、敗戦直後には労働運動に生理休暇要求が復活し、多くの企業が労働協約に生理休暇を盛り込むようになったことなどについては、おそらくほとんど知られていないのではないでしょうか。生理休暇制度は、たんに敗戦直後のGHQ主導による民主化政策のなかで付与されたのでも、労働基準法の成立にともない突然出てきたのでありません。女性労働者や雇用者、医学者、政治家たちとのあいだで敗戦期よりもずっと前から繰り広げられてきた議論や交渉をへて生まれた制度だったです。
 生理休暇制度は、1947年の成立当初から現代にいたるまで、月経時の女性労働者を保護するという発想ゆえに、「過保護だ」「世界に例がない」「男女平等の原則に反する」などの批判にさらされてきました。そればかりか、取得する当事者である女性労働者にとっても、「自身の労働評価が低くなる」「上司や同僚からひやかされる」といった理由から、それはたいてい取りづらいものでした。一言でいってしまえば、生理休暇は、誰もが大手を振って称揚するような有効な権利ではないのです。けれど、私が生理休暇について書いたのは、それが有用な制度だからなのではなく、生理休暇をめぐる諸言説の歴史が、近代日本における月経の医療化のプロセスと、その医療化のなかにあってなお、より生きやすい日常を模索しようとする女性たちの姿とを、同時にみせてくれると感じたからでした。
 明治以降の欧米文化の移入にともない、近代西欧医学的な観念が日本でも支配的になると、月経は、医学者たちによって病理的なものと説明されるようになっていき、大正期以降には、具体的な医療技術や専門人員の配備などをともなって医療化の対象となっていきます。このような、月経を管理や治療の必要な現象とみなす月経の医療化の過程にさらされながら、生理休暇は、それに抵抗するようなかたちで生まれました。なぜなら、それは女性たちが、自分たちの身体感覚を起点にして、さまざまな女性同士のネットワークを築きながら、月経をあくまでも病気ではないものと捉えたうえで、少しでも快適な労働条件を確保しようとして編み出した権利要求だったからです。
 生理休暇を要求する女性たちの主張は、学術的な理論を援用したかと思えば、その理論にはっきりと賛成するでも反対するでもなく、時にはひたすら感情的に自身の身体観や労働環境の悪さを切々と訴えるなど、一見すると一貫性のないものばかりです。そこには、とにかく過ごしやすい「いま・ここ」を確保しようとする女性たちの姿が読み取れます。そして、より強い医療化にさらされている現代の私たちにとって大事なことは、日本で生理休暇という制度が有効なのか、存続か廃止か、といったことを議論することではありません。むしろ、医療化によってもたらされた知や技法を使いながら医療化には抗していた過去の女性たちの姿を、私たちの「いま・ここ」を生きるヒントとして活性化させていくことこそが重要なのではないでしょうか。
 つまり、本書は、法学の立場から生理休暇制度の意義や是非を問うことを目的としているのではありません。また、多くの女性史や法制史などの立場から、日本に特殊な要求や制度が日本のフェミニズムの成果として生まれたのだと主張したいのでもありません。私がもっとも注目したのは、月経の医療化とそこでおこなわれていた女性たちの言説による実践の歴史でした。医療化の過程で、自分たちの身体を医療化から守ろうとする女性たちの