幻の補論――『人工授精の近代――戦後の「家族」と医療・技術』を書いて

由井秀樹

 本書で主に語られているのは、戦後間もなく日本でもはじめられた、提供精子を用いた人工授精(非配偶者間人工授精;AID)の歴史だ。これは私の博士論文がベースになっているのだが、そこには組み込まれなかった幻の補論がある。その内容は、AIDで生まれた方へのインタビュー調査から、彼らが何を思って生きているのか、検討したものだ。なぜこれが組み込まれなかったかといえば、「歴史研究としての性格が不明瞭になるからやめておけ」とのアドバイスを異口同音にいろいろな方からいただいていたからだ。
 たしかにそれはそのとおりだ。こうして、補論になる予定だった原稿はあえなく幻となってしまった(ただし、その一部は単発の論文にはまとめてあり、某学術雑誌に掲載されている)。
 もともと私はAIDで生まれた方へのインタビュー調査をもとにした質的研究をおこなっていた。ここで、少しだけインタビュー調査で明らかになってきたことを書いておきたい。彼らは、大人になってから自身がAIDで生まれたことを知り混乱していた。やがて、生物学上の父を知りたいと思うようになるが、今日に至るまで精子提供者の匿名性は原則的に維持されており、自身の半分を構成する情報が得られないことでアイデンティティーの危機に瀕する。ここまでのことは先行研究でも言われ尽くされているのだが、物語には続きがある。精子提供者を知りたいという思いがある一方で、提供者に対して否定的な感情をもっている方もいた。また、なかには親族の男性からの提供精子で生まれていて、つまり、提供者が特定されているケースもあり、その方は親族男性(の家族)との関係でも悩んでいた。ここから、提供者を知ることができた時点で納得するケースもあれば、そこから先の人間関係の調整が必要になってくるケースも存在するであろうことが示唆される。
 このようなことがわかってきたのだが、研究を進めていくうちに、このAIDなるものがどういった経緯ではじめられ、今日まで続けられているのか、という疑問がわいてきた。それは既存の二次文献をどれだけ調べてもよくわからなかった。AIDの歴史を正面からまともに取り組んでいる研究者などいなかったのだ。こうして私はフィールドワークと並行して、歴史研究をおこなうようになった。
 では、なぜ自らわざわざ歴史をも調べるようになったのか。それにはいろいろと理由がある。とりあえず4つほど書いておくと、第1に、隙間産業だったのでそれなりに需要はあるだろう、という何とも打算的な理由。第2に、手広くいろいろな研究をおこないながらも、科学史を専門にする師匠の影響。第3に、「家族」をキーワードに研究を進めていたのだが、現在のAIDと「家族」の関係を、過去のそれを理解せずして把握することが不可能だったという一応学術的な理由。そして第4に、たぶんこれがいちばん大きな理由だろう。「そもそも、この技術がどういった経緯ではじめられたのかさえ、わからない」、こんなことをAIDで生まれた方が語っていて、それが心のどこかにひっかかっていたのだ。歴史を調べたところで彼らが置かれている状況が変化するわけではないことは重々承知していたが、それでも、何かしらの役には立てるかもしれない。そんな思いがどこかにあった。
 さて、この原稿を書いているのは2015年4月初頭なのだが、周知のように日本にはAIDや卵子提供、代理出産といった、第三者が関わる生殖補助技術を規制する法律はない。ただ、それを作ろうとする動きはある。その際、最も真摯に議論を重ねなければならないのは――補論は幻になってしまったが――、第三者が関わる生殖補助技術で生まれた方のことだろう(実は本書第4章で取り上げた1950年代の法学者たちの議論でも同じようなことが語られていた)。どのような方向に進むにしても、法制化の動向から目は離せない。
 しかし、ここでいったん立ち止まってみたい。立法は概してその後の制度設計を念頭に置いている。もちろん、未来を見据えることは重要だ。だが、未来を見据えるのは現在である。そして、過去があったからこそ、現在があり、現在を理解するには過去を理解しなければいけない。それにもかかわらず、過去のことはよくわかっていない。要するに――私が歴史を調べ始めた第3の理由とも重なるが――、第三者が関わる生殖補助技術をめぐって、私たちはいま、どこに立って未来に目を向けているのかよくわからず、足元さえ定まっていないのだ。本書が過去から現在を経て、未来へと続く道筋――それは決して平坦な一本道ではなく、ぐねぐねと複雑に入り組んでいるのだろうが――に多少なりとも光を照らすことができているのか。手に取ってくださった方々の判断を待ちたい。