裁判記録の入手だけでも難関が多い ――『逃げられない性犯罪被害者――無謀な最高裁判決』を書いて

杉田 聡

 最高裁判決を吟味する作業は大変でした。論理の組み立て以前に、必要な文書類がなかなか手に入らなかったからです。最高裁の判決文自体は、ひとまず最高裁のウェブサイトで比較的容易に見ることができます。
 しかし最高裁判決には、地裁・高裁での判決日・判決番号などが一切書かれていません。それぞれに電話を入れましたが、どの判決かは確認できないと言われて途方に暮れました。最低でも判決番号か被告の名前がわからないとだめなようなのです。もちろん被告の名前はわかりません。判決番号もわかりません。しかし、判決日がわかれば事件はある程度は絞られます。
 でも、判決日をどう確認すればいいのか? 事件は千葉市で起きたことがわかりましたので、「千葉日報」その他の地方紙に出向いて縮刷版をめくる必要があると判断しました。ある地方紙に許可をとりましたが、はたして判決が本当に報道されているどうか。それは全く確証がありません。
 それでやむなく再度地裁と高裁に電話を入れ、何とか手がかりがないかと問い合わせました。でも、何も手がかりはありませんでした。再び途方に暮れましたが、ほかに手がないため、試しに最高裁に電話を入れてみました。ところが、予想に反して担当者が親切な人で、「じゃあちょっと調べてみる」と言ってくれ、ほどなく地裁第一審・高裁控訴審の判決日・判決番号がわかりました。
 しかし、問題はこれでは終わりませんでした。問い合わせたのが、最高裁判決が出てからあまり間がない時期だったので、関連書類一式は第一審を担当した地検(千葉地検)に戻されるとわかったものの、戻るまでに実はかなりの時間がかかるというのです。
 それで待つこと4カ月。やっと書類が戻されて許可が下り、2011年12月下旬に千葉地検に出向いて、第一審・控訴審それぞれの判決文を閲覧しました。一般に判決文は閲覧できません(「判例時報」などにも両判決はいまだに記載されていません)。でも私は研究者であり目的は研究ですから、許可される可能性は大きいのです。ただし、私は法律学が専門ではありません。所属は畜産学部であり専門は哲学です。でも性犯罪は私の研究テーマの一つでこれまで何冊かの関連本を書いているという説明をすると、幸い問題なく閲覧の許可が出ました。
 そして千葉地検で判決文を閲覧した日は、当の事件が起きた月と日でした。というより、その日に合わせて千葉地検に出向いたのです。というのは、現場を見ておく必要がどうしてもあったからです。特に、現場は「有数の繁華街」なのに女性が逃げられなかったことは不自然だと判決は決め付け、それをもって女性の供述に信用がおけないと判断したからです。本当はどの程度の繁華街なのかを見る必要がありました。
実際は、事件現場はほとんど人けがない場所だったことは、本文に記しました。裁判官はもちろん弁護側も、その事実を確認していません。もちろん、人けが多いかどうかは直接には問題に関係しませんが(人けが多くても女性が逃げられるとはかぎりません)、少なくとも最高裁判決がこれを問題にした以上、それが事実かどうかの確認はどうしても必要でした。そして事件が起きたのは午後7時すぎでしたが、師走のこの時期は現場付近はかなりの暗がりでした。しかし最高裁判決では、近くにホテルがあったから明るかったはずだと決め付けています。そうした事実が単なる憶測でしかないこともわかりました。
ただし、気象庁の気象記録を見ますと、事件が起きた2006年の12月27日と11年の同日とでは、気温差が小さくないことがわかりました。つまり、私が現場に行った日はたまたま寒かったために人けが少なかった可能性があります。そのために、別の気候がよい時期の同じ時間帯に再度確認する必要があると思い、以下に述べるように、12年の7月24日に再度千葉地検に行った際、同じ場所、同じ時間帯に、現場での人通りを確認しました。このときすでに日は陰り、気温は26、7度程度でした。でも両日ともに、人けにほとんど違いはありませんでした。ただし、5年間で周辺環境が変わった可能性はないとは言えません。この点は、すぐそばに立つ交番で複数の警察官に確認しましたが、基本的に変わっていないこともわかりました。
 第一審・控訴審判決文は無事に入手しましたが、次の問題が起きました。判決文を見ただけでは、事件の細部はやはりわからないのです。コラム執筆の弁護士(養父氏)に相談して、どの調書類を見る必要があるかを指示してもらい、次の機会には、可能な限り多くを閲覧する必要があると判断しました。
 でも、ここで問題が起きました。調書類を含めて当該事件に関わる書類一式が、研究のために他の裁判所あるいは検察庁に貸し出されてしまい、なかなかそれが千葉地検に戻らなかったのです。かなりの時間待ちましたが、それを閲覧できたのは、判決文を閲覧し終えてから7カ月(最高裁判決が出てから1年)もたっていました。それでようやく7月下旬に再度千葉地検に赴き、1泊して2日間、細かな調書類をかなり読みました。そして同時に、上記のように現場に再度行き、人通りがどのくらいなのかを確認しました。また女性が働いていた場所と被害現場までの距離、その現場の様子などを確認しました(弁護側は、女性が職場を出てから被害にあうまでの時間が合わない、だから女性の供述は嘘だ、という控訴趣意書を出していましたので、職場から現場までの距離などを確認する必要がありました。また被害のさなかに警備員が2人を見ていますが、そこがどの程度に事実を認知できる明るさだったかも、確認する必要がありました)。
 こんな苦労がありました。私は北海道帯広に住んでいるので、帯広→東京→千葉と移動し、書類を入手するだけで往復を含め最低でも2、3日を要します。謄写(コピー)費用を含めて経費もばかになりません。大変な苦労をしましたが、現状の改革にいくらかでも資するところがあるなら、苦労も十分に報われます。