鶴岡英理子(演劇ライター。著書に『宝塚のシルエット』〔青弓社〕ほか)
『宝塚イズム』の共同編著者である薮下哲司さんと、毎月交代で執筆しているこの「『宝塚イズム』マンスリーニュース」ですが、4月と10月にはお休みをいただいています。といいますのも、この2カ月は6月と12月に刊行している『宝塚イズム』の新刊制作が最も佳境に入る時期なのです。雑誌、新聞、さらにウェブニュースと、情報のサイクルが早いメディアから考えると「2カ月も前に制作?」と思われるかもしれませんが、これは書籍である『宝塚イズム』にはどうしても必要なスパンで、執筆メンバーから集まる原稿の精査、校正、OG公演の舞台写真貸与の依頼、対談、さらに自身の担当原稿の執筆と、さまざまな作業に追われる日々が続きます。特に、ニュースの即時性という意味ではほかのメディアに追いつけない書籍であるからこそ、宝塚の半年間をじっくりと検証し、きちんと書き留め、残していくことを最大のテーマに制作に当たっています。
そんな思いを込めた『宝塚イズム35』、「平成のゴールデンコンビ」と謳われた、早霧せいな&咲妃みゆのさよなら特集を柱とした新刊が、もうすぐお目見えを果たします。その新刊については次回で薮下さんが存分に語ってくださるので、そちらをぜひ楽しみにお待ちいただくとして、私は去る4月30日、『王妃の館――Chateau de la Reine』『VIVA! FESTA!』(宙組)東京宝塚劇場公演千秋楽をもって宝塚歌劇団を退団した宙組トップ娘役・実咲凜音について書き記したいと思います。
実咲凜音は、2009年『Amour それは…』(宙組)で初舞台を踏んだ95期生。現在の宝塚で最も勢いがある期といっても過言ではないほど多くのスターが輩出している95期ですが、そのなかでもいちばん早く名前が出てきたのが、娘役の実咲でした。
何しろ花組に配属になったばかりの研究科1年生で、ショー『EXCITER!!』の「ファッション革命」のシーンで当時花組の男役ホープだった朝夏まなとと組んで銀橋を渡る大役に抜擢されたのですから、そのインパクトは大変なものでした。のちに実咲が朝夏と宙組トップコンビになろうとは、もちろん誰一人予想することはできませんでしたし、実咲のさよなら特集の「歌劇」2017年4月号(宝塚クリエイティブアーツ)の朝夏からの「送る言葉」によれば、この配役発表を見た朝夏が「私と組む、実咲凜音って誰だ?」と思ったということですから、未知数も未知数、いわば海のものとも山のものともわからない時点での抜擢だったわけです。でも、このとき舞台を観ていた観客の多くが「朝夏まなとと組んでいる、あの娘役は誰だ?」と公演パンフレットをひっくり返し、「実咲凜音」の名前を覚えたのもまた間違いないことで、この大きな賭けが、実咲をあれよあれよという間にスターダムに押し上げていきます。
翌年2010年、研2で『麗しのサブリナ』(花組)のサブリナ・フェアチャイルド役で新人公演初ヒロイン。同じ年に、朝夏主演のバウホール公演『CODE HERO/コード・ヒーロー』(花組)でバウホール初ヒロイン、そしてこの作品は東上もしたので、早くも東京でのヒロインデビューも果たします。さらに11年には『ファントム』新人公演(花組)で歌姫クリスティーヌ・ダーエを演じ、抜群の歌唱力を披露。ソロナンバーで客席からの拍手がしばし鳴りやまなかったほどで、この一夜のヒロインの見事な歌いっぷりの評判は、宝塚世界を瞬く間に駆け回ったものでした。特に実咲は、どちらかというと明るくサバサバとした現代的な個性をもった新しいタイプの娘役として認識されていたので、こうしたクラシカルな役柄をしっとりと演じられることがわかったのも、豊かな歌唱力とともに大きな収穫になり、ここからの実咲の日々は、ただまっすぐに続くトップ娘役への階段を駆け上っているかのごとくでした。なんと花組に在籍した4年間でヒロインを演じた別箱公演3本すべてが東京にきているのですから、劇団の英才教育ここに極まれりといえるでしょう。
その勢いのまま2012年、宙組に組替えして宙組6代目トップスター凰稀かなめの相手役としてトップ娘役に。実に意外なことですが、むしろここから実咲はヒロイン一直線ではない、さまざまな役に巡り合うことになります。トップ娘役披露だった『銀河英雄伝説@TAKARAZUKA』(宙組、2012年)は、長大な原作のほぼ第2巻までを舞台化していた関係上、凰稀が演じたラインハルト・フォン・ローエングラムと実咲のヒルデガルド・フォン・マリーンドルフの関係は、この舞台の幕が下りたあと、2人の間に新しいページが開いていくでしょう……を匂わせるにとどまるものになりました。また、『風と共に去りぬ』(宙組、2013年)ではメラニー・ハミルトン、『ベルサイユのばら――オスカル編』(宙組、2014年)ではロザリーと、コンビの凰稀の相手役ではない役柄に当たることも続きます。もちろん『うたかたの恋』(宙組、2013年)のマリー・ヴェッツェラなど、娘役なら誰しもが憧れるだろう大役を全国ツアーで務めてもいたものの、トップコンビががっぷり組む作品が本公演で特に少なかったことから、凰稀時代の実咲には、彼女本来の明るさが控えめに映る時期もあったものでした。
けれども、この時期に蓄えていたもの、古典的な娘役に求められていた「男役に寄り添い、華を添える」という経験が、実咲の宝塚の娘役としての幅を大きく広げていたことが、凰稀退団後、宙組7代目トップスターに就任した朝夏と、まさに初恋の成就のように改めてコンビを組んだ日々のなかで明らかになっていきました。
それは『王家に捧ぐ歌』(宙組、2015年)のアイーダや、『エリザベート――愛と死の輪舞』(宙組、2016年)のエリザベートという、宝塚の娘役の域をハッキリと超えて、実質的には物語の主人公である役柄を堂々と演じることもできれば、『メランコリック・ジゴロ』(宙組、2015年)のフェリシアや、実咲の退団公演になった『王妃の館』の桜井玲子といった、作品のなかで周りとの呼吸を計り、大切なピースとしての役割を果たす役どころも軽やかに演じられる強みとなって表れます。さらに彼女がすばらしかったのは、歌える娘役であるだけでなく踊れる娘役でもあったことで、ダンサートップスターである朝夏とのデュエットダンスは、宙組に大きな輝きをもたらしました。それらすべての経験が、縁の濃い朝夏との同志のような関係から生み出される小気味よいテンポ感はもちろん、轟悠と正面から渡り合った『双頭の鷲』(宙組、2016年)の全身全霊の演技につながったのです。思えば、劇団が初舞台まもなくから彼女に施した英才教育のすべてが実咲の実りになり、輝きになった、まさにパーフェクトな娘役でした。
そんな彼女ですから、サヨナラショーで圧巻だった『エリザベート』の「私だけに」の文字どおりのショーストップの歌唱に負けず劣らず、『銀河英雄伝説@TAKARAZUKA』の「蒼氷色の瞳」のリリカルにどこまでも澄み切った歌声がいつまでも耳に残ったのも当然だったのでしょう。そこには役柄に瞬時に染まり、歌に合わせてほほ笑み方さえ変わる、娘役・実咲凜音の完成された姿が輝いていました。実に美しい娘役の、それは見事な旅立ちでした。
ですから、実咲が早くも今年2017年の年末、市村正親と、宝塚の大先輩・鳳蘭が主演するミュージカル『屋根の上のヴァイオリン弾き』の長女ツァイテル役を演じることが発表されたのは、とてもうれしいニュースでした。ツァイテル役には大きなソロナンバーがなく、実咲の歌唱力が温存されるのはもったいないかぎりですが、市村、鳳という日本ミュージカル界の大スターとの共演から得るものは、計り知れないほど大きいはずです。宝塚の娘役として完成形をなしたと思える実咲だからこそ、女優としての第2章でどんな歩みを見せてくれるのかに期待が高まります。そんな実咲のこれからを楽しみにしながら、大輪の花を咲かせた彼女に、拍手とエールを送ります。たくさんのすばらしい舞台をありがとう! これからの道のりにも期待しています!
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