第8回 国道16号線の団地とニュータウンをめぐる――八千代市周辺を学生とドライブする

佐幸信介(日本大学教授。共著に『失われざる十年の記憶』〔青弓社〕、『触発する社会学』〔法政大学出版局〕など)

はじめに

 国道16号線(以下、16号と略記)を白井市や船橋市、八千代市、千葉市のあたりを車で走っていると、様々な「団地」や「ニュータウン」に出合うことができる。古いものも新しいものもある。
 郊外を論じる際に多摩ニュータウンが取り上げられることが多い。『失われざる十年の記憶――一九九〇年代の社会学』(青弓社、2012年)のなかで「郊外空間の反転した世界」を論じたときも、私自身が想定していたのは多摩センター周辺の郊外だった。しかし、16号を補助線にしてみると、あらためて東京以外の神奈川、埼玉、千葉にある多様な郊外型の集合住宅群の空間的なボリュームの大きさに気づかされる。16号は、団地やニュータンの歴史をたどり直すことができる格好のフィールド・ロードである。
「住宅55年体制」という言葉がある。戦後政治の55年体制に意味を重ねた言い方で、住宅の分野でも「戦後体制」が1955年に始まったことを指している。住宅金融公庫(1950年)、公営住宅法(1951年)に加えた住宅公団の設立(1955年)の3本によって戦後の住宅政策の整備が進められてきた。この戦後体制は、持ち家政策と住み替え(ハウジング・チェーン)によって、住宅階層を形成した。そして、「持ち家-ハウジング・チェーン-住宅階層」の垂直的な構造は、住むための空間を郊外へと水平的に拡張した。
 しかし、住宅公団は1981年に解散して、その後、住宅・都市整備公団(1981年)、都市基盤整備公団(1999年)、さらに都市再生機構――UR都市機構(2004年―)へと制度再編を経ることになる。現在では、ポスト戦後とか、ポスト・バブルといった言い方がなされ、90年代の後半以降、住宅55年体制のシステムは変容して、住宅の供給と需要のほとんどが市場の論理のなかで進められる。その結果、都市空間の新たなジェントリフィケーションの進行や社会的格差を生み出した。住宅も空き家問題をはじめシステム内が虫食い状態の空洞化が生じている。また、団地やニュータウンの高齢化も問題となっているが、それは人口的な高齢化だけでなく、住空間もまたエイジングするのだということをあらためて思い知る。

ドライブ1――八千代台団地に向かう

『国道16号線スタディーズ』の拙論「死者が住まう風景」を書くために、八千代市や佐倉市に在住している学生にも同行してもらい、八千代市周辺を車で2回ほどドライブした。1回目の取材は主に霊園をまわり、2回目は団地やニュータウンにまで範囲を広げることにした。霊園については、「死者が住まう風景」で検討しているので、このリレーエッセイでは団地やニュータウンに触れてみようと思う。
 まずは、公団住宅で最も古いものの1つである「八千代台団地」。1957年に入居が始まった。京成電鉄・八千代中央駅には石碑がある。テラスハウス型で、2階建ての住戸が連なる住棟がおよそ30棟。こじんまりとした集住空間である。八千代中央駅から5分ほどのところにあり、住宅街のなかにたたずんで建っているという印象。ここを見つけるのに多少迷ったが、八千代台団地を目にしたとき、ある種の感慨を覚える。確かに古くなっているが、同時期の阿佐ヶ谷住宅と同様に、50年代の住宅公団は高層の団地とは別のプランに挑んでいたことがうかがえる。

写真1 八千代中央駅前にある石碑(筆者撮影)
写真2 八千代台団地(筆者撮影)

 住棟の配置はシンプルだが、集住することが集落の形へと空間的に拡張していきそうな可能性があったのでないかと感じる。阿佐ヶ谷テラスハウスもそうだが、この団地もモダニズム的で、もしこの方向性が集合住宅の1つの軸になって試みがおこなわれていたら、私たちの戦後の住む経験も違うものになっていたのではないか。
 以前、仙台市の市営住宅をプランニングした小野田泰明さんに案内してもらったことがあるが、その集合住宅も集落的だった。八千代台団地を前にして、仙台の市営住宅のことを思い出すと、途絶えてしまった可能性の重要性を感じる。積層型の団地が★戦後的:傍点★な形式として量産されてきたのに対して、仙台の市営住宅のような集合住宅の公的な試みは、熊本の県営保田窪団地や、岐阜のハイタウン北方など限られたものしかない。

ドライブ2――高津団地・村上団地・米本団地

 次は、高津団地、村上団地、米本団地。ある意味で典型的な団地である。
 高津団地は1972年に入居開始。16号から成田街道を習志野方面に向かった、左側のエリアに造成されている。陸上自衛隊習志野演習場がすぐ近くにある。村上団地は、76年に入居開始。16号と東葉高速鉄道・村上駅が交叉するエリアに立っている。この団地は、長期にわたって建設されていて、92年まで新しい住棟が建設されていたようだ。米本団地は、70年に入居開始。16号沿いに立ち、村上駅や勝田台駅との間をバスが運行している。駅が徒歩圏内になく、16号とともに造成された団地である。
 米本団地、高津団地、村上団地の順に新しいが、立地は米本団地が異質である。丘陵地に林立する住棟群である。また、比較的新しい村上団地の住棟は、高層で立てられているものもあり、高層へと向かった住戸プランをみることができる。
 同行した学生たちの感想は、直接的で辛辣でさえある。「マンションだと直接外とつながっている感覚があるが、3つの団地はどこも敷地内には入っていけないような感じがあり、ここに住むにはフィルターが1つあるような印象」とか、「住んでもいいなあと思えるのは、○○団地だけ。町っぽい雰囲気があって、団地の外ともなじんでいる感じがする」「団地に住んだことなく、イメージがいままでもっていなかったけれど、古くなるというのにもいろいろなタイプがあるということがわかった」など。

写真3 高津団地(筆者撮影)
写真4 村上団地(筆者撮影)
写真5 米本団地(16号から、筆者撮影)

 少なくとも現時点では、千葉県の郊外にある団地は、学生にとっては住む対象からは除外されている。かといって集住のスタイルそのものを拒絶しているわけでもないようだ。東京都内の団地をリノベーションしたアートスペースに顔を出す者や、中央区のまだ残っている長屋形式の集合住宅や近くにある銭湯を気に入り、近所付き合いを楽しんでいる者もいたりして、その意味では住むことから派生する経験的な意味の幅を重視している。

ドライブ3――千葉ニュータウン

 印西市から北総線沿いに16号に向かって車を走らせると、これまでみてきた団地とはまったく異質な千葉ニュータウンの風景のなかに入り込んでいく。千葉ニュータウンは、印西市、白井市、船橋市の3つの市にまたがる広域かつ大規模なニュータウンである。駅は、北総線の西白井、白井、小室、千葉ニュータウン中央、印西牧の原、印旛日本医大と6つの駅の範囲におよぶ。計画は1966年に始まり、入居の開始は79年。未造成の更地のエリアがあり、その規模は現在でも拡張し続けている。

写真6 千葉ニュータウン(筆者撮影)

 荒涼感がある平地に突如として現われた千葉ニュータウンの姿に、「千葉ニュータウンだ!」と車内で声が上がる。北総線沿いの道路には、ファミリーレストラン、ラーメン屋、家電量販店、ホームセンターなどが乱立して、ロードサイドの典型的な風景だ。観覧車も見える。「ビッグホップガーデンって、ちょっと元気ないんだよね」「あの観覧車は、小さい頃1回だけ乗ったことがあるけど、あまりいかなくなった」「イオンモールができたことが影響しているんだろうか?」「ここのファミレスは、日本で一番くらいの売り上げらしい」「ここのスパもけっこうはやっていると思う」――団地では言葉少なだった学生たちが、千葉ニュータウンとロードサイドでは、会話が闊達になったことが印象的である。
「千葉ニュータウンといえば、神聖かまってちゃんのこの曲でしょ」と、車のカーステレオにスマートフォンからBluetoothでつなぎ、「26才の夏休み」という曲が流れ始める。
「26才の夏休み」は、千葉ニュータウンを歌った曲だ。ボーカルの「の子」は、千葉ニュータウンで育った。メンバー4人のうち、3人が幼なじみ。神聖かまってちゃんは、ライブのバンドである。そして、「YouTube」と「ニコニコ動画」とSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)でつながる。
「神聖かまってちゃんは、映画の『ロックンロールは鳴り止まないっ』(監督:入江悠、2011年)が、最初だった」「高校1年か2年のときだよね。あのときは、何か触れてはいけないバンドだと思っちゃってた。でも、高校のときは、ついつい聞いていた」「またライブにいきたくなった。単なるノリじゃなくて、自分もハラハラする感じってほかにないし」「非リア充とか言われたりするけど、そう言われることに、の子は嫌がっているって聞いたことがある」「激ヤバなバンドだよね」(ちなみに、激ヤバは肯定的表現)
 千葉ニュータウンから生まれたロックは、自動車のドライブにはふさわしくない。車から見える整った風景と、車内の音楽、会話とがねじれだす。それは、私自身が神聖かまってちゃんをめぐる学生の会話から、完全に孤立してしまったからかもしれない。スピーカーから流れる、の子の声は、千葉ニュータウンの「僕」の世界を叫んでいる。

 

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