さまざまなオペラに出合うために――『オペラ鑑賞講座 超入門』を書いて

神木勇介

 オペラを楽しむためのちょっとした「コツ」をご存じですか? オペラに興味をもった人がはじめの一歩を踏み出すとき、その案内役となるように、本書『オペラ鑑賞講座 超入門』ではその「コツ」を書きました。

 オペラに興味をもつ……このことだけでも、一般的に考えれば珍しいことではないかと思います。オペラはクラシック音楽の一つのジャンルであるわけですが、交響曲やピアノ曲に比べて、親しみにくいものかもしれません。一見すると、時代錯誤の舞台衣装を身にまとった体格のいい男女が、オーバーな演技をしながら大声を発している──現実離れしているこの世界に、即座に拒否反応を示す人もいるのではないでしょうか。

 でも、例えば「自分の好きな作曲家がオペラも書いている」「好きなメロディーがオペラからの抜粋だった」「豪華なオペラハウスの写真を見た」など理由はどうであれ、まずは興味をもつところまできたとしましょう。そこからオペラの世界をのぞいてみるわけですが、これが少々やっかいかもしれません。オペラにはいろいろな種類があって、たまたま出合ったオペラが自分の好みに合っているとはかぎらないからです。

 実は私もそうでした。音楽大学を目指して声楽のレッスンを受けていた私は、その先に「オペラ」があることを見据えていましたが、まったく知識がなかったため、とりあえず何でもいいからオペラを聴いてみることにしました。何も考えずに、ある有名なオペラ作品を鑑賞したのです。でも、まったく楽しめませんでした。当時の自分には合わなかったのですね。演奏時間は長いし、どこが聴きどころかもわからない。これは私とは異質の世界なんだと勝手に自分に言い聞かせて、それ以降は歌曲や声楽曲に関心が集中しました。

 それでも結局、私はオペラが好きになりました。なぜなら、その後さまざまな機会で、オペラの「多面的」な魅力にふれることができたからです。ヴェルディのオペラ・アリアを歌ったときは、シンプルな音楽なのにこんなに劇的な表現が可能なのかと驚きました。もちろんプッチーニのオペラで、主役のソプラノとテノールが歌うアリアにも感動しました。モーツァルトのオペラには親しみやすい重唱が多くあり、仲間とアンサンブルを楽しみました。初めて接したワーグナーのオペラは、パトリス・シェロー演出の『ニーベルングの指環』でしたが、とにかく長かったという感想をもったものの、「演出」に興味をもちました。リヒャルト・ゲオルク・シュトラウスのオペラの多彩な音楽表現に気がつくと、オーケストラの演奏を楽しめるようになりました。

 同じオペラでも、作曲された時代や場所によってまったく別物のように印象が異なります。また、オペラは、「声」「歌」「音楽」「演出」などのさまざまな観点から楽しむことができます。こうしたもろもろのことを知ったうえでオペラを鑑賞していけば、必ずや自分に合ったオペラが見つかるはずです。

 オペラについて「声」「歌」「音楽」「演出」などのあらゆる側面を順序立てて知ることができるように、本書『オペラ鑑賞講座 超入門』では全体を12の講座に分け、オペラとは何かというところから名作オペラの楽しみ方まで、できるだけ丁寧に解説しました。本書を読めば、オペラを楽しむための「コツ」をつかむことができるのではないかと思います。

第42回 アルフレッド・コルトーと日本

 今年2012年はアルフレッド・コルトーが亡くなって50年、1952年に来日して60年にあたる。CD関係ではいまのところあまり大きな動きはなさそうだが、とりあえず長く絶版だった『アルフレッド・コルトー』(ベルナール・ガヴォティ著、遠山一行/徳田陽彦訳、白水社)はこのダブル記念の年に復刊された。
 1952年秋、コルトーの来日公演は予定を大幅に延長するほどの盛況ぶりだったが、このツアー中、山口県下関・宇部でのコンサートのとき、コルトーは川棚(かわたな)温泉に3泊した。コルトーはここの景色をいたく気に入り、「トレビアン」を連発していたそうだ。なかでも厚島に魅せられ、コルトーは「ぜひ、この島を買い取りたい」と申し出たが、当時の村長は無償で島をコルトーに提供したという。その後、この厚島は「孤留島(コルトー)」というニックネームが付けられた。この件についてはガヴォティの著作(242ページ)にもさらりと触れられている。コルトーは川棚の関係者に再訪を約束し、日本を後にしたが、その望みはとうとう実現できなかった。
 話を多少はしょってしまうのだが、この川棚温泉にコルトーホールが建設された。併行して記念碑の建立も計画されたが、ホールの音響整備と記念碑建立の資金が不足しているらしく、現在、コルトー音楽祭実行委員会で寄付を募っている。寄付の募集期間は9月30日までだが、まだ間に合うので、寄付の意志がある人は下記に連絡をとってほしい。
〒759-6301 山口県下関市豊浦町川棚5180 川棚温泉交流センター・川棚の杜内 コルトー音楽祭実行委員会(電話083-774-3855 E-mail:info@kawatana.com)

Copyright NAOYA HIRABAYASHI
本ウェブサイトの全部あるいは一部を引用するさいは著作権法に基づいて出典(URL)を明記してください。
商業用に無断でコピー・利用・流用することは禁止します。商業用に利用する場合は、著作権者と青弓社の許諾が必要です。

第41回 燃える男

 NHK交響楽団の創立85年ということで、記念のライヴが続々と出てくるが、物量が多くてなかなか聴くのが追いつかない。だがそのなかで、シリーズ中ではちょっと異色のものに遭遇した。それはルーマニアの鬼才コンスタンティン・シルヴェストリが指揮した1964年の公演である(キングインターナショナル KICC-2049~50)。
 まず、ドヴォルザークの『交響曲第9番「新世界より」』。第1楽章の冒頭からして普通ではない。水面下で謎の生物がうごめくようにテンポは遅く、響きは暗い。やがて、びっくりするほど長い長い間があって、最初のフォルテッシモが足を引きずるように登場する。そのあと加速・減速が繰り返され、ティンパニはまるで噛みつくようだ。主部に入ると金管楽器は怒号のように強調されたり、相変わらずテンポは一定ではなく、各パート間のバランスも独特である。第2楽章も最初のイングリッシュ・ホルンの歌い方から一風変わっているし、全編うねるような熱いロマンに支配されている。続く、第3楽章、第4楽章も全く普通ではない。かつてチェコの名指揮者カレル・アンチェルは「外国人の指揮者がドヴォルザークを振ると、概してロマンティックになりすぎる」と語っていたが、このシルヴェストリの演奏などはその最も極端な例だろう。一般的には受け入れがたいだろうが、「俺はどうしてもこのテンポで、このバランスでやりたいのだ」という指揮者の燃えたぎる情熱が感じられて、個人的には楽しく聴けた。なお、音はモノーラルだが、非常に明快で鑑賞には全く問題はない。
 おっと、これで終わりではない。ほかにも強烈な演奏がある。リムスキー=コルサコフの『スペイン奇想曲』。これも緩急の差が激しく、ときにオーケストラがずれている。ヴァイオリン・ソロもべらんめえ調に弾いているが、むろんこれは指揮者の指示だろう。チャイコフスキーの『交響曲第4番』も、最初の金管楽器の主題からしてすでに奇怪である。その先は想像どおり。たまげたのはドヴォルザークの『スラヴ舞曲第1番』だ。拍手が鳴りやまないうちに始まっているのでアンコールだろうが、それにしても冒頭の狂気のような爆発音! そして、そのあとのせっぱつまったような快速テンポ。曲想を完全に逸脱しているかもしれないが、とにかくこんな破天荒な演奏は聴いたことがない。
 もうひとつ驚いたのが、佐藤久成が弾いた『ニーベルングの指環』(イヤーズ&イヤーズクラシック YYC-0003)である。これはワーグナーのオペラをヴァイオリンとピアノ(ピアノは田中良茂)に編曲したものを取り上げているのだが、これが強烈すぎるほど強烈だった。赤々と燃え上がる情熱の炎、そして曲の内側をえぐり取るようなすさまじいポルタメントなど、ヴァイオリンとピアノがこれほどまでにワーグナーの深奥な響きや毒を感じさせるとは。とにかく、だまされたと思って聴いてほしい。収録曲は『さまよえるオランダ人』序曲、『マイスタージンガー』前奏曲、『神々の黄昏』から「葬送行進曲」(これも、すごい)、『パルジファル』前奏曲など。

Copyright NAOYA HIRABAYASHI
本ウェブサイトの全部あるいは一部を引用するさいは著作権法に基づいて出典(URL)を明記してください。
商業用に無断でコピー・利用・流用することは禁止します。商業用に利用する場合は、著作権者と青弓社の許諾が必要です。

互いの理解が「いい音」を生む――『まるごとヴァイオリンの本』を書いて

石田朋也

 一般的なヴァイオリンのイメージはどうも高貴なものらしい。「白亜の大邸宅に響く音色」「深窓の令嬢が弾く楽器」のイメージがあるようだ。現実に、そのイメージを体現する形として絢爛豪華な音楽ホールが建設されるし、美人ヴァイオリニストが次々とデビューして使い捨てられていく。

 ところが、その高貴なイメージに似つかわしくない音色でのヴァイオリンの音は相当に聴き苦しいもの。漫画などでひどいヴァイオリンの音と揶揄されることがあるが、これは作品中での誇張ではなく多くの人にとって現実のこと。ピアノやギターならリズムが合っていれば音色のコントロールが乏しくともまずまず聴けるものだが、ヴァイオリンの場合は適切に楽器を響かせる音で弾かなければ、文字どおり聴くに堪えない「貧弱な音」が出る。

 生涯学習が唱えられて久しい。「大人の○○教室」は多く開講されているし、ヴァイオリンも大人を対象にした教室が増えている。わたし自身も大人向けのヴァイオリン教室を運営していて、この原稿を書いている前日もヴァイオリンのレッスンを9時間おこなった。子どものころに習っていたが大人になって再開することにした人、大人になってからヴァイオリンを手にするようになった人など、それぞれに事情と思いがありヴァイオリンを習っているのだと思う。

 大人になってもやりたいこと、欲しいものというのは、子どものころに憧れたこと、欲しいと思ったものが多いと思う。子どものときにかなわなかった夢を子育てや仕事から解放され、やっと実現できたという思いが大人にはあるのだろう。始めた年齢が高いほどその思いは厚く積もっていると想像する。その思いの深さを教室の運営側が理解し大切にしなければならないはずだが、現実には冷淡に扱われていることも多いようだ。

 一方、しばしばヴァイオリンを習う生徒側が先生を軽く見ていることがある。インターネットの掲示板やブログには、先生を評価する段階ではない生徒が簡単に先生の指導方針を評価してしまっていることがある。教室の先生がこれまでどれだけ苦労を重ねてきたか、また生徒に対してどれだけ期待をもって指導をおこなっているか、その思いを生徒側が理解し尊重する必要があると感じる。

 この連載を読む人の大半は、ヴァイオリンを弾いたことがないと思う。世間でのイメージと異なり、演奏者にとってヴァイオリンはとてもサディスト的な楽器といえる。演奏者にこれでもかと精神面、肉体面、金銭面に苦痛を与えるし、ヴァイオリン教育も音楽教育のなかで最も厳しいもののひとつだと思う。優雅に弾くヴァイオリニストのイメージとは裏腹に、ヴァイオリニストやヴァイオリンの先生は過去にいくつものの体の傷と心の傷を負って、そして大きな出費を強いられてきたことが多いはずだ。

 特に大人に対する教育では、先生は生徒を、生徒は先生を理解する必要があるだろう。相互理解の必要性はヴァイオリン教育に限ったことではない。小学校などでの学級崩壊も、先生と保護者を含めた生徒側との相互理解の不足に一因があると思うし、また、医者と患者、社長と社員なども同様の問題を抱えていると感じる。そして、互いを十分に理解し合っているときに、「いい音」が生まれるのだと思う。

 ヴァイオリンの場合には、先生と生徒の関係だけでなく、演奏者と楽器との関係もある。これも演奏者と楽器が互いを理解できたときに「いい音」が出るものだ。すなわち、演奏者がヴァイオリンに「いい音を出せ!」強要してもヴァイオリンは反発するだけで「いい音」は出ない。演奏者側がヴァイオリン側の声を聞くという視点があるとヴァイオリンから「いい音」を引き出すことができる。

 相手を理解しようと視点を少しばかり変えれば、ヴァイオリンはサディストからいい友だちになる。この視点のシフトが本書で示せていればと願っている。直接的にはヴァイオリンをいい音で奏でることができるために、最終的にはヴァイオリンを友だちにするためにごらんいただく本になっていれば幸いである。

バカバカしいからこそ――『妖怪手品の時代』を書いて

横山泰子

 子ども時代の一時期、手品を練習しては家族に見せていた。父はあまり家にいなかったので、母に見せ祖父に見せ祖母に見せ妹に見せ……と一通り披露したが、同じ芸をやっていると仕掛けがわかってしまうので何度もできないのがつらいところであった。
 そんなとき、祖母の弟(Oのおじさんとしておこう)が飲みにきた。彼は本当にお酒が好きなようで、酔っぱらってくると他人の家でも靴下を脱いでくつろいでいた。その日の私はいつものように「こんにちは」を言いにいったが、普段と違うのは手にトランプを持っていたことだった。同居人には披露ずみのトランプ手品を、お客さんに見てもらいたかったのだ。
私「こんにちは」
おじさん「ああ、こんにちは。かわいいねえ」
私「トランプ手品をやってもいいですか?」
おじさん「手品か、いいよ」
 といった会話が交わされたかと思う。私はトランプを出してよく切って、
「こちらに見えないようにして、一枚好きなカードを選んでください」
とカードを抜いてもらった。それをおじさんだけが見て、カードの山のなかに戻してもらった。さらにトランプを切った後、私はこれぞという一枚を選び出し、
「おじさんの選んだのはこれでしょう?」
と得意げに見せた。ところが、なんと彼は
「あれえ、これだったかなあ?」
と言うのだ。絶対に自信はあったので私は動揺し、もう一度やってもらった。しかし、何度やっても彼は、
「あれえ、これだったかなあ?」
と言う。どうやら、おじさんは酔っぱらっていてカードの絵や数を忘れてしまうのだった。
 このとき私は「酔っぱらいには細かい手品は不向きである」という教訓を得た。そして、子どもの移り気さゆえに手品に対する興味を失い、この日の教訓も忘れてしまった。
 
 新著『妖怪手品の時代』では、江戸時代に素人(しろうと)が宴会で楽しんでいた手品について取り上げた。当時はアマチュア向けの手品の解説本が作られていて、現代人にはなかなか考えつかないようなさまざまな芸が紹介されている。人がお化けに扮する方法などが記されていて、「ちょっとふざけすぎではないか」と思うようなくだらない仕掛けもある。調査を始めたころはあまりのバカバカしさにあきれていたが、突然Oのおじさんのことを思い出した。
 酔っぱらいには細かい手品は不向きなのだった。宴席でお互いに隠し芸を見せ合うようなときには、演技をする本人も酔っぱらっているかもしれない。演じる側・見る側の双方にとって、本格的な奇術よりも笑いをとる芸の方がふさわしいのではないか。江戸時代の奇想天外な手品は、そのバカバカしさゆえに酒宴を盛り上げるのではないか。
 そんなことを考えながら原稿を書いた。当時の手品がどんなに奇抜かは、ぜひ本書を手に取ってごらんいただきたい。

第40回 子連れ対策の強化を望む

 1月12日午後、三浦文彰のリサイタルに行ってきた(調布市文化会館たづくり・くすのきホール。ピアノは菊地裕介)。私は開演2分ほど前に着席したが、間際になって目の前の席に5歳と3歳くらいの女の子と、その母親とおぼしき客が座った。「あ、こりゃあ演奏を台なしにされてしまう」と思ったが、全くそのとおりだった。
 特に妹と思われる方は演奏が始まるやいなやゴソゴソと動く。それを制する母親。これの繰り返しである。すぐ前の席だからいやが応でも視界に入ってくる。周囲の他の客が何か言いだすかと思って静観していたが、誰も何も言わない。ずいぶんと寛容なようだ。
 私はこれまで、このような子連れに何度演奏をじゃまされたことだろう。そのたびに直接注意し(これまで、少なくとも2組の親子にはお帰りいただいた)、さらには係員にもその旨を告げてきた。でも、この悪習はいっこうに改善されない。このたびも注意しようと思ったが、しょせんは調布という郊外である。それに、三浦という若い男性ヴァイオリニストが主役であり、平日の午後ということになれば、ある程度質がよくない客層が予想されるのに、それを見込めなかった自分も悪いのだろう(同じ列の初老の男性は演奏中にいきなり携帯電話を取り出し、画面をチェック。暗い客席で携帯の画面を見ると異様に目立つことを知らないらしい。それに、演奏中にさえ携帯をチェックしなければならないようだったら、聴きにこなくてもいいはずだ)。
 ひどく気分を害されたので後半を聴く気力をなくし、会場を去ろうとした。そして、係員にひとこと「何であんなに小さい子供を入れるんですか? 非常に行儀が悪くて迷惑です。とても後半を聴く気にならないので帰ります」と言ったのだが、「未就学児の入場はできないことになっておりますが」との返答。「2、3歳くらいは未就学児ではないんですか?」と言ったら、「申し訳ありません」で終わり。生演奏は二度と再現できないのだということをもっと重要視してもらわなければ困るのだが、でも主催者にとってはチケット代さえもらえれば、それで問題はないのだろう。ちなみに、この日の三浦のリサイタルは完売だった。
 前半を聴いただけの印象を振り返ると、デビューCD(プロコフィエフの『ヴァイオリン・ソナタ第1番』『ヴァイオリン・ソナタ第2番』/ソニークラシカル MECO-1006)で聴き取れる音よりも、実際の彼の音はもう少し柔らかくて繊細である。次回は“都会”のホールで口直しをするとしよう。
 先日、コンビニでビールを買ったら、レジで「20歳以上」というボタンを押せと言われた。これは「年齢確認」なのだろうが、明らかに20歳以上だとわかる50歳を過ぎたおじさんにもボタンを押させるのは無駄というか、ほとんど意味がない作業ではないか。
 それと同じく、ほとんどのチラシに書いてある「未就学児のご入場はご遠慮ください」という断り書きも、もはやたいして意味がないものとなっているようだ。繰り返すが、生演奏の再現は2度と不可能である。それを思えば、主催者は明らかな未就学児を連れた客に対して毅然とした態度でお引き取り願ってもいいのではないか。

Copyright NAOYA HIRABAYASHI
本ウェブサイトの全部あるいは一部を引用するさいは著作権法に基づいて出典(URL)を明記してください。
商業用に無断でコピー・利用・流用することは禁止します。商業用に利用する場合は、著作権者と青弓社の許諾が必要です。

テキヤの生き方――『テキヤ稼業のフォークロア』を書いて

厚 香苗

 できあがったばかりの本書を調査協力者に手渡すために、私は2012年2月24日、東京・墨田区東向島の地蔵坂を訪ねた。最寄りの曳舟駅の改札を出ると、完成を5日後に控えたスカイツリーがすぐ近くにあって、すでに航空障害灯が点滅していた。その白いLEDの光を見て、30年ほど前、曳舟駅前の大きな工場の屋根に群生していたタンポポの黄色い点々を思い出した。まず地蔵坂通り商店会会長の西村寅治さんを訪ねた。西村さんをはじめ、かつてお世話になった方々は変わりなく過ごしていて安堵した。しかし地蔵坂のほうはというと縁日なのに人がまばらで活気がない。
 露店は3店舗しか出ていなかった。冬とはいえ少なすぎる。そのうちの1店舗では顔見知りの「テキヤさん」がたこ焼きを売っていた。私のフィールドワークにつきあってくれたのは東京会(仮名)のテキヤがほとんどだった。その方は東京会のテキヤではないけれども、彼が所属するテキヤ集団も東京会と同様に、おそらく近世以前から続く古い集団だ。あいさつをするとうれしいことに私を覚えていてくれた。東京会の方々から教えてもらったことをまとめたと伝えて本書を1冊手渡すと、「字が細かくてダメだ」とすぐに返された。読んではもらえなかったが、とりあえず地蔵坂で商いをする現役のテキヤに本を見てもらえたのでよかった。ではたこ焼きを買って帰ろう、そう思って私はたこ焼きの値段を尋ねた。すると彼は「いいよ」と言う。代金はいらないから、ひとつ持っていけということだ。いまは「新法」でテキヤが困っているから本を出してもらうと助かる、と感謝されたのである。この「新法」とは、2011年10月に施行された東京都の暴力団排除条例のことだろう。
 地蔵坂に行った翌日、かつて地蔵坂の縁日のセワニンを務めていたが、すでにテキヤを引退しているS夫妻の千葉県にある自宅を訪ねた。8年ほど前に目印として教えられた県道沿いの看板はすでになく、さんざん道に迷った末に見覚えがある一軒家にたどり着いた。インターホンを押すと妻であるネエサンが出て、夫のSさんも在宅していた。2人とも久しぶりの再会を喜んでくれて、勧められるままに家に上がり込んで本書を差し上げた。そしてコーヒーをいただきながら思い出話に花を咲かせた。
 Sさんは、かつて自分が所属していた東京会の近況を少し知っていた。最年長者だった大正生まれのオヤブンは数年前に亡くなり、その下の世代のオヤブンも何人かはテキヤを引退、別のテキヤ集団に「養子にいった」若いオヤブンもいるとのことだった。話の内容から、テキヤ社会の擬制的親族関係が現在でも崩れていないことがうかがえる。また本書で紹介した神農像は、Sさんがテキヤを引退するときに東京会の現役のテキヤに譲ったという。神農信仰も続いているようだ。
 江戸=東京は人口が多く、年中行事や祝祭空間も豊富なので、ほぼ常店といっていいような安定した露店商いがおこなわれてきた。それをテキヤたちも自覚している。だから学術的な関心からテキヤの「伝統」を考察する本を出しても、イタリアのカモッラを題材としたノンフィクション・ノベル『死都ゴモラ』を出版したことで、警察の保護下にあるというロベルト・サヴィアーノのようにはなりえない――そんな確信のような思いが下町育ちの私にはあった。本人たちが「テキヤは3割ヤクザだ」と言うのだから、まったく何も心配していなかったといえば嘘になるが、フィールドワークというものは対象によらず、やってみなければわからないものだ。本書の出版からもう1カ月以上がたった。関係者に本を配り歩いて、喜ばれたり、呆れられたりしたが、身の危険は感じていない。「3割ヤクザ」だから「新法」に影響されたりするものの、やはりテキヤは第一に祝祭空間を彩る昔ながらの商人なのだろう。
 西村さんに「Sさんの家を訪ねるつもりです」と言うと、「もしSさんに会えたら遊びに来るように伝えて」と頼まれた。Sさんにそれを伝えると「そうね。そのうち行ってみるか」と笑顔で答えた。しかし祝祭空間とは縁が薄い静かな郊外で暮らし、日帰りバスツアーに参加して神社仏閣めぐりを楽しむこともあるという、そろそろ古稀を迎える老夫婦が、引退したテキヤとして地蔵坂に出かけることはおそらくないだろう。西村さんもそれを承知しているような気がする。私も自宅の住所と電話番号をS夫妻に知らせてきたけれども、連絡はないだろうと思っている。

〈音楽する〉ことの原点へ ――『同人音楽とその周辺――新世紀の振源をめぐる技術・制度・概念』を書いて

井手口彰典

 音楽漬けの学生時代、部活のオーケストラだけでは飽き足らず、夜な夜なDTMで楽曲を自作しては酒のツマミにと学友らに聴かせて悦に入っていた。刺激にもオリジナリティーにも欠ける当時のサウンドを聴き返せば、思わず赤面して逃げ出したくもなる。だがいまや30も半ばのオッサンとなった旧友らに「いや~あれは若書きの習作だったから」などと軽口を叩きながらも、音楽の流れを自ら組み立て、それを誰かに聴いてもらうという「あの」プロセスが、たとえようもなく楽しいものだったことを私は確かに記憶している。
 そんな形容しがたい楽しさに突き動かされつつ、誰に望まれるわけでもない曲を戯れに書きつづっていたある日、中学時代の悪友との再会があった。下宿で酒を酌み交わしながら、私はいつものように自作曲を披露してみせた。一通り聴き終えた後で奴が発した言葉の具体的な文言こそ忘れてしまったが、そのインパクトだけは強く印象に残っている。つまり、「これ即売会で売ってみないか?」。
 あくまで20世紀末の一般的な大学生と比べての話だが、当時から私は、いわゆるオタク系文化にずいぶん馴染んでおり、したがってコミケット(コミックマーケット)や同人文化についても「知識として」ある程度まで知っていた。ただ、そこに実際に参加したことはそれまで一度もなかったし、参加するという可能性を検討したこともなかった。そんな私を、悪友は「とりあえず」とコミケットにいざなったのだ。その際に受けた衝撃を、どう表現すればいいだろう。まだ社会にオタク的なものが今日ほど氾濫しておらず、インターネットも常時接続化されていないナローバンドが主流の時代、初めて東京ビッグサイトに足を踏み入れた私の頭のなかは、「ナンナンダ、コレハ」と完全にフリーズした。
 数日後になんとか冷静さを取り戻したとき、私の脳裏には二つの思いが並立していた。第一に、悪友の甘言に乗って表現者(本書の用語を使えば「サークル参加者」)として作品を発表してみるのは相当に面白いのではないか、という予感。そして第二に、ひょっとすると自分が目にしたこの文化は、そのうち取り組まなければならない修士論文にとって恰好のネタになるのではないか、という打算。かくして私は、同人音楽の世界へと足を踏み入れることになる。
 以来、趣味なのか研究なのか自分でもよくわからないまま、十数年にわたって同人音楽との関係を続けてきた。そうした緩やかで輪郭のぼやけた営みの集大成として、本書がある。いま改めて考えてみれば、それは非常に幸福なことだ。一般的に語られる「学者は自分の好きなことを研究できる」というイメージが必ずしも妥当でないことは、たとえばさまざまな社会問題(DVにせよアルコール依存にせよ)の専門家が決して当の問題を「好き」なわけではないことを考えればすぐに理解できるだろう。しかし幸いにも私は、純粋に自分の興味・関心に沿って考え抜いた結果を、こうして書籍の形で世に問うことができている。人生のめぐりあわせに感謝しなければなるまい(ただし悪友本人にそんなことを言うのは癪なので黙っておくが)。
 とはいえもちろん、自分の好きな対象を研究するというプロセスは、ただ楽しいというばかりではない。そこには慣れ親しんだ領域だからこそ生じるさまざまな問題もある。たとえば我々は、身近なものをほかよりも贔屓目で見てしまいがちだ。あるいはよく知っている文化であるがゆえに、それを(エラそうにも)研究する自分と、勝手に研究「されてしまう」人々との意識のズレをつい忘れてしまいそうになる。自分では「身内を訪ねている」ようなつもりが、当事者には「他人が家に土足で上がり込んできた」と受け止められてしまう可能性は決して低くない。そんな過ちを犯していないだろうか、という省察は、本書を執筆し推敲するなかで繰り返し自問してきた事柄だ。
 ただ、先に述べたようないくつかの危険性を十分に自覚しながらも、しかし同人音楽について何かを語ることは、やはり私にとって非常に魅力的な、心躍る作業だった。同人音楽とはおそらく、〈音楽する〉という意志の、現代における最も純粋な発露のひとつだ。優れているとか劣っているとかではなく、ただ楽しいから、やる。そのようにして生み出されてきた諸々のサウンドに耳を傾けながら、私はかつて自分自身が味わっていた同様の楽しさを追体験しているのかもしれない。
 実はこのエッセイを執筆している現在、拙著の書店への配本はまだ完了していない。一般の読者諸氏から、あるいは同人音楽コミュニティーから、いったいどのような反応をいただくことができるのか。戦々恐々としつつ、しかし「やれるだけのことはやった」と半ば開き直りつつ、座してその結果を待つことにしたい。

第39回 枝並千花が弾くワルターのソナタ、TPPのこと、など

 2012年はブルーノ・ワルターの没後50年だが、それにふさわしい演奏会が4月9日にある(東京オペラシティ・リサイタルホール、19時開演、ピアノ:伊藤翔)。それは枝並千花ヴァイオリン・リサイタルで、ワルターのソナタの本邦初演がおこなわれることだ。このソナタは1909年にウィーン・フィルのコンマス、アルノルト・ロゼーのヴァイオリン、ワルター自身のピアノで初演されたもので、CDは過去にオルフェオ・デュオ(Vai Audio VAIA 1155)とハガイ・シャハム(Talent DOM 291093)があった。
 このソナタは伝統的な3楽章形式で、演奏時間は約30分。ワルターは師マーラーにあこがれ、そのマーラーと同じく指揮と作曲の双方の分野で活躍することを夢見たが、マーラーの死後、ワルターはぷっつりと作曲をやめてしまった。最近、ワルターの『交響曲ニ短調』(レオン・ボトシュタイン指揮、北ドイツ放送交響楽団、CPO 777 163-2)がCD発売されたが、これはちょっと歯ごたえがある内容だった。さすがのマーラーもこれを聴いてウームと思ったらしいが、まあそれは理解できる。
 でも、このワルターのヴァイオリン・ソナタは聴きやすい作品である。枝並はすでにフランクとフォーレのソナタが入ったアルバム『夢のあとに』を発売しているが(MA Recordings MAJ-506)、このアルバムで聴くしなやかな美音から想像すると、ワルターのソナタへの期待もぐんと高まってくる。ちなみに、4月9日のワルター以外の演目はコルンゴルトの『から騒ぎ』から4つの小品、R・シュトラウスのソナタである。
 ヴァイオリンといえば、ある人が12月26日にソウルでチョン・キョンファのリサイタルを聴いてきたということである。ソウルでやるのだったら、少なくとも東京で1回くらいはやってほしいとは思うが、そう簡単にならないのはいつもの彼女のこと。新録音の話も浮上しているとのことだが、目下のところどうなるかは全く不明である。
 話題はみなさんもご存じのTPP、環太平洋経済協定というものに変わる。詳細は知らずとも、なんとなく欧米諸国が自分たちの都合のいいように物事を運びたいために仕組んだワナのような臭いが漂うのだが、「文藝春秋」2012年1月号(文藝春秋)の記事「警告 著作権が主戦場になる!」を読んで、やっぱりと思った。
 この記事を書いたのは弁護士の福井健策だが、福井によるとこのTPPには著作権の保護期間の延長も含まれているという。つまり、現在日本の保護期間は50年だが、TPPに加盟してしまうと70年に延長されるのである。もしもそうなったら、私が現在やっているCD制作は廃業に追い込まれる。公共の利益のために延長されるというのならば仕方がないが、福井も書いているように、この延長は「ミッキーマウス保護法」なのである。ミッキーマウスの保護期間が切れそうになると延長される、それが過去に繰り返されているのだ。一部の企業が自分たちの利益を守りたいがために法律をねじ曲げる。これは、植民地支配的な発想だ。世界の多くの国は北朝鮮を野蛮な国と思っているようだが、この「ミッキーマウス保護法」もそれと同じレベルである。2011年に打ち立てた誓いは、ディズニーランドなどには決して足を踏み入れない、ディズニー関連商品を絶対に買わない、である。
 話題はふたたびコロッと変わる。最近、エードリアン・ボールト指揮、ロンドン・フィルのシューマンの『交響曲全集』を買った(First Hand FH-07、3枚組み)。これは1956年の録音だが、信じがたいほどの鮮明なステレオである。演奏もめちゃめちゃすばらしい。シューマンの全4曲が揃ったCDではポール・パレー指揮、デトロイト響(マーキュリー)が最高だと思ったが、そのパレーは『第4番』だけがモノラルだった。対するボールト盤は4曲すべてステレオである。3枚めはベルリオーズの序曲集だが、こちらも冴えざえと響き渡っている。

Copyright NAOYA HIRABAYASHI
本ウェブサイトの全部あるいは一部を引用するさいは著作権法に基づいて出典(URL)を明記してください。
商業用に無断でコピー・利用・流用することは禁止します。商業用に利用する場合は、著作権者と青弓社の許諾が必要です。

アップデートする――『現代美術キュレーターという仕事』を書いて

難波祐子

 原稿を書く仕事は基本的には締め切りがあるものだが、今回は書籍ということで、ある意味、ゆるやかな締め切りだった。だが、展覧会となると、そうはいかない。展覧会の会期はずいぶん前から決まっていて、必ずその期日までに準備をしてオープンさせなければならない。何かの事情で準備に支障をきたしても、よっぽどでないかぎりオープンの日を変更することはできない。本書でも少しふれたが、現代美術の展覧会をおこなうときはアーティストに新作をお願いすることも多い。それが物故作家の展覧会とは違った同時代の美術を扱う展覧会ならではの醍醐味であったりする。だが、まだ見ぬ作品を想像しながら、展覧会オープンの日という絶対の締め切りを控えた展覧会準備というのは、本当に心臓に悪い。展覧会は、たいてい内覧会というパーティーを一般公開の前日の夜などにおこなうのだが、そういった催しには、お世話になったスポンサーの方々や協力してくださった大使館の大使など、大事なお客様がおおぜいお見えになる。さらに記者会見も内覧会前に開かれることもあり、報道関係者にも展覧会の説明などをしなければならない。直前まで設営のためジーンズ姿で現場をバタバタ駆け回っていても、内覧会前の10分ぐらいで小綺麗な格好をして、何食わぬ顔であいさつをしなければならない。さらになんとか無事にオープンできても、油断はできない。会期中もよりいい展示を目指して掲示や案内表示を増やしたり、作品のメンテナンスをするなど細かい手直しがけっこうある。会期中はトークやレクチャー、ワークショプなどの関連イベントも開催されることが多く、たいていは展覧会が開けても休む暇はない。展覧会は、それを観に来てくださるお客さまがいて初めて命が吹き込まれる。展示してそれで終わりではなく、会期中、改善できるところは改善し、少しでもいいものにして終わらせなければならない。何が起こるかわからない不確定な要素満載の展覧会をおこなう現代美術のキュレーターは、ある意味、本当に博打打ちだと思う。実施に際してトラブルが続くと、正直、何を好き好んでこんな仕事をやっているのだろう、と展覧会をするたびに思うことも少なくない。だが困ったもので、「喉元過ぎれば」で、展覧会が終わってしばらくたつとまたやりたくなってしまうのだ。こうなると、もう病気なのかもしれない。
 本書も、準備にずいぶんと時間がかかってしまったが、多くの方々のご好意とご協力をたまわり、おかげでようやく世に送り出すことができた。だが、展覧会と同じで、出版してしまえばこれで終わり、ということはない。この本を手に取ってくださった方々にとって、本書が現代美術に関わる何かのヒントになったり、刺激になったりすれば本望であるし、お気づきの点やご意見があれば、フィードバックをお寄せいただきたい。また現代美術という「ナマモノ」を扱った本書は、時間の経過とともにアップデートする必要に迫られるだろう。さまざまなフィードバックをもとに、なんらかの形で今後も本書をよりいいものにしていくことができればと願っている。