散逸した史料を丹念に収集して――『帝国日本の交通網――つながらなかった大東亜共栄圏』を書いて

若林 宣

 書いているときは夢中で気づかなかったが、こうしてできあがってみると、総論的なものではないどころか、マイナーな話ばかりをあれこれと詰め込んだ変わった本になったように思う。一体、どうしてこうなったのだろう。
 本書を著すにあたって意識したのは、まず情報の得がたさである。国内の国鉄であれば、技術者の名前から個々の車輌の性能にいたるまで、調べることは比較的困難ではない。その一方で、日本の支配下にあったにもかかわらず、朝鮮や台湾の鉄道に関しては、沿革でさえ知ることは難しい。本書では、そういう難しい分野を特に選んでみたつもりである。たとえば第4章では南洋群島での航路の開設や伸張について記したが、これは、この地域に関しては基本的な情報そのものが得がたい状況を考えてのことである。ゆくゆくは、サイパンなどの築港事業などについても調べたいと考えている。また第1章では満鉄などの「三線連絡運賃問題」を取り上げたが、門戸開放という原則が徹底されていなかったことにつき、国際問題という観点からの研究の進展を望みたいと考えている。
 次に、意識したのは抵抗と弾圧である。
 たとえば第1章では、植民地の鉄道について、単なる「何年にどこからどこまで敷設」式の記述ではなく、どのような土地になぜ、どのようにして鉄道を敷いたのかについて意識するようにした。とりわけ朝鮮半島では、日本による併合前に、日本の手によって線路が敷かれている。はたしてそこに朝鮮側からの抵抗はなかったのだろうか。もしあったとすれば、それに対する日本側から弾圧はなかったのだろうか。こういった植民地での交通機関に関係してくる抵抗と弾圧については、第2章でも台湾の航空事業の記述で強く意識して書いたつもりである。第6章も、とりわけ日中戦争での中国側の抵抗については意識して書いた。
 だが、どれほど強圧的な政策の下におかれようと、人々は生きていかなければならない。戦前、「東洋のマンチェスター」ともいわれた大阪には、朝鮮半島各地から労働者が多数流れ込んだ。そのうち済州島出身者の来阪と帰郷を支えた阪済航路は、内発的に誕生した朝鮮人主導の組合も参入して激しい競争が発生するなど独特の歴史を有している。そのことにいくばくかのページ数を割いたのは、「生きていかなければならない」人たちの足跡を少しでも多くの人に知ってもらいたかったからである。なおこの件に関しては、当時の新聞記事のほか、杉原達『越境する民――近代大阪の朝鮮人史研究』(新幹社、1998年)を大いに参考にした。拙著で関心をもっていただけたら、ぜひとも同書にも当たっていただきたい。そこには、悲喜こもごもな人々の息吹が収められている。
 内モンゴルは、帝国日本のなかでも特異な地位にあった。日中戦争前は関東軍を中心とする工作の手が秘密裏に進められ、中国の中央政府の手が一時的とはいえ及びにくくなった地域である。内地からは遠隔であり、残された資料も乏しい。そのため一般書に頼ることは難しい状況にある。この地域については、知る人ぞ知る欧亜連絡航空と内蒙工作の関係や、察東事件前後の、これまで知られることがなかったチャハルの自動車交通事業について取り上げた。いずれも内モンゴルを舞台としながら、まったくモンゴル人のためではなく、日本人によって日本のためにおこなわれたところに特徴がある。とりわけ際立っているのは自動車事業で、それまでの中国人による事業を排しながら、建前でさえもモンゴル人を立てることがなく、日本人によって独占してしまったのである。
 第6章での南方占領地の鉄道は、すこぶる情報に乏しい分野である。そこで本書では主として橋梁修理に注目し、これまで陸軍の鉄道聯隊を中心とした記述から離れ、その華々しく描かれてきた成果に疑問を呈し、いままでは顧みられることが少なかった軍属部隊に光を当ててみた。鉄道聯隊の復旧があくまで仮復旧にとどまること、および本格復旧の時期がかなり遅いことを明らかにできたのは収穫だと思う。しかし一方では、収奪の問題などにも触れてはみたものの、こちらは思うようにいかなかったことを認めざるをえない。この問題については、いつかあらためて筆を執りたいと思う。
 1940年(昭和15年)7月、第2次近衛文麿内閣が発足した。このとき外務大臣に就任した松岡洋右は記者会見で、日満支を一環とする大東亜共栄圏の確立を外交方針として述べた。これが「大東亜共栄圏」という言葉が使われた最初の例とされるが、しかしそれより後の南進の結果手中に収めた広大な占領地を一貫経営するための交通手段を確立することは、経済力その他の理由から、最後まで実現させることはできなかった。そのディテールについて、本書を通じて少しでもみなさんに伝えることができればと思っている次第である。

 

第3回 アルド・フェラレージ(Aldo Ferraresi、1902-78、イタリア)

平林直哉(音楽評論家。著書に『フルトヴェングラーを追って』〔青弓社〕など多数)

イタリアの怪物

 アルド・フェラレージはイタリア北部のフェッラーラで生まれる。父は軍人だったが、マンドリンをこよなく愛していた。ヴァイオリンを始めたきっかけは明らかにされていないが、母が息子の才能に気づき、5歳のときに地元のフレスコバルディ音楽学校に入学させた。12歳でパルマ音楽院、15歳でローマのサンタ・チェチーリア音楽院で学び、無声映画やカフェで演奏した。ヴァシャ・プシホダとヤン・クーベリックの勧めにより、ベルギーの大家ウジェーヌ・イザイの元で学ぶようになるが、イザイはのちにフェラレージを「最上の生徒」と認めたという。その後、ソリストとしての活躍は華々しく、ヨーロッパはもとより、アメリカにも渡り、注目を浴びた。共演した指揮者はヘルマン・シェルヘン、ハンス・クナッパーツブッシュ、シャルル・ミュンシュ、ジョン・バルビローリ、アルトゥール・ロジンスキ、セルジュ・チェリビダッケなど。戦後は主にイタリアで活躍し、1963年にはアラム・ハチャトゥリアンと共演、65年にはヴァティカンでローマ教皇パウロ6世の前でソロを披露している。アメリカのカーティス音楽院はエフレム・ジンバリストが他界したあと、フェラレージを後任として招こうとしたが、フェラレージは家族と離ればなれになりたくないという理由で、この申し出を断っている。78年6月、サン・レモで死去。
 フェラレージが世界的に知られていないのは、主に戦後、彼の活躍の場がイタリア国内にとどまっていたことによるものだと思われる。SP時代から録音はおこなっているが、戦後でもHMVのLPが1枚程度しか存在せず、公式録音としては協奏曲はひとつもなかった。
 現在、フェラレージのディスクで最も手に入りやすいのはパガニーニの『ヴァイオリン協奏曲第1番』などを収めたものだろう(ISTITUO DISCOGRAFICO ITALIANO IDIS6366)。これは1965年のスタジオ録音と記されているが、音声はモノーラルのようだ。もちろん、この演奏を聴いても、力強いタッチと濃厚なカンタービレは十分に聴き取ることができる。だが、このCDだけでは、彼の力量の全体像は見えにくい。
 その乾きを癒やしてくれたのが、2006年に発売された9枚組み、Aldo Ferraresi Le grandi registrazioni RAI-The great Italian Radio recordings (Giancluca La Villa、番号なし)である。これは現在ではどこを探しても見つからない、中古市場でもトップ・ランクの稀少品だ。だからといって、決してこれ見よがしにしたいわけではなく、とにかく内容的には抜群にすばらしいため、再プレスや再発売の期待を込めながら触れてみたいのである。
 収録年代は1959年から73年までで、場所はすべてイタリア国内。ほとんどすべてモノーラル(なかにはステレオ?と思われるものもある)で、音揺れがあったりノイズが多いものも非常に少なく、全体的には非常に明瞭な音質である。
 まず、チャイコフスキーの『ヴァイオリン協奏曲』(1965年、グラント・デロング指揮)。ソロが出てきて感じるのは、そのテンポの揺れ方や和音の弾き方など、これまで聴いてきたどのヴァイオリン奏者とも違うことだ。それに、常にたたみかけるような勢いも、ヤッシャ・ハイフェッツに匹敵するほどだ。第2楽章の濃密な歌もたいへんに印象的だが、第3楽章の自在さと素早さも破格。
 エルガーの『ヴァイオリン協奏曲』(1966年、ピエトロ・アルジェント指揮)も、こんなに多弁で、鮮やかな色彩な演奏は初めてだった。同じディスクに収録されたモーツァルトの『ヴァイオリン協奏曲第5番』(1960年、カルロ・ゼッキ指揮)はなかでも古典的な演奏だが、たとえば第2楽章の、果汁たっぷりの音色は忘れられない。
 ショスタコーヴィチの『ヴァイオリン協奏曲第1番』(1959年、マリオ・ロッシ指揮)、この作品は1955年の初演だから、これはイタリア初演かもしれない。これもすごい。なにせ、いちばん最初にソロが出てくるときの音がすごすぎる。この、人の心をわしづかみにするような、妖気をはらんだような雰囲気は、ちょっと類例がない。個人的にはあまり好きな作品ではないが、フェラレージの演奏は一気に聴き通させるだけの、強烈なエネルギーがあった。
 ウォルトンの『ヴァイオリン協奏曲』(1961年、フォルシュタート指揮)、これは地味な作風と思われているのだが、フェラレージの演奏は異様なまでに艶めかしく、こんな解釈もあるのだと納得した。ハチャトゥリアンの『ヴァイオリン協奏曲』(1963年)、これは作曲者ハチャトゥリアンの指揮である。これまた、ものすごく生きのいい演奏だ。飛び跳ねるようなリズム、独特の濃い歌い方、自在極まりない表情。ハチャトゥリアン自身がフェラレージをどう思ったかは知りえないが、きっとダヴィッド・オイストラフやレオニード・コーガンらの演奏よりも高く評価したのではないだろうか。
 室内楽ではフォーレの『ヴァイオリン・ソナタ第1番』(1965年、エルネスト・ガルディエリのピアノ)がある。第1楽章はまず、手探りのような遅めのテンポで始まり、ピアニストの個性的な弾き方も面白いと思った。そこに、何とも悩ましく、涙に濡れたようなヴァイオリンが加わる。楚々と弾くピアニスト、そして万感の思いを込めて弾くヴァイオリニスト、これほど奥ゆかしく、かつ微妙に揺れる心のような演奏は初めてだった。
 ベートーヴェンの『ヴァイオリン・ソナタ第9番「クロイツェル」』(1970年、ピアニストはフォーレと同じ)は、なかではすっきりしたほうの演奏だった。これが年代によるものなのか、たまたまそうだったのかは不明だが、でも、もともと音に力がある人だから、ことに第2楽章などは感動的だった。
 9枚目のCDの最後にはSP復刻が4曲入っている。このなかで注目されるのはバッヅィーニの『妖精の踊り』だろう。この輝かしさ、そして史上最速と思われるこのスピード感、これだけでもフェラレージは名奏者のひとりとして記憶されてもおかしくない。この弓さばきのすさまじさは、イザイの薫陶によるものだと思う。
 この9枚組みにはグアリーノ、アレグラ、ジャキーノ、マンニーノなど、イタリアの作曲家の作品も多く含まれている。さらにはトゥリーナ、ヘラーなどの珍しい作品も収録されていることから、フェラレージはたいへんに広いレパートリーをもっていたこともわかる。もちろん、そうしたレパートリーも珍重されるべきものだが、たとえば四大協奏曲ではチャイコフスキーしか残されておらず、そのほかのメンデルスゾーン、ベートーヴェン、ブラームスなども、もしも残っていたら、ぜひとも聴いてみたい。シベリウス、プロコフィエフ、バルトークなども演奏していたのだろうか。バッハの『無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ』とか、ブラームスの『ヴァイオリン・ソナタ』なども、きっと魅惑的だったにちがいない。

 

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私たちの出発点――『クラシック音楽と女性たち』を書いて

玉川裕子

『クラシック音楽と女性たち』を上梓してから、1カ月半あまりが過ぎた。「あとがき」にも書いたことだが、この本が誕生したそもそものきっかけは、執筆者全員が会員である、女性と音楽研究フォーラムが2013年に結成20周年を迎えたことだった。
 同フォーラムでは、これまで会員の研究発表や講師を招いての研究会を中心に、女性作曲家の作品による種々のコンサートを開催してきた。詳細についてはフォーラムのウェブサイト(http://www.ac.auone-net.jp/~women/)を参照していただきたいが、ほかの企画への協力なども含めると、20年の間に開いたコンサートは、レクチャーコンサートなども含めて15回前後にのぼる。それに対して出版活動は、アメリカの音楽学分野でのフェミニズム/ジェンダー研究の第一人者であるスーザン・マクレアリの『フェミニン・エンディング――音楽・ジェンダー・セクシュアリティ』の翻訳(新水社、1997年)1点にとどまる。ほかに、フォーラム創立から15年にわたって代表を務めた小林緑編著による『女性作曲家列伝』(〔平凡社選書〕、平凡社、1999年)があるが、同書には多くのフォーラム会員が執筆しているとはいえ、出版自体はフォーラムとしての事業ではなかった。
 こうしたなか、発足20年を機に、これまで私たちが考えてきたことを改めて世に問うような書籍を出版したいという声が起こった。2012年初秋のことである。もちろん、出版事情が厳しい状況にあることは承知していた。それでも怖いもの知らずのメンバーの声に押されて出版社探しを始めると、なんと引き受けてくださる出版社が見つかったのである。それが青弓社だった。対応してくださった編集の矢野未知生氏は、男性大作曲家のミューズとしての女性をテーマとする書籍はちらほら見かけるにしても、クラシック音楽での女性そのものの活動を正面から取り上げた書籍はこれまでにほとんどないのでぜひ作りましょう、とおっしゃってくださった。それから足かけ4年、本書はついに日の目を見たが、辛抱強く私たちの作業を見守ってくださった矢野さんには、この場を借りて改めてお礼を申し上げたい。
 ところで、女性と音楽研究フォーラムの会員は、なぜ入会したのだろうか。演奏家から教育者、研究者まで、多方面の職業に携わる個々のメンバーの入会の動機はさまざまである。なかでもいちばん多いのは、女性作曲家と彼女たちの作品に引かれたという理由だろう。クラシック音楽というと男性の作曲家しか存在しないようなイメージがあるが、あるきっかけで女性作曲家もあまた存在したことを知って、これまで彼女たちとその作品が知られていなかった理由を考えながら、できるだけ多くの人に、できるだけ多くの女性作曲家とその作品を紹介したいと考えている会員。あるいは、ある特定の女性作曲家の曲と出合って魅了され、その作品を紹介していきたいと考えている会員。また、作曲家や音楽作品とは違うルートで、女性と音楽の関わりに関心を抱いた会員もいる。たとえば、近代日本での自らの体験や、学術テーマとして家庭教育を考えるなかで、音楽が女性の嗜みとされていた事情に関心を抱いた研究者など。
 編著者である私自身についていえば、個人的体験が出発点になっている。1960年代前半のある日、我が家にアップライトピアノがやってきた。「ピアノやる?」と母にきかれた記憶はない。高度経済成長が始まった時期に、典型的な都市中産階級の家庭で育った娘は、ピアノをやるのが当たり前だった。やるからには徹底的にと考える母のもと、優等生の娘は15年後に音楽大学に入学した。しかしこの頃から従順だった娘は考え始める。なぜ、私はピアノをやっているのだろう? しかも、日本という文化圏で筝や三味線ではなく、西洋音楽を。答えを出す前に音大を卒業。私たちを迎えたのはバラ色の未来ではなく、どうやって食べていくかという問題だった。近代社会で女の子がピアノを習うのは自立のためではないらしいということに気づいた私は、そのほかさまざまな偶然の出会いもあって、この問題を胸に抱きながら研究の道に入っていくことになった。
 当時の私を知る友人の一人が、本書の感想をさっそく送ってくれた。そのなかで、私が30年前と同じテーマを相も変わらず扱っていることに半ばあきれながら(たぶん)、状況が大きく変わっていることもあわせて指摘してくれた。ピアノ教師をしている彼女によると、カルチャーセンターでもピアノ教室は閑古鳥が鳴き、わずかな生徒も年配の方が多いとのこと。そのうちの女性は、働いている母親にかわって孫の面倒をみなければならず、練習時間をとるのに苦労しているとも書かれていた。また70代の男性が『乙女の祈り』を弾きたいと、練習してレッスンにもってきたこともあったという。
 状況は変わった。しかし、いったいどういう方向に向かっているのだろう。よりよい方向に向かっているのだろうか。音楽と関わる道はさまざまなのだから、ピアノを習う子どもが少なくなったことを嘆くのはお門違いだろう。昔、私の世代の女の子たち(と少数の男の子たち)が、いやいやながらピアノを弾かされ、(クラシック)音楽嫌いになるケースが続出していたことを思えば、現代の子どもたちがピアノのレッスンを強要されないのは、むしろ歓迎すべきことだろう。年配の方たちも、好きな曲を楽しんで弾く自由がある。巷には音楽があふれ、その気になれば古今東西のさまざまな音楽にアクセスすることができる。なによりも、多くの女性音楽家たちが活躍しているではないか。
 でもはたして、女性たちは、そして男性たちも、過去3世紀に比べて、より自由に音楽と関わっているのだろうか。もし自由だとして、この自由な音楽との関わりは、すべての人に開かれているのだろうか。2015年に世界で起こった出来事を見るにつけ、音楽によって人種や宗教やジェンダーの垣根が揺さぶられて取り払われ、憎悪を乗り越え、誰もがより豊かな生を謳歌する可能性が開ける、と信じるほど私たちは無邪気ではいられない。そうであればこそ、少なくとも音楽との関わりが差別や他者の排除に加担するような結果にならないよう、注意深く考えていく必要はありそうだ。女性と音楽との関わりを切り口に過去の音楽の営みを振り返ることは、その小さな一歩である。私たちは新たな出発点に立っている。

(2015年12月29日執筆)

 

赤い楳図、黒い楳図、白い楳図――『楳図かずお論――マンガ表現と想像力の恐怖』を書いて

高橋明彦

 2015年が終わろうとしている。今年は全般的にろくでもない年だったように思うが、私にとっては楳図かずおデビュー60周年に間に合って、デビュー作『森の兄妹』刊行日の6月25日に合わせて本書を発表できたという意味でだけ、いい年だった。難産だったこの本は、私も一時期は、出てくれるだけでもう十分、誰も読んでくれなくたっていいよとさえ思っていたのだが、そうした悲しい予感に反して、それなりに好評をもって迎えられ、たいへんありがたいことだと感じている。まず、楳図先生からは拙宅宛てにお花を贈っていただいた。また、書評としては、松田有泉(「サンデー毎日」〔毎日新聞出版〕)、トミヤマユキコ(「図書新聞」)、武田徹(「朝日新聞」)、飯倉洋一(「西日本新聞」)、栗原裕一郎(「週刊読書人」)、風間誠史(「北陸古典研究」〔北陸古典研究会〕)の各氏に書いていただくことができて、望外の幸せとはこのことである。ネットで評してくださった方々も含めて、あらためてお礼を申し上げたい。なお、これらの文章は私の個人サイト(「半魚文庫」〔http://www.kanazawa-bidai.ac.jp/~hangyo/〕)からリンクを張ってあって、すべて読めるようにした。拙著がどれほどすばらしい本なのかは、これらの書評を読んでくれると、それはもう非常によくわかるようになっているのだ。
 冗談はおくとしても、そうすると今度は私自身が自著を評する番かな、とも思う。という次第で、いろいろ書きたい気もするが、いまは次の3点を記しておこう。
 1つ目は、楳図理解に関する私のもくろみについてである。もくろみとはもちろん、これまでの楳図観の更新にある。神田昇和さんによる(感謝!)特徴的 Characteristic(キャラの立った)な装丁の配色になぞらえるなら、楳図には、赤・黒・白の3つの様相がある。赤い楳図とは、テレビやイベントで見せる楽しく愉快な姿であり、「グワシ!」の楳図かずおである(なお、グワシは物をつかむときの擬音を旧仮名遣いで表記したもので、楳図氏本人は「ガシ!」と発音している。楳図マメ知識)。ふだんの氏はハイテンションなわけではなく、あれはあくまでサービス精神旺盛ゆえの一様相なのだ。黒い楳図とは、残酷で陰惨な猟奇趣味の楳図かずおである。『赤んぼ少女』のタマミは、差別され怖がられ憎まれ、そして死んでいった。しかしそこに感じられる憐憫には、甘美な陶酔への誘惑がないだろうか。美にこだわり醜さを恐れ、その間に停滞し沈殿し、汚辱にまみれたわが憐れさに自己陶酔するような、倒錯的な世界である。自分は理想を捨てた下劣で汚れたケモノにすぎないのだ(ちょうどいま日本が罹患している悪性感冒の闇・病みのように)。この黒い楳図を一言で表している楳図自身による言葉が「人など好きになったから、おまえ今日からへび少女」である。知は絶望するためにはたらいている。
 白い楳図とは、理知的かつ倫理的で、知的洞察ゆえに絶望を抱きつつも、その果てに希望を見いだそうとする、求道者であり預言者としての楳図かずおである。
 赤・黒・白の3つの様相は、互いに混じり合い中和されることなく、対立しつつ共存している。さて、私の『楳図かずお論』は、この白い楳図を強調したものである。つまり本書の楳図理解には多少の偏りがある。それは、これまで赤い楳図がデフォルトで、それは決して間違いではないが、あまりに浅い表面的な理解であったし、それに対して楳図に黒さを見いだすことこそが楳図理解だったような面があった、と私は感じてきたからだ。本書はそうした傾向に対する抵抗であり、状況に応じた戦略をとるものであり、実際私は本書で『洗礼』も『赤んぼ少女』も『神の左手悪魔の右手』も、黒ではなく、白い物語として読解したのである。
 なお、白い楳図の具体像は、認識論から存在論へと遷移した恐怖として、一般化することができる。認識論的恐怖を一言で表している楳図の言葉が「追っかければギャグ、追っかけられれば恐怖」であり、存在論的なそれを表す言葉が「宇宙ではどんな想像も許される」であるが、これらの詳細については本書でるる述べている。念のため簡単に繰り返すなら、前者は立ち位置によって対象の意味が変化する遠近法主義 perspectivism である。後者は、この世界が存在する必然性はどこにもなかったかもしれないという、偶然的な可能性がもつ恐怖である。ただしこの恐怖は、「可能性が可能性のままでいられるありかた」(九鬼周造)をいうものであり、人間の自由の源泉でもあるのだ。
 2つ目に移ろう。本書において私は自身の文学論(芸術論)を再編成した。楳図論を書きつづってきたこの10年は、私が若い頃から信奉してきた記号学・テクスト理論・脱構築を捨て去るプロセスだった、ともいえる。サバラ!わが青春よ。
 たしかに記号学とテクスト理論が主張したように、超越論的シニフィエ(作品の絶対的意味)は不在であり、意味は未決定である。しかし、いつもどんなときも作品の意味は未決定なのか。私がかくかくしかじかのものとしてこの作品を読むということは、まったくなんらの根拠をもたない空疎で偶然的な暗闇の飛躍でしかないのか。そうではない、と言いたい様々な理論がありうるだろうが、私は本書において、アンリ・ベルクソンの身体論やジル・ドゥルーズのイデア論を利用してこれを述べている。まず、ベルクソンに依拠した、機械論と目的論とをともに超える「ゆるやかな目的論」については、索引を頼りに本書で探してお読みいただければ幸いである。読解は、ああも読めるこうも読めるという単なる知的ゲーム(脱構築)ではなく、それなくしては私が私として生きていけないような、一つの行動性である。それはある種の反知性主義であり(2015年に流行したそれとは違う意味です)、認識(テオリア)に対して行動(プラクティス)を駆動させるものである。
 ドゥルーズについては、本書では個体化の問題(虚構と現実の関係の再編成として)、シーニュの習得論(ベルクソンの知覚との比定において)、モナド解釈(可能世界論批判として)などではふれたが、イデア論については書ききれなかったので、備忘のために記しておこう。元祖たるプラトンのイデア論は本質分有説と呼ぶべきもので、まずイデアの何たるかはあらかじめ決まっている。その本質=正解たるイデアに対して、個々の実在はそれぞれの出来不出来が分有率のごとくに点数化され、序列づけられた存在である。反哲学や脱構築はイデアの完全なる否定を目指したものであろうが、ドゥルーズのイデア論は完全な否定ではなく、問題解決説と呼ぶべき、転倒的なある種の肯定である。イデアとは純然たる問題であって、個々の実在は問いに対する解として、自らを自らが置かれた状況に応じて解として、肯定しうる存在である。出来不出来はさておき、自分はこの状況に応じたあり方で生きているのだ。例えば、美というイデアを体現しているような完璧な美術作品がこの世にすでに存在していたとしても、それでも私にもまだ新たな作品を作る権利があるのは、このドゥルーズ的なイデア論を認めているからである。
 さて、ドゥルーズは、プラトンに加えてイマヌエル・カントも批判しているが、実はカントもまた反プラトン的であって、ドゥルーズに近いらしい。柄谷行人は、カントのイデア(理念)論が構成的理念と統整的理念とに区別されていることを重視している(柄谷行人『世界共和国へ――資本=ネーション=国家を超えて』〔〔岩波新書〕、岩波書店、2006年〕など)。構成的(constitutive)が本質分有的であるのに対して、統整的(regulative)とは、正解は決まっていないが、解を引き出すための目標のようなものだという。言い方を換えればそれは問題解決的である。少し話は飛ぶが、丸山真男に「「である」ことと「する」こと」という有名な論文がある(丸山真男『日本の思想』〔岩波新書〕、岩波書店、1961年)。これもおそらく系譜的にはカントの子孫であり、ドゥルーズや柄谷の兄であろう。デアルは構成的であり、スルが統整的なのだ。丸山には「憲法第9条をめぐる若干の考察」(丸山真男『後衛の位置から――『現代政治の思想と行動』追補』未来社、1982年)という論文があって、今年読んでみて感銘を受けたが、ここでも同じ構えが生かされている。9条は戦争を放棄したデアルの状態を宣言するものでなく、また平和の柵を設置して権力を制限させるものでもなく(それは静的消極的だとしてさほど評価していない)、政策決定を平和へと方向づけスルのだといっている(ただし、丸山は実効的 operative という言葉を使っている)。9条第2項と現実の自衛隊や国家間紛争の存在とは決して矛盾せず、9条が有する動的積極的な実効性は現実の矛盾を超えてなしうる平和運動としてはたらく、というのである。
 いい思想には、モダンもポストモダンもないのだろう。丸山には「現代における態度決定」(『新装版 現代政治の思想と行動』未来社、2006年)というエッセーもある。真理を求める無限プロセスであるところのテオリア(認識)をあきらめ断ち切るときにはじめて行動が可能になるといっているのだが、読解もまた、ああも読めるこうも読めるという知的ゲームではなく、その作品が私の状況にとって、あなたの状況にとって、どんな有効性をもつかということにだけ意味があるのだ。
 3つ目である。本書では『14歳』を具体的に論じることがなかった。いま、私は自分の授業で『14歳』を4年かけて講義している。来年は3年目だが、そう遠くないうちに、私の楳図研究第2弾として『14歳』論を完成させ、出版しようと考えている。分量は手軽な新書程度がいいなあ。タイトルはもう決まっている。「楳図かずおの生命思想――『14歳』を読む」。『14歳』は楳図の現在最後のマンガ作品でSF超大作である。日本の首相や世界の首脳会議を描いて、そしてバイオテクノロジーやメディア戦略、暴力とテロル、貧困と奴隷制、エネルギーと環境問題を描いて、きわめて今日的であり、今年的な作品である。人間的尺度を超えて、そこには生命全体への、愚直なまでの愛がある。それは、恐怖と背中合わせの自由と希望である。
 甘美な絶望をとりあえず拒否して、白い楳図を見習いたいと思う。とはいえ、年内にこの原稿を矢野未知生氏(本書を刊行にまで導いてくれた)に送ることが、いまの私がなしうるせめてもの誠意でしかない。2016年はもっとひどいことが起きるかもしれないが、未来に希望をつかむとき、元気な赤い楳図が再び復活するだろう。グワシ!

(2015年12月25日執筆)

 

第4回 神楽坂モノガタリ、いよいよ開店

久禮亮太(久禮書店〈KUREBOOKS〉店主。あゆみBOOKS小石川店の元・店長)

はじめに

 こんにちは、久禮書店です。
 前回の記事からご無沙汰していたこの4カ月の間にも、多くの出来事がありました。新刊書店カフェのマルベリーフィールドでの朗読食事会、新しいブックカフェの立ち上げ、書店員勉強会の講師、異業種の社内研修講師など、初めて体験することばかりでした。やってみてわかったのは、どの仕事も、これまで取り組んできた書店業務が発展したもの、あるいは本当はやらなければいけなかったのにできていなかった本屋の仕事そのものだったということです。新刊書店の現場にいるみなさんにも、参考にしていただけることがきっとあると思います。

ブックカフェを立ち上げる

 今回はまず、新しいブックカフェの立ち上げについてお話しします。
 このブックカフェは、名前を「本のにほひのしない本屋 神楽坂モノガタリ」といって、今年(2015年)の9月22日にオープンしました。カフェ事業を中心に、新刊書籍や輸入服飾雑貨などの販売とイベントを組み合わせたお店で、40坪の店舗のなかに40席ほどの客席、3,000冊の販売在庫を持っています。
 地下鉄東西線の神楽坂駅の神楽坂口を地上に出ると、すぐ正面に見えるビルの2階にお店があります。早稲田通りに面した側には、総ガラス張りのサンルームのテーブル席と屋外テラス席があります。店の奥は書棚で仕切られた静かなカフェスペースになっていて、ソファやバーカウンター、暖炉も備えています。

外観

 カフェのメニューには、ハンド・ドリップのコーヒー、季節のケーキ、生ビール、ウイスキーやワインなどもあります。暖かい日にはテラスでパラソルの下、寒い日には暖炉の前で、本を読みながらお酒も飲めるというすばらしい環境です。もちろん、フラッと立ち寄って棚を見る、1冊買うだけという、本屋として気軽な日常使いもしていただきたいと思います。
 このお店は、製本業を核として出版やウェブシステム制作など関連事業を持つフォーネット社の一部門として運営されています。製本事業を通して出版に関わってきた同社の会長は、「読者と著者、業界に恩返しをしたい、読者のみなさんが本と出合うために、ゆったりとした空間を演出したい」と、以前からブックカフェ事業を考えていたそうです。
 私は久禮書店として、選書だけではなく書籍販売実務全般をフォーネット社から受託しています。つまり、初期在庫の棚作りだけで終わりではなく、日々カバーを折り、注文書籍の段ボールを開け、伝票の計算をし、返品を出して、レジ締めや日報作成をするといった書店業務を、あゆみBOOKS時代と同じようにやっているのです。いわば「ひとり書店」を、カフェの支援のもと店内に間借りして運営しているような形です。
 しかし、ひとつの空間に同居している以上、書店とカフェは密接に関係しています。状況によっては、私もカフェのホール係としてドリンクを出したり、キッチンのコーヒー・ミルを掃除したりということもあります。また運営チームの一員として、カフェのメニュー決めに意見することもあれば、ビールの利益率について一緒に検討することもあります。
 書籍を売るためにカフェの集客力を上げる、カフェの魅力を高めるために書棚を充実させるというように、お店全体のつながりのなかで考える場面がこの2カ月で増えてきました。これまで経験してきた本屋の経験や考え方を、新しい業態に合わせて応用していくことになるとは思っていませんでしたが、これはこれで面白いと感じています。

課題の整理からスタート

 この仕事の依頼をいただいたのは、6月初旬でした。お店のプロジェクト自体は昨年から始まっていて、店舗物件の賃貸契約もできていました。内装の設計図もいくつかの案ができていて、カフェのスタッフは都内の有名喫茶店でコーヒー修行に出ていました。しかし、書棚の担当者だけはまだ決まっておらず、書店経験がある人材を探していたのです。そんな事情を知っていたある出版社の営業担当者にご紹介いただいたことが、きっかけでした。
 神楽坂モノガタリの立ち上げプロジェクトには、製本会社会長ご夫妻を中心に、建築家やインテリア・デザイナー、施工業者、製本会社役員・社員の方々が結集していて、私は途中からその一員になりました。当初の計画では7月末の開店を目指していたため、6月の残りの3週間ほどで3,000冊の選書をとにかく仕上げることが、私の第一の仕事でした。すぐにリストアップの作業に取りかかりましたが、同時にやらなければいけない仕事が次々に出てきました。
 お店の運営チームに参加しているフォーネット社のメンバーは、多様なバックグラウンドを持っています。同社のグループ会社である児童書出版社の社長を兼任している方、前職ではマンガ雑誌の編集長だった方、親の代から製本業という方など、本に関わる様々な経験を持った人々です。ただ、書店の現場を経験しているのは私だけでした。
 そのため、選書作業よりも重要な売るための環境づくりが、まだできていなかったのです。オーダーする書棚のデザインや寸法、細部の仕様を決めることに始まり、レジスターの操作方法や売上金の取り扱い方の指導、取次の担当者との打ち合わせや出版社への出品のお願い、仕入れ・販売・返品による在庫管理の枠組みづくりまで、書店のインフラを整えることが先決でした。

まず書棚を決める

 まず取りかかったのは、書棚の仕様決めです。棚の位置や寸法の大枠は決まっていましたが、その中身はまだ白紙でした。一緒にデザインするのは、飲食店や病院などの店舗デザイナーと、企業オフィスや個人宅を多く手がけるインテリア・デザイナーの方々です。初めのうちは書店什器に必要な仕様を私から要求していたのですが、それは取り下げてみることにしました。
 せっかくの機会なので、アパレルショップやホテルのようなしつらえに本を置いたらどうなるのかと思ったからです。また、書店での実用性を忖度せずに、デザイナーの視点から見た本が映える置き方を採用してみたいと思ったからです。ただ壁面棚だけは私の好みを主張して、ロンドンのドーント・ブックスやニューヨークのリッツォーリのような重厚な木製棚をオーダーしました。

オーダー書棚組み立て中

 木製の棚にこだわったのは、このお店を落ち着いた書斎のような空間にしたいと思ったからです。お酒や暖炉といったアイテムや、神楽坂の土地柄から連想したのは、大人のための書斎といったイメージでした。お店の半分がガラス張りで開放的なぶん、奥の壁面は違う雰囲気にしてみたいと考えました。また、誰かの書斎という舞台設定なら、様々なジャンルをまぜこぜにしても、なんらかのまとまりを感じる演出にできるのではないかと考えたのです。

次に書籍を仕入れる

 この棚に詰める書籍のほとんどは、トーハンから仕入れています。とてもありがたいことに、私が参加する前に取り引き口座の開設はできていたのです。ただ、実際の日常業務をどうするかは未定でした。そこで、次にトーハンの担当の方と打ち合わせをしました。
 雑誌、書籍とも新刊配本はせず、注文品だけのやりとりにする。仕入れ条件は一般的な書店と同じ掛け率で、返品もできる。注文品だけでも毎日配送してもらう。ウェブ発注システムを導入する。このように、書店として不自由なく棚作りができる条件が揃いました。
 一般的に、書店が大手取次に口座を開くためには、予想される月間売り上げの2、3倍の金額を信認金(保証金)として納入するか、店舗が自社所有物件ならそれを担保に入れるなど、高額な初期費用が必要です。このお店も、店全体の月間売り上げ数カ月分を納めています。書店を独立開業するのは、やはり相当に高いハードルがあるといわざるをえません。
 ただ、まったく不可能ではないとわかりましたし、自分自身が開業することをより具体的に想像できるようになったと感じています。また、大手取次の現場の方々と、チェーン店の画一的な業務連絡ではないことを話し合える機会を得たことは、よかったと思います。一口に取次といっても、実は一枚岩のものではなく、内部では様々な考えを持って動いている人がいる、なかには独立志向の新業態の人々とごく近い考えを持った人がいると知りました。

初荷が到着したときの様子

ここで書籍流通の可能性を(少し)考えてみる

 トーハンはこれまでにも、下北沢のB&Bをはじめ、池袋や表参道、福岡に出店している天狼院書店など、いくつかの小規模新業態の書店と取り引きがあり、新しい書店の試みを積極的に支援してくれているように思います。また、現在のところ直接の取り引きはありませんが、日販にも同じように新しい書店の業態を支援、あるいは独自に企画する部署があり、私もそこの人々とお話しすることがあります。
「ひとり出版社」や書店の独立開業、複合業態での書籍販売というような話題で業界のみなさんと語り合う機会は、ここ最近増えました。しかし、そのような場で取次のなかの人の声を聞く機会は、なかなかありませんでした。たしかに、書店も出版社も、大手取次と新規に直接取り引きを始めるには高いハードルがあります。取り引き関係があっても、官僚的な制度やデータ主義にうんざりすることも、書店の現場ではたびたびありました。そのため、取次流通を迂回して書店と出版社の小規模な直取り引き関係を模索する議論が中心になりがちなこともうなずけます。私自身も、チェーン書店を退社した直後は、「独立開業するなら直仕入れかな」と、漠然と思っていました。
 もちろん、志があり独立心旺盛なプレイヤー同士で意志が通ったタッグを組むような関係は必要だと思います。また、商売の原点に立ち返るような、シンプルで利益率が高い仕入れスキームを中抜きで組み上げることも必要だと思います。
 ただ本屋には、品揃えの多様さと流動性を実現するための問屋機能が不可欠です。たとえ小さなお店でも品揃えの網を十分に広げて、できるだけ多くのお客様のあいまいな期待や潜在的な願望を受け止めて形にしてみせること。小さな出版社のささやかな試みにも目を配って、彼らが本を世に問う機会を差し出すこと。そういった、新刊書店というメディアの面白さを最大限に引き出すには、相応の規模を持った問屋機能と商品の最終出口が確保されている必要があると思います。
 物流と決済をある程度まとめなければ、少人数で運営する書店は荷物の受け渡しや支払い手続きだけでパンクしてしまいます。また、情報を集約して、まとめて流してくれる役割も大切です。つまり、シンプルに本と情報を卸してくれる問屋さんです。
 金融機能と書籍流通機能が複雑に絡み合った現在の取次は、これまでのチェーン書店の拡大や大出版社の成長には不可欠なものだったかもしれません。しかし、その金融機能のために大きな信用保証が必要とされ、小規模書店の参入が難しくなっています。既存の取次から問屋機能を切り出して、より利用しやすく開かれたものにしていくべきだと思います。
 また、いくつかの取り引き条件のオプションを選択できることも必要だと思います。委託条件で仕入れたなら返品許容枠、買い切りで仕入れたなら価格決定権など、売れ残るものを最終的に排出する方法が確保されていなければ、お店は回っていきません。
 取次の契約条件や再販価格維持契約の見直しなど、このような大きなテーマを扱うには、私の見識も足りませんし、多くの人を巻き込む議論が必要です。こういった問題を考えるにあたって、取次の人々とも語り合えるつながりを持てたことは、このお店に関わることで得られた大きな収穫のひとつです。

「本」先行型の選書とは?

 この新規店のために3,000冊をリストアップする仕事は、作業量としてはなかなかの大仕事で、結果的には1カ月半かかりましたが、作業の工程としては道に迷わずに進むことができました。マルベリーフィールドで500冊を選書したとき、それ以前のあゆみBOOKSの平台を作っていたときと基本的な考え方は同じでした。
 選書の段取りで大切にしようと思っていたことは、本をバラバラに考えることです。いわゆる文脈棚に組み上げることを避けて、売りたい本を思いつくかぎりどんどん挙げていきました。セレクトの切り口やテーマが先に決まっていると、その文脈を成立させるためには有効だけど単品として買わせる力が弱いと感じる本を、ついつい増やしてしまうと思ったのです。
 買わせる力がある本には、そもそもその1冊1冊に多面的な魅力が備わっていて、見る人によってグッとくるツボのありかは違うと、いつも感じています。そのため、特定の文脈に沿うよう1本の鎖のように本をつなげていくと、それぞれ個性的で売れるはずの本がかえって目立たなくなってしまうことがあります。
 そのため、少ない在庫でも充実した品揃えを演出するには、1冊1冊のキャラクターが立っていて、ジャンルの振れ幅が大きく、その間のつながりはお客様の想像に任せることがいいのではないかと考えています。
 正直に言うと、気が利いた文脈のアイデアもなく、セレクトショップの棚作りに合ったスマートな方法を知らなかっただけという面もあります。本来なら、文脈棚の小見出しにあたる言葉やテーマを先に設定して、大まかに冊数の配分や収納する棚の番地を割り当ててから始めるというのが、セレクト書棚作りの定石だと思います。
 実際、有楽町のMUJI BOOKSや、マルノウチ・リーディングスタイルなどは、そのように準備されたと聞きます。リーディングスタイル各店舗のディレクションをほぼ1人で担っているという北田博充さんは、そのような手法を使って、とても新鮮な切り口で定番書を面白く再定義して売り伸ばす棚や、特別な本好きでなくても気軽に買える棚を次々に作っています。
 いつだったか、彼と語り合ったときには、私があまりに不器用にドカドカと本を列挙していくやり方が彼のそれとはまったく正反対なことを、2人で笑い合ったこともありました。
 つまり、選書の手法自体に優劣があるのではなく、選書をどんな方法で始めるのかは、そのあとに店舗全体を運営する方法の一部として、おのずと規定されるものなのだと思います。

久禮書店流の選書術

 私のやり方は、こうです。まず、漠然とお店の雰囲気やそこに来てくれそうな人のイメージを作っておきます。次に、とにかくいいと思う本をどんどん書き留めていきます。どんなお店でも売れるド定番、実は何度も重版しているロングセラーだけどよそで見かけないもの、神楽坂なら売れるんじゃないか、私の好みにすぎないけどお薦めしたい、などなど。
 このような本たちを、リストではなくスリップに書き起こしていきました。白紙のスリップに1冊ずつタイトルや著者などを記入しては、束にして溜めていくということをひたすら続けていきます。スリップが数百枚の束になってくると、持ち歩いて外出先で作業することが難しくなってきたため、ちょっと工夫する必要が出てきました。
 そこで、白紙スリップのテンプレートをPDF形式でipadに入れておいて、その画面にタブレット用ペンでどんどん書いていくことにしました。この方法なら、たとえ紙のスリップを捨ててしまってもバックアップも取れています。ある程度書き溜めたところで印字しては1本の短冊に切り離していきます。

タブレットで手書きスリップ

 こうして溜まってきた束をシャッフルして、見返していきました。ちょうど、前日の売り上げスリップの束をチェックするような要領で、気づいたことや連想されるキーワード、その本につながる別の本のことなどをスリップの余白にメモしていきます。そうしながら、スリップを大まかに仕分けしていきます。おおよそ一般的なジャンル分類やテーマに沿いながら分けているのですが、まだ適当に集めているくらいにしておきます。もっと面白い組み合わせを思いついたら、トランプのカードを繰るようにスリップをまとめ直して、輪ゴムで留めておきます。面陳にしたい本、候補に挙げたけれどやはり売れないと思うものなども、こうした作業のなかでピックアップしていきます。
 この手書きスリップを1,500枚ほど作り、自宅の作業机の上いっぱいに広げていたところ、妻や同業の友人たちからは、「頭おかしいんじゃないの」とか「ちょっと偏執的で気持ち悪い」といったありがたい言葉をもらいました。大変な手間のかかる作業と思われたのかもしれません。しかし、私にとっては慣れ親しんだ手法であり、エクセルのリストを何百行も目で追ったり行を切り張りしたりするよりは、自然なやり方なのです。何より、リストアップの流れ作業のなかに、1冊1冊を売れるようにどう扱うかと立ち止まって考える時間を挟み込んでいくためには、手間がかかるほうがいいのです。

机いっぱいのスリップ

 スリップの束を持って、工事中の店舗に行くこともありました。未完成の棚とスリップを交互に眺めながら、どの場所に何が並ぶと売れそうだろうか、この棚に面陳を多用しても目立たないから背挿しで売る並びで使おうなど、選書の合間に確認するためです。私は、どうしてもスリップや棚といった物の形や作業の型に助けられながらでないと発想できないようです。
 この1,500冊で棚の並びに基本の骨組みができたあとは、エクセルのリストに入力し直しながら肉付けをしていき、発注リストを完成させました。正確に言うと、気になる本を見つけるたびにリストを編集してしまっていては終わりがなくなるため、発注期限ギリギリでトーハンに投げたという感じです。

在庫と売り上げのバランス――オープンしてふと思うこと

 内装工事が完了する予定日から逆算して決めた発注期限だったのですが、リストを手放したあとにも様々な事情で工事は長期化していきました。そのため、この期間に出た新刊が、開店時の品揃えにはまったく入らないということになってしまいました。新刊書店の感覚からすると、それはとても困ったことだと思っていたのですが、お店を2カ月やってみたいまでは、さほどのことではなかったと感じています。

できあがった書棚
無事オープン! 初日の様

 現在でも、トーハンから新刊配本は受けていません。新刊の刊行リストや他店の店頭をチェックして、こちらから注文しています。神楽坂にも置きたいと思う新刊はやはりたくさんありますが、棚の容量や売れ方に合わせて、いまのところはかなり絞り込んで注文しています。開店前に選書した棚全体を見ても、ここ1年ほどの新しい既刊もあまり多くはありません。かといって、古い本や珍しい本をマニアックに揃えているのでもありません。
 このお店は、私なりにオーソドックスな新刊書店を目指しています。もちろんブックカフェなので、パッと見た陳列の印象は、一般の新刊書店とは全然違います。ですが、棚の使い方や回し方も、選書にスリップを使ったのと同様に、実はあゆみBOOKS小石川店のころとほぼ同じ考え方です。新刊でも既刊でも、普通に「ちょっといいね」と思える本を、あまり凝らずに並べていきたいと思っています。面白いと感じる新刊書店はどこも、その店らしい隠れたロングセラーをいくつも置いています。数字の面から見ても、高いレベルで売り上げが安定するのは、新刊に出物があったりなかったりという事情に関係なく、既刊が多く売れているときです。
 あゆみBOOKS小石川店で、書籍単行本の月間売り上げを何が構成しているのか、その内訳を毎月調べていました。売り上げ冊数のランキングを、月1冊売れ、月2―4冊売れ、月5―7冊売れ、月8―10冊売れ、11―15、16―20など、いくつかの帯域に分けてみるのです。売り上げ前年同月比の推移を追いながら、前年比が上がったとき、下がったとき、それぞれの帯域がどのように変動したのかを調べます。
 その結果を大まかに言うと、前年比が上がっているときはたいてい、3―4冊売れ程度の棚前平積み、それも既刊が目立って多く売れることで、全体の売り上げに貢献していました。新刊台一等地に山積みの売れ行き最上位の帯域の前年比が下がっていても、中位グループが売れているおかげで全体の前年比はプラスになることもありました。
 一方で、1冊売れの帯域はいつも大して変動しません。これは主に棚挿しで売れたか、平積みだけど1冊しか売れずに見切ったものたちです。点数としてはいちばん多いこの部分が変動していないということは、入店客数の分母はあまり変わっていないということだと思います。
 つまり、新刊や話題書によるアップダウンにめげずに、地味な棚前平積みをいかに面白くして、お客様1人ひとりのまとめ買いを増やすか、新刊に頼らず既刊の面白さを引き出してみせるかという地道な作業こそが全体の売り上げに影響するということを、あらためて確認したのです。
 棚前平台を隅々まで売れている状態に保つためには、やはり取っ替え引っ替えするため、返品も生じます。自分なりに根拠がある返品なら、積極的にするべきです。この連載の1回目にお話ししたことにつながりますが、漠然と返品を恐れて、売れないものを積みっぱなしにすることは、売り上げを落とす大きな要因になります。
 このような手法を使えるという点で、神楽坂モノガタリが取次口座を持っていることは、大きな助けになります。ただ、このように品揃えを新鮮に保つことは、多くの入店客があることと対になってはじめて意味があることです。そのために、私が神楽坂モノガタリでいま取り組んでいることは、飲食店として利便性を高めることや、イベントを企画して初めてのご来店の機会を増やすことなのです。
 私が考えるこのような変動していく品揃えの書店とは反対に、お店の在庫をすべて買い切りで揃える書店の試みもあります。双子のライオン堂というお店です。白山の小さな倉庫で開業され、現在は赤坂に移転・増床して営業しています。このお店では、おもに神田村小取次から新本を買い切りで仕入れています。
 店主の竹田信弥さんは、100年読み継がれる本を揃えて売ることをお店のミッションとしていると言います。作家や批評家、同業の個人書店主など、専門家に選書を依頼して、1人の選書では到達できない棚の面白さを目指しています。また、ただ品揃えをするだけではなく、頻繁に読書会を開催しています。長く読み継がれるべき本を、実際に読んでもらう機会やどう読むといいのかと伝える機会も含めて提案しています。
 このような取り組みを知ると、新刊書店として書籍をどんどん流していく仕事を大いに反省させられます。書店の品揃えのなかで、何をストックして何をフローさせるのか仕分けすること。ストックすべきものを、売れるまでお客様に提案すること。こういった仕事を、いま残っている新刊書店の1軒でも多くで見直すことができれば、また、そのような取り組みをしていることを、書店に来ない人に伝えられれば、状況は変わるのではないかと思わずに入られません。

出張書店という経験

 書店に来ない人に本と本屋について知ってもらうという試みを、神楽坂モノガタリの仕事とは別に機会をいただいて、実際にやってみることができました。
 それは、ある企業での社員向け研修会の講師というお仕事でした。
 田町にオフィスがある外資系の医療機器メーカー、アボット・バスキュラー・ジャパンでは連続企画として、様々な業種の現場で働く人々の話を聞くという研修会を実施されていたそうです。そのひとつに、書店代表としてお招きいただきました。
 研修会の準備のために先方の担当者とお話しするなかで、書店員の仕事の話をどう医療機器メーカーの方々に役立ててもらえるかと考えました。そこで思いついたのは、本屋の仕事から本質的なことを抜き出して汎用性のあるものとして言葉にすることと、ご要望に合わせてカスタマイズした出張書店をやることでした。そうお話ししたところ、大いに興味を持ってくださり、20冊ほどの選書を任せてもらいました。
 研修会はランチタイムの1時間で、食事をしながらお話しできるカジュアルな雰囲気のなか、おこなわれました。まずお話ししたのは、出版・書店業界の基礎知識的なことや書店の日常業務などです。そういった具体的な事柄から入り、本屋という仕事自体がコミュニケーションを本質とするものだということをお伝えしました。
 著者や編集者の思いや社会的な関心事、お店に集う多くのお客様やそのご興味など、多くの要素を本とその並べ方にどう結び付けて見せるか、またその結果引き出されたお客様のご要望をどう汲み取るのかと、お話ししました。
 次に、書店員流の本の選び方をお話ししました。大量の新刊から光るものを見つける視点、見かけに惑わされずに中身を大づかみにする目次の読み方、ロングセラーを見つける奥付チェックなど、本屋をうまく使う助けになりそうな事柄です。
 そして、書店員はそうやって選んだ本で棚や平台をどう構成するかという実例も兼ねて、選書して持参した本の1冊1冊を並べながら、お薦めの口上を披露していきました。
 今回いただいたお題は、「コミュニケーションを考える」でした。小説や実用書、人文書まで、できるだけ幅広く網羅して、意外性を感じてもらおうと考えました。ビジネスの専門領域では、参加者のほうが圧倒的に詳しいと考え、あまり選びませんでした。
 持ち込んだ書籍には統一したデザインの帯を巻き、そこに売り文句を書いておきました。これらの書籍がオフィスのミニ・ライブラリーとして、社員のみなさんにあとで閲覧されるときにも、手に取るきっかけになればと考えました。また、今回持ち込んだもの以外にもたくさんの書籍をリストアップしてあったため、その一覧とお薦めコメントを全員に配りました。こういった作業は、店頭でおこなうテーマ・フェアと同じ要領です。
 幸いにも、持ち込んだ書籍はみなさんに面白がっていただき、会社としてすべてご購入くださいました。また、社内で回覧していただいたうえで個人用にもご購入くださるきっかけになればと期待しています。

おわりに

 この試みは、書店の日常業務をただ外部に持ち出したものなので、特殊な商売ではありません。きっかけをつかめば、多くの新刊書店でも、ある種の外商として展開していけるものだと思います。
 神楽坂モノガタリでも、この外商を持ち込んで、大きくしていきたいと考えています。この店のように棚が小さく、カフェの性格によって品揃えの傾向を制限せざるをえない場合でも、お店を仕入れ拠点やお客様との窓口として活用して、幅広くお薦めして買っていただく機会になりえます。
 このように、現在は神楽坂モノガタリの書棚運営を中心にしながらも、カフェとしての基礎を固めて利用客を増やすことや、お店の外にいる近隣の方々のお役に立てる販売企画などに取り組んでいるところです。
 次回は、マルベリーフィールドで開催した朗読食事会のことや、新刊書店の現場の方々との勉強会の様子についてお話ししたいと思います。神楽坂の続報もお伝えします。それでは、また。

 

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第2回 ジョン・ダン(John Dunn、1866-1940、イギリス)

平林直哉(音楽評論家。著書に『フルトヴェングラーを追って』〔青弓社〕など多数)

いまだ全貌が明らかでない

 イギリスのハル(Hull)生まれ。ハル劇場管弦楽団のコンサートマスターである兄弟(たぶん兄だろう)からヴァイオリンを習う。ライプツィヒ音楽院でヘンリー・シェラディックに師事、1875年に地元ハルでデビュー。82年にはプロムナード・コンサートに出演、1902年にはロンドンでチャイコフスキーの『ヴァイオリン協奏曲』を弾いた。また、エルガーの『ヴァイオリン協奏曲』を最初に弾いたイギリスのヴァイオリニストとされる。
 このヴァイオリニストは、わずか1曲だが、私に強烈な印象を残してくれた。それは、SP盤のコレクター、研究家で有名だった故クリストファ・N・野澤先生宅でのことだった。野澤先生がかけてくださったのはバッツィーニの『妖精の踊り』である。音質から察すると、明らかにラッパ吹き込みである。だが、とにかくその演奏の奇怪なこと! 恐ろしくゆったりと始まるのにまず驚いたが、中間部ではテンポががくんと落ち、聴いたこともないような不思議な世界が展開されたのだ。ジョン・ダンの名前をそのままもじって、「冗談だろ!」と言いたいくらいだ。そもそも、この『妖精の踊り』とは速く弾いてなんぼのような曲である。それを、その反対をいき、さらに自在にテンポを変化させているのだ。聴かせてもらった盤はEdison Bell 536だと思うが、以後、自分も手に入れたいと思って探したが、いまだに見つからない。
 現在、CDで聴けるダンの演奏は、Symposium 1071に入っているサラサーテの『サパテアード』(録音:1909年)だけだろう。これはスペイン情緒たっぷりの演奏で、これだけでも彼が個性的なヴァイオリニストだというのは理解できるが、バッツィーニほど衝撃的ではない。ダンはほかにバッハの『G線上のアリア』やショパンの『夜想曲』なども録音しているが、ある程度まとまって聴ける日がくるだろうか?

 

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第1回 アーサー・カテラル(Arthur Catterall、1884-1943、イギリス)

平林直哉(音楽評論家。著書に『フルトヴェングラーを追って』〔青弓社〕など多数)

イギリスの傑物

 ランカシャー州プレストン生まれ。6歳でソリスト・デビューし、9歳でメンデルスゾーンの協奏曲を弾く。ロイヤル・マンチェスター・オブ・ミュージックではヴィリー・ヘス、アドルフ・ブロツキー(チャイコフスキーの『ヴァイオリン協奏曲』を初演した)にそれぞれ師事。1902年にはワーグナーと交遊があったハンス・リヒターの招きでバイロイト祝祭管弦楽団に参加、コジマ・ワーグナー邸でも演奏している。13年からハレ管弦楽団のコンサートマスターに就任(1925年、首席指揮者ハミルトン・ハーティとの見解の相違で辞任)、BBC交響楽団の同じくコンサートマスターにも招かれ、ヘンリー・ウッドが主宰するプロムナード・コンサートにも参加している。室内楽方面ではカテラル弦楽四重奏団も結成、チェロのウィリアム・H・スクワイアやピアノのウィリアム・マードックらと三重奏もしばしばおこなっていた。
 私がアーサー・カテラルを初めて知ったのは、ブラームスの『ヴァイオリン・ソナタ第3番』(イギリス・コロンビアのSP。録音:1923年、L1535/76)だった。第1楽章冒頭の、ささっと流れるような心地よさと、ポルタメントを多用した上品な甘美さにより、たちまち虜になってしまった。しかし、カテラルの復刻はまったくないし、SPでは特にソナタなどの作品が入手難だった。そこに届いた朗報は、2014年に飛鳥新社から発売された『名ヴァイオリニストと弦楽四重奏団』(新忠篤/大原哲夫編集「モーツァルト・伝説の録音」第1巻、CD12枚+書籍1巻)のなかに、カテラルが弾いたモーツァルトの『ヴァイオリン協奏曲第5番「トルコ風」』(録音:1924年)が含まれていたことだ。指揮はハミルトン・ハーティ(オーケストラは覆面団体)で、カテラルとハーティが決裂直前の録音である。第1楽章はテンポの変化がすごく多いし、表情のつけ方、音の切り方・伸ばし方も全く彼独特である。ポルタメントも非常に多いが、たとえばブロニスラフ・フーベルマンのようなえぐるようなものとは全く違うし、ジャック・ティボーのような、良く言えば媚びを売ったものとも違うし、カテラルのそれはもっと自然で貴族的な香りさえある。
 第2楽章の甘美な雰囲気も、格別である。こんな演奏はほかにあっただろうか。第3楽章はちょっと不思議。伴奏はゆったりと遅いのだが、カテラルの独奏になると、一気にスピードを上げてくる。その爽快感たるや、見事というほかない。
 ベートーヴェンの『ヴァイオリン・ソナタ第5番「春」』(ピアノはマードック。録音:1923年、L1231/32)も逸品である。カテラルの弾き方は、ウィンタースポーツのカーリングの石のように、ポンと押すとすうっと流れるような滑らかさがある。そこに、ほのかな甘さがそこはかとなく漂う。モーツァルトの『ヴァイオリン・ソナタK.526』(録音:1923年)も流麗で優美な演奏で、ピアノ伴奏はハーティが担当している。フランクの『ヴァイオリン・ソナタ』(ピアノはマードック。録音:1924年、L1535/37)はラッパ吹き込み(アクースティック録音)ゆえに重要な役割を果たすピアノが平たく響き、全体の立体感が不足するものの、異例のしなやかさをもつ希有の演奏として記憶されるべきものだ。
 室内楽の録音にも個性的なものが多い。たとえば、カテラル弦楽四重奏団によるブラームスの『弦楽四重奏曲第1番』(録音:1923年、HMV D791/4)は、濡れた抒情を描き尽くした傑作である。また、スクワイアのチェロとマードックのピアノによるチャイコフスキー『ピアノ三重奏曲「偉大な芸術家の思い出に」』(録音:1926年、L1942/47)は、カテラルの数少ない電気録音という点でも注目に値する。チェロのスクワイアも古いスタイルで切々と歌っていて、カテラルの憂愁なヴァイオリンと相まって、かつて耳にしたことのない情緒纏綿たる美演奏が展開されている。
 カテラルは小品もそれなりに録音していて、これらもまとまって聴ける復刻盤が待ち望まれる。また、カテラルは戦前に亡くなったためか、カテラルの奏法を受け継ぐ後継者が完全に途絶えてしまったことも、非常に残念に思う。
 以上、モーツァルトの『トルコ風』以外のすべての曲目はウェブサイト「Historic Recordings」(http://www.historic-recordings.co.uk/EZ/hr/hr/index.php)からCDR、もしくはダウンロードで聴くことができる。CDRはオリジナルのSP盤の番号がなかったり(ただし、録音データは正確)、曲間があまりにも短いなどの不備があるが、音質や編集は水準以上である。
 蛇足だが、たまたまカテラルとハーティとの確執について目についたので記しておこう。それはマイケル・ケネディのThe Halle, 1858-1983:A History of the Orchestra(Manchester University Press, 1983)にあった。それによると、カテラルはある日、ハーティのベートーヴェンの解釈について口を挟んだところ、ハーティはカテラル弦楽四重奏団の演奏会をじゃまする企画を立てたり、カテラルの独奏の際に非協力的な伴奏をしたりしたという。そのため、両者は始終言い争いをし、結果、ケンカ別れしたらしい。
 カテラルの録音の大半はラッパ吹き込みだが、活躍していた期間を考えると、電気録音がもっと残っていてもおかしくない。これは、もしかするとハーティとの決別が影響しているのかもしれない。ラッパ吹き込みは演奏家の力量をはかるのには非常に不利だが、カテラルはそれをはるかに超えるだけの技量の持ち主だったと確信する。

 

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軍隊らしからぬ軍隊の魅力――『軍隊とスポーツの近代』を書いて

高嶋 航

 本書のもとになった論文は「菊と星と五輪――1920年代における日本陸海軍のスポーツ熱」(「京都大学文学部研究紀要」第52号、京都大学大学院文学研究科、2013年)と「戦時下の日本陸海軍とスポーツ」(「京都大学文学部研究紀要」第53号、京都大学大学院文学研究科、2014年)である。いずれも京都大学の学術情報レポジトリ「KURENAI」(http://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/)でダウンロードすることができる。両論文のアクセス数を見ると、「菊と星と五輪」が887件、「戦時下の日本陸海軍とスポーツ」が1,253件(2015年8月24日現在)で、1年遅れて発表されたにもかかわらず「戦時下の日本陸海軍とスポーツ」のほうが多い(これだけの人が本書を購入してくれれば、増刷間違いなしだが……)。これは著者にとってはやや意外な結果だった。というのも、著者には「菊と星と五輪」で扱った大正時代の軍隊のほうが興味深かったからである。これまで日本の軍隊にほとんど関心をもたなかった著者のような人間にとって、日本の軍隊といえば戦時中のそれをイメージするが、大正時代の軍隊はそのようなイメージを覆す、まるで軍隊らしくない軍隊だった。しかもその軍隊がスポーツ熱にとらわれていたというのだから、ますますもって軍隊らしからぬ軍隊だった。軍隊とスポーツの取り合わせがあまりに意外で新鮮だったので、著者本来の研究領域からかなり離れたテーマだったにもかかわらず、ずるずると引き寄せられていった。
 自信がない軍隊の姿は、戦後の自衛隊の姿と重なり合う。少なくとも、著者は、現在の自衛隊の姿から大正の軍隊を想像した(もっとも、ここ数年で自衛隊とそれを取り巻く状況には大きな変化があった)。大正の軍人も戦後の自衛隊員も、主流の男らしさから取り残された存在だった。そしてともに社会に門戸を開き(スポーツを通じた交流もその一環である)、社会の認知を得ることで、自信を取り戻そうとしたことも共通している。大正の軍隊と戦後の自衛隊の軟らかいイメージはこうした軍隊の姿勢に由来するのだろう。しかしながら、昭和の軍隊が大正の軍隊から生まれたのは紛れもない事実である。萌えキャラで隊員を募集している自衛隊が、今後硬いイメージに転換することもありえないことではないのである。
 大正の軍隊の軟らかいイメージとして紹介したいのが、『Our Army Life 1922』(編者、出版社、刊行年不明)である。

 これは姫路の歩兵第39連隊の大正11年度1年志願兵が作成した卒業アルバムである。本書171ページにも白黒写真を掲載しているが、ぜひカラーで見てもらいたいので、この場を借りて紹介しておく。この種の卒業アルバムはたくさん作られたが、これほどほのぼのとした表紙はほかに見たことがない。英語のタイトルもきわめて珍しい(ふつうは『陸軍士官学校予科第9期生卒業記念写真帖』とか『大正13年度志願兵4等水兵修業記念』とかである)。卒業アルバムは軍隊生活の実態を知るうえでたいへん有用な資料だが、残念なことにまとまったかたちで保存されていない。ぜひ、公共の図書館で収集・公開してほしい。
 ちなみに著者は『Our Army Life 1922』を2013年9月にオークションで手に入れた。ちょうど「戦時下の日本陸海軍とスポーツ」の原稿を書いているときで、こまめにオークションをチェックしていたところ、「貴重 大正11年 歩兵第39連隊の写真帖 陣中勤務 休息」という商品が出品されたのを知った。陸軍で最初にスポーツを始めた39連隊、しかもちょうどスポーツを始めた時期のアルバム(欲をいえば、もう1年前のものがよかった)、これは手に入れるしかない。祈るような思いで、オークションが終わるのを待った。ほかに入札者はおらず、2,980円で落札した。実際に手にしたアルバムは予想以上にすばらしいもので、スポーツ連隊と呼ばれた39連隊の往時をしのぶことができた。海軍関係のアルバムが多いなか、陸軍、しかも著者が欲しいと思っていた時期・連隊のアルバムが出品されたのは、奇跡に近いように思われた。
『Our Army Life 1922』は著者にとって奇跡に近かったが、研究をやっていると、このような出合いはけっして少なくない。もう一つだけ紹介しておこう。子どもを連れて志摩スペイン村に行ったときのこと、久々に伊勢神宮でも行ってみようかという気を起こし、外宮に立ち寄った。おなかがすいたので、近くのウナギ料理店に入ったところ(いうまでもないが、ウナギが高騰する前のことである)、なんとそこは阪神タイガースの投手で、フィリピンで戦死した西村幸生の実家だった。なぜそれがわかったかといえば、「喜多や 御来店記念」と書かれた短冊が置いてあり、そこに西村のことが書かれていたからだ。ほかにも紹介したいお宝(がらくた?)はたくさんあるが、きりがないのでやめておこう。

 もちろん、最後まで出合いがないこともある。今回もっとも残念だったのは「軍隊のスポーツ化」という新聞記事が探し出せなかったことである。陸軍戸山学校でスポーツをいち早く取り込んだ加藤真一によれば、彼が大学の運動部関係者を集めて軍隊でスポーツを実施する打ち合わせをしたところ、新聞記者がそれをスクープしたため、永田鉄山に呼び出されたという。陸軍戸山学校のスポーツ導入の過程を解明するうえで重要な資料になるはずだが、結局見つけることができなかった。ご存じの方がいたら、ぜひ教えてほしい。

 

ボーイズラブは本当に楽しかった――『BLカルチャー論――ボーイズラブがわかる本』を書いて

西村マリ

 自分なりのBL論を書こう。私がそう決意したのは2007年の夏だった。早い話、「ユリイカ」の腐女子マンガ特集(「総特集 腐女子マンガ大系」「ユリイカ」2007年6月臨時増刊号、青土社)に刺激されたのだ。
 まずは友人たちにBL研究スタート宣言をぶちかました。
 みんな、私に本を貸し、情報を流してくれた。BLゲームをプレイしてくれた友人もいる。この本をまとめることができたのはそんな友人たちあってのことである。まずは感謝を捧げたい。
 実際、私の周りにはBLや二次創作が好きな人が多い。こちらがカミングアウトするとヒットする確率が高いのだ。とはいえ、みんなオタク的情熱という点では同じだが、性格も違えば好みもまったく違う。二次創作に熱中しながら進化系マンガをたくさん読んでいる人もいれば、黎明期から雑誌を読み続け、王道タイプの小説を好む人もいる。ちなみに彼女はハーレクインも大好き! 一方、BLも読むが、男性分野のラノベやアニメ、萌えゲームに詳しい女性もいる。「腐女子とは?」という問いはあまり意味がない。これは実感だった。
 ところが、いざ研究と勢い込んでも、どこから攻略すればいいのかさっぱり見当がつかなかった。そもそもBLは歴史も長いし規模も大きく、その内容も実に様々だ。広い世界のなかにBLを位置づけなければ意味がない。そう思った。そのためには男性サイドの動きもチェックする必要がある。萌えのあり方や戦う女性キャラについては、ヒントをくれるありがたい男性たちもいたのだ。

ブログの時代

 ところで私は2002年に『アニパロとヤオイ』(〔「オタク学叢書」第7巻〕、太田出版)というオタクな本を出している。アニパロ(二次創作)の世界を扱ったディープな本だが、風邪ネタ、記憶喪失ネタ、子供ネタ、女の子ネタといった定番ネタを軸に読み解いた。
 今回も、年下攻め、ヘタレ攻め、オヤジ受け、男前受け、襲い受けといった、BL界で定番化しているキーワードを道標にして語ることにした。
 このように2冊の本のスタンスは共通しているのだが、相違もある。前著を執筆していたころはインターネットの普及はまだまだで、ひたすら同人誌を買い集めるか友人に貸してもらうしかなかった。
 しかし今回は違う。すでにネット通販が主流になっていて、作品を入手しやすかっただけではない。2007年の研究開始当時は、ちょうどブログの全盛期で、充実したコンテンツがあふれていた。作品レビューだけでなく、キーワードでピックアップしたオススメ作品リストから年度ごとの名作ランキングまで、熱気あふれるブログの面白さに魅了され、研究が行方不明になりそうなくらいだった。ブログ主の方々にはおおいに感謝している。
 つねにブラウザを立ち上げ、何かアイデアが浮かんだら、即、検索ボックスにキーワードを投入! 出てきた作品をまとめて読んだ。
 楽しい! ものすごく楽しい!
 新しい視点を発見する研究の楽しさはもちろんだが、どんどんBL脳が発達し、微妙な差異がわかってくる。同時に、これらのキーワードが特集タイトルになっているアンソロジーを年代順に並べて調べた。結果、BLの変遷がクリアになってきた。それはもう、ワックワクの大興奮だった。

最後に心残りについて書いておきたい――海外BLの輸入

 昨年夏に一応脱稿したのだが、その後待ち時間が長かったので、変更個所が増え担当の矢野未知生さんにはお手数をおかけしてしまった。それでもBL界の重要な展開を拾いきれなかった部分もある。海外BLの輸入である。
 新書館のモノクローム・ロマンス文庫をはじめ、このところいくつかの出版社から海外BLの翻訳が出されている。とりわけ驚かされたのはハーレクイン・ラブシックの登場である。本書では、「第3章 BLの王道」で、ハーレクインとの比較もおこなった。ジェイン・オースティンまでさかのぼる伝統的なロマンスの典型を受け継ぐハーレクイン。そのハーレクインがまさかのBL?!
 当初筆者は日本支社独自の動きにちがいないと思ったのだが、2014年末から翻訳ものも出始めた。調べてみると、なんとハーレクイン本社系列のCarina Pressがgay fictionを扱っているではないか。時代は本当に変わったのだ。
 あぁ……残念! この件を本文に入れたかった……。読者のみなさま、ぜひ頭の中で補って読んでくださいね。
 それだけではない。新しい動きはいつも二次創作同人界からやってくる。『オメガバース・プロジェクト』(〔POE BACKS〕、ふゅーじょんぷろだくと、2015年―)が興味深い。ちなみに本書のカバーイラストを担当してくださったyocoさんが美麗なカバーイラストを描いているので、ぜひチェックしていただきたい。
 オメガバースとは、英語圏の二次創作の世界で生まれた特殊設定で、人狼ものに基盤がある。この設定が日本の二次創作に輸入されたのだ。しばらく前から流行していたのだが、ついに商業出版にも登場したわけだ。モノクローム・ロマンス文庫で人気を集めているJ・L・ラングレーの『狼を狩る法則』シリーズ(冬斗亜紀訳〔モノクローム・ロマンス文庫〕、新書館、2013年―)も、オメガバースのバリエーションである。どうやら、BLの未来は輸出/輸入のリバーシブルな関係から展開しそうだ。

 BL作家のみなさまありがとうございました。
 そしてエンディングはやっぱりこの言葉。
 ボーイズラブは楽しい!

ブログ:「やおい/ヤオイ/YAOI 西村マリ」

 

第3回 初めての「あちこち書店」、その顛末

久禮亮太(久禮書店〈KUREBOOKS〉店主。あゆみBOOKS小石川店の元・店長)

 こんにちは、久禮書店です。
 前回は、フリーランス書店員として受託した仕事について書きました。今回は、私自身が書籍を仕入れて出張販売をした企画についてのお話です。これは、私が思いつきで「あちこち書店」と呼んでいる活動で、カフェや美容院といった他業種の店舗や様々な施設など、書店ではない場所に棚を持ち込んで本を売ろうという単純な発想によるものです。

 5月12日の火曜日、平日1日限りの出店をしました。洋書絵本のバーゲン品と和書新本の絵本を中心にしたラインナップで、什器はりんご木箱を手作業で塗装した簡素なものでした。準備した在庫も売り上げもごくわずかでしたが、学ぶところは多くありました。
 場所は、東急目黒線の武蔵小山駅からほど近いキッズ・カフェALL DAY HOMEでした。スキップキッズが首都圏で10店舗運営しているうちの1店舗です。キッズ・カフェというのは、親子連れで来店して、子どもは店内の遊具スペースで遊べるというスタイルのお店です。もちろん親も子どもと一緒に遊んでもかまわないのですが、このお店ではつかの間でも子どもから解放されて1人でお茶をしたり、大人同士会話を楽しんだりする過ごし方を多く見かけます。

 武蔵小山は私の生活圏で、このお店には3歳の娘を連れて日頃からよく通っていました。私自身も娘と一緒にいる時間と仕事のバランスに苦心していたので、本を売る私のそばで娘が勝手に遊んでいてくれるのは好都合だと考え、この場所でやってみたかったのです。

「あちこち書店」の思いつきは、前職の頃からありました。書店に人が来なくなったと言われるが、それなら、こちらから出かけていけばいいのではないか、独立したいけれど店を構える頭金がないから、軒先を借りながらやっていけないだろうか、という考えです。
 勤めていたあゆみBOOKS小石川店は地下鉄後楽園駅の出口からすぐの路面店という好立地でした。それでも、自店の認知度がいまだに十分でないことや、来店の頻度の低さ、書店にふらっと寄るという習慣がない人の多さなどを思い知らされることがたびたびありました。お店のポイントカードに記録されるお客様それぞれのご来店頻度は、数カ月に一度というものがザラにあります。新聞に折り込みチラシを入れて新刊の予約を募ったところ、店から徒歩3分のところにお住まいの方から電話で「おたくの店、どこにあるの?」と問われたこともあります。
 一方でその多くの方々に対して、こちらがお店の外へ出てアピールしたところ、期待以上に買ってくださったという経験もありました。先ほど例にあげた折り込みチラシで告知した書籍は、『文京区の100年――写真が語る激動のふるさと1世紀』(郷土出版社、2014年)という1万円近くする写真集でしたが、予約募集に対して200件近い申し込みをいただきました。また、近くの文京シビックセンターで開催される講座への出張販売や、お店の前の通りに出て声を出しながら販売する機会を定期的に設けるだけでも、書籍の実売はもちろん、その後のご来店につながっていきました。
 このような経験から、興味をもちそうな人が集まる場所へ本を持って出ることが必要なのではないかと感じていたのです。

 ALL DAY HOMEへ娘と2人で客として訪問したある日、私は「ここで本を売らせてくれませんか?」と、かねてからの考えを話してみました。運営会社スキップキッズのマネージャーさんがたまたま店舗に居合わせていて、私の提案を聞いてくださり、実現することになりました。実はスキップキッズも、ちょうど書籍の導入を検討していたところだったのです。
 絵本を中心とした常設の書棚を作って、お店の魅力を高めたい。また、その書籍や関連する雑貨を販売することで、より多面的に売り上げをあげながらお店の利便性を高めたいという考えを、すでにおもちでした。しかし、書籍の選定や書棚の運営についてのノウハウや在庫調達の方法などについて、まだ検討が必要な段階にあると話してくださいました。
 その話をうかがい、私自身がその常設の書籍販売コーナーを担当したいと思いましたが、たとえ小規模でも新刊書店の棚をそこに作るためには、まだ私の準備が不足していました。

 カフェ内に販売用の書棚を設置して、お茶を飲みながらそれを読めるスタイルをとれば、その場で1冊を読み通すこともできます。それでも購入してもらえるようにするためにはどんな工夫ができるか。小さな棚だけに、カフェの常連のお客さんを飽きさせないためには、書目を小まめに入れ替え続けなければいけません。また、子どもが書籍を手に取ることも多く、大人も飲食をしながら読むという環境なので、在庫の汚破損は避けられません。
 つまり、新本の販売在庫を返品できる委託条件で取り引きする取次口座と、返品することがはばかられるような在庫を買い取って古書として再仕入れする流れのようなものがなくては、このような販売形態をとることは難しいと思ったのです。
 このような場合、既存の新刊書店がカフェと協業して新しい販売形態を作ることが自然な流れに思えますし、書店は積極的にそうすべきではないかと思います。いま振り返ると、私は個人規模の出張販売にこだわらず、既存の書店とカフェなど異業種の仲介を仕事にすべきなのかもしれないとも考えられます。しかしひとまずは、「あちこち書店」を自分の手でやってみなければ気がすまなかったのです。
 お店としても、常設棚の前段階として出張販売でお客さんの本に対する大まかな反応を見たいという考えがあり、出店を承知してくれました。売り上げ金の数パーセントを場所代として支払うという出店の条件も合意し、この企画が実現することになりました。
 この場所代は、書籍の粗利から支払うことを考えると大きな負担率になりました。それでも、お店に場所をお借りする一般的な対価としては、ご配慮いただいた料率でした。今回はまだ売り上げ規模が小さく、さほどのコストではありませんが、「あちこち書店」の場所や会期が増え売り上げ規模が大きくなれば、実店舗と同様に家賃の問題は避けられないようです。

 開催が決まり、さっそく書籍の調達を始めました。品揃えの中心は、あゆみBOOKSやマルベリーフィールドに続いて今回も洋書絵本のアウトレット品です。そこに和書新本の絵本と、ママさんたちのライフスタイルに関わる書籍を組み合わせようと考えました。
 この出店を考えた最初の動機は、ごくプライベートなものでもありました。娘が通う幼稚園のクラスメートとそのお母さんたちという、いまの私の交友関係のなかで、本の仕入れ経験を役立てられないかというくらいのものでした。より正直に言うと、私がママ友たちともっと仲良くなりたかったというわけです。
 娘が通う幼稚園は英語教育を軸にしていて、様々な国から来た親子が集まっています。ここに集まる人々との出会いを通じて、英語の絵本や読み物の需要を以前から感じていました。前職で洋書絵本のセールをしようと考えたきっかけも、そこにありました。
 洋書絵本のアウトレット品は、今回も以前からお世話になっている八木書店とfoliosから仕入れました。安価ですので、買い切りとはいえ気軽に仕入れることができました。また、自由に値付けすることができるので、ある程度の売れ残りが出ても大きな損をしないようにできます。
 和書新本の絵本と大人の女性向けの書籍も組み込むことにしたのは、ゆくゆくはこのお店にミニ書店コーナーを常設するという前提で、お客さんの反応を見たかったからです。仕入れ資金が許すならば、できるだけバリエーション豊かな棚在庫を持ち込んで様子を見たいところでした。
 しかし、私の仕入れ資金の準備は十分でなく、仕入れ価格が高い和書新本をさほど多く買い入れることはできませんでした。また、和書新本もやはり買い切りで仕入れたため、今回のように短い販売期間のなかで売り抜けたいという意識のなかでは、多くの在庫をそろえることを躊躇してしまいました。
 和書新本の仕入れ先は、子どもの文化普及協会という取次会社です。絵本の仕入れについて、前職でお世話になっていた出版社クレヨンハウスの営業担当の方に相談したところ、同社の関連事業として運営されているこの取次を紹介してくださったのです。同協会の倉田さんというご担当の方に、お話をうかがいました。
 同協会は、児童書の出版から書店経営までを手がけるクレヨンハウスの取次事業として、新刊書店以外の様々な相手に書籍を卸しています。取り引き先は多様で、飲食店や雑貨店などの店舗をはじめ、生協のような無店舗の販売会社もあります。
 取り扱う書籍は、やはり児童書を中心としてはいますが、実はジャンルを問わず注文することができます。仕入れ先の出版社数は、公表されているリストによると230社あり、その出版社の書籍なら児童書でなくても調達してくれます。
 ベテランの書籍編集者でもある倉田さんは、子どもの文化普及協会の理念についてお話ししてくださいました。すべての町に本屋を作り、子どもたちの日常に本が自然に存在することが理想だが、現実には本屋は減っている。ならば、せめて本棚だけでも町のいたるところにあってほしい。そのために、書店以外の様々な方にも、品揃えのアドバイスも含めて、本を届けていきたい。その言葉は、まさに私と考えを同じくするもので、強く印象に残っています。
 同協会からの仕入れは、基本的にはすべて買い切りですが、保証金のような前払い金は不要でした。仕入れの掛け率を同じ買い切りの条件で比較した場合、最も低い部類ではありませんが、いわゆる神田村小取次のいくつかよりも好条件か同等で、出版社との直取引よりも好条件になる場合もあります。とはいえ、文具や雑貨よりは高正味にならざるをえません。

 このように様々な仕入れ先から準備した書籍は約200冊でした。その内訳は、アウトレットが7割、新本が3割です。1日限りの販売で予想される売り上げ額に対してはずいぶんと多いのですが、書棚の演出のためには冊数も必要だし、出張販売を何度も開催するなかで消化できればいいという考えもありました。
 仕入れと並行して、什器の準備も進めました。寸法や価格、使いやすさを考慮して入手したのは、りんごの運搬に使われる木箱でした。間口が80センチ×30センチで、一般的な書棚の1段が1箱と捉えやすい形状です。これを8箱準備して、持ち込みました。自由に組み合わせて積み上げられるので、今後も様々な場所に合わせて陳列できます。このほか、表紙を見せて陳列するためのスタンドや手提げ袋、つり銭などを手配し、開催に備えました。 
 当日の朝を迎え、書籍と什器、備品類を台車に載せ、娘も台車のハンドルにつかまり立ちさせて、この一式を押してキッズ・カフェへ向かいました。
 カフェ店内での陳列を終え、10時の開店を迎えました。開店早々から14時頃までは、ありがたいことに来客が絶えず、順調に売れていきました。その7割の方々は、私と娘のママ友と、そのお友達でした。裏を返せば、不特定の方々への宣伝活動の不足ともいえますし、その場にたまたま居合わせた方への書棚の訴求力の不足ともいえますが、ママ友のネットワークに貢献できればという当初の趣旨には沿うことができました。

 出張販売会の宣伝活動では、ママ友ネットワークに助けられることばかりでした。お母さんたちはそれぞれ、いくつものコミュニティーに属しています。幼稚園、公園、児童館、マンション、小児科医院、様々な習い事の教室など、子育てにまつわるちょっとした接点から、あちこちに友達の輪をつないでいきます。
 半年前にフルタイムの主夫業に転じたばかりの私は、数少ない男性ということで腰が引けていて、こういった場でいまいち打ち解けられないでいました。しかし、「絵本を仕入れるパパさん」といういわば話のネタとして、何人ものママさんたちに紹介してもらううちに、少しずつ私も娘も地元のあちこちにつながりをもてるようになりました。この日も新しいママ友との出会いに恵まれ、うれしく思いました。
 15時からは、絵本の読み聞かせもしました。妻の友人で劇団員として活動している方と私の2人で、代わる代わる朗読を担当しました。移り気な子どもを相手に、舞台に立つ人ならではの語りかけ方や間の取り方といった、聴く人を引き込む技術を発揮する演劇人。これまでわが子を相手に絵本を読んできたとはいえ、一本調子な私。子どもたちの反応はまるで違っていました。これからの本屋人生でも、大人の読者を相手にこんなふうに本をプレゼンできたらと思わされる場面でした。

 この日、16時を過ぎたあたりからは来客がぱったりと途絶え、店は私と娘の貸し切り状態。それは、春には珍しい台風のせいでした。台風6号の影響で、夕方から天気が急転し、夜には土砂降りになってしまったのです。19時頃には、閉店を待たずに撤収することにしました。
 帰路は、朝と同じく満載の台車にカッパを着せた娘も乗せ、在庫に雨水が染みないかとハラハラしながら自分はずぶ濡れというものになりました。
「あちこち書店」の初出店は、漠然と期待していた売り上げを大きく下回る結果に終わりました。利益のことを脇に置いて、今後どのような形の本屋を目指すにしても、物の売買にとどまらず、本をきっかけにした緩やかな地元コミュニティーを作る役に立ちたいという思いを感じたことは、今回の小さな売り上げとは反対に、大きな成果になりました。
 幸い、状態がいい残り在庫はマルベリーフィールドのアウトレット棚に納品することができ、デッドストックになることは避けられました。和書新本の在庫は、次の機会まで寝かせておくしかありません。仕入れ代金を回収できる日はまだ先のようです。

 この販売手法で利益を出すには、頻繁に開催し続けることと、複数の売り場で在庫を回すことがやはり必要なようです。また、限られた予算のなかで棚在庫をもう少し豊かにすることと、場所代に見合った粗利を得るという課題を考えると、古書を扱う必要もありそうです。
 また、今後は委託条件で取り扱える書籍を増やす方法も探っていきたいと思います。直取引で委託でも低い掛け率を提示してくださる出版社が増えていて、積極的に取り入れていきたいと思います。しかし、取次会社と取り引きできることも諦めずに考えようと思います。多様な書籍を仕入れるためには必要な窓口ですし、出版社各社との個別の事務作業を取りまとめてくれることや、支払いを一本化できることなど、実務の面でも重要なインフラになるものだからです。
 たしかに、新品の書籍を返品可能な委託の条件で卸してもらうには、やはりこちらも小売店としての規模や体制が整っている必要があります。一方で、新本を売る棚はどんどん小さくなっています。既存の新刊書店の売り場がいや応なく縮小しているという面もあれば、他業種とのミックス業態や個人経営のセレクト書店のように意図して小ささを志向している場合もあります。
 そうなると、新本の配送がきめ細かくなっていくことを求められます。少量の荷物をあちこちに納品してほしい。これは配送コストを増大させることで、いま大手取次会社が志向している配送コスト削減にまったく逆行してしまうものかもしれません。
 そのギャップを埋めるアイデアはないものでしょうか。たとえば、独立系小書店が連合して仕入れを取りまとめるNet21のような先行事例に学ぶ。既存の新刊書店を地域ごとの仲卸として、私のような極小書籍販売者を束ねた拠点にできないか。どれも私の空想の域を出ないものですが、業界の様々な立場の方々と一緒に考える機会につながれば、新しい展開をもたらせないかと考えています。

 すぐにでも「あちこち書店」の第2回に取り組みたいところでしたが、現在は棚上げにしています。いま取り組んでいるのは、神楽坂に新しく出店するブックカフェの準備です。
 ある製本会社の新事業として、新刊書籍と雑貨とカフェを組み合わせ、落ち着いて過ごせるサロンのようなお店を目指しています。この企画のなかで、私は3,000冊程度の選書と、書棚のデザインやレイアウトの助言、書店実務の研修、取次や出版社との渉外などを担当しています。
 これは、フリーランス書店員として受託した大きな仕事でもあり、今後「あちこち書店」を再開するための資金を得る機会でもあります。また、このお店を通して新しいアイデアが生まれることも期待しています。しかし、まずはこのお店を立派な書店として作り上げることに注力したいと思っています。

 

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