③ミュージカルナンバー(曲)の機能
このことは、ミュージカルナンバー(曲)の機能と密接な関係がある。既存のミュージカルでは、「歌とダンスが物語に対して一定の機能を担い、作品のテーマを有機的に描き出していく(12)」ので、ミュージカルナンバーに物語の人物の説明、心情をテーマに沿うように乗せてくる。それに対し、2.5Dミュージカルには状況説明の曲が多いとされ、限りなく非ミュージカル的だという。しかも2.5Dミュージカルは、非ミュージカルだということを自分から告白するかのように、キャラクターが突然歌い出すというミュージカルをミュージカルたらしめている文法に、キャラクター自身がツッコミを入れたり、ちゃかしたりする「自己言及性(13)」が強いという(例として、藤原はミュージカル『テニスの王子様』〔通称『テニミュ』〕で菊丸が試合途中に歌いだし、試合に負けた原因を「なんで歌っちゃったんだろう」と、歌によってスタミナがなくなったと言及している点を指摘している)。確かに、アニメや漫画原作にキャラが物語のなかで歌っている場面はないので、ミュージカルナンバーは、違和感=「キャラに合わない」はずである(余談だが、この2.5Dミュージカルはアニメにも影響を及ぼしている。アニメ『スタミュ(高校星歌劇)』〔2015年〕や、『Dance with Devils』〔通称『ダンデビ』、2015年)などでは物語中キャラが歌いだす。『ダンデビ』に至っては、ミュージカルアニメーションと銘打たれ、2016年に舞台化もされている)。
ミュージカル『テニスの王子様』の衝撃
以上、主要3要素から既存のミュージカルと比較してみると、2.5Dミュージカルは、明らかに独自性をもっている。キャラ中心にドラマ、曲、ダンスさえもキャラの自律化へ従属していく。また、藤原は、既存のミュージカルからみると積極的な余白、つまり“不完全性”があること、そして派手な舞台装置があまり必要とされないことも、キャラ中心主義に寄与する要素だとしている(14)。これはミュージカル『テニスの王子様』を嚆矢とする“『テニミュ』系”2.5Dミュージカルが典型である。『テニミュ』系とは、①無名俳優の起用によるキャラ再現性の優先、②チーム男子の採用、③連載上演を特徴としている作品群と定義しよう。
『テニミュ』は2003年から現在まで続く、2.5Dミュージカルという分野のパイオニアであり、最長寿作品である。したがって、2.5Dミュージカルの原点として取り上げられる作品である(15)。『テニミュ』はアニメ化もされた漫画「テニスの王子様」(許斐剛、「週刊少年ジャンプ」1999―2008年、集英社)が原作である。絶対に無理といわれたスポーツ漫画のミュージカル化を成功させたプロデューサー片岡義朗は、読者がコマとコマの間を補完する漫画と、観客の想像力に依存する演劇との類似性を早くから指摘していたし(16)、松田誠も「脳内補完」という実に妙を得た用語で端的に指摘する(17)。集客力がある有名俳優をキャストするのではなく、一貫してあえて無名俳優を起用し、キャラの再現性を最優先させたことも、他作品と一線を画す点である。「まるで漫画から抜け出たみたい」というキャラを中心とする感覚という意味の“2.5次元”がここに結実する。しかも、2次元キャラでは味わうことができない、息づかい、汗、匂い、筋肉などを、舞台では体験できるのだ(むろん、キャラが汗をかくのは見たくないというファンもいるだろうが、汗はキャストの一生懸命さが伝わってきて、かなり感動する)。
また、よく指摘されることだが、『テニミュ』では女性キャラクター(物語のなかでは、竜崎スミレ監督と監督の孫・竜崎桜乃は主要女性キャラクター)を排除し、「チーム男子」(イケメンだけの集団)の世界を構築したことも大きな勝因である。これは、男性のスポーツ漫画にはレギュラー以外にも対戦相手に男性キャラが多いため、同人誌でBL的な多様なカップリング創作が多発したチーム男子流行の流れの一つだった。これを逆転したのが、チーム女子化した新作ミュージカル『美少女戦士セーラームーンLa Reconquista』(2013年)と続篇『Petite Etrangere』(2014年)、『Un Nouveau Voyage』(2015年)である。『セーラームーン』のミュージカル版は、実は『テニミュ』以前、アニメ放映の翌年1993年から2005年まで上演されたロングラン作品である。しかしオール女性キャストにしたのは新作からで、男性キャラは、タキシード仮面の大和悠河はじめ、元宝塚出身が多く、ヅカファンを2.5Dのほうへ引き寄せた第一人者的2.5Dミュージカルでもある。
そして、藤原も指摘しているように、一つの舞台で物語が完結せず、漫画やテレビアニメ連載よろしく、連載上演(ただし一つの舞台で一試合)がなされているのも『テニミュ』や『テニミュ』系作品の特徴である。同じアニメーションや漫画原作でも、ディズニーミュージカルは一つの完成した作品としてのアニメーション映画を、『スパイダーマン』などのアメコミは連載ではあるが一話完結物(一つの事件の発生と解決)をそれぞれもとにしているため、形態の相違が生じるのは必然なのだ。
注
(1)アニメーションとアニメの差異については、津堅信之『日本のアニメは何がすごいのか――世界が惹かれた理由』(〔祥伝社新書〕、祥伝社、2014年)を参照。
(2)伊藤剛『テヅカ・イズ・デッド――ひらかれたマンガ表現論へ』NTT出版、2005年、東浩紀編著『網状言論F改――ポストモダン、オタク、セクシュアリティ』青土社、2003年
(3)小田切博『キャラクターとは何か』(ちくま新書)、筑摩書房、2010年、120ページ
(4)田中東子「次元を超える愛――ファンたちは2.5次元キャラクターをどう愛好しているのか?」発表原稿、第2回「2.5次元文化に関する公開シンポジウム――声、キャラ、ダンス」横浜国立大学、2016年2月6日
(5)藤原ここあの同名漫画(2009―14年)が原作のアニメ。アニメの場合は声が統一されていることもキャラの自律性を担保する。漫画という視覚情報だけでもキャラの普通バージョンとチビバージョンで、読者の認識に混乱が生じることはほぼない。
(6)星野太「キャラクターの召喚――二・五次元というカーニヴァル」、「特集 2.5次元――2次元から立ちあがる新たなエンターテインメント」「ユリイカ」2015年4月臨時増刊号、青土社、62ページ
(7)同論文65ページ
(8)藤原麻優子「「なんで歌っちゃったんだろう?」――二・五次元ミュージカルとミュージカルの境界」、前掲「ユリイカ」2015年4月臨時増刊号、68―75ページ、藤原麻優子「Does it Work?――2.5次元ミュージカルとアダプテーション」発表原稿、第2回「2.5次元文化に関する公開シンポジウム――声、キャラ、ダンス」横浜国立大学、2016年2月6日
(9)Lehman Engel, The Making of a Musical: Creating Songs for the Stage, Lomelight, 1986, p.98.
(10)前掲「Does it Work?」
(11)前掲「「なんで歌っちゃったんだろう?」」69ページ
(12)同論文70ページ
(13)同論文70ページ
(14)前掲「Does it Work?」
(15)『テニミュ』以前の漫画や、アニメ原作ミュージカル/舞台、2.5Dミュージカル/舞台の系統別リストについては前掲「ユリイカ」2015年4月臨時増刊号巻末のやまだないと/上田麻由子+PORCh「2.5次元ステージキーワードガイド」(ただし2014年まで)を、キャストを含めた詳細は「特集 2.5次元へようこそ!」「ダ・ヴィンチ」2016年3月号(KADOKAWA、16―61ページ)を参照のこと。
(16)片岡義朗「アニメミュージカルの生みの親&「テニミュ」立役者 片岡義朗インタビューinニコニコミュージカル」「オトメコンティニュー」第3号、太田出版、2010年、81―91ページ
(17)松田誠「日本2.5次元ミュージカル協会代表理事松田誠インタビュー」、前掲「ダ・ヴィンチ」2016年3月号、61ページ
注
(1)片岡義朗「アニメミュージカル 片岡義朗&ミュージカル「DEAR BOYS」」、チームケイティーズ編『TEAM!——チーム男子を語ろう朝まで!』所収、太田出版、2008年
(2)一般社団法人日本2.5次元ミュージカル協会「パンフレット」2ページ
(3)同誌3ページ
(4)「「2.5次元」ファン熱狂 憧れキャラ、現実で会える」「日本経済新聞」2015年4月24日付(http://www.nikkei.com/article/DGXMZO86045740T20C15A4H11A00/)
(5)Jovanovic, Dalia, “SIRT Conference on Previsualization and Virtual Production Wrap Up,”(http://www.blog.filmarmy.ca/2011/03/sirt-conference-on-previsualization-and-virtual-production-wrap-up/)[2015年1月22日アクセス]
(6)Adriana de Souza e Silva, “From Cyber to Hybrid: Mobile Technology as Interfaces of Hybrid Reality,” Space and Culture, 9, 2006, p. 261.
(7)Erika Fischer-Lichte, The Routledge Introduction to Theatre and Performance Studies, Routledge, 2014, p. 18.
(8)Ibid., p. 18.
(9)Henry Jenkins, Textual Poachers: Television Fans and Participatory Culture, Routledge, 1992.
(10)Henry Jenkins, Convergence Culture: Where Old and New Media Collide, Updated version, New York University Press, 2008/09.
(11)池田太臣「共同体、個人そしてプロデュセイジ——英語圏におけるファン研究の動向について」「甲南女子大学研究紀要 人間科学編」第49号、甲南女子大学、2003年、107—118ページ
(12)Ian Condry, The Soul of Anime: Collaborative Creativity and Japan’s Media Success Story, Duke University Press, 2013.〔イアン・コンドリー『アニメの魂——協働する創造の現場』島内哲朗訳、NTT出版、2014年〕
(13)マーク・スタインバーグ『なぜ日本は〈メディアミックスする国〉なのか』大塚英志監修、中川譲訳(角川EPUB選書)、KADOKAWA、2015年。原書は、Marc Steinberg, Anime’s Media Mix: Franchising Toys and Characters in Japan, University of Minnesota Press, 2012 だが、邦訳のほうには改訂・増補された章が含まれている。また、監修の大塚英志の『メディアミックス化する日本』(〔イースト新書〕、イースト・プレス、2014年)も、日本のメディアミックス状況をわかりやすく解説している。
アルド・フェラレージはイタリア北部のフェッラーラで生まれる。父は軍人だったが、マンドリンをこよなく愛していた。ヴァイオリンを始めたきっかけは明らかにされていないが、母が息子の才能に気づき、5歳のときに地元のフレスコバルディ音楽学校に入学させた。12歳でパルマ音楽院、15歳でローマのサンタ・チェチーリア音楽院で学び、無声映画やカフェで演奏した。ヴァシャ・プシホダとヤン・クーベリックの勧めにより、ベルギーの大家ウジェーヌ・イザイの元で学ぶようになるが、イザイはのちにフェラレージを「最上の生徒」と認めたという。その後、ソリストとしての活躍は華々しく、ヨーロッパはもとより、アメリカにも渡り、注目を浴びた。共演した指揮者はヘルマン・シェルヘン、ハンス・クナッパーツブッシュ、シャルル・ミュンシュ、ジョン・バルビローリ、アルトゥール・ロジンスキ、セルジュ・チェリビダッケなど。戦後は主にイタリアで活躍し、1963年にはアラム・ハチャトゥリアンと共演、65年にはヴァティカンでローマ教皇パウロ6世の前でソロを披露している。アメリカのカーティス音楽院はエフレム・ジンバリストが他界したあと、フェラレージを後任として招こうとしたが、フェラレージは家族と離ればなれになりたくないという理由で、この申し出を断っている。78年6月、サン・レモで死去。
フェラレージが世界的に知られていないのは、主に戦後、彼の活躍の場がイタリア国内にとどまっていたことによるものだと思われる。SP時代から録音はおこなっているが、戦後でもHMVのLPが1枚程度しか存在せず、公式録音としては協奏曲はひとつもなかった。
現在、フェラレージのディスクで最も手に入りやすいのはパガニーニの『ヴァイオリン協奏曲第1番』などを収めたものだろう(ISTITUO DISCOGRAFICO ITALIANO IDIS6366)。これは1965年のスタジオ録音と記されているが、音声はモノーラルのようだ。もちろん、この演奏を聴いても、力強いタッチと濃厚なカンタービレは十分に聴き取ることができる。だが、このCDだけでは、彼の力量の全体像は見えにくい。
その乾きを癒やしてくれたのが、2006年に発売された9枚組み、Aldo Ferraresi Le grandi registrazioni RAI-The great Italian Radio recordings (Giancluca La Villa、番号なし)である。これは現在ではどこを探しても見つからない、中古市場でもトップ・ランクの稀少品だ。だからといって、決してこれ見よがしにしたいわけではなく、とにかく内容的には抜群にすばらしいため、再プレスや再発売の期待を込めながら触れてみたいのである。
収録年代は1959年から73年までで、場所はすべてイタリア国内。ほとんどすべてモノーラル(なかにはステレオ?と思われるものもある)で、音揺れがあったりノイズが多いものも非常に少なく、全体的には非常に明瞭な音質である。
まず、チャイコフスキーの『ヴァイオリン協奏曲』(1965年、グラント・デロング指揮)。ソロが出てきて感じるのは、そのテンポの揺れ方や和音の弾き方など、これまで聴いてきたどのヴァイオリン奏者とも違うことだ。それに、常にたたみかけるような勢いも、ヤッシャ・ハイフェッツに匹敵するほどだ。第2楽章の濃密な歌もたいへんに印象的だが、第3楽章の自在さと素早さも破格。
エルガーの『ヴァイオリン協奏曲』(1966年、ピエトロ・アルジェント指揮)も、こんなに多弁で、鮮やかな色彩な演奏は初めてだった。同じディスクに収録されたモーツァルトの『ヴァイオリン協奏曲第5番』(1960年、カルロ・ゼッキ指揮)はなかでも古典的な演奏だが、たとえば第2楽章の、果汁たっぷりの音色は忘れられない。
ショスタコーヴィチの『ヴァイオリン協奏曲第1番』(1959年、マリオ・ロッシ指揮)、この作品は1955年の初演だから、これはイタリア初演かもしれない。これもすごい。なにせ、いちばん最初にソロが出てくるときの音がすごすぎる。この、人の心をわしづかみにするような、妖気をはらんだような雰囲気は、ちょっと類例がない。個人的にはあまり好きな作品ではないが、フェラレージの演奏は一気に聴き通させるだけの、強烈なエネルギーがあった。
ウォルトンの『ヴァイオリン協奏曲』(1961年、フォルシュタート指揮)、これは地味な作風と思われているのだが、フェラレージの演奏は異様なまでに艶めかしく、こんな解釈もあるのだと納得した。ハチャトゥリアンの『ヴァイオリン協奏曲』(1963年)、これは作曲者ハチャトゥリアンの指揮である。これまた、ものすごく生きのいい演奏だ。飛び跳ねるようなリズム、独特の濃い歌い方、自在極まりない表情。ハチャトゥリアン自身がフェラレージをどう思ったかは知りえないが、きっとダヴィッド・オイストラフやレオニード・コーガンらの演奏よりも高く評価したのではないだろうか。
室内楽ではフォーレの『ヴァイオリン・ソナタ第1番』(1965年、エルネスト・ガルディエリのピアノ)がある。第1楽章はまず、手探りのような遅めのテンポで始まり、ピアニストの個性的な弾き方も面白いと思った。そこに、何とも悩ましく、涙に濡れたようなヴァイオリンが加わる。楚々と弾くピアニスト、そして万感の思いを込めて弾くヴァイオリニスト、これほど奥ゆかしく、かつ微妙に揺れる心のような演奏は初めてだった。
ベートーヴェンの『ヴァイオリン・ソナタ第9番「クロイツェル」』(1970年、ピアニストはフォーレと同じ)は、なかではすっきりしたほうの演奏だった。これが年代によるものなのか、たまたまそうだったのかは不明だが、でも、もともと音に力がある人だから、ことに第2楽章などは感動的だった。
9枚目のCDの最後にはSP復刻が4曲入っている。このなかで注目されるのはバッヅィーニの『妖精の踊り』だろう。この輝かしさ、そして史上最速と思われるこのスピード感、これだけでもフェラレージは名奏者のひとりとして記憶されてもおかしくない。この弓さばきのすさまじさは、イザイの薫陶によるものだと思う。
この9枚組みにはグアリーノ、アレグラ、ジャキーノ、マンニーノなど、イタリアの作曲家の作品も多く含まれている。さらにはトゥリーナ、ヘラーなどの珍しい作品も収録されていることから、フェラレージはたいへんに広いレパートリーをもっていたこともわかる。もちろん、そうしたレパートリーも珍重されるべきものだが、たとえば四大協奏曲ではチャイコフスキーしか残されておらず、そのほかのメンデルスゾーン、ベートーヴェン、ブラームスなども、もしも残っていたら、ぜひとも聴いてみたい。シベリウス、プロコフィエフ、バルトークなども演奏していたのだろうか。バッハの『無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ』とか、ブラームスの『ヴァイオリン・ソナタ』なども、きっと魅惑的だったにちがいない。