第2回 事例1 2.5次元ミュージカル/舞台――2次元と3次元での漂流

須川亜紀子(横浜国立大学教員。専攻は文化研究。著書に『少女と魔法』〔NTT出版〕など)

アニメといえば日本!……2.5次元ミュージカル/舞台といえば?

“2.5次元”という用語をアニメ・漫画ファン以外にも認知させたのは、やはり2.5次元(以下、2.5Dと略記)ミュージカル/舞台だろう。第1回連載でも言及したとおり、2014年に日本2.5次元ミュージカル協会(以下、2.5D協会と略記)が設立され、漫画、アニメ、ゲームなどの“2次元”を原作にした日本発のミュージカル(とストレートプレイ)を世界へ発信し、世界標準を目指した活動が始まった。ディズニー/ピクサーなどのアメリカのフルアニメーションや3DCGアニメーションと並んで、日本のセルタイプの2D(リミティッド)アニメがいまや「世界標準」となっている(つまり、「アニメといえば、日本」という共通認識)ことを考えると(1)、アメリカのブロードウェー、イギリスのイーストエンドのミュージカルに対し、2.5Dミュージカル/舞台は日本オリジナルのものだと世界で周知されるのもそう遠くはないかもしれない。実際2014年、ヨーロッパ最大の日本に関するオンリーイベント「ジャパン・エキスポ」(パリ郊外)でおこなわれたミュージカル『美少女戦士セーラームーン』のキャンペーンで、セーラー戦士とタキシード仮面が登場すると、その場にいた観客が一斉にカメラを構えた(画像1)。メインナンバーを歌うキャストに、若者だけでなくいい大人たちが大きな声援を送っていたのを、筆者は驚きとともに目撃している(画像2)。コンテンツの力、そして後述する“キャラ”の力は、メディア領域を超えて拡大し続けている。

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2.5次元ミュージカル/舞台の特徴

「じゃあ、既存のミュージカル(ブロードウェーや劇団四季などのミュージカル)と2.5次元ミュージカルってどう違うの?」
 当然の疑問である。
 はたして、2.5次元ミュージカル/舞台を、既存のミュージカルや演劇と一線を画しているものとは何だろうか。そんな問いに対する答えを探るため、筆者は2015年から「2.5次元文化を考える公開シンポジウム」を開催し、研究者や学生、関係者、一般の方々と意見を交換している。記念すべき第1回は、15年2月5日(木)の奇しくも2.5次元の日!(注:ねらってその日に設定したわけではありません、念のため)におこなわれた。日本2.5Dミュージカル協会代表理事/ネルケプランニング代表取締役松田誠氏とウェリントン・ヴィクトリア大学(ニュージーランド)のコスプレ研究者エメラルド・キング先生をお迎えし、「2.5次元ミュージカルとコスプレにおける女性の文化実践」をテーマに、お話をうかがった。松田氏は、15年は2.5次元ミュージカル/舞台の紹介の年と位置づけ、2.5Dミュージカル/舞台の詳細、2.5D協会の目的などを紹介された。一方、キング氏は、主に女性のコスプレイヤーが男性から受けるセクハラ問題、女性レイヤーが陥った自己顕示と承認/非承認問題などを話された。コスプレについては、この連載でいずれ詳しく取り上げるつもりなので今回は深く触れないが、コスプレと2.5次元ミュージカル/舞台の関係は非常に親密だということを特記するにとどめておく。これは後述する“キャラ”という要素にも密接に関わってくる。
 第2回は、2016年2月6日(土)「声、キャラ、ダンス」というテーマでおこなわれた。大妻女子大学の田中東子先生は、“キャラ”とファンに関する興味深い指摘をされ、早稲田大学演劇博物館招聘研究員の藤原麻優子先生は、既存のミュージカルと2.5Dミュージカルの違いを細かく解説された。お2人の発表内容にも言及しながら、先に掲げた問い「2.5Dミュージカルの特徴とは」を解明していこう。

“キャラ”、キャスト、コンテンツ

 キャラクターとは、一義的には創作物の登場人物のことである。しばしばキャラクターは「キャラ」と略して使用され、近年ではコンテキストによってその意味は多様化している。キャラとキャラクターに関する議論は非常に複雑である。今年のセンター試験にも出題された土井隆義の『キャラ化する/される子どもたち――排除型社会における新たな人間像』(〔岩波ブックレット〕、岩波書店、2009年)に代表されるように、ある一定の個性を強調した個体(「いじられキャラ」「エロキャラ」などコミュニティーのなかでの役割分担のようなもの)がキャラと呼ばれる場合、コミュニケーション学や社会学の文脈でしばしば語られる。この文脈では「キャラがかぶる」(例えば「メガネキャラ」などメガネをかけているクール系がクラスに2人もいると、都合が悪いわけである。アニメや漫画でもその傾向は顕著だ。)や、「キャラが立つ」(個性の強さがあり、唯一絶対の個体として認識できる)などの言い回しになる。しかし、漫画の“キャラ”とキャラクターの概念の差異を丁寧に考察し定義している伊藤剛や東浩紀などが示すように、“キャラ”は単なるキャラクターの略語ではないことも、いまでは自明となっている(2)。しかし、便宜的に今回は「キャラ」は、キャラクター(登場人物)、その性質や個性という意味で使用し、論を進めていく。
 このキャラ(キャラクター)の議論にはコスプレの回で再訪するとして、2.5Dミュージカルでのキャラに話を戻して考えてみよう。前述したシンポジウムで田中は、小田切博のキャラクターの定義を引用して、「外見、性格、記号的意味(3)」がキャラクターの構成要素であるが、そのうち一つさえあれば、存在がゆらぐことはないという小田切の考え方を、キャラクターの“増幅”としてとらえていた(4)。二次創作によるパロディーはもちろん、地上波で一次作品をもとに世界観や設定を変えて創作する二次的な作品でも、キャラはキャラとしてブレない。『科学忍者隊ガッチャマン』(フジテレビ系、1972―74年)をギャグ短篇アニメにした『おはよう忍者隊ガッチャマン』(日本テレビ系列、2011―13年)や、『おそ松くん』(毎日放送系、1966―67年、フジテレビ系、1988―89年)のキャラたちが成人してニート生活を送っているという設定で、6つ子に強烈な個性を与えたパロディアニメ『おそ松さん』(2015―16年)など、二次創作手法が一つの作品として認知されている。余談だが、『妖狐×僕SS(5)』(MBSテレビ、2012年)など、コメディー風にキャラが突然“チビキャラ”としてデフォルメされたり、ねんどろいどに代表されるようにカワイくデフォルメされたフィギュアが愛好されたりと、キャラの“増幅”は無限である(果ては擬人化ならぬ“(擬)モノ化”〔人間キャラが動物になったり、モノになったり〕しても、キャラとして設定や個性があれば、キャラの自律はゆるがない)。
 2.5Dミュージカル/舞台も、キャラの“増幅”の範疇にあるなら、三次元の身体を借りた“パロディー”としてとらえることが可能だろう。まず、この“キャラ”の問題が、既存の戯曲(テキスト)の翻案ミュージカルとの重要な差異の一つである。

ブロードウェーでも2.5次元?

「いや、ブロードウェーでもアニメーションのミュージカル化があるじゃないか。ディズニーの『ライオン・キング』『リトルマーメイド』『アラジン』、マーベルの『スパイダーマン』……あれって、2.5次元じゃないの?」
 これも当然の疑問である。
 星野太は、2.5次元は、2次元/3次元という次元の位相の差異ではなく、キャラクターと観客をベースとしたときに浮上すると述べている。「二次元/三次元の相克は、厳密にはそのメディウムの次元で生じているのではなく、むしろその「キャラクター」と「俳優の身体」のあいだで生じている(6)」のだ。漫画、アニメ、ゲームなどの虚構の世界のキャラが、あたかも人格をもった存在として観客の認識にあり、目の前で展開されるキャラそっくりの俳優たちの身体に、観客はキャラを「幻視」し「二重写し」にするとき2.5次元空間という位相が生じるという(7)。
 星野の議論は、2.5次元空間を成立させる私たちのキャラに対する認識と劇場内での参加(物理的にも認知的にも)が不可欠要素であることを担保している。しかし、例えば、スパイダーマンなど、パロディーや“増幅”が多いアメコミキャラの舞台は、はたして2.5Dミュージカルといえるのだろうか。
 藤原麻優子は、ディズニーアニメやアメコミのキャラクターたちが、キャラとして成立しているにもかかわらず、なぜ日本の2.5次元舞台と異なるのかを、①再現性、②物語構造、③ミュージカルナンバー(曲)の役割の3点から分析している(8)。

①再現性
 まず藤原は、レーマン・エンゲル(9)を引用して、既存のミュージカルが原作に忠実か否かは問題ではなく、翻案者が自分の方法で表現することが大前提だとしていると強調する。これに対し、2.5Dミュージカル/舞台は、2次元の世界観をそのまま再現することに重きを置いていることを挙げる。もちろん、藤原が指摘する二項対立図式にすべての漫画、アニメ、ゲーム原作のミュージカルが当てはまるとはかぎらないが、最近の2.5Dミュージカル/舞台に、アニメキャスト(声優)の声、ビジュアル、原作のセリフ、世界観をなるべく再現しようという傾向が強いことはまちがいない。したがって、ディズニーアニメの舞台を観て、「あ、アラジンがそこにいる!」「アリエルそっくり!」という感覚はあまり実感できないだろう(『ライオン・キング』はそもそも動物がキャラクターだから忠実な再現性は不可能だ)。

②物語構造
 また、物語構造も異なる。藤原は、起承転結という日本の物語構造の典型に対して西洋には「対立―衝突―解決」という文法があるが、2.5Dには、連続上演という必ずしも一つの上演作品内で完結しないシリーズ化という特徴があることを指摘する(10)。既存のミュージカルには、必ずドラマ(「(一連の)出来事を通して描かれる人物の視点の衝突や変容の起伏(11)」)があるが、2.5Dミュージカルは、ドラマは前景にあまり出てこない。

③ミュージカルナンバー(曲)の機能
 このことは、ミュージカルナンバー(曲)の機能と密接な関係がある。既存のミュージカルでは、「歌とダンスが物語に対して一定の機能を担い、作品のテーマを有機的に描き出していく(12)」ので、ミュージカルナンバーに物語の人物の説明、心情をテーマに沿うように乗せてくる。それに対し、2.5Dミュージカルには状況説明の曲が多いとされ、限りなく非ミュージカル的だという。しかも2.5Dミュージカルは、非ミュージカルだということを自分から告白するかのように、キャラクターが突然歌い出すというミュージカルをミュージカルたらしめている文法に、キャラクター自身がツッコミを入れたり、ちゃかしたりする「自己言及性(13)」が強いという(例として、藤原はミュージカル『テニスの王子様』〔通称『テニミュ』〕で菊丸が試合途中に歌いだし、試合に負けた原因を「なんで歌っちゃったんだろう」と、歌によってスタミナがなくなったと言及している点を指摘している)。確かに、アニメや漫画原作にキャラが物語のなかで歌っている場面はないので、ミュージカルナンバーは、違和感=「キャラに合わない」はずである(余談だが、この2.5Dミュージカルはアニメにも影響を及ぼしている。アニメ『スタミュ(高校星歌劇)』〔2015年〕や、『Dance with Devils』〔通称『ダンデビ』、2015年)などでは物語中キャラが歌いだす。『ダンデビ』に至っては、ミュージカルアニメーションと銘打たれ、2016年に舞台化もされている)。
  
ミュージカル『テニスの王子様』の衝撃

 以上、主要3要素から既存のミュージカルと比較してみると、2.5Dミュージカルは、明らかに独自性をもっている。キャラ中心にドラマ、曲、ダンスさえもキャラの自律化へ従属していく。また、藤原は、既存のミュージカルからみると積極的な余白、つまり“不完全性”があること、そして派手な舞台装置があまり必要とされないことも、キャラ中心主義に寄与する要素だとしている(14)。これはミュージカル『テニスの王子様』を嚆矢とする“『テニミュ』系”2.5Dミュージカルが典型である。『テニミュ』系とは、①無名俳優の起用によるキャラ再現性の優先、②チーム男子の採用、③連載上演を特徴としている作品群と定義しよう。
『テニミュ』は2003年から現在まで続く、2.5Dミュージカルという分野のパイオニアであり、最長寿作品である。したがって、2.5Dミュージカルの原点として取り上げられる作品である(15)。『テニミュ』はアニメ化もされた漫画「テニスの王子様」(許斐剛、「週刊少年ジャンプ」1999―2008年、集英社)が原作である。絶対に無理といわれたスポーツ漫画のミュージカル化を成功させたプロデューサー片岡義朗は、読者がコマとコマの間を補完する漫画と、観客の想像力に依存する演劇との類似性を早くから指摘していたし(16)、松田誠も「脳内補完」という実に妙を得た用語で端的に指摘する(17)。集客力がある有名俳優をキャストするのではなく、一貫してあえて無名俳優を起用し、キャラの再現性を最優先させたことも、他作品と一線を画す点である。「まるで漫画から抜け出たみたい」というキャラを中心とする感覚という意味の“2.5次元”がここに結実する。しかも、2次元キャラでは味わうことができない、息づかい、汗、匂い、筋肉などを、舞台では体験できるのだ(むろん、キャラが汗をかくのは見たくないというファンもいるだろうが、汗はキャストの一生懸命さが伝わってきて、かなり感動する)。
 また、よく指摘されることだが、『テニミュ』では女性キャラクター(物語のなかでは、竜崎スミレ監督と監督の孫・竜崎桜乃は主要女性キャラクター)を排除し、「チーム男子」(イケメンだけの集団)の世界を構築したことも大きな勝因である。これは、男性のスポーツ漫画にはレギュラー以外にも対戦相手に男性キャラが多いため、同人誌でBL的な多様なカップリング創作が多発したチーム男子流行の流れの一つだった。これを逆転したのが、チーム女子化した新作ミュージカル『美少女戦士セーラームーンLa Reconquista』(2013年)と続篇『Petite Etrangere』(2014年)、『Un Nouveau Voyage』(2015年)である。『セーラームーン』のミュージカル版は、実は『テニミュ』以前、アニメ放映の翌年1993年から2005年まで上演されたロングラン作品である。しかしオール女性キャストにしたのは新作からで、男性キャラは、タキシード仮面の大和悠河はじめ、元宝塚出身が多く、ヅカファンを2.5Dのほうへ引き寄せた第一人者的2.5Dミュージカルでもある。
 そして、藤原も指摘しているように、一つの舞台で物語が完結せず、漫画やテレビアニメ連載よろしく、連載上演(ただし一つの舞台で一試合)がなされているのも『テニミュ』や『テニミュ』系作品の特徴である。同じアニメーションや漫画原作でも、ディズニーミュージカルは一つの完成した作品としてのアニメーション映画を、『スパイダーマン』などのアメコミは連載ではあるが一話完結物(一つの事件の発生と解決)をそれぞれもとにしているため、形態の相違が生じるのは必然なのだ。

余白、未完成性の美学

 舞台装置も簡素。ブロードウェーミュージカルなどの派手な演出もない。むしろ、キャラを際立たせる演出が優先されるため、完全に作り込まない「余白」こそが2.5Dミュージカル/舞台を楽しむ重要な要素である。
『テニミュ』の「空耳」がはやったのがその証左だ。「空耳」とは、まったく関係ないが、“そう聞こえる”セリフを映像に字幕としてつけ、「ニコニコ動画」などの動画投稿サイトにアップして楽しむビデオのことだ。キャストの滑舌の悪さ(つまり未完成なミュージカル俳優)にツッコミを入れ、ファンたちが楽しむわけなのだ。また、セリフを噛んだり、間違えたり(「カムヒ」=セリフを噛む日と呼ぶらしい)、ウィッグがずれるなどのアクシデントが起こったりと、一回性の体験は実に「おいしい」。観客たちは、ここぞとばかりに「ツイッター」やブログで情報発信し、楽しむのだ。未完成だからこそ、観客がツッコミを入れる余地があり、そのことによってパフォーマンスに参加できる。
 ストレートプレイでも、楽屋ネタやアドリブを入れたり舞台裏を披露したりといったお笑いショー的な要素があると、観客は一挙に引き込まれていく。キャラとしてキャラの個性や設定を逸脱しない程度に笑いを作っていくのは、二次創作的な演出といえるだろう。
 こうした“未完成”性は、決して既存のミュージカルや舞台に対しての優劣で語るような要素ではない。一つの特徴なのだ。観客参加型の文化が主流になってきている現在、2.5Dミュージカル/舞台の心地よい未完成こそが、人を引き付けてやまないのである。


(1)アニメーションとアニメの差異については、津堅信之『日本のアニメは何がすごいのか――世界が惹かれた理由』(〔祥伝社新書〕、祥伝社、2014年)を参照。
(2)伊藤剛『テヅカ・イズ・デッド――ひらかれたマンガ表現論へ』NTT出版、2005年、東浩紀編著『網状言論F改――ポストモダン、オタク、セクシュアリティ』青土社、2003年
(3)小田切博『キャラクターとは何か』(ちくま新書)、筑摩書房、2010年、120ページ
(4)田中東子「次元を超える愛――ファンたちは2.5次元キャラクターをどう愛好しているのか?」発表原稿、第2回「2.5次元文化に関する公開シンポジウム――声、キャラ、ダンス」横浜国立大学、2016年2月6日
(5)藤原ここあの同名漫画(2009―14年)が原作のアニメ。アニメの場合は声が統一されていることもキャラの自律性を担保する。漫画という視覚情報だけでもキャラの普通バージョンとチビバージョンで、読者の認識に混乱が生じることはほぼない。
(6)星野太「キャラクターの召喚――二・五次元というカーニヴァル」、「特集 2.5次元――2次元から立ちあがる新たなエンターテインメント」「ユリイカ」2015年4月臨時増刊号、青土社、62ページ
(7)同論文65ページ
(8)藤原麻優子「「なんで歌っちゃったんだろう?」――二・五次元ミュージカルとミュージカルの境界」、前掲「ユリイカ」2015年4月臨時増刊号、68―75ページ、藤原麻優子「Does it Work?――2.5次元ミュージカルとアダプテーション」発表原稿、第2回「2.5次元文化に関する公開シンポジウム――声、キャラ、ダンス」横浜国立大学、2016年2月6日
(9)Lehman Engel, The Making of a Musical: Creating Songs for the Stage, Lomelight, 1986, p.98.
(10)前掲「Does it Work?」
(11)前掲「「なんで歌っちゃったんだろう?」」69ページ
(12)同論文70ページ
(13)同論文70ページ
(14)前掲「Does it Work?」
(15)『テニミュ』以前の漫画や、アニメ原作ミュージカル/舞台、2.5Dミュージカル/舞台の系統別リストについては前掲「ユリイカ」2015年4月臨時増刊号巻末のやまだないと/上田麻由子+PORCh「2.5次元ステージキーワードガイド」(ただし2014年まで)を、キャストを含めた詳細は「特集 2.5次元へようこそ!」「ダ・ヴィンチ」2016年3月号(KADOKAWA、16―61ページ)を参照のこと。
(16)片岡義朗「アニメミュージカルの生みの親&「テニミュ」立役者 片岡義朗インタビューinニコニコミュージカル」「オトメコンティニュー」第3号、太田出版、2010年、81―91ページ
(17)松田誠「日本2.5次元ミュージカル協会代表理事松田誠インタビュー」、前掲「ダ・ヴィンチ」2016年3月号、61ページ

 

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