その後のPTA――『PTAという国家装置』を出版して2年

岩竹美加子

『PTAという国家装置』を刊行してから早くも2年たった。
 この間の変化の一つは、2017年に個人情報保護法が改正されて、学校が子どもの名簿をPTAに渡すことが問題とされるようになったことだ。PTAは学校に付随した組織なのではなく、学校からは独立した組織であること、学校の名簿をPTAに渡すのは個人情報保護上、問題があることが知られるようになった。PTAは、加入を希望する保護者の名簿を自分で作ることが求められるようになったのだ。
 二つ目は、PTAが任意加入であることを周知する動きである。これまでは子どもが小学校に入学したら自動的・強制的に加入するものと思われてきたが、実は加入は任意であることを保護者に知らせるようになった。
つまり、この二つの変化には任意加入という関連がある。
 しかし、加入が任意であることを周知することで、「会員がゼロになったらどうするのか」「PTAがなくなったらどうするのか」という恐れが常につきまとう。その結果、「任意であることを通知しても、こうすれば加入率は減らない」というようなノウハウが広く流布されている。
 例えば、 「できる人が、できることを、できるときに」や「やりたい人が、やりたいことを、やりたいときに」というシステムである。従来のように、仕事を休んだり、病気を押したり、幼児や病人の世話を人に頼んだりして、強制的にPTA活動に参加させられるのではなく、自分ができること、やりたいことを選べるシステムだという。これによって、 これまでの強制参加から希望参加制に、あるいはボランティア制、サポーター制に変わるとされる。非加入を避けるための工夫だが、結局「できない」「やりたくない」とは言わせない仕組みでもあるようだ。また、このシステムで「私はしているのに、あなたがしないのはずるい、許せない」という、PTA活動につきまとう感情を変えていけるだろうか。
 そのほかの改革案として、活動を年度始めに一覧にする、通年の活動と1度だけの活動を明確に整理して参加者を募集する、業務をスリム化する、不要な役職を減らす、手紙での連絡ではなくメール配信の導入を考える、個人情報に配慮する、などを挙げるPTAもある。「活動を年度始めに一覧にする」のは、会員自身が、自分たちに必要と考える活動計画を立てるのではなく、すでに決められていて、与えられる活動や行事をこなしていくPTAのあり方を前提にしている。しかし、一覧にすることで「改革」とされるようだ。
「業務をスリム化する」「不要な役職を減らす」は、1970年代頃にも言われていたことで、それがいまだに実施されていないことを示す。「メール配信の導入」と「個人情報に配慮する」のは、現在の社会では当然だろう。PTAは、その「不活性化」や「危機」「停滞」が危ぶまれ、数十年間にわたって「活性化」「改革」「再生」などの言葉で語られてきた組織である。任意加入の通知と個人情報保護という新しい要素は加わったが、現在の動きもそうした流れの継続として見ることができる。
 昨2018年10月、大津市教育委員会は「PTA運営の手引き」を公立学校の校長などに配布した。ほかにも「無理な役員選考をしないよう」「退会者の子どもへの扱いが変わらないよう」注意を促す通達や手引書を学校の管理職に対して発行した教育委員会もあるという。また、加入しないという選択肢も含めたPTA入会書のモデルを複数公表したり、PTAの違法・強制から保護者を守ってくれる教育委員会の「お助け通知」を公開したりしているインターネットのサイトもある。
 教育委員会がPTAの違法・強制から保護者を守ってくれるという考えは、信憑性があるだろうか。教育委員会は、PTAを維持しようとする教育行政の一部である。学校でのいじめ問題では、しばしば証拠隠蔽や改竄を繰り返し、いじめはなかったと公表する。また子どもの虐待問題では、必ずしも適切な判断や行動をしていないことが報道される。そうした組織が、PTA入会の問題で保護者を守ってくれるだろうか。
 現実には、非加入を選んだ保護者に対して、その子どもを登校班に入れない、卒業式に子どもが胸につけるコサージュをあげない、卒業記念品をあげない、などのいやがらせが各地でおこなわれている。私自身、同様の経験がある。PTA入会申し込み用紙には「入会する」と「入会しない」の選択肢があったので「入会しない」に印をつけて提出したところ、子どもをPTAの催しに参加させないという脅しを受けた。加入しないという選択肢も含めたPTA入会書のモデルを作れば、問題が解決するわけではない。
 最大の問題は、PTAがほぼ日本全国の学校にあることだ。保護者が、それぞれの場で自分たちの必要に応じた組織を形成、計画し活動するのではなく、PTAがすでに強固に存在して国家装置として機能し、保護者の動員に使われていることが問題なのだ。
 学校に行くことは「登校」、学校から家に帰ることは「下校」と言われる。学校は上位に、家庭は下位に位置付けられていて、学校と家庭は対等の関係にはない。また、日本の学校は入学式、始業式、終業式、卒業式など、式をことさら好み、卒業式の練習には多くの時間と労力を割く。文部科学省の「小学校学習指導要綱」は、学校行事で「厳粛」な気持ちを味わうことを規定している。また、日本の学校では運動会、謝恩会、最近では二分の一成人式などの行事が重視される。PTAはこうした学校行政の一部に組み込まれていて、それは保護者間の同調圧力を強化する仕組みにもなっている。
 広い意味でPTAのあり方は、最近、問題にされるようになったブラックな校則や部活動、先生の長時間労働などの学校の問題とも関連するものだ。日本の学校には問題が山積しているのだが、PTAが声を上げたり、一歩踏み出したりすることはない。
 日本は教育の公的支出が非常に少なく、 2018年の発表ではOECD加盟国中で最低である。憲法は、義務教育を無償とすると定めているが、PTA会費は学校予算にも回されていて、会費を自動的に引き落とす学校もある、しかし、保護者は学校に対する発言権をもたない。
 こうしたことが成り立って続いているのは、日本の公教育が義務を強調して権利を十分に教えず、近代国家での個人と行政のあるべき関係が知られていないことに一因がある。国民に権利を与えたくない国家と、国家が権利を侵害していることに気づくことができない国民の双方が、PTAを維持している。
 毎年、PTAに関して同じような不満が表明され、同じような「改革」案が出され、同じような議論が繰り返される。それは「仕方ないんだ」「みんな我漫してるんだ」といったあきらめの気分を醸成する効果がある一方、任意加入が周知されたことによって「徐々に空気が変わる」という期待もあるようだ。しかし、それは構造的な問題に切り込むものではない。「空気が変わる」のを待つのではなく、構造を変えていく必要があるだろう。

 

第20回 紅ゆずる、明日海りおの退団に思う

薮下哲司(映画・演劇評論家)

 宙組の朝夏まなとの退団以来約1年半の間、トップスターの退団がなく比較的平穏だった宝塚歌劇ですが、105周年というアニバーサリーイヤーにもかかわらず、2月に星組の紅ゆずる、3月に花組の明日海りおが連続して退団を発表するという異例の激震が訪れました。
 いずれも宝塚大劇場での公演が終わった翌日すぐの発表でした。2人ともトップ在位期間からいって早期の退団発表は予想されていたものの、まさか続けざまとは思わず、『宝塚イズム』編集者としてもかなりびっくりさせられました。
 紅は、昨年秋の台湾公演を盛況裏に終え、『ANOTHER WORLD』や『霧深きエルベのほとり』など作品にも恵まれていつ退団しても悔いはないという状態でしたので、退団自体はある程度想定内でした。しかし、7月公演での退団の場合、グッズの準備期間などを考えると本来なら発表の時期が『霧深きエルベのほとり』開演前というのがセオリーでしたので、公演後すぐの発表は想定外でした。
 一方、明日海は、先に相手役の仙名彩世が退団を発表、初夏の横浜アリーナでの公演からは新しい相手役の華優希とのコンビが発表され、大劇場公演1作だけで退団というのは推測しがたいものでした。ただ、退団公演となる『A Fairy Tale――青い薔薇の精』(作・演出:植田景子)発表の際、新コンビの大劇場お披露目公演という文言がなかったことが、いまとなっては退団のヒントだったのでしょう。
 トップスターの退団人事は大体1年前には決まっていて、トップシークレットとして歌劇団内部で厳重に管理されます。紅と明日海の退団ももちろんそうで、昨日今日に決まったことではありません。明日海は昨年、舞浜アンフィシアターでコンサートをおこないましたが、実はそのときはまだ発表されておらず、すでに今年6月の横浜アリーナのコンサートも決まっていました。明日海の退団を前提にしたはなむけのコンサートというビッグイベントとして着々と用意されていたのです。ただ、明日海を中心とする花組は、宝塚5組のなかでも一番人気で、作品に関係なく宝塚大劇場を全期間完売できるパワーがあります。そんな金の卵を歌劇団としても簡単に手放したくはないはずで、アリーナコンサートは歌劇団が明日海を慰留するために企画した最大のイベントだったことは想像にかたくありません。
 退団会見でも話していたとおり、明日海自身も昨年1月の『ポーの一族』で退団を意識し歌劇団に伝えてきましたが、慰留されていまに至ったということではないでしょうか。それだけに退団公演までの時間の余裕があり、仙名を先に見送るという彼女ならではの心遣いも可能になったのかもしれません。こう考えてくると、明日海の退団が先に決まっていて、あとから紅の退団が決まったことが浮かび上がってきます。紅は会見で「トップ就任5作で退団を決めていた」と話しましたが、それはあとからのつじつま合わせとも考えられ、案外、これが連続退団の真相かもしれません。
 紅は2002年初舞台。身長があって際立った容姿の持ち主でしたが、同期生のなかでもビリに近い劣等生。一方、明日海は03年初舞台。文化祭のときから抜群の容姿でしたが、男役として決して恵まれた身長があるとは思えませんでした。2人とも、それぞれのハンディを跳ね返して見事トップに上り詰めました。その共通点はやはり2人の「宝塚愛」の強さでしょうか。退団会見では2人とも、仲間との別れや退団することの寂しさで涙を見せたのが印象的でした。
 明日海は「退団後何をしたいか」と問われて「職探し」といって笑わせました。「車の免許をとりたい」とも。音楽学校入学後、初舞台から現在まで抜擢の連続で、稽古と舞台に明け暮れ、自分の時間が全くなかったことがこの言葉でうかがい知れます。3番手、2番手時代には役替わり公演が連続、これまでのトップスターたちと比べても2倍以上の濃い宝塚生活だったのではないでしょうか。
 2人の退団公演は紅が上海、マカオ、シンガポール、ドバイをまたにかけて活躍するシェフに扮するアジアンテイストの『GOD OF STARS――食聖』(作・演出:小柳奈穂子)とレビュー、明日海が19世紀後半のイギリスを舞台に、妖精界の掟に背いた青い薔薇の精の苦悩に挑戦する『A Fairy Tale』とレビューの二本立て。いずれも、それぞれを知りつくした女性作家の作品で、最後を飾るにふさわしい作品になることが期待できそうです。

 さて『宝塚イズム』は、現在6月1日刊行予定の『39』の原稿を募っているところです。『39』では、明日海より先に退団する星組の紅ゆずると同時退団する綺咲愛里のサヨナラ特集を中心に、月組の美弥るりか、星組の七海ひろきといった89期生の退団を惜しむ声も特集に織り込んで、105周年前半の宝塚の現状を多角的にレポート、評論します。旬のスターが登場するOGロングインタビューにもご期待ください。
 紅のあとに退団する花組・明日海りおのサヨナラ特集は、東京宝塚劇場の千秋楽が11月24日ということもあって、千秋楽の興奮もさめやらない12月1日刊行予定の『40』で大々的に取り組むべくいまから準備を進めてまいります。『宝塚イズム』40号の記念号でもあり、おおいに期待していただきたいと思います。
 105周年が始まったばかりというのに、新たな世代交代に大きく動き始めた宝塚。ウォッチャーとしては慌ただしい一年になりそうですが、これまでどおりぶれることなくきっちりとした視点で見守っていきたいと思っています。

 

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オカルト番組って……なくならないんじゃないの?――『オカルト番組はなぜ消えたのか――超能力からスピリチュアルまでのメディア分析』を書いて

高橋直子

「えっ、消えたの?……なくならないんじゃないの?」
 本書の刊行直前(2019年1月26日)のこと、見本のカバーを見つめたまま、T先生はそうおっしゃった。私は答えに窮した。現状でオカルト番組がまったく放送されていないわけではないし、本書はオカルト番組が消えると予想するが、消えるかどうかを問題としているわけでもない。どこからどう答えたらいいものか、尊敬する先生を前に逡巡してしまった。回答できずにいる私に、先生は「まぁ、読めということですね」とおっしゃった。恐縮至極。
 その家路、執筆時に考えたあれこれが思い浮かんでグルグル回り、ふと、フリードリヒ・エンゲルスのことを思い出した。教科書にカール・マルクスとセットで名前が出てくる、あのエンゲルスである。1870年代、交戦国同士がともに戦場で最新式の銃を使用したことに驚いた彼は、兵器がここまで進歩したからには、もうこれ以上は兵器改良の余地はないと考えた。隣国が軍備に力を入れれば、それと同等の軍備をもたなければならないという状況では、軍事費が増大して遠からず国家財政はもちこたえられなくなる、と予想したのである。この予想が無残に裏切られたことはいうまでもない。たしかに軍備競争は国家の出費を増大させたが、財政破綻を引き起こしはしなかった。反対に、戦争準備行動は、数々の工場を稼働させることで、ある種の経済問題を解決するのに役立ちさえした。工業の進歩の結果、戦闘の諸条件や技術は新たな次元へと突入していったのである。
「消えたの?」という問いかけは、「現状、消えてないよね?」という単なる疑問なのではなく、オカルト番組が消えるという予想は無残に裏切られるのではないか、という反論である場合が多いのではないかと思う。いまは下火といっても、また新たなスターが出現すればブームが起こるのだろうという見方は、馴染み深いものである。また、BS、CSとチャンネルが増えたことは、オカルト番組の出口が増えるということでもある。
 私がエンゲルスのことを思ったのは、この頃、ロジェ・カイヨワの『戦争論』(原題はBELLONE ou la pente de la guerre〔「ベローナ、戦争への傾斜」〕。ベローナは古代ローマの戦争の女神)を読んでいたから。カイヨワは戦争を礼賛する言論によって、戦争が人びとの心をいかに引き付けるかを考察して、「戦争と祭りはともに社会の痙攣である」と論じた。痙攣は、意志も反省も到達できない内臓の深みで起こる。戦争も祭りも、知性では理解することも制御することもできない、社会(集団)の根底にある恐ろしい力の沸騰・噴出のようなものである、というカイヨワのひそみにならえば、オカルトもまた社会の痙攣に連なる現象である。
 2019年1月29日、『オカルト番組はなぜ消えたのか』刊行。この書名の本が書店に並ぶことは、10年前ではありえなかったのではないか――いま、「なぜ消えたのか」と問うことが了解される(との前提で出版される)ということは、本書の内容にかかわらず、ある意味をもつものだと思う。
 デジタルメディアの長足の進歩の結果、オカルトがエンターテインメント化される諸条件や演出は新たな次元へと突入していくことだろう。そうであればこそ、いま、その歴史の一端を振り返る意味があると思う。
 本書は、かつてどのようにしてオカルト番組が成立し、オカルト番組を介したコミュニケーションがどのように変化してきたか、その経緯と現状を分析している。本書の分析が、新たな次元へ備える一助となるならば、たとえオカルト番組が消えなかったとしても、著者としてはこのうえなく幸せである。

 

日本食は伝統? じゃなくて伝説のお料理でした――『刺し身とジンギスカン――捏造と熱望の日本食』を出版して

魚柄仁之助

 和食って、そんなにエライんですかぁ? 世界文化遺産に選ばれたとか言って喜んでる人もいるようですが、和食がすでに滅び去ったものだから「遺産」なんですよね? 伝統の和食とかいわれてますが、引き継がれていてこそ「伝統」なんであって、遺産と化した和食なら、伝統じゃなくって「伝説のお料理」じゃないんですかぁ?
 あたしの実家は1918年(大正7年)創業の日本料理店でした。あたしが生まれた56年ごろは創業者の祖父と二代目の親父が店を切り盛りしていて、同年輩の同業者(日本料理屋、寿司屋など)のオヤジたちもよく出入りしていましたから、それら料理人たちの話を聞きながら育ちました。明治生まれ・大正生まれのオヤジたちの料理話といえば、「和食、エライ!」一色と言ってもいいくらい、和食自己愛に満ちたものでした。
「洋食や中華は素材の鮮度が悪いから香辛料を使ったり油で揚げたりするが、和食は鮮度も食材の質も世界一だから、余計な味付けも加工もしないのだ」という信念をもち、神代の昔からの伝統食がどれほど優れているのか、を自慢していたのです。
 そのような明治・大正料理人たちの「和食、エライ!」とは裏腹に当時の日本人は洋食とか中華料理を喜んで食べてるし、学校給食は米ではなくパン食でした。寿司屋のオヤジだって鮪のかわりにハムを鮓種にして握っていたじゃないかッ。その寿司を和食と呼んでもいいのかっ!てなことをオヤジたちに言ってみたら、「屁理屈こねるんじゃねーやッ」と怒られたものです。

 そこで、三代目を継がずに食の鑑識を始めました。

 神代の昔、とまでは言わんが、日本の近代化が進んだ明治以降、その伝統的で優れた和食はどのように引き継がれてきたのだろうか、いや、引き継がれずに洋食化していったんだろうか、和食そのものが変化したんだろうか。そもそも和食の定義ってナニ?
 このような疑問を解き明かそうと、明治から大正・昭和の料理本や雑誌を古本市で買いあさり、そこに紹介されている料理の分類と分析、そして試作と検証を始めたのでした。1970年代から古本屋で昭和の婦人雑誌付録の料理本などを買い続けた結果、雑誌付録の料理本だけで約200冊、和食・洋食・支那料理(当時は中華料理をこう呼んでいたんです)の単行本まで含めると優に1,000冊以上が手元に集まりました。そのほかに家庭料理ページがある婦人雑誌(「主婦之友」「婦人之友」「婦人倶楽部」など)、科学的に食料を取り上げていた科学雑誌や農業雑誌などが数千冊。これらから食に関するページをPDFにして分析の資料にしてきました。
 こうして食の鑑識を進めてきましたら、現在食べてる日本食というものの進化の過程と事実がわかってきした。すると、これまでいわれてきた和食の伝説などがウソっぽい、根拠がないものだと思うようになったのです。食のうんちくのほとんどが「また聞きか受け売り」でしかなかったんです。
 例えば――。
・刺し身とか寿司だって、昭和の初期にはすでに洋食や中華の要素を積極的に受け入れて進化してきたことがわかりましたし、今日ではごく当たり前の「刺し身には醤油」という構図が刺身の食べ方の一つにすぎなかったこともはっきりとしました。
・「鯨肉食は日本の伝統的な食文化」というのも、料理法を調べてみると1935年以前の鯨肉食にしか当てはまらないこともはっきりしました。
・また、日本のウスターソースとイギリスのウスターソースはその製法も異なるし使い方がまあ~ったく違うので、「ソースが洋食で、醤油が和食」とは言えないってことも明白になりました。
・中国生まれの水餃子を敗戦で引き揚げてきた日本人が焼き餃子にした……のではない証拠イラストが戦前の料理本にはたくさんありました。
・昔懐かしいおふくろの味=肉じゃがという構図は1970年代にマスコミが作り出したもので、そもそも「肉じゃが」という料理名のレシピが料理本に載るようになったのは70年代のことでした。
・マヨラーという言葉が生まれたのは30年くらい前ですが、そのマヨネーズだって日本では独特の進化を遂げていました。卵不使用のマヨネーズとか油不使用マヨネーズなどの時代もあったのでJAS規格で厳しい基準が設けられたのですが、いまになって、アレルギー対策、ダイエット対策でそのようなニセマヨネーズが求められるようになったというのも皮肉なもんだ……というようなこともわかったんですね。
・土用の丑の日には鰻の蒲焼きを――と思い込んでいたけど、日本人が日常的によく食べてた蒲焼きは「イワシ、サツマイモ、レンコン」なんぞが多かったというのが現実でした。

 魚肉ソーセージを使った料理レシピを集めてみるとその陰には原水爆実験との関連が見えてくるし、焼きそばのレシピを並べてみると戦後のアメリカ産小麦粉輸入と縁日のテキヤ稼業と即席めんとの関連が見えてくる。

 このように料理別の項目を立てて書き始めたらとんでもない分量になってしまい、途中段階の原稿を見た青弓社から「分けましょ。一冊になんて無理無理!」と言われましたの。
 そこで第1弾は和食の王道でもある「刺し身」と得体の知れない郷土食?である「ジンギスカン」、そして知る人ぞ知る謎の中華風アメリカ料理「チャプスイ」の3つに絞ることになりました。
 これに続きまして近代日本食に影響を与えた調味料「ウスターソース、マヨネーズ、カレー」を中心にした第2弾、そして第3弾としては餃子と肉じゃがの真実に迫ります。
 いま、麺棒で餃子の皮を延ばして、その厚さ、コシの強さなどを検証しているところです。
「皮、延ばしても、締め切り、延ばすなッ」を肝に銘じて……。

 

52年間ファンとして追いかけてきた記念品――『沢田研二大研究』を書いて

國府田公子

 2018年に、偶然のきっかけで私のことを「読売新聞」夕刊に5日間にわたって連載してもらいました。それが引き金になって「本を出版しないか?」という話が届きましたが、最初は頑なに辞退していました。売れないと思ったからです。しかし、重ねて説得されて、売れるかどうか半信半疑ながら出版を引き受けました。
 とりあえず、手元にあるファンクラブの会報をワープロで入力してプリントすることからぼちぼちと始めました。というのも、何十年も前の会報は手書きをコピーしたものだったのです。
 7月からジュリーのツアーが始まったので、原稿まとめと並行しながら、私が運営しているウェブサイト「Julie’s World」も更新していました。
 そんなとき、あのコンサートのドタキャン騒動が起こりました。ジュリーから理由を聞くまでもなく致し方ないと思っていたのに、マスコミは大騒ぎ。その会場にいた私は「さもありなん」と思ってすぐに帰宅しました。思わぬところでジュリーが取り上げられて、そのことにびっくりしていると、フジテレビの『バイキング』の担当者から「話を聞きたい」という依頼がきました。「私の気持ちを素直に話せばいい」と思って引き受けました。ウェブサイト「Julie’s World」を開設・運営するにあたって、匿名とかハンドルネームでは情報発信者としての責任がもてないと思って最初から実名・公子で通していたので、名前や顔を出すことに抵抗はありませんでした。
 ところが、私が取材を受ける直前にジュリーが記者会見を開きました。こんなことはこれまでになかったし、普段のジュリーの姿を見ることができて、ファンはとてもうれしく思いました。もちろん、キャンセルすることはいいことではありませんが、諸般の事情によってはありうるだろうと思っています。ジュリーの考えとドタキャンの理由がわかったので「私が出る幕はないな」と思ったのですが、取材は予定どおりにおこなわれて放送されました。テレビの影響力は強いもので反響は大きく、コンサート会場でたくさんの方から声をかけられるようになりました。
 そのほか、TBSの『あさチャン!』や『サンデージャポン』からも依頼をもらいましたが、実現しませんでした。騒動の次のコンサートでジュリーがドタキャンの事情を説明したのでファンとしてはこの問題は解決ずみだと思っていたのに、騒動はなかなか収まりませんでした。
 そして、今度は「週刊朝日」(朝日新聞出版)の編集者(ジュリーのファンです)から「これまでの報道を快く思っていないので、いま一度、ジュリーを記事にしたい」と取材依頼が届いたので、引き受けました。記事になると、次には「週刊文春」(文藝春秋)からも「話を聞きたい」と。ただこちらは、「あなたの趣旨に反する記事になるから掲載しないことにした」と事前に連絡がありました。
 そんな展開を迎えるなか、年末に原稿をまとめて青弓社に届けました。
 できあがった本書のカバーには大きな文字が輝いていました。うれしいような、気恥ずかしいような、複雑な気持ちでながめました。
 ジュリーの武道館での3間のコンサートも無事に終わって、代替えの大宮ソニックシティのコンサート前日の2月6日に、TBS『ビビット』から再度、密着取材の依頼がありました。これも引き受けて、コンサートが終わったあとには自宅でグッズなども撮影しました。インタビュアーが本にも注目してくれたためか、8日の放送では本が何度も大写しになっていました。
 反響はこれでは終わりません。出版して放送もされて少し落ち着いて銀座をブラブラしているときに、今度は街頭インタビューにつかまりました。「いま、何をしてますか?」などに答えていたら、突然、「平成最大のニュースは?」と聞かれたので、とっさに「本を出版したこと」と返事したら取材者の目がキラリと光りました。詳しく教えてほしいと言うので、顛末を話しました。4月後半に放送予定のNHK-BSの番組ですが、どんなふうな内容になるのかもわかりませんし、もしかしたらボツになるかもしれません。
 また、「週刊文春」では本書を紹介してもらいました。「誰かのファンで居続けることは、こんなにも尊い」と書いてもらい、うれしく読みました。
 こうした思いがけない展開に、私は「いったい、何がどうなっているの?」と少々戸惑っています。ジュリーのドタキャン騒動がなければテレビに出たり週刊誌に載ったりすることもなかっただろうと思います。
 ファンを52年やってきて、ウェブサイトの運営も20年過ぎ、毎月書いていた会報「LIBERY」は500号を超えたちょうどそのときの出版の依頼だったので、「いい記念になる」と思って出版した『沢田研二大研究』。ですが、私はカリスマファンだとかファンの代表だとは全然思っていません。ただの一ファンです。

 さて、これから、何が起こるのでしょうか。5月9日から始まる「沢田研二LIVE2019 『SHOUT!』」に期待しながら過ごしています。

  

第19回 2018年を振り返り、19年を展望する

薮下哲司(映画・演劇評論家)

『宝塚イズム38』(12月1日発売)は2018年の宝塚を振り返るという意味合いも込めて「5組の診断」を特集に組みましたが、トップスターのサヨナラ特集とは違って、現在の宝塚全体を俯瞰することができて、なかなか充実した内容になったと自負しています。書店での反応も、個別のファンだけでなく宝塚を応援するファン全般に受け入れてもらうことができているようで、われわれ編著者が予想していた以上に好評だそうです。トップスターの退団発表がなく、ギリギリまで特集を決めかねていただけに、思いがけないうれしさとともに、読者のみなさまのニーズが何なのか、編集をするうえでの新たな課題を突き付けられた思いもしています。いずれにしても、楽しんでいただいていればこのうえない喜びです。
 宝塚歌劇は2019年に105周年を迎えます。つい先日100周年だと思っていたのですが、時がたつのは早いものです。100周年でマスコミがこぞって取り上げたおかげもあって、以来、好調な観客動員が続いています。それは、足が遠のいていたオールドファンや初めての若いファンがそのときに観劇して、宝塚歌劇の魅力を再認識し、リピーターになったからにほかなりません。ちょうどそんなときに上演された『ルパン三世――王妃の首飾りを追え!』 (雪組、2015年)や『るろうに剣心』(雪組、2016年)などの作品が、宝塚を見る彼らの目を変えたのではないでしょうか。「宝塚って意外と面白いやん」、それが現在の隆盛につながっているのだと思います。スタッフの企画力とそれに応えた出演者、演出力の成果だと思います。
 2018年の宝塚歌劇は、そんなファンを十分に満足させた充実した一年でした。少女マンガのカルト的名作を初めて舞台化した花組公演『ポーの一族』、人気ミュージカル『エリザベート――愛と死の輪舞』(月組)、そして『ファントム』(雪組)の再演が宝塚大劇場、東京宝塚劇場ともに連日満員の人気を呼びました。ほかにも台湾で上演した星組公演『Thunderbolt Fantasy 東離劍遊紀』のような人形アニメを舞台化するという新しいジャンルの作品にも果敢に挑戦、新作の合間にヒット作をバランスよく配置したバラエティーに富んだ陣容で話題を呼び、作品のレベルも比較的高い水準をキープできたのが何よりでした。宝塚大劇場では台風で二度休演するという不測の事態もありましたが、珍しくトップスターの退団がなかったのも安定感につながっています。
 そんななかで年末にディズニーリゾートにある舞浜のアンフィシアターで初めておこなわれたコンサート『Delight Holiday』(花組)が、これからの宝塚歌劇の一つのあり方を示していてなかなか興味深い公演でした。花組のトップスター、明日海りおを中心とした18人の選抜メンバーによる公演でしたが、本拠地では見られない男性客の姿が目立ち、普通のコンサートと同じようにペンライトを持ってタカラジェンヌを応援する姿が新鮮でした。場所柄、ディズニーランドのショーを見る感覚だったのかも。コンサートといえば最近では星組トップ時代の柚希礼音がおこなった日本武道館での大掛かりな公演がありましたが、そのときよりずいぶんとリラックスした感覚でした。
 内容も平成最後の年にちなんだ30年間のヒット・メドレーやディズニー・メドレーなど、いつものレビューとは一味違った選曲。トップ娘役の仙名彩世が歌った安室奈美恵の「Hero」は聴きものでした。
 宝塚歌劇にとって男性客の開拓は長年の懸案だったのですが、全国の映画館でのライブビューイングが拡充されて、宝塚歌劇が気軽に楽しめるようになったことも一因かもしれません。ライブビューイングはこれまで東京宝塚劇場での千秋楽公演に限られていましたが、2018年からは宝塚大劇場の千秋楽をはじめ、中日劇場、博多座、赤坂アクトシアター、さらに宝塚バウホール公演までおこわれるようになっています。これに加えて、放送開始とともにNHK-8Kでのライブ放映も始まりました。充実したコンテンツを生かして、今度はさらなる男性ファンの獲得へ――宝塚歌劇の攻勢は来年も続きそうです。
 来年の宝塚は宝塚大劇場が星組公演『霧深きエルベのほとり』、東京宝塚劇場は雪組公演『ファントム』からスタートします。元日、2日のそれぞれの初日には各組トップスターが勢ぞろいして口上をおこない、105年目の開幕をことほぎます。『霧深きエルベのほとり』は菊田一夫作で、1963年に初演された伝説的舞台の再演。20世紀初頭のハンブルクを舞台に、船乗りと深窓の令嬢の身分違いの恋を描き、当時のトップスター、内重のぼるの当たり役になった作品で、その後2度、再演されています。昭和の香りがする宝塚のクラシックといえば、大体の雰囲気はわかっていただけるでしょう。それを実力派の若手作家である上田久美子が現代の女性の視点でどんな形でよみがえらせるのか、興味は尽きません。
 前半のラインアップはその後、明日海りお率いる花組の一本立て大作『CASANOVA』、珠城りょうが宮本武蔵に扮する月組公演『夢現無双――吉川英治原作「宮本武蔵」より』、真風涼帆が星組時代に新人公演で主演した作品に挑戦する宙組公演『オーシャンズ11』、望海風斗が悲劇の新選組隊員に扮する雪組公演『壬生義士伝』と続きます。話題性があるオリジナルにヒット作の再演という安定路線はそのまま継承しながら、105年を乗り越えようという狙いです。後半もさらに話題作が続きます。
『宝塚イズム39』は6月1日発売です。105周年前半の成果の検証と後半への展望が、次号の大きなテーマになるでしょう。トップスターの変動もそろそろありそうな予感もしながら、4月には話題の新人の初舞台も控えていて、105周年の宝塚歌劇はマスコミを巻き込んでまたまた大きな旋風を巻き起こしそうです。宝塚ウオッチャーとしての『宝塚イズム』執筆メンバーも東奔西走、多忙な年になりそうですが、編著者としてはそのあたりの話題性に流されず、しっかりと宝塚のいまを見守っていきます。ご期待ください。

 

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第10回 ヴィリー・ブルメスター(Willy Burmester、1869-1933、ドイツ)

平林直哉(音楽評論家。著書に『フルトヴェングラーを追って』〔青弓社〕など多数)

パガニーニの再来と謳われた逸材

 未曾有の大災害である関東大震災が起こった1923年(大正12年)の4月、世界漫遊の途次、ドイツのヴァイオリニスト、ヴィリー・ブルメスターがピアニストのヴィリー・バルダスを伴って日本の土を踏んだ。彼らは約4カ月間日本に滞在し、東京、大阪、京都、神戸、広島などを訪れている。ほぼ同時期にはフリッツ・クライスラーも来日していた。この2人のヴァイオリニストは5月頃、大震災の前触れといわれる地震に遭遇したが(関東大震災が起こったとき、すでに2人は日本を去っていた)、ともに人生初の地震体験だったという。リサイタルは、クライスラーのほうは大入り満員だったが、ブルメスターのそれは空席が目立った。クライスラーのレコードはビクターに多くあったが、これらは当時日本では非常に有名だった。一方、ブルメスターのレコードはほとんど流通しておらず、それでチケットの売り上げに差がついたらしい。かくしてブルメスターは「今度日本に来るときには、ビクター・レコードに録音してからにしよう」とつぶやいたらしいが、2度目の来日は、ついに果たされることはなかった。
 ブルメスターは1869年、ドイツのハンブルクに生まれた。父の手ほどきでヴァイオリンを始め、7歳のときに公の場で演奏して注目を集める。81年、巨匠ヴァイオリニスト、ヨーゼフ・ヨアヒムに認められ、12歳のときにベルリン高等音楽院に入学。しかし、その3年後(4年後とする説もある)、ヨアヒムは「ヴァイオリン以外の科目は全くだめ」として、ブルメスターを破門したとされる。87年、チャイコフスキーがハンブルクを訪れた際、ブルメスターがチャイコフスキーの『ヴァイオリン協奏曲』を弾くと、チャイコフスキー自身から絶賛された。この成功がきっかけで、ブルメスターは88年と92年にロシアに招かれている。ハンス・フォン・ビューローとも交遊関係をもち、ヘルシンキ・フィルハーモニーのコンサートマスター(1892-94年)も務めた。94年11月、ベルリンでデビューし、注目を集める。ちなみに、当時のベルリンではヨアヒムやパブロ・デ・サラサーテ、レオポルト・アウアーなど、伝説のヴァイオリニストたちがしのぎを削っていた。1923年に日本を訪れてはいるものの、それ以降の活動状況についてはほとんど何も知られていない。33年、故郷ハンブルクで死去。
 ブルメスターは来日した際、“パガニーニの再来”と宣伝されていた。実際、ブルメスターは節目でパガニーニを演奏していたようだが、幸か不幸か、パガニーニの録音は残っていない。後年、ブルメスターはパガニーニ弾きのイメージを変えようとしたが、うまくいかなかったとされる。また、特にベルリンではヨアヒムを意識し、ドイツ物はなるべく避けていたともいわれる。晩年は病気説もあるが、いずれにせよ、最後の10年間はそれほど活発に活動していなかったようだ。
 2018年12月、東京・神田神保町のレコード社・富士レコード社が創業88年を記念して、CD『ヴィリー・ブルメスター全録音集』(F78-2)を発売した。ブルメスターの全録音とはいえ、曲数は13、SP盤14面分である。内容は以下のとおり。

バッハ「アリア」、同「ガヴォット」、ラモー「ガヴォット」、デュセク「メヌエット」、ヘンデル「アリオーソ」、同「メヌエット」、同「サラバンド」、シンディング「アンダンテ・レリジオーソ」(以上、1909年9月27日、ベルリン、グラモフォン)

フンメル「ワルツ」、ブルメスター「ロココ」(以上、1923年、日本、ニットーレコード)

ラモー「ガヴォット」、メンデルスゾーン「ヴァイオリン協奏曲ホ短調より第2楽章」(以上、1932年1月、デンマーク、エディソン・ベル)

 わずかこれだけの枚数なのに、過去に全録音を収録した復刻盤が存在しなかったのには理由がある。それは、特に日本録音とデンマーク録音が中古市場では極めて稀少であること。数が少ないということは、すなわち値が張るということ。日本録音は一時50万円ともいわれたが、デンマーク録音もそれと似たり寄ったりであるらしい。そんなわけなので、全点持っているコレクターは世界的に見てもごく少数であるため、上記の復刻CDも複数のコレクターがSP盤を持ち寄って完成したという。
 ブルメスターの音はピンと張っていて、透明感がある。しかも、音色は高貴な香りを漂わせ、上質な甘さもある。パガニーニ弾きといわれただけあって、切れ味はあのブロニスラフ・フーベルマンを思わせるし、ゲオルク・クーレンカンプのような男の哀愁みたいなものも感じさせる。唯一、ラモーの「ガヴォット」は新旧で聴き比べられるが、全体の解釈の基本は全く変わっていない。両方とも、とても魅惑的な演奏である。デンマーク録音は亡くなる前年の電気録音であり、これがブルメスターの実際の音に最も近いと思われるのだが、一方では1909年の録音にこれだけの情報量があるのかと、改めて驚いた。
 ところで、ブルメスターは来日の際、当時大阪に本社があったニットーレコード(日東蓄音器)に2曲、録音している。わずか2曲ではあるが、『ロココ』は唯一の自作自演として貴重である。来日アーティストの日本録音としては、テノールのアドルフォ・サルコリがヴェルディの歌劇『リゴレット』からの「女心の歌」を1912年に収録した例があるが(ロームミュージックファンデーションの『SP名盤復刻選集Ⅰ』に収録)、器楽奏者としてはこのブルメスターが最初ではないだろうか。当時はもちろん、マイクによる収録ではなくラッパ吹き込み(アコースティック録音)である。
 実は、私はブルメスターの全録音集のCD解説を依頼されたのだが、その際、インターネット上に流布している録音データの根拠を探し求めたのである。つまり、収録は4月とか、場所は大阪であるとか書かれているが、知る範囲では明確な根拠を示したものはひとつもない。
 当時の録音データがある可能性が最も高いと思われたのは、かつてニットーレコードが発売していた月刊誌「ニットータイムス」だった。調べた結果、この雑誌を最も多く所蔵していたのは大阪の国立文楽劇場の図書閲覧室と、京都市立芸術大学の日本伝統音楽研究センターだった。しかし双方が歯抜けだったため、私は2日かけて2カ所を訪ねたのである。
 その結果、録音データは一切見つからなかったが、以下の2点だけは確認できた。
①ブルメスターのレコードは1923年の「10月売り出し」である。
②予定では数曲以上録音するはずだったが、録音技師の不手際で、2曲しか商品化できなかった。
 ①「ニットータイムス」1923年10月号には「10月売り出し」の広告もあるが、同じ号にはブルメスターのレコードを買って感激した読者の投稿があるので、SP盤は8月末か9月の初め頃には店頭に出ていたと推測される。
 ②「ニットータイムス」1927年5月号の「吹込のEpisode」という記事のなかで、何度やってもうまくいかず、会社は莫大な吹き込み料金をフイにしたと記されている。
 録音場所は、可能性としては大阪本社の吹き込み所(録音スタジオ)が最も高いだろう。録音後、ただちに敷地内の工場でプレスできたからである。しかし、当時の「ニットータイムス」を見ると、東京にも吹き込み所はあったし(九段下にあったが、2012年にビルが解体された)、さらに意外なことには、ニットーレコードはあちこちに臨時吹き込み所を設置して録音していたのである。当時、きちんと調整されたピアノがあちこちにあるとも思えないので、ブルメスターの録音だって彼らが滞在していたホテルだったかもしれないし、どこかの練習室のような場所だったことも考えられる。
 大物アーティストの来日録音はしばしば雑誌の記事になっていたので、ブルメスターの録音についても、同様の記事が見つかれば解決できたかもしれない。ということで、インターネット上に記されているブルメスターの録音データは、1923年以外、全く信用がないものだと念を押しておきたい。なお、ブルメスターは『芸術家生活50年』という自伝(ドイツ語、英訳もあるらしい)を著していて、そのなかには日本滞在の章があるのだが、残念ながら日本録音についての記述は全くない。
 余話。自伝によると、ブルメスターは日本滞在後、クライスラーと同じ船に乗ってアメリカに渡ったという。

 

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第18回 『宝塚イズム38』発売と、宝塚歌劇の様々な動きに思う

鶴岡英理子(演劇ライター。著書に『宝塚のシルエット』〔青弓社〕ほか)

 いよいよカレンダーが残り1枚になりました。すでに手元にあるチケットは2019年のものが格段に多くなっていて、月日の流れの早さには驚愕するばかりの毎日です。
 そんななか、そのカレンダーがラスト1枚になった12月1日、『宝塚イズム38』が店頭に並び始めました。今号の特集は「明日海・珠城・望海・紅・真風、充実の各組診断!」と題して、男役トップスターの交代が全くない年だった2018年のいまだからこそ語れる、花、月、雪、星、宙、各組の魅力と勢力分析を語ろうという企画で、それぞれの組の魅力や可能性を「我こそは!」と自負する書き手のみなさんが語っています。
 とはいえいつものことなのですが、「書籍」である『宝塚イズム』の締切り設定は雑誌と比べてかなり早く、これらの原稿がすでに上がってきていて校正作業が始まろうかという段階で、花組トップ娘役の仙名彩世が2019年4月28日花組東京宝塚劇場公演『CASANOVA』千秋楽をもって退団、宙組男役スターの愛月ひかるが宙組博多座公演『黒い瞳』『VIVA! FESTA! in HAKATA』千秋楽翌日の19年2月26日付で専科に異動することが発表され、私を含め書き手たちは原稿の差し込みと修正作業に追われました。いずれもここでこのような人事が動くとは予想していなかった事態で、格別な想いがあります。
 仙名彩世はこれまでトップスターになるための第一関門と考えられていた新人公演のヒロイン経験をもたずにトップ娘役の座をつかんだ人で、彼女の存在が、いまも与えられた場所で懸命に努力を重ねている、後に続く娘役たちにどれほど大きな励みを与えたか計り知れません。さらに、円熟期を迎えているトップスター明日海りおの3人目の相手役でもありましたから、明日海よりも先に単独で退団する道を選んだことには驚きもありました。けれども現在舞浜アンフィシアターで上演中の『Delight Holiday』で、一世を風靡した『アナと雪の女王』の「Let it Go」を東京宝塚劇場と変わらないキャパシティーを誇る大舞台で堂々と1人センターを張って歌いきる姿を見ていると、どこかでは満願成就のすがすがしさも感じます。あと半年、彼女のトップ娘役としての輝きを目に焼き付けていきたいと思います。
 一方愛月ひかるは、同期生の芹香斗亜が二番手男役スターとして加入して以来、宙組での立ち位置に一抹の不安こそ覚えてはいましたが、芹香とは巧みに居どころを分け、なお重要な役柄を演じてきていて宙組悲願の生え抜きトップスターの期待をその双肩に担っている人という想いは変わりませんでしたから、ここでの専科異動の衝撃は大きなものでした。ただ博多座公演『黒い瞳』では、トップスターに拮抗するほどの大役であるプガチョフを演じることが決まっていますし、現在発表されている範囲での2019年の宝塚作品ラインアップを見ても、この公演には愛月が必要なのではないか?と思えるものがすでに何本もあり、二枚目役からキャラクター性が濃い役柄まで幅広く演じられる愛月が専科に異動することは、発展的思考での人事だと信じたいと思います。専科で活躍したのちに組トップとして帰還した例は過去にも多いこともあわせて、愛月の今後の活躍に期待したいです。
 そんな人の動きのなかで、これは全く締め切りに間に合いようもなかったのが、星組スターの七海ひろきの2019年3月24日星組東京宝塚劇場公演『霧深きエルベのほとり』『ESTRELLAS(エストレージャス)――星たち』千秋楽をもっての退団発表でした。紅ゆずるが率いる星組では礼真琴が二番手スターとして確立していて、上級生の七海の進退に危惧するものがなかったのか?と言われれば、確かにその懸念は常にありました。しかし、星組全体のビジュアル度を確実に高めている「美しい男役」である七海の貴重さと同時に、『Thunderbolt Fantasy 東離劍遊紀』の実質的な主人公・殤不患(しょうふかん)を堂々と演じて実力面でも申し分がない進化を遂げていた七海をぜひ大切なスターとして生かしてほしいと念願していただけに、この発表には無念の想いがつきまといました。それこそ専科に異動して多彩な活躍をしてほしかったという想いはいまも消えませんが、やはりそれは七海本人の美学にも左右されることなだけに、多くを語ることはできません。ただだからこそ、限られてしまった「男役七海ひろき」を堪能できる時間を大切にしたいですし、七海本人にもファン諸氏にも、喜びにつながるはなむけが贈られることを切に願います。
 こうなってくると、七海の同期生である月組の美弥るりかへの想いもまた大きくなっていますが、大劇場公演の休演で案じられた体調も無事に整ったようで、11月18日、連日立見席まで完売の大盛況のなか千秋楽を迎えた月組東京宝塚劇場公演『エリザベート』のフランツ・ヨーゼフ1世役を盤石に務める姿に接して、心から安堵しました。フィナーレ冒頭の歌手、また男役群舞の「闇が広がる」のセンターなどで魅せる美弥の華やかさは圧倒的で、やはりいまの月組の豊かさを語るのに欠かせない人材であることを、いわば不在が証明した形になったと思います。2019年、主演を務めるバウホール公演『Anna Karenina』も壮絶なチケット難公演と化していて、千秋楽のライブ・ビューイングも決定し、ますます大きな存在になっていくことでしょう。さらなる活躍に期待したいです。
 そんな明日海りお、珠城りょう、望海風斗、紅ゆずる、真風涼帆が率いる各組に加えて、さらにもう一つ組が必要ではないか?とさえ思えるいまの宝塚の贅沢な陣容を語った『宝塚イズム38』では同時に「若手作家を語りたい!」と題して、小柳奈穂子、生田大和、上田久美子など期待の作家陣にもフォーカスしています。豊富なスターをどれだけ輝かせることができるかは、作家がいかに優れた作品を書いてくれるかにかかってくるだけに、こうした目線での論考も随時取り上げていきたい一つです。また、前述の月組公演『エリザベート』で大輪の花を咲かせて宝塚を巣立っていった愛希れいかが最も新しい宝塚OGスターとなりましたが、そんなOGたちの活躍を今号でも数多く取り上げています。近年では、東西に分けているにもかかわらずOGたちの活動が多彩なあまり、紙幅との兼ね合いが常に悩みの種ですが、今後も宝塚育ちの表現者たちにも丁寧な視線を注いでいきたいと思っています。
 なかでも大きな柱である「OGロングインタビュー」には、女優として破竹の勢いの活躍を見せている朝夏まなとが登場してくれました。ヒロインデビューを飾った『マイ・フェア・レディ』、12月8日に初日を開ける『オン・ユア・フィート!』の話題はもちろん、宝塚時代のターニングポイント、宙組のトップスター時代、さらに現在OGとして宙組の下級生たちや宝塚歌劇全体への想いを、非常に素直な言葉で語ってくれた、8,000字に及ぶ充実の内容になっています。こちらもぜひお楽しみください。
 こうして、慌ただしい師走のなかではありますが、一人でも多くの方に新刊を手にしていただけることを願いながら、変わらずに熱い想いを込めて宝塚を見つめる一年が過ぎていくのを感じる今日この頃です。

 

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第9回 ドゥヴィ・エルリ(Devy Erlih、1928-2012、フランス)

平林直哉(音楽評論家。著書に『フルトヴェングラーを追って』〔青弓社〕など多数)

異形のフランス・ヴァイオリン奏者

 ドゥヴィ・エルリはパリに生まれ、父からヴァイオリンの手ほどきを受けた。1941年からパリ音楽院でジュール・ブーシュリに師事(マルク・ソリアノ編著『ヴァイオリンの奥義――ジュール・ブーシュリ回想録:1877→1962』〔桑原威夫訳、音楽之友社、2010年〕のなかに、師ブーシュリについて記したエルリの一文が掲載されている)、44年、パドゥルー管弦楽団の演奏会でデビュー。翌45年、パリ音楽院を首席で卒業。55年、ロン=ティボー・コンクールで優勝、その年に初来日を果たす。その後、広く世界中で活躍するが、80年代以降たびたび日本を訪れ、多くの音楽祭に出演したり後進の指導にあたった。2012年2月、交通事故によって死去。
 エルリは特に日本にゆかりが深い奏者であったのにもかかわらず、一般的には指導者としての印象が強い。しかも、彼の録音の大半はデュクレテ・トムソン、フランス・ディスク・クラブ(Le Club francais du Disque)など、フランスのマイナー・レーベルにあるため(しかも、これらのマスター・テープは廃棄されている)、一般的な認知度を得にくい状況である。
 エルリのヴァイオリンはひとことで言うならば、情熱的で戦闘的であり、豊かなロマンがふつふつと湧き上がるようなものである。したがって、フランスの多くのヴァイオリン奏者に共通するような粋でしゃれた味わいをもちながらも、全体の印象はかなり異なっている。
 では、エルリの何から聴けばいいのか。比較的入手しやすいものでは、inaの2枚組みCD(番号なし)がある。このなかにはベートーヴェン(「第2番」)、ブラームス(「第3番」)、ドビュッシー、ルーセル(「第2番」)、ラヴェル、ミヨー(「第2番」)などのソナタ(録音:1960-62年、モノラル、放送録音、ピアノはジャック・フェヴリエ)が収録されている。やや乾いた音のスタジオ収録だが内容は充実していて、特にブラームス、ルーセル、ラヴェルが傑出している。しかし、彼の個性がより明瞭に表れているのは、ボーナス・トラックに含まれた、チャイコフスキーの「ヴァイオリン協奏曲」、1955年のロン=ティボー・コンクールでのライヴである。これは、誰にも似ていない、特別に個性的な演奏だ。ジャック・ティボーのような自在さにもあふれているが、ゲルハルト・タシュナーのような粘り強さと、ブロニスワフ・フーベルマンのような、次々と敵をなぎ倒すような突進力もある。モノラルだが、音もいい。
 同じチャイコフスキーの『ヴァイオリン協奏曲』には、ピエール・デルヴォー指揮、コンセール・コロンヌ管弦楽団とのステレオ盤もある(録音:1962年3月28日、パリ、サル・ワグラム)。この演奏はデュクレテ・トムソンのLP(DL-CC-108)で聴いた。これはスペイン・プレス盤だが、オリジナルのフランス盤は数万円以上するので、手を出せない。演奏の基本は1955年ライヴと同じだが、全体のテンポはいくらかゆったりしている。しかし、やはりステレオの恩恵は大きく、ヴァイオリンの音がみずみずしい(そのほか、デュクレテ・トムソンには別録音のモノラル盤もあるらしいが、これは未聴)。
 グリーンドア音楽出版からはデュクレテ・トムソンのLP復刻が出ているが、同じ音源が別々のCDに入っていたり、使用LPの情報や録音データが記されていないなどの不備があるので、いちおう以下の2点をあげておく。
 ひとつはラロの『スペイン交響曲』(デジレ・エミール・アンゲルブレヒト指揮、ロンドン・フィルハーモニー交響楽団)である(GDCL-0031。ほかの資料によると録音は1956年10月29-31日、パリ、アポロ・シアター)。この曲はティボーの十八番だったわけだが、そのティボーに共通するような自在さは感じられる。しかし、エルリの演奏はもっと筆致が力強く、激しい。音は悪くないが、LP盤のノイズをカットしたせいか、高域にちょっと不自然な箇所もあるものの、それほど気になるという程度ではない。
『ドゥヴィ・エルリーの芸術』(GD-2058)はデユクレテ・トムソンのLP2枚分の小品が収録されている(録音:1955年、57年、ピアノはモーリス・ビューロー、アンドレ・コラール)。サラサーテの「ツィゴイネルワイゼン」など、エルリにはサラサーテがぴたりと合っているかもしれない。反対に、クライスラーの小品(「プニャーニの形式による前奏曲とアレグロ」「愛の悲しみ」「中国の太鼓」ほか)は、その濃厚な歌に多少違和感を感じる人もあるだろう。私自身は好きだが。
 最近CDになったバッハの無伴奏ソナタ&パルティータ全曲(ドレミ DHR-8061/2、録音:1969年)には、ちょっと驚いた。これはアデ(Ades)のLP復刻である。本当ならばアデのオリジナルLPで聴きたいのだが、3枚そろえると30万円から50万円程度必要なので、これはあまりにも現実離れしている。復刻に際しては盤面のノイズをきれいに除去してくれているのだが、そのせいか、ときどき高域に不自然な箇所がある。だが、安価で聴けるようになったことを素直に喜んだほうがいいだろう。とにかく、バッハの無伴奏で、これほど挑戦的で起伏が激しいというのは記憶にない。たとえば、『パルティータ第2番』。最初の2曲のスピード感はどうなのだろうか。〈シャコンヌ〉だって、音のドラマにあふれている。そのほかの曲も緩急の差が激しく、歌うところはしっかりと気持ちを込めている。これだけ個性的なのだから、あちこちで賛否が飛び交ってもよさそうに思うが、なぜかあまり話題にはなっていない。
 1980年10月7日、パリのサル・ガヴォーでのリサイタル、これは数少ないステレオ・ライヴである(スペクトラム CDSMBA008。2枚組みだが、もう1枚はミシェル・オークレールのライヴ)。モーツァルトのソナタやウェーベルンなどが収録されているが、惜しいことに高域に持続的なノイズが混入していて、ちょっと気分がそがれる。ただ、最後に収録されたベートーヴェンの『クロイツェル』は立派(ピアノはブリジッテ・エンゲラー)。幸いなことに、このベートーヴェンあたりになるとノイズはかなり目立たなくなり、かなり普通に聴ける。
 1990年12月に桐朋学園で収録された『現代無伴奏ヴァイオリン作品集』(フォンテック FOCD3129)も、エルリの演奏のなかでも重要である。内容はバルトークの「ソナタ」、ジョリヴェの「ラプソディックな組曲」、三善晃の「鏡」、マデルナの「アマンダより」である。これは、なかなかすさまじい切れ味と熱気である。これは長くカタログにあるものだが、これを聴いて、ほかのエルリの演奏を聴いてみようと思う人がもっといてもよさそうな気がする。
 以下はLPで聴いたものだ。ハチャトゥリアンの『ヴァイオリン協奏曲』(セルジュ・ボド指揮、セント・ソリ管弦楽団、Le Club francaise du Disque 64、録音:1956年3月30日、パリ、サル・ワグラム)。これはすばらしい。リズムはたいへん弾力性があり、伸びやかに歌う箇所での艶々した音色は忘れがたい。ある中古レコード店の店主がかつて「これはとてもいい演奏なんですけど、あまり知られていないですね」と言っていたが、全面的に賛同したい。
 バルトークの『ラプソディ第1番』(カレル・フサ指揮、セント・ソリ管弦楽団、Le Club francaise du Disque 4、録音:1953年9月12日、パリ、Maison de la Mutualite)も生き生きとして、冴え渡った演奏である。モノラルながら、音もいい。
 メンデルスゾーンの『ヴァイオリン協奏曲ホ短調』(エルネスト・ブール指揮、南西ドイツ放送管弦楽団〔バーデンバーデン〕、デュクレテ・トムソン 255C048、録音:1957年7月、収録場所不明)もある。これはフランス盤の25センチ(10インチ)。音がこもっていて風呂場みたいであり(周波数特性がRIAAでないせいか?)、ちょっと聴きづらい。ほかのLPだと違う音かもしれないが、いい演奏だとは思わせるのだが、実感として伝わりづらいのが残念である。
 エルリが1955年に来日した際、彼の演奏を聴いた平島正郎は「さすがに技術はすばらしいが、音程を時に高くとりすぎる点が気にならないではなかった」(「シンフォニー」1955年12月号、東京交響楽団)と記している。これは誤解を招きそうな言葉である。つまり、「高くとりすぎている」というのは“間違っている”と受け取られがちだからである。かつてローラ・ボベスコが彼女自身の音程について「私の音程の取り方は、ちょっと変わっているでしょ?」と言っていたように、音程の取り方とは、実に一筋縄ではいかない。音程の取り方は育った環境や教わった先生など実にさまざまな要素が絡み合って熟成され、それが独自の音色と表裏一体になっている。それに、意図的に、正しいか間違っているかのスレスレを採用することだってあるだろう。こんなことも覚えている。確かピアニストのスティーヴン・コワセヴィチだったと思う。彼はベートーヴェンのソナタを演奏するときに荒っぽい感じを出したくて、調律の際、ほんのわずかオクターヴを狭めると言っていた。つまり、不協和音に、少しだけ近づけるわけである。
 自分はちゃんと聴いているぞということを強調したいのか、特に日本では弦楽器奏者に対してだけではなく、歌手やオーケストラなどにも音程がどうのと書く人は多い。本当に音程が悪ければ、そんな演奏家はすぐに消えてしまうだろう。だから、音程音程と騒ぐ人ほど、音程のことはわかっていないような気がする。

 

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第17回 月組、美弥るりか休演に思う

薮下哲司(映画・演劇評論家)

 地震、大雨、台風と日本中、大変だった2018年の夏も終わりを告げ、ようやく秋らしくなってきました。宝塚大劇場も地震のときは「ショー・マスト・ゴー・オン」(小川友次理事長)と誰もいない劇場で公演を強行、ファンからの苦情が殺到して、さすがに台風のときは3時の回を休演するなど、危機管理のもろさが露呈されました。そんななか月組公演、ミュージカル『エリザベート――愛と死の輪舞(ロンド)』(潤色・演出:小池修一郎)宝塚大劇場公演でフランツ・ヨーゼフ役を演じていた美弥るりかが、9月22日から26日まで休演するという“事件”が起きました。
 初日に観劇したとき、ソロパートで高音が思うように出ておらず、音域が広い楽曲に思いのほか苦戦している印象で、やはり『エリザベート』という作品は一筋縄ではいかないのだなあと再認識していたのですが、やはり美弥自身の声の調子が本調子ではなかったということが、この休演でわかったのでした。
 出演者の休演は毎公演のようにありますが、今回のようなスタークラスの途中休演は最近では珍しいことです。『エリザベート』では2003年花組の東京公演のとき、退団公演だったエリザベート役の大鳥れいが体調を崩して休演、新人公演で主演した遠野あすかが急遽代役に立ったことがありました。新人公演では、カットされた曲があるため必死に覚え、やっと終わったと思ったら「まだフィナーレがある」と言われ、「やったことがなかったフィナーレがいちばん大変だった」とのちに聞いたことがあります。
 代役稽古は普段はおこなわれませんが『エリザベート』の場合は、不測の事態を考慮して必ずおこなわれていて、今回もそれが功を奏し、代役初日となった22日は2回公演とも15分ずつ遅らせて開演、フランツ役の月城かなと、ルイジ・ルキーニ役の風間柚乃らが熱演、主演のトート役の珠城りょうやエリザベート役の愛希れいかを筆頭に全員が一つのものを作り上げる緊張感にみなぎって、すばらしい出来栄えだったそうです。
 とはいえ、今回の休演騒動の裏に出演者たちの過酷なスケジュールが原因の一つに挙げられるのは想像に難くありません。このところの宝塚の過酷なスケジュールは想像を絶するもので、一般の企業ならとっくにブラックといって過言ではないでしょう。
 ちなみに今年の月組は1月が稽古、2、3、4月が宝塚大劇場と東京宝塚劇場で本公演、5月から3班に分かれて稽古、6月が赤坂ACTシアターなどで公演、7月が稽古、8月から『エリザベート』と休みなしのスケジュールが組まれていました。
 関係者の話では、美弥の場合「2、3、4月のショー『BADDY(バッディ)――悪党(ヤツ)は月からやって来る』(月組、2018年)で両性具有のような役を熱演して連日声を酷使したことで疲労がたまり、その後、休みなしに稽古、公演が続いたために、喉を休めることができなかったことが原因ではないか」といいます。
『エリザベート』は8月23日に開幕しましたが、その前の稽古の時点で、珠城、美弥らの喉の調子が本調子ではなかったため、ずっと声を出さない状態での稽古が続けられていて、演出の小池氏が初日を前にかなり焦っていたという話も伝えられています。
 完全な本調子に戻らないまま開幕してしまったわけですが、そのつけが1カ月後にまわってきたということでしょうか。休演する2日前、20日の終演後に2019年の宝塚バウホール公演『Anna Karenina(アンナ・カレーニナ)』のポスター撮影があり、それが深夜にまでずれ込み、翌21日の公演で美弥が声の異変を訴えたことから、急遽、新人公演でフランツを演じた輝生かなでが歌だけ吹き替えることになり、事なきを得ました。一日、様子を見たのですが、結局、22日から休演という最悪の事態になってしまいました。代役公演の決定は当日の朝9時。それから代役の場当たり、黒天使などの役替わりと、舞台裏は大変だったようです。出演者の体調管理の問題も浮き彫りになりました。
『雨に唄えば』(月組、2018年)に続いて『エリザベート』というスケジュールの立て方にもやや問題ありというほかありません。どちらもしっかりとした海外ミュージカルで、本来はじっくり時間をとって稽古してから本番という作品ばかり。それを1カ月あるかないかの短い稽古期間で上演という普通では考えられないサイクルで回しているのが宝塚。それをやってしまえるのも宝塚ということもいえますが、生徒たちの宝塚愛に製作サイドが甘えていて、ついつい無理をさせてしまうのだと思います。
 2019年も『ON THE TOWN(オン・ザ・タウン)』(月組)や『20世紀号に乗って』(雪組)などのミュージカルが次々に予定されています。これらはもともと宝塚のために作られたミュージカルではないので、女性だけで演じる宝塚では無理なナンバーがあります。とはいえ振りやキーを変えるとクオリティーが落ちるため、結局、出演者が無理してしまうのです。第2の美弥を出さないためにも、もう少し余裕をもったスケジュールを立ててほしいものです。
 さて『宝塚イズム38』(12月1日刊行予定)がいよいよ始動しました。現在、続々と原稿が集まってきている段階ですが、花組のトップ娘役・仙名彩世の退団が、原稿締め切り後に発表されました。これからそれをどうはめこむか頭が痛いところですが、常に動いているのも宝塚、どういうふうに料理されるか『宝塚イズム38』にご期待ください。

 

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