映画を槍に、時代という怪物マタゴーヘルと立ち向かうために――『映画ライターになる方法』を書いて

まつかわゆま

  「まつかわ先生、これをお預かりしています」とカルチャー・サロンの方から渡された白い封筒。そこからすべてが始まりました。
  数日後、大雨のなか、青弓社にうかがい、「半年で書きます!」と大見栄切ったのは、いまから思えば怖いもの知らずというか、身の程知らずというか。結局、書き上げるまでに1年8カ月ほどかかり、すっかり「狼少年ゆま」になってしまいました。最後のほうは、「もういいです、やめましょう」と言われるのではないかとハラハラしました。
  ともあれ、まつかわゆま初めての映画本の書き下ろしです。正直なところ、マツケンサンバを踊りたいくらいにうれしいです。オレィッ!
  さて。「原稿の余白に」ということで、何が余白にあたるのかしらね、と考えたところ、それは「語り」だと気づきました。『映画ライターになる方法』では、講義でいつも語っていることをもう一度文章として構成しなおし、さらに考察を加え、映画ライターという仕事の発生を映画史的にとらえなおしてみたりしました。それはそれで、自分が考えてきたことや感じていたことが時代という事実にバックアップされて、論になっていくスリリングさがあり面白い経験でした。とかく評判の悪い映画ライターという仕事ですが、調べてみれば映画史的必然から生まれた仕事であり、どんどん変化していく映画業界にとっても観客にとっても必要な仕事なのだという思いを新たにしました。
  本書はハウツウの範疇を超えて、映画と時代と自分とにどのようにして取り組むのか、はっけよいのこった、という奮闘記として読んでいただける本になっているのではと思います。だって、映画って、見る人のもの。観客それぞれの「いま」にシンクロして違う姿を見せるものです。だから、映画を見ながらどのようにして自分の見方を見つけ、自覚し、表現して、面白がってもらえるように書くか、がライターにとっては大切なのではないか、と思うんですね。
  まぁ、私の場合、長いこと女優志願だったこともあってか、読者つまりお客さんを楽しませたいと思ってしまう傾向があり、それが授業や講義、講演や司会となると歯止めが効かなくなってしまいます。それこそが、まつかわゆまのまつかわゆまたるゆえん。だから「語り」なんです。
  原稿を書き上げて、青弓社の矢野恵二さんを映画ライター講座のOG・OB会にお誘いしたときのことです。身振り手振りに声色にと、講義のときのように「語る」私を見て矢野さんビックリ。「まつかわさんって、いつもこんなに熱いんですか?!」。はい。熱いんです。淀川さんも熱い方でしたよね。わたし、醒めているのってだめなんです。だって、好きなんだもん、映画。好きだからこそ、辛口にもなろうというもの。自分の人生の一部として考えてしまうから、感情移入してしまうから、どんなに映画的・作家的評価が高い作品でも、だめなものはだめ、なんですね。女性と子ども、立場の弱い人々を足蹴にするようなニオイがするといやになってしまうし、希望のかけらも感じさせないものは苦手。斜に構えるよりも、真正面からぶつかって、あきらめないで突破していくって映画に熱くなってしまいます。
  そう、私はラ・マンチャの女。いえ、世田谷区生まれのオジョーサマですけどね、ホホホ。でも私の心はラ・マンチャの男、ドン・キホーテ、なんです。私はミュージカル『ラ・マンチャの男』が大好きで、座右の銘は「事実は真実の敵なり」というせりふ。事実はひとつでも、真実はそれを体験する人の数だけあるはず。映画作家も自分ひとりの真実を描くために作品を作ります。その真実にどれだけ迫り、共感し、自分のものにできるかが、私の勝負だと思っているんですね。「夢ばかり見て現実を見ないのも狂気かもしれぬ。しかし、いちばん憎むべき狂気は、あるがままの現実と折り合いをつけて、あるべき姿のため闘わないことだ」というドン・キホーテにならって、映画を槍に、時代というマタゴーヘル(腕が四本ある怪物。実はただの風車なんですが)に向かっていきたいのです。
  2001年9月11日から4年。私の周りにはにょきにょきとマタゴーヘルが立ち並び、どんなに腕を振り回してもひとっつも倒れる気配がない、という状況になっています。けれど気がつけば、腕を振り回しているのは私一人ではなく、みんなそれぞれいろいろな形の槍を振り回して、力いっぱい立ち向かっているのです。映画という槍は、昔はともかく、そして日本では特にそんなに強い武器ではありません。けれど、まったく力がないわけではないと思います。現実を映画という虚構に読み替えてくれることで見えてくる真実があるのです。人はその真実で動きます。それが映画の力だと思います。
  現実と折り合いをつけること、事実だけを見て夢を見ず、真実を考えないこと。そんな世界はいやです。映画の力を信じる映画ライターとして、自分の真実を映画に見つけ、伝えていく。そんな映画ライターになりたい方を勇気づけられる本になれればいいなと思います。