第12回 ジャニーヌ・アンドラード(Janine Andrade、1918-97、フランス)

平林直哉(音楽評論家。著書に『フルトヴェングラーを追って』〔青弓社〕など多数)

ブーシュリ門下の逸材
 
 1954年11月、ジャニーヌ・アンドラードはフランス政府派遣文化使節として来日した。もう70年近くも前のことになってしまったいまでは、このときのことが話題になることはめったにない。来日アーティストが本格化するのは57年から翌58年にかけて、ウィーン・フィル、ベルリン・フィル、レニングラード・フィルなど、海外一流のオーケストラが華やかな話題を提供して以来のことだった。ある意味、アンドラードの来日は、あまりにも早すぎたともいえる。
 アンドラードは1918年11月13日、フランスのブザンソンで生まれた。母親はピアニストだったようで、その影響でヴァイオリンを習い始めた。上達は驚異的で、26年には母親の伴奏で公開演奏をおこなっている。その後、パリ音楽院に名教師ジュール・ブーシュリに師事する。門下生にはジネット・ヌヴー、アンリ・テミアンカ、マヌエル・キロガ、イヴリー・ギトリス、ローラ・ボベスコなど、そうそうたる顔ぶれが並んでいる。31年(1930年説もある)にパリ音楽院を卒業、さらに研鑽を積むためにジャック・ティボーやカール・フレッシュのもとで学んだ。その後、ヨーロッパ各地で公演し、日本を含むアジアや南米などを訪れ、好評を博した。レパートリーは非常に広く、フランスの現代作曲家の作品も積極的に演奏していた。
 アンドラードのレコードが最初に日本で発売されたのは1970年初頭で、テイチクがオーヴァーシーズのレーベルでチャイコフスキーとブラームスの『ヴァイオリン協奏曲』を廉価盤で発売したが、まったく話題になっていない(当時の表記はアンドラーデ)。
 アンドラードの国内盤が事実上最初に認識されたのはCD時代になってからで、2004年12月に日本コロムビアから発売された『アンドラード/ヴァイオリン・リサイタル』(COCQ83872)である。これはスプラフォン原盤によるもので、1965年のステレオ録音と56年、57年のモノラル録音、LP2枚分を含むものだった。
 このCDは目下のところアンドラードの録音のなかでも最も音質がよく、代表盤といっていいだろう。まず、ステレオ録音にはモーツァルトの「ロンド」、グルックの「メロディ」、パガニーニの「ラ・カンパネラ」など、クライスラーの作曲・編曲の小品が11曲。クライスラーの小品集は世の中には多数存在するが、このアンドラードの演奏は、なかでも最も魅惑的な一つである。音色は明るく、やさしくて艶やかであり、愉悦感たっぷりに弾きながらも、とても上品。聴けば、誰もが好きになるヴァイオリンだろう。
 モノラルのほうはカサネア・ドゥ・モンドヴィユ、ヨハン・マテゾン、フランツ・リースなど、あまり知られていない作曲家の名前が連なるが、演奏の魅惑という点では、ステレオ録音を上回っているかもしれない。ことに、リースの「常動曲」のなめらかさ、ジョヴァンニ・バッティスタ・ペルゴレージの「ヴァイオリン・ソナタ第1番」(旋律はストラヴィンスキーの「プルチネルラ」に転用されている)の美しさは印象的だった。また、パガニーニの「ラ・カンパネラ」はモノラルでも録音されていて、ステレオ版と比較できる。
 音質を重視するのであれば、モーツァルトの『ヴァイオリン協奏曲第2番』『第6番』(いうまでもなく、現在では偽作とされている)(Berlin Classics 0184122BC)がある。伴奏はクルト・マズア指揮、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団で、1966年、67年に収録されている。これは、アンドラードが東ドイツに招かれて演奏したときに収録したもので、解説にはアンドラードがハンス・プフィッツナーの『ヴァイオリン協奏曲』をラジオ放送用に収録したとある。
 マズアの伴奏は、中庸ではあるものの、もうちょっとだけ、しゃきっとしているといいなと思う(協奏曲にもかかわらず、マズアの顔のイラストがデザインされている表紙も無粋)。曲は地味だが、アンドラードのソロは美しい。音質は特に不満のない鮮明なステレオ録音だが、何となく丸みを帯びているような気がするので、おそらくはオリジナルのLP(東ドイツ Eterna 825824)で聴くと、もっといいかもしれない。
 手前味噌になってしまうが、自家製レーベルによるチャイコフスキーとブラームスの『ヴァイオリン協奏曲集』(Grand Slam GS-2082)にも触れておこう(復刻に使用したのは2曲ともLPである)。これはハンス=ユルゲン・ワルター指揮、ハンブルク・プロ・ムジカ交響楽団によるもの。この演奏については、いろいろと不明な点が多い。まず、オーケストラは契約関係によるものだろう、実体は北ドイツ放送交響楽団だという。録音はステレオだが(モノラル盤のLPでも発売されている)、録音データは1950年代ということしか知られておらず、なかには59年と特定しているディスクもあるが、根拠がはっきりしない(この1959年は初発売年の可能性もある)。
 さらに不可解なのは、指揮者はワルターのままであってもオーケストラ名が異なったり、あるいはソリスト、指揮者、オーケストラの全部が偽名・変名で表記されたLPが何種類か発売されていることである。理由はわからない。
 そうした周辺の事情はさておき、演奏はすばらしい。ゆったりと構えて呼吸は深く、実にのびのびと、スケール感豊かに描き上げている。芯は強いけれども、表面は艶やかな音色も一級である。しいて言えば、ブラームスがいっそう見事だ。ブラームスでは同門のヌヴーの評価が高いが、アンドラードのそれはヌヴーに十分匹敵すると思う。
 この2つの協奏曲は、いまとなってはGS-2082の中古を探すよりも、中古LPを探すほうが楽かもしれない。
 なお、最近アンドラードの独奏、ランドルフ・ジョーンズ指揮、ベルリン交響楽団による『チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲』のLP(イタリアJoker SM1025)がある通販サイトで「従来とは別の、演奏会録音」とあったので購入してみた。しかし、中身は上記のワルター指揮のものと全く同一だった。
 そのほかのCDではアンドラード単独のものを紹介しておこう。一つはセザール・フランクの『ヴァイオリン・ソナタ』、ガブリエル・フォーレの『ヴァイオリン・ソナタ第1番』、シューベルトの『ソナチネ第3番』(melo Classic MC2013)。これは1958年、60年の放送用録音で、音はモノラル。
 演奏はどれも秀逸で、特にフランクの『ヴァイオリン・ソナタ』はアンドラードの個性が存分に発揮された名演といえる。音質は良好だが、音量の差が整えられていないのが欠点だ。たとえば、フランクの第4楽章など盛り上がる箇所なのに、音量が小さくなっている。元の録音がこうなっているのかもしれないが、これはマスタリングの際に調整すべきである。
 もう一つはベートーヴェンの『ヴァイオリン・ソナタ第7番』と『第3番』、モーツァルトの『ヴァイオリン・ソナタ第40番K.454』、アルベール・ルーセルの『ヴァイオリン・ソナタ第2番』(melo Classic MC2021)、1955年、57年、60年、モノラルがある。
 このなかで最も印象的なのはベートーヴェンの『第7番』かもしれない。ハ短調ゆえか、『運命交響曲』のような闘争的な内容として知られているが、アンドラードの演奏は聴き手を包み込むような大らかさが感じられる。また、曲はあまり有名ではないが、アンドラードの艶やかさが強く感じられるのがルーセルの『ヴァイオリン・ソナタ第2番』ではないかと思う。
 全体の音質は悪くはないが、MC2013と同じようにトラックによって音量差があって、聴いている途中でアンプのボリュームを調整しなければならないのは難儀である。
 以下の協奏曲はほかの演奏と組み合わされたものである。ベートーヴェンの『ヴァイオリン協奏曲』、フランツ・コンヴィチュニー指揮、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団、1959年のライヴがある(melo Classic MC2038、ジャンヌ・ゴティエとの組み合わせ)。
 音はモノラルだが良好。チャイコフスキーやブラームスの協奏曲と同様、実に立派な演奏である。びくともしない安定感があり、悠々と、朗々と、しなやかに歌いまくっている。これを聴いても、アンドラードがヌヴーやミシェル・オークレールなどと同等な力量をもっていたことは明らかだろう。
 ダヴィッド・オイストラフ、ヘンリク・シェリング、ボベスコ、ドゥニーズ・ソリアーノが組み合わされた2枚組みのなかにはシベリウスの『ヴァイオリン協奏曲』(Spectrum CDSMBA057)がある。これはアンドレ・ジラール指揮、フランス国立管弦楽団、1962年の放送用録音で、音はモノラル。
 音質はいいけれど、オーケストラがいささか奥に引っ込んだバランスがちょっと残念だが、ソロはきれいに捉えられている。演奏は非常に濃厚な感じが強い。シベリウスの透き通った叙情とはいささか異なるかもしれないが、エネルギーを絞り出すようにして歌いまくるのは、やはり感動的である。
 なお、このCDには2カ所、指揮者の姓がGiradと表記されているのは、Girardが正しいようだ。
 次はジャン・マルティノン指揮のプロコフィエフの『交響曲第5番』、シャルル・ルノー(チェロ)のシューベルトの『アルペジオーネ・ソナタ』と組み合わされたマックス・ブルッフの『ヴァイオリン協奏曲第1番』がある。伴奏はルイ・フルスティエ指揮、フランス国立管弦楽団で、1970年1月のスタジオ収録で、ステレオ録音である。これは現在知りうるなかでは最も晩年の録音であり、少なくともこの時期までアンドラードは現役だったようだ(1970年代前半に演奏活動から遠ざかり、その後は主に後進の指導をしていたとされる)。
 厳しい目で見れば、1950年代、60年代の演奏と比較すると、いささかぎくしゃくした感じは見受けられる。とはいえ、あからさまに衰えたというほどではない。第1楽章の弾き始めを聴いても、聴き手を吸い寄せるような蠱惑的な音は以前と変わっていない。この録音もオーケストラがやや奥まった感じになっているが、アンドラードのソロはステレオの恩恵もあって、より鮮明に聴き取れるのがありがたい。特に印象的なのは第2楽章。本当に気持ちがこもった、心に染み渡る美しいヴァイオリンである。
 きちんとした形で聴いてみたいのはニルス=エリク・フォーグステッド指揮、フィンランド放送交響楽団とセッション録音したシベリウスの『ヴァイオリン協奏曲』(デンマークDecca DLP9001)である。このLP(10インチ)はデンマーク以外の主要国、イギリス、フランス、ドイツ、アメリカなどではプレスされなかったため、中古市場でもきわめて入手が難しい。収録は1959年といわれるが、これは正しいかどうかはわからない(モノラルであるのは判明しているが)。粗末なCDRで売っているのは知っているが、そんなものを集めても意味がない。また、イギリスのシベリウス協会がCD化したようだが、これはおそらくCDRではないだろうか。海外ではCDとCDRは同レベルで扱っているが、やはり耐久性の点でも、CDRは信頼性が低い。それに、この協会のCDだってほかの演奏と組み合わされているだろうから、アンドラードのファンには向いていない。
 そのほか、CDRでサン=サーンスの『ヴァイオリン協奏曲第3番』なども手に入るようだが、やはりCDRは手に取ったときに、ありがたみが非常に薄く、コレクションとしての価値は低い。
 1953年9月、アンドラードはシェリングとともに師ティボーを見送るために、オルリー空港に向かった。いうまでもなく、ティボーは日本へ向かうはずだった。間もなく、ティボーらが乗った飛行機がアルプス山上に激突したニュースが舞い込む。
 ティボーの突然の死は、アンドラードにとっても衝撃だったはずだ。その師が向かおうとした日本に、翌1954年に訪れた彼女の胸中には、どんな思いがめぐったのだろうか。アンドラードはティボーから、日本や日本の聴衆について、何らかの話を聞いていたのだろうか。あるいは、日本に滞在中に、アンドラードがティボーについて、何か質問されたことがあったのだろうか。
 しかしながら、アンドラードが来日した際、彼女は全くの無名に近かったし、レコードもなかった。そのため、来日時には、インタビューなどの記事は計画されなかったようだ。

 

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