スポーツした文学研究者たち――『スポーツする文学』を出版して

疋田雅昭

 言うまでもなく、昨2008年はオリンピックイヤーであった。本来ならば、そのタイミングを狙っていた本書の刊行だったが、諸般の事情でやっと先月刊行に至ることができた。しかし、当然のことながら、われわれが議論の前提としているスポーツをめぐる諸事情が、この1年で変わってしまったなどということはありえない。
  スポーツで起こるプレーの興奮や感動とは、それまでにあったチームや選手たちの「物語」や「意味」の共有を前提にしていることが多い。そうでなければ、同じスポーツには同じプレーが起こる確率は決して低くはないわけだから、過去に起こった同様なプレーとの差異を決定する具体的な要因などあるわけはない。だから、このこと自体は意識するにせよしないにせよ、むしろ常識なのだ。しかしながら、これまでのスポーツ研究は、スポーツが持つこうした「物語」や「意味」の存在をあまりに軽視してこなかっただろうか。または、個別の「物語」や「意味」にこだわりすぎて、それを抽象化するアプローチを忘れてはいないだろうか。
  われわれ「文学」を専門とする人間が、多くは社会学や歴史学的範疇で語られてきたこの言説群に参入しようと思った理由もまさにここにある。「……史」を構築しようとするのならば、具体的な物語に拘泥するような語り方も重要だろう。また、社会学的に考えるのならば、それぞれの時代とスポーツの関係を数値など様々なデータを基に構築していく語り方が必要になるのかもしれない。
  だが、われわれは、スポーツが起こす感動を支える「意味」や「物語」に徹底的にこだわる。それも、それらを支えるメカニズムを眼差す言葉を会得したいと思うのだ。それは、やや大風呂敷を広げれば、社会学や歴史学との「対話」の申し込みでもある。これをスポーツになぞらえて「試合」と言いたいところだが、もちろんこの「対話」に勝ち負けがあるわけではない。そう考えてみれば、われわれが扱うスポーツにも必ず勝ち負けがあるわけではないことに思い至る。あるときは自己探求のため、あるときはストレス解消や健康維持のため、またあるときは無目的にスポーツを楽しもうとすることさえある。
  もちろん、スポーツ研究をめぐる言説のレベル向上のために他流「試合」をしなくてはならないこともあるだろうし、より一層の技術向上のために「練習」を続けていくことも怠ってはならない。だから、われわれ執筆者一同としては、そういった「試合」を楽しみにもしている。ぜひ、お申し込みいただきたい次第である。
  しかし、同時にわれわれは「スポーツ」をしたかったわけでもある。スポーツの目的は様々である。だから、われわれはチームでもあるが、一方でそのチームの選手のスタンスは多種多様でもある。様々な目的を包摂したスポーツ……。その成果がこの書籍である。およそ3年間の合同トレーニング(なかには合宿まで含まれている!)によって、飛躍的に技術が向上した者もいれば、まだまだ向上の余地が望まれる者もいるかもしれない。そして、われわれのスポーツにも、今後様々な「意味」や「物語」が付与されていくだろう。そういった意味でも、われわれは「スポーツ」を「文学」したのである。

出版の動機と経過、そして反応――『美空ひばりという生き方』を書いて

想田 正

 中学生時代、隣のガキンコが「リンゴ追分」をいつも歌っていた。音楽といえば、家ではいつも、父が持っていたセミクラシックのレコードをかけていたから、これが歌謡曲に親しんだきっかけだった。当時の娯楽はラジオと映画ぐらいだったから、つけっぱなしのラジオから流れる歌謡曲に日々親しむことになった。
  筆者が入学した法政大学日本文学科では、アカデミックな官学に対抗し、対象を客体化して歴史的・社会的に研究する科学的方法を標榜しており、私たちはその薫陶を受けた。
  そのうち、全盛期を過ぎてきた歌謡曲がもつ大衆的意義を学術的に解明する試みが少ないことに思い至った。
  そうしたなか1996年に、竹島嗣学氏が設立した広域市民塾《美空ひばり学会》の存在を知る。この人は元新聞記者で、洒脱あふれる文章をものするだけではなく、弁舌・歌・楽器などどの分野も堂に入った器用人。拙著のカバー・扉にも、氏のイラストを使わせていただいた。
  この学会の目的は、「わが国を代表する天才歌手・美空ひばりの足跡を通して、その時代・文化・風俗・生活を幅広く研鑽する」とある。これは、歌謡曲を「学」として扱うべきと常々考えていた筆者にとってまことに共鳴するものだった。2001年の元旦に掲載された「朝日新聞」の紹介記事を見て直ちに入会。以降、学会ニュースに、歌謡曲を軸とした大衆芸能について、かつて学んだ方法に基づきながら思考した論考を持続的に掲載させていただいた。
  こうして蓄積されてきたものを、2008年に『美空ひばり歌謡研究』2分冊にまとめ、私家版として上梓。その後周囲の勧めによって、出版社に検討を打診し、サブカルチャー分野で定評のある青弓社の応諾を得て出版に至った次第である。
 
  本書に盛り込んだ筆者の意図は「ひばり歌謡学・序説」に尽くされているので、以下これを引く。
「国民歌謡の不在、歌謡曲の喪失が慨嘆されて久しい。それは昭和の終焉とほぼ軌を一にしていて、昨今昭和が見直されてきているものの、歌謡曲の喪失は、外来音楽の攻勢によってその存在が揺らいだことに起因しているだろう。
  結果、歌謡曲は「演歌」という限定された枠に押し込められることになるが、そのことは享受層を中・高年に限定することを伴っていた。とはいっても、若者たちがいつまでもポップスなどの分野に専心し続けるわけでもなく、行き場を失った彼らは、「フォーク=ニューミュージック」という新たなジャンルに求めていった。しかしこの世界は、折からの閉塞状況と相まって、ひたすら内部への沈潜・鬱屈の吐露となり、こうして世情と同様、歌の世界でも世代間の分裂は決定的になっていったのである。
  いま六十代以前の世代が往年の歌謡曲を口ずさむのは、単に懐旧の情だけではない。そこには生活・人生と一体となった「歌」があるからである。ニューミュージックや演歌にそうした役割は求め難い。われわれが「歌謡曲」の復権を願望するのは、こうしたかつて国民の実体と同化していて、昭和とともに喪失したまさに「国民歌謡」を欲するからにほかならない。
  しかしそれにしても、歌謡曲の黄金期を築いた歌手たちはたちどころに何人も挙げられるのに、なぜいま〈ひばり〉なのか。彼女がそれら群雄スターらのなかにあって、ひときわ輝く存在であり続けた要因は何だったのか。これを解明することは、スターとは何か、ヒットとは何か、はたまた彼女を支持し続けた大衆とは何かを問うのと同時に、昭和とはどのような時代であったかを照らし出すことにほかならない。そしてこれを解明することは、われらが切望する新たな「国民歌謡」を生み出すだろうと信じる」

 さて、本書を出版したことを周囲に紹介すると、共通の対応を受けることに気が付いた。それは、ほとんどの人が、まず小生の堅いイメージと作物にそぐわないとばかり爆笑することである。そして、「美空ひばりってお好きだったんですか?」と聞くのである。
  このような反応は、2つのことを示していると思う。第一に、世にいう学者先生は大衆歌謡などを扱うはずがない、と思われていること。第二に、対象が「好き」であることが前提だと思い込まれていること。小生がいっぱしの学者に見られているらしいことは汗顔の至りだが、それはともかく、インテリが大衆芸能を扱うことの戸惑いは、本書の「まえがき」で触れたように、竹中労が受けた半世紀前の経験と現状はなにほども変わっていないことを示すものだろう。
  そして、学問研究は対象にのめり込むのでなく突き放し客体視することから始まる、ということが、どうも一般に定着していないようなのである。そのことは巷に繁盛している「カルチャーセンター」の在り方を見れば容易に頷けることである。

 以上のことは、小著を刊行して痛感させられた思わぬ副産物だった。

第22回 コンヴィチュニーの謎解き

 コロムビアからフランツ・コンヴィチュニー指揮、ウィーン交響楽団のブルックナーの『交響曲第4番「ロマンティック」』(COCQ-84623)が新装再発売された。これは帯に“オリジナル・マスターによる世界初CD化”とあるように、初めてオリジナル・マスターからリマスタリングされたもので、聴いてみると確かに過去に発売されたCDよりも格段に鮮度を増している。
  今回、オリジナルまでさかのぼってCD化をおこなった段階で、実は驚くべき事実が発覚したのだ。それは、これまで流通していた同じくコンヴィチュニー指揮、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団による同じ曲のブルックナーの『交響曲第4番「ロマンティック」』、これは世の中に存在しない、つまり中身はウィーン交響楽団のものと同一であることが確定されたのである。
  では、どうしてこんなことが起こったのか。ごくおおまかに説明すると以下のようになる。ウィーン響の録音が終了後、安全のためにマスターからセイフティ・コピー(サブ・マスター)が作成され、以後、このコピーでさまざまな作業がおこなわれていた。この原盤はオイロディスクによるものだったが、LP時代、このオイロディスクは旧東ドイツの国営レコード会社エテルナとライセンス契約を結んでいた。おそらく1960年代後半のことと思われるが、オイロディスクはエテルナからコンヴィチュニー指揮、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管とのブルックナーの『交響曲第5番』『第7番』の原盤を借り受けた。そして、自社にある『第4番』とエテルナからの『第5番』と『第7番』をLP3枚組みセットで発売したのである。
  このときに間違いが起きた。ウィーン響の『第4番』のテープが保管してあった箱にはオーケストラ名の表記がなかったため、オイロディスクの担当者が『第4番』もゲヴァントハウスだと勘違いし、“ゲヴァントハウス管による”ブルックナーの『交響曲第4番』『第5番』『第7番』の3枚組みが市場に流布してしまったのである。国内ではウィーン響と表記されたLPは1971年10月に、ゲヴァントハウス管(中身はウィーン響)と表記されたLPは73年12月にそれぞれ発売されており、つい最近までこの2種類のステレオ録音の存在が信じられていた。しかし、これは何も日本国内だけの問題ではなく、世界中のカタログやディスコグラフィでも同様の現象が起きていたのである。
  けれどもこの取り違え問題、この先にもいろいろとありそうなのだ。たとえば、上記の『ロマンティック』と同時に発売されたドヴォルザークの『交響曲第9番「新世界より」』(COCQ-84624)の余白にあるベートーヴェンの『序曲「レオノーレ」第2番』。これと、ベートーヴェンの『交響曲全集』(徳間ジャパン/ドイツ・シャルプラッテン TKCC-15044、6枚組み)に入っている同じ曲を比べてみた。前者はバンベルク交響楽団、録音年不詳、後者はライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団、録音は1959年~61年と記されている。聴いてみると、これがものすごく似ている。演奏時間も酷似している(ブックレット表記は14分17秒と14分18秒だが、CDプレーヤーでの表示もほとんど同じ)。両者はともにステレオなので、録音された時期はほぼ同じと断定していい。同じ曲を同じ頃にオーケストラを変えて録音するということは、現実的にはほとんどありえないことだ。古いLPの表記もバンベルク響なので、おそらくバンベルクが正しいと思われる。この場合、エテルナがオイロディスクから原盤を借り受け、そこでうっかりバンベルク響をゲヴァントハウス管として保管してしまったのだろうか。
  同じベートーヴェンでは1959年のモノーラル録音の『交響曲第6番「田園」』というCD(コロムビア COCO-75405)も出ていた。TKCCの『全集』はステレオだが、このステレオの『田園』とモノーラルのそれを比較してみると、これらは違う演奏のようにも思える。最も大きな違いは、前者コロムビア盤では第1楽章の提示部の反復がないが、後者TKCC盤では楽譜どおりに反復がなされていることだ。ただし、この2つは互いにピッチがかなり異なるため、ピッチを揃えて比較すると案外……。
  そのほか、ワーグナーの『ジークフリート牧歌』というのもある。国内で出た実績があるものはウィーン交響楽団のものだが、古いレコード総目録にははっきりと「ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団」と記されている。この曲のゲヴァントハウス盤というのは存在しないので(少なくとも正規の録音では)、これは目録の誤植ということも考えられる。ただ、あれこれとひっかかってくると、どれもこれも疑いの目で見たくなってしまう。そうなると、落ち着いて聴けなくなるので、この問題はとりあえずこのあたりで終了。

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第21回 シューリヒトのベートーヴェン

 カール・シューリヒトが1957年から翌年にかけてパリ音楽院管弦楽団を振って録音したベートーヴェンの『交響曲全集』(EMI)は非常に有名であり、いまでも人気が高い歴史的名演のひとつである。最近はせっせとLP復刻盤を作っている関係上、初期LPをがさがさと探し回ることが多いのだが、その過程でこのベートーヴェンには思わぬ珍事が起きていたことがわかった。
  2年前だろうか、ドイツのコレクターから上記の全集のなかの『第3番「英雄」』『第6番「田園」』『第7番』『第8番』のLPを一括で購入した。これらはフランスEMIの初出盤で、番号は順にFALP574、575、576、572である。購入した理由は、そのドイツのコレクターが「これらは片面にプレスされたテスト盤であり、市販盤よりも音がいい。非常に珍しいもので、この機会を逃せば、まず手に入らない」と言ってくれたからだ。こういうふうに言われると、すぐに頭に血がのぼるのがコレクターの悲しい性である。高額なのを顧みずに、思わずエエイッとばかり買ってしまったのである。
  確かに、音は良さそうだ。手元にある国内盤CD(TOCE-6214―8)と比較しても、このLPの方が格段にしゃきっとした再生音である。ところが、である。『第8番』の第1楽章の251、252小節が欠落しているのだ。最初聴いたときはドキッとした。けれどもCDはまったく正常である。私は、これはテスト・プレスの段階でのミスであり、市販盤は正常に違いないと思った。
  後日、市販されている『第8番』のFALP572を持っている人に聴かせてもらったところ、これが同じく欠落しているのである。さらに、この『第8番』のイギリス初出LP(XLP-20022、1960年12月発売)を購入して聴いたところ、これにも同様の欠落があった。ということはこの『第8番』、最初期のLPは欠落のまま市販されていたのである。
  やっぱりフランス人のやることはいいかげんだなあ、なんて思っていたら、ようやく最近になって買っておいた『第7番』のテスト・プレス盤を聴いて、もっとびっくりした。これは第1楽章の211―216小節、今度は6小節(!)も欠落している。こちらも市販盤の方は正常ではないかと思っていたら、あるシューリヒト・ファンから間接的にではあるが「その欠落は昔から一部のコレクターには知られている」という情報を得た。
  これだけ派手に抜けているのだから、その昔の批評にもきっとそれが指摘されているのだろうと思い、いろいろとあたってみたところ、この『第7番』のイギリスの「グラモフォン」誌にイギリス初出LPのレビューが見つかった(ALP-1707、1959年10月発売)。そうしたら、ありましたねえ、欠落がある、と。ところが、よく読んでみると、その欠落の個所が第1楽章の35―41小節とある。しかし、手元にあるテスト・プレスの35―41小節はまったく欠落はない。この違いは何なのかはわからないが、ともかく『第7番』もその昔は大きな欠落のまま売られていたことだけは事実のようである。
  こうなってくると、まだちゃんと聴いたことのない『第3番「英雄」』や『第6番「田園」』も欠落があるのではないかと疑いたくなるし、所持はしていないけれどもほかの『第1』『2』『4』『5』『9番』なども気になってくる。ただ、ここで強調しておきたいのは、上記の国内盤CD(TOCE-6214―8)を含め、比較的最近発売されたものはまったく正常だということである。
  このような編集ミスはしばしば起こりがちである。しかし、このような大きな録音プロジェクトで2個所も大きな編集ミスを起こしているというのは前代未聞だろう。言うまでもないが、この『交響曲全集』はシューリヒトが生きているときに発売されたものである。彼にとってはいい迷惑だっただろう。

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ライトノベルという問題――『ライトノベル研究序説』を書いて

久米依子

 3年にわたるライトノベル研究会の成果として、一柳廣孝氏と共編著で本書を刊行することができた。ここ数年注目を集めているライトノベルとその周辺現象に、主として文学研究の立場から切り込んだ試みである。若い書き手が多いこともあって、それぞれが自分自身とライトノベルとの距離感を測りながら考察を進めるような、熱気を帯びた論集となった。
  研究会自体も、ライトノベルを「研究」する視座を開きたいという学生たちの願いから始まっている。当初は少人数で開始したが、いつの間にかさまざまな大学の友人・知人が集い、20人以上の会となった。脱会(?)するメンバーがほとんどいなかったのも特色である。サブカルチャーについて少し知的に語り合いたいという欲求は、若い世代に共通してあるらしい。
  3年間、研究の基盤を整えるために種々のアプローチを重ねたが、その間懸念していたのは、急速に発展したライトノベルの勢いが鈍り読むべき作品も減って、研究の意義が失われるのではないかということだった。しかし、どうやらそれは杞憂に終わった。現在のところライトノベル作家には新しい才能が次々と参入し、アニメ、マンガ、ゲームとのメディアミックス展開も活発で、書店のライトノベルの棚は明らかに拡張している。各国語に翻訳される例も出始めた。かつてマンガやアニメが戦後文化として認められていった道筋を、ライトノベルもたどる……かもしれない。そうなれば〈動物化〉した世代の〈データベース消費〉小説、といったこれまでの単純な裁断だけでは論じにくくなるだろう。本書はそのような動向への期待と、しかしこの現象がいったいどこに行き着くのか、という危惧と不安(!)も込めた1冊になっている。読者の方々にも、現在の「ライトノベルという問題」をともに考えていただければと願っている。
  本のなかで明言はしなかったが、こうした青少年向けサブカルチャー研究の可能性が広がったのは、やはりカルチュラル・スタディーズのおかげである。旧来のアカデミズムでは扱いにくかった大衆的な言説文化研究の方向を、カルチュラル・スタディーズから見出すことができた。娯楽的な文化が爛熟している日本社会では、ますます応用されるべき理論・方法だと思う。本書も題材はライトノベルながら、分析姿勢はハード&ヘビーを目指したつもりである。
  研究会の活動は出版によって一区切りついたが、今後はライトノベルだけでなく、現代の多様な文化にまで対象を広げて分析しようと話し合っている。ライトノベル現象そのものも調査を重ねなければならないし、メディアミックスが常態であるジャンルの特質を考えるためには、ミックスされる他ジャンルへの探究が欠かせない。
  再び研究会の成果を問う日がくるかどうかは未知数だが、今回の1冊を大切な指標として、若い会員の意欲的な取り組みが新たな研究シーンを開くことを待望している。
  さて、本書のカバーは印象的なイラストで飾られているが、これも本書に執筆した研究会の女性メンバーの労作である。カバーについては青弓社の矢野未知生さんにリードしてもらいながら、細部まで執筆者たちで話し合い、意匠を凝らした。書店で見かけたらぜひお手に取って、袖のイラストまでお目通しいただきたい。そこに描かれている矢野さんのイラストを見たうえで、「矢野さんはもっともっとハンサムではないか?」といった愛あるご批評などは、絶賛受け付け中です。

第20回 『ムラヴィンスキー――高貴なる指揮者』を読む

 アルファベータがシューリヒトに続く評伝、グレゴール・タシー『ムラヴィンスキー――高貴なる指揮者』(天羽健三訳)を刊行した。これはムラヴィンスキーに関心のある人はもちろんのこと、ショスタコーヴィチなどロシア音楽全般に興味のある人にも非常に有益なものである。
  少し前まではムラヴィンスキーというと、私たち書き手にとってはとてもやりにくい指揮者だった。偉大であり、突出した存在であるということはわかっていても、通り一遍の履歴以外はほとんど何もわからなかったからだ。それが大きく変わり始めたのは日本ムラヴィンスキー協会の設立である。この協会は地元ロシアよりも先に設立されたムラヴィンスキーの研究組織であり、第1回の会報は1986年2月に発行され、今日に至っている。その協会がおこなった最も重要な行事は、ムラヴィンスキー夫人で元レニングラード・フィルの首席フルート奏者アレクサンドラさんを日本に招いたことだ(通算2回)。夫人の口から出てくる事実はそれまで私たちが全く知らないことばかりだった。そのなかで最も残念だったのは、81年以降の来日予定がムラヴィンウスキーの健康に問題があったわけではないにもかかわらず、すべてが政治的な問題で取り消されたことである。
  本書はムラヴィンスキーの家系の話から始まり、その全生涯を描いたものである。本書は著者のタシーが長く旧ソ連に滞在していたため、ロシアの関係者からの証言や資料を豊富に取り入れて書いてある。私自身も日本ムラヴィンスキー協会の厚意によって夫人に直接話をうかがう機会があったが、そうした夫人の話とこの本に出てくる記述は基本的な部分ではほとんど一致している。
  かつてヨーロッパで活躍していたほとんどすべての音楽家と同様に、ムラヴィンスキーもまた戦争の恐怖を体験している。しかし、ムラヴィンスキーの生涯は政府当局との闘いの日々だったと言える。彼は政治的な駆け引きを拒絶し、絶え間のないいやがらせに抵抗し、また甘い罠にはまって苦い思いをした。どんなことが繰り広げられていたか、それは本書を読んで確かめていただきたい。そうした状況であっても常にムラヴィンスキーが一流であり続けたのは、彼が鋼鉄のような強い意志を持ち、他の指揮者とは別次元のような音楽を繰り広げていたからである。
  訳者のあとがきにもあるが、翻訳作業は相当に困難なものだったと察せられる。まず、タシーの英語はイギリス人でさえも「癖がある」と言うほどだから、さぞや苦労したことと思う。しかし、読みやすさ以上に感心するのは、訳者天羽氏が原書の誤りを筆者に直接問い合わせたり、あるいはロシア語の文献についてはムラヴィンスキーの通訳を務めた河島みどり氏に確認するなどの作業をおこなっていることである。つまり、日本の読者は原書よりも精度の高い情報を得ていることになる。
  もうひとつ重要なことを指摘しておきたい。巻末には訳者天羽氏の労作であるディスコグラフィとコンサート・リストが付いていることだ(前者はF・Formanとの共著)。これらは原書にはないもので、最初は自費出版で発刊され、その後アルトゥスのムラヴィンスキー・シリーズの特典として再度お目見えし、今回がいわば第3版となるものである。この間に加筆・訂正がなされているが、特にコンサート・リストは天羽氏がレニングラードまで出向いて調査したものである(資料はまとまった形で保管されていなかったそうだ)。この2つはムラヴィンスキーの足跡をたどるうえでたいへんに貴重なものであるばかりではなく、本書の価値をいっそう高めている。また、これらは英文で書かれているので、イギリスの「CRC(Classic Record Collector) 」誌のオーナーであるアラン・サンダースにも本書を送ったが、彼は「素晴らしい記録だ。「CRC」でも紹介したい」と返事をくれた。その他、年譜や珍しい写真も多数含まれていて、帯にある「決定版」という言葉は決して大げさではないと思う。
  本書と『評伝エフゲニー・ムラヴィンスキー』(河島みどり監訳、音楽之友社)、『ムラヴィンスキーと私』(河島みどり著、草思社)、以上の3冊を揃えれば、ムラヴィンスキーに関する基本的な情報はほとんどすべて網羅できると言ってもいいだろう。

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第19回 モノーラル・アレルギー

 今年に入って、自前のレーベルGrand Slamで初期ステレオLPからの復刻盤CDを2点発売した。4月にはクナッパーツブッシュ指揮ウィーン・フィル、ワーグナーの『ワルキューレ』第1幕全曲(GS-2033)で、5月はシューリヒト指揮ウィーン・フィル、モーツァルトの『ハフナー』、シューベルトの『未完成』、ベートーヴェンの『交響曲第2番』(これだけモノーラル)(GS-2034)である。この不況のなかにあって、すでに世に知られた名盤を新たにカタログに加えるのには多少心配もしたが、多くの方々のご協力もあってそこそこ順調に動いている。この次に発売するワルター指揮コロンビア交響楽団、ベートーヴェンの『田園』(GS-2035、5月27日頃発売予定)も同様になることを期待したいものだ。
  ということで、初期ステレオLPのCD化を進めるにあたり、この頃の演奏についてあれこれと調べているのだが、ちょっと面白いことに気がついた。ステレオLPは1955年頃から実用化されたが、ステレオ装置の普及に若干時間を要したせいか、しばらくの間はオリジナルのステレオ音源も、モノーラル盤とステレオ盤が並行してLP発売されていた。これはちょうどCDが登場した頃も同様で、「LP、CD同時発売」と記された雑誌の広告などを見かけた人も多いだろう。
  その初期LP時代、モノーラル盤が発売されて、そのあとにステレオ盤が発売されていたが、間もなくモノーラル、ステレオ同時発売が当たり前になった。しかし、時代がステレオへと流れが変わるにつれて、ステレオLPだけの発売も次第に増えていった。しかし、一方ではステレオ盤LPが発売されたあとに、あえてモノーラル盤が発売されていた例も珍しくない。
  今日の感覚で言えば、きっと誰もが「ステレオが先に出たのならば、追いかけてモノーラル盤を出す必要はない」と思うに違いない。けれども、当時の技術者にとっては、ステレオはまだわからないことが多かった。だから、発売する方にとってはステレオ盤よりもむしろモノーラル盤の方が自信を持って出せたのである。また、当時の雑誌の批評にも「これは○年○月にステレオ盤が発売され、今回はモノーラルでの再発売である。音は前に出たステレオ盤よりも優れており、私としてはこのモノーラル盤の方をお勧めしたい」といった口調のものも意外に多い。
  確かに、初期LPのステレオ録音にはちょっと変わった音がするものもある。全然低音が出ないもの、特定のパートがいかにもマイクに近いもの、左右のチャンネルに極端に分離して真ん中の響きが薄いもの、あるいはひろがりがなくてほとんどモノーラルのように思えるもの、などなど。こんな音だったら、まとまりのいいモノーラルの方が聴きやすいかもしれない。また、当時は聴く側もステレオの音には慣れていないことも考えられるだろう。
  新しいものが出てくると、必ずその反動が起きる。CDも、登場した頃は「音が固い」「20キロヘルツ以上の帯域がカットされているので、響きの成分が失われている」とか、さんざん言われていた。なかには「製造後6年以上が経過すると音が出なくなる」とか、「○○研究所によると、CDは後半になるにしたがってピッチが少しずつあがっていく」という、けっこうむちゃくちゃなものもあった。
  ステレオ初期に出たモノーラル盤は、確かにそれなりの味わいを持っている。これは未確認ではあるが、イギリスのデッカなどはモノーラルとステレオを別のラインで収録していたとも聞いている。もしもこれが本当だとすると、あえてモノーラル盤を聴く意味はある。私はステレオ音源をあえてモノーラル盤で聴こうとは思わないが、ちょうどこの頃のモノーラル盤をステレオ盤よりも高く評価するコレクターの気持ちは理解できる。いずれにせよ、モノーラルだろうがステレオだろうが、それなりに心地よい音で響けばいいのだ。
 
  ちょっと長い前振りになってしまったが、世の中には「モノーラル」と耳にしただけで拒絶する人が案外多いのだそうだ。これはCDショップの人からよく聞く話である。客がCDを持ってきて、「これはモノーラルですか? ステレオですか?」と尋ねてくる。「それはモノーラルですね」と答えると、すぐに棚に戻してしまうそうな。そんなことがしょっちゅうあるので、ある店員は「これはモノーラルですが、とてもいい演奏です。お勧めです」と言い続けたけれども、そうしたモノーラル・アレルギーの人は、ほとんど耳を貸さないそうだ。その店員は「モノーラルとステレオの区別と、演奏の良し悪しや自分の好みとは全く関係がないのに、なんででしょうねえ」と嘆いていたが。
  モノーラルは絶対に聴かない、こういった人々の心理は何だろう。モノーラルを聴くと脳が破壊されると信じているのだろうか? それとも、たまたま最初に聴いたモノーラル録音が非常にひどくて、それがトラウマになってしまったか? また、そんな人は古い映画も観ないのか? ラジオのAM放送が流れると耳をふさいでしまう? 
  いやいや、これはきっと某業界関係者が新録音の新譜を買わせるために、「モノーラルを聴くと難聴になる」という情報をひそかに流しているためだ。あるいは、モノーラルを聴くと体中に赤い発疹ができてしまうという、一般的にはほとんど知られていない病気があるからだ……。
  ということはあるわけがないが、でも、このモノーラル・アレルギーとは、いったい何だろう。

[追記]そういえば、デジタル録音でないと聴かない、という人がいると聞いたことがある。そういう人は“アナログ・アレルギー”か。

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第18回 音楽とスポーツの関係

 この4月にデビューCD『夢のあとに』(MAレコーディングズ MAJ-506)を発売した枝並千花(えだなみ・ちか)という若手ヴァイオリニストがいる。私はこのCDの解説を書くために枝並本人に会って話を聞いたが、そのとき、なるほどと思ったことがあった。
  新潟県出身の彼女はクラシック大好きの両親のもとで育ち、ごく自然にピアノとヴァイオリンを始めた。並行して、テニス、水泳、スキー、剣道などのスポーツもたくさんやったという。けれども、習い事のように押し付けられたわけではなく、彼女自身はどれも気軽に楽しんでやっていたようだ。
  枝並のようにあれこれとたくさんやるというのは、どうも日本ではよくないことのように思われがちである。スポーツなどが特にそうだ。日本の伝統的なスポーツは柔道、剣道、合気道と、“道”がつくものが多い(書道、華道というのもあるが)。国技と言われる相撲は道の字がついていないけれども、特に力士は昇進のときに「相撲道に邁進する」と口にすることが多い。野球だって「野球道」などと言われることも珍しくない。
  この“道”という漢字は周囲を見ず、ひたすらまっすぐ突き進むかのような印象を与えるせいか、日本では小さいときから野球なら野球だけ、サッカーならひたすらサッカーだけに打ち込むというケースが多い。これを“一種目主義”と呼ぶ。この主義は短期間で目標を達成しやすいが、明らかなデメリットがあるという。つまり、ひとつのスポーツだけをやっていると動きがいつも同じであるため、使う筋肉と使わない筋肉が早い時期にはっきりと分かれてしまい、結果として全身の筋肉がバランスよく鍛えられないというのである。
  スポーツ医学的には、中学生くらいまでは複数のスポーツをやって身体全体の筋肉を刺激した方がいいとされている。たとえばこんな例がある。日本人で初めて短距離の国際大会でメダルを獲得したハードルの為末大(ためすえ・だい)がいる。彼は「昨日までの自分を常に疑っている」と語っているように、コーチを置かず、自分自身でトレーニング方法を試みているアスリートとして知られている。為末は『日本人の足を速くする』(新潮新書、新潮社)で、たとえば日本人と欧米人の骨格の根本的な違いから、日本人には一般的に悪いとされるガニ股、猫背の走法の方が似合っているのではないかとか、足を速くするには負荷が大きな上り坂の練習を多用するよりも、下り坂の練習の方が効果的ではないかとか、独自の論理を展開している。
  為末の著作によると、彼は中学時代、陸上部の顧問からは彼の専門であるハードルの練習を少なめにし、砲丸投げ、やり投げ、走り幅跳び、マラソンなど、陸上の全種目をやるように言われていたらしい。これは文字どおり全身の筋肉を鍛えるためだが、為末自身もこれが非常によかったと記している。
  かつての剛速球投手、奪三振の日本記録保持者、元阪神タイガースの江夏豊も為末と似ている。『左腕の誇り――江夏豊自伝』(草思社)によると、彼は中学時代には陸上部に所属して砲丸投げをやっていた。さらに彼は週3回はバレーボールの練習をし、それに加えて相撲やラグビーの大会にまで駆り出されたという。江夏自身も、このときの経験はのちに非常に役に立ったと語っている。
“道”と化したスポーツはまた、“楽しさ”とも縁が薄いような気もする。たとえば、近所でもやっている少年野球、その指導者たちの罵詈雑言は聞くに堪えないものだ。それはまるで勝ちに妄執する醜い大人の姿と言えるだろう。こうした例はテレビ番組でもときどき見かけることがあるが、なんであんな野蛮なシーンを放映するか理解に苦しむ。つい最近の「朝日新聞」の夕刊で、ボクシングの名トレーナー、エディ・タウンゼントの名前が出ていた。私がハワイ出身の日系人エディのことを知ったのは『メンタル・コーチング――流れを変え、奇跡を生む方法』(光文社新書、光文社)だった。彼は藤猛、井岡弘樹、ガッツ石松など、数々の世界チャンピオンを育ててきた人物である。ことボクシングのような格闘技だと、その指導者たちは鬼のような形相をし、竹刀を持って怒鳴り散らすのが定番である。だが、エディはまったく違った。彼はちょっとなよっぽい言葉で、うまくできると「ナイスボーイ!」と言って選手をハグするのだった。口癖は「ハートのラヴで教えるの」「ボクシング楽しいの。試合になればもっと楽しいの」だった。そのエディが竹刀を持った指導者を見て、「なんで竹刀なの? ボク、選手を殴らない」と言っていたのは当然のことだった。
  為末はスポーツだけではなく、投資にも詳しいが、その為末と似ているのがシアトル・マリナーズで活躍していた長谷川滋利だった。彼の著作『適者生存――メジャーへの挑戦』(幻冬舎文庫、幻冬舎)によると、長谷川自身、高校時代の野球部では年間に2日程度しか休みがない、まさに野球漬けの日々だった。しかし、大学時代、野球部の監督は野球漬けにはしなかった。その結果、彼には考える力が身に付き、これがのちにメジャーでの生活をする際に大いに役立ったらしい。長谷川はメジャーに行き、体格も劣るし、球速もさしてない自分がどんな練習をしたら生き残れるかを思案した。また彼は英語を勉強し、通訳なしでも取材に応じることができた。併せて「ウォール・ストリート・ジャーナル」に目を通し、株や経済の勉強もした。また、長谷川はその著作のなかで、日本とアメリカでは中学生・高校生の野球がどう違うかに触れている。彼が言うには、日本の中学・高校は組織だったプレーができているが、その時期に完成されてしまい、頭打ちのような気がする、反対にアメリカのそれは自由にのびのびとやらせておいて、そのなかで腕に自信のある者がメジャーに入り、信じられないくらいに伸びる選手も少なくない、そうだ。
  ここでやっとヴァイオリニスト、枝並の話に戻る。歌ったり楽器を演奏したりすることも全身の筋肉運動である。枝並のきれいでのびやかな音を聴いていると、小さい頃からあらゆるスポーツをおこない、自然と身体全体の筋肉がバランスよく発達した結果ではないかとも思う。さらに、この音の素直さは、彼女が音楽もスポーツも“楽しんで”やってきたからだとも考えている。やはり音楽もスポーツも根本は“楽しむ”である。もちろん、音がきれいで素直というだけで枝並の今後の活躍が保証されるわけではないが、長谷川が言うように「信じられないくらいに伸びる」ことを期待したいものである。

『夢のあとに』(MAJ-506)の内容
フォーレ「夢のあとに」
フランク「ヴァイオリン・ソナタ」
フォーレ「ヴァイオリン・ソナタ第2番」
枝並千花(Vn)、長尾洋史(p)
録音:2008年7月

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第17回 若手の育成方法

 落語の独演会に行ったことがある人はおわかりだろう。独演会とはいっても、最初に必ずひとりやふたり弟子が出てくる。その弟子にもものすごくぎこちないのから、そこそこやってくれる者までいろいろだが、いずれにせよあとに出てくる師匠との格の違いは明らかである。でも、最初に出てくる弟子はまだましである。なぜなら、誰もが最低ひとりは出てくることを了解しているからだ。だから最初は、ま、一席はおつきあいをしましょうといった空気が会場に漂うが、これがふたりめの登場となると「え? まだ出てくるの?」といった、いくらか白々しい雰囲気に変わってくる。
  同じ舞台で弟子と師匠の格の違いがはっきりと示される、これは見方によってはなかなか残酷な方法とも言える。それに、弟子たちは出番が終わったあとにきっと師匠からあれこれとお小言をちょうだいしているにちがいない。「おまえね、あそこであんなにもたもたしてちゃあダメだよ。もっとパパッとやんなきゃあ」とか、「どうしてそこんとこで先を急ぐんだい? もっとのんびりやんなきゃあ気分が出ないよ」とか。かくして、客の冷たい視線に耐え、師匠のお小言を拝聴しながら、弟子たちは「いつかはきっと自分も独演会をやるぞ」という希望を胸に抱いて成長していくのである。
  クラシックの演奏会もこの落語の独演会方式で若手を育ててはどうだろうか? 通常のオーケストラ・コンサートでは序曲だけ、あるいは真ん中の協奏曲だけを指揮するとか。リサイタルでは最初の1、2曲をササッと弾いて引っ込む。そうしていくうちに、なかには後半の主役を食いそうなほどの力をたくわえてくるようなやつが出てくる。そうなったら、今度はその人が主役である。
  そう考えると、つくづくコンクールというのは罪作りだと思う。若いときのある一定の期間の演奏でその後の人生ががらりと変わることがしばしばである。コンクールの前後でその演奏家の音楽はほとんど何の変化もないのに、周囲の状況だけが一変してしまう。
  こうした芸事というのは、常にある一定の水準を長期間維持できることが重要である。たとえば、プロ・スポーツの世界では、ある特定の試合で大活躍したからといってその選手にいきなり途方もない高額の契約金を提示することはありえない。過去のデータをしっかり集め、分析してから契約を提示するはずである。
  話はまた落語に戻るが、最近は独演会ができる噺家が増え、落語界は活況を呈しているようだ。けれども、ほんのちょっと前は風前の灯と言われるくらいに下火の時期があったらしい。今年の初めに寄席で柳家小三治が言っていた、「ちょっと前ですが、あたしが舞台に出たら、300人の小屋でお客が5人しかいなかったんですよ」と。そこで、噺家たちは何とかしなきゃと危機感を抱き、最近の落語ブームにまで盛り上げていったのである。300分の5というと1・7パーセントの入りである。2,000人のホールに換算すると、33人ということになる。たとえば、33人しか客のいないサントリーホールを想像してみてほしい。クラシック界が不況だ、チケットが売れないと言ったところで、こんなにすさまじいことは起こっていないだろう。
  落語やスポーツとクラシック音楽とは単純に比較はできないけれども、これまでのクラシック音楽界は、その場しのぎ的な方法でやりくりしてきたのかもしれない。低迷していると言われて久しいクラシック音楽界も、いまはそのツケがきた状態なのだろう。現実的にはなかなか難しいかもしれないが、いまこそ長期的な視野に立った改善策が模索されてしかるべきではないだろうか。

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第16回 見過ごされがちなクレンペラーのヴォックス録音

 クレンペラーのようにモノーラルとステレオにまたがって録音を残し、なおかつ晩年の方がいいと言われるタイプの指揮者は、たいていの場合、モノーラルの方はあまり見向きもされない。
  このたび初めて国内盤として発売されたクレンペラー指揮、ウィーン交響楽団のブルックナーとマーラー(コロムビア/ヴォックス 84583~4)は、改めてその真価を問われるべきものではないかと思った次第である。クレンペラーは戦後、アメリカ・ヴォックスにまとまった量の録音をおこなっているが、この2曲はそのなかで1951年に録音されたものである。
  ブルックナーの『交響曲第4番「ロマンティック」』はSP時代のベーム、ヨッフムに続く史上3番目の録音で、LP用の初めての録音でもあった。第1楽章はかなり速い。統計をとっているわけではないが、史上最速かもしれない。そのみなぎる覇気には驚かされるが、このときクレンペラーは60代半ばなのである。第2楽章以降は第1楽章ほどは速くはないが、それでもいかにも張りがあって、若々しい。
  もうひとつ指摘しなければならないのは、この当時のウィーン響の音である。この頃はまだ古い楽器を使用していたのだろう、ホルンをはじめオーボエなどの管楽器がいかにもひなびた味わいである。特にホルンはウィーン・フィルそっくりで、そこらのマニアに「これはウィーン・フィルだ。指揮者は誰かわかるか?」と尋ねても怪しまれないだろう。弦楽器もかなり艶っぽい音を出している。たとえば第2楽章のヴィオラ、チェロなど、この頃のウィーン響がこんなに甘い音だったとは知らなかった。なお、クレンペラーはこの第2楽章の途中のヴィオラの旋律をソロに変更している。むろん、これはクレンペラー独自の改変で、賛否はあるだろうが、これはこれでなかなか味があると思う。また、輸入盤(CDX2 5520)はこの第2楽章冒頭に欠落があったが、この国内盤は正常である。
  マーラーの『大地の歌』はワルターのSP録音に続く史上2番目の録音で、ブルックナー同様最初のLP用録音である。『ロマンティック』同様、速めのテンポで処理しているが、ここでもオーケストラの柔らかい音色が十分に物を言っている。さすがにワルター/ウィーン・フィルほど結晶化はされているとは言えないものの、個性的であるのは間違いない。ヴァイオリン・ソロなども場所によってはかなり甘く歌っている。デルモータの美声はさすがで、この曲の名唱のひとつではないだろうか。
  一方のカヴェルティはポルタメントが多い古いスタイルの歌い方だが、この曲の退廃的な雰囲気とよく合っていて、決して悪いとは思わない。ただ、この2人の歌手があまりにもマイクに近すぎるのがちょっと気にはなるが。
 『ロマンティック』だけ国内盤と輸入盤とを聴き比べてみた。音の傾向は全く同じだが、国内盤の方がよりピントがぴったり合った音質のように思える。また、国内盤はブックレットに2曲の初版LPのデザインをあしらっているが、これはマニア心をくすぐるだろう。

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