関 朝之『10人のノンフィクション術』大切な自分の想いを表現する人たち

 「ノンフィクション」とは、「フィクション以外の文学」という意味である。換言すれば「記録文学」ということだろう。
 現場で体験した客観的な事実を正確に筆録する「ルポルタージュ」。旅の見聞や感想などを記した「紀行文」。個人の生涯の行跡を綴った「伝記」。毎日の出来事や感想を記録する「日記」……など、あまりにも広い分野を総称して呼んでいる。
 そんな「ノンフィクション」の取材術・執筆術を、第一線で活躍されるノンフィクション作家の方々に訊いて歩いたのが、この『10人のノンフィクション術』である。
 十人いれば十通りのノンフィクションのスタンスがあり、その取り組み方は、それぞれの生き方にも似ていた。つまり「ノンフィクションの書き方」は、「ノンフィクション作家の生き方」だと、ぼんやりと思っている。
 本書では、それぞれの書き手の作品から例文を引用し、インタビューでの言葉とシンクロさせての解説を試みた。また、これだけの著名ノンフィクション作家のノウハウが、一冊に納まっているのも珍しいのではないか。とりわけ、フィクションではないノンフィクションという広い分野で、みずからの身の置きどころを選択している方々の言葉には、取材活動という「実人生」を宿している迫力があった。
 もちろん、ノンフィクションの取材術や執筆術は大切なことなのだが、ぼくがいちばん興味をもったのは、その人が、どのようなものに衝き動かされてノンフィクションを書くようになったか、である。この衝き動かされる「なにか」こそが、ノンフィクションを書くカギのような気がしてならなかった。
取材は緊張した。なにしろ、インタビューのプロ中のプロにインタビューするのだから……。その反面、楽しかった。本棚でしか見たことがなかった作家が目の前にいたからだ。
佐野眞一さん──「時代」を自分の言葉で後世に伝える──。
久田恵さん──メディアが落としていった事実を拾い集めて──。
鎌田慧さん──頑固なまでに志を貫くルポルタージュ──。
北島行徳さん──登場人物に愛されるように描く──。
足立倫行さん──人を描いてテーマを語る?現場報告の手法?──。
柳原和子さん──インタビューする相手を丸ごと好きになる──。
大崎善生さん──感情に支えられた心優しきノンフィクション──。
高山文彦さん──諦めずにいれば、書くチャンスは巡ってくる──。
後藤正治さん──ライターになるのではなく、ノンフィクションを書く──。
櫻井よしこさん──知りたい事実を解き明かすために書いていく──。
 もちろん、「この十人」に出会うまで何人もの方々に断られた。「どこの誰だかわからぬやつ」に、自分の蓄積してきた「ノンフィクション術」を本にされることに抵抗を覚えても仕方がないことだ。けれども、というか、だからこそ、「この十人」に出会えた。「どこの誰だかわからぬやつ」に時間をさいてくれたノンフィクション作家は、かつてみずからも「どこの誰だかわからぬやつ」だったのかもしれない……、となんとなく思っている。それゆえ本書は、これからノンフィクションの書き手をめざす方々にとって、これ以上ない「十人の言霊」が詰まった書籍である。 
 本書がノンフィクション作家志願者のみなさまにとり、技術的な実用書となることはもちろん、その道程で迷ったときの指南書となれば……、と思う。また、もし「この本に登場してくれた十人のノンフィクション作家は、どんな人たちだった?」と問われたら、「大切な自分の想いの表現を諦めなかった人たちだったよ」と、答えてみたいと思っている──。

山本善行『古本泣き笑い日記』一書畏るべし

 まさか自分が古本日記を書くことになるとは思わなかった。ただ、ひとの読む本、買う本が気になるほうで、ひとの日記を読むのはずっと好きだった。
 たとえば、殿山泰司の『JAMJAM日記』や、小林信彦『1960年代日記』は何回も読んでいるし、木佐木勝『木佐木日記』は、図書新聞社版ではあるが、おもしろくておもしろくて読み終えるのがもったいないと感じたぐらいだ。現代史出版会の『木佐木日記』全四巻本は値段の問題でまだ持ってないが、ぜひ揃えたいと思う。書いていると欲しくなって、安く出ていないかネットで見てみたが、やはり三、四万円している。どこかの出版社、文庫にしてくれるとありがたいが。迂闊なひとは、そんなにいい本なら、四万円でも五万円でも買えばいいではないか、と思うかもしれないが、値打ちのある本はこれだけでなくいっぱいあるわけで、多少高くても、なんてのんきなことを言ってては、即破産まちがいない。
 もちろん、経済状態の問題もある。わたしのところなんか、妻に、「必要なものでも買わないのが本当の節約だ」と言い聞かせているぐらい厳しい状況で、そんななかでの古本買いなのだ。だから、百円なら買うが三百円では買わないといったような、神経をすり減らすような、まるで、なにかの修行みたいになるのである。
 自分で古本日記を書くようになり、古本屋で、これは日記に書けるぞ、とか思うのは、いいことなのかどうか。また、古本屋の店先に座ってごそごそ均一本を探していると、店主がそれを見てにやにや笑っていたりする。古本まつりの会場で知人に会うと、「百円均一どうでした」なんて聞かれる。「どうせわたしは安い本専門ですよ」と開き直るしかないのだろうか。
 こんなわたしだけれど、はじめからこんなんではなかった。
 わたしの周りに本が集まりだして、いつのまにか、二十五年ぐらいになるだろうか。思い出せば、はじめのころは私もかわいかった。新刊本屋でも売っているような文庫を古本屋で五十円ぐらいで探し出しては、友人に自慢していたのだから。
 大学は出たけれど、就職せずに、京都三条のやっと首が出せるような窓しかないアパートに住んで、せっせと本を読んでいた。お金がなくなると、アルバイト。ライオンの歯磨きやシャンプーを店頭で冗談いいながら売っていた。実演だといって、その場で頭にシャンプーをかけ洗いだしたときには、さすがに店長に注意された。
 時間だけがたっぷりとあった。いまから考えれば図書館を利用すればよかったとも思うが、当時からもう本そのものへの興味があったのだろう、お金はなくても、買って自分のものにして繰り返し読みたかったのだ。
 仕事のほうは、そのあと友人の学習塾を手伝ったりしていたが、その友人が突然、「塾なんかやっててはあかん。これからの教育はシュタイナーや」という言葉を残して塾をやめると言いだした。いまから二十年ほど前の話だ。わたしはそのあとを引き継いでいまも続けているのだが、なんとか食べてこれたのは、そのシュタイナーのおかげだと思っている。仕事が夕方からだということもあり、昼間はせっせと古本屋めぐりの生活というのも、気に入っている。
 書いてきて気がついた。わたしという現象は、はじめからあまり変わっていない、ということに。でも、自分でも不思議なのは、本への思いが、多少の波はあるものの、昔ながらの熱を持ちつづけているということだ。ますますのめり込んでいるのかも。古本が絡まないと、力が出ない。そこに本があれば、そこまで行けるのである。
 気がつけば古本屋の前の均一台をながめている。買えるときはまだいいのだけれど、たいていはただ見るだけの繰り返しである。
 近ごろよく言われるのは、「またこの前、古本見てたな、なんか恐くてよう声かけへんかったわ」。そうでしょう、そうでしょう、そんなときのわたしはきっと哀しそうな背中を見せているのでは、と思う。なにかから、逃げているのだ、と感じるときもある。
 そんなわたしではあるが、「一書畏るべし」という気持ちで本を読みたいと思うし、自分の本についても、わたしなりの魂は入れたつもりである。

森 佳子『笑うオペラ』ワインでもあけて、オペラで笑って!

 この本は私にとって、はじめての書き下ろしである。オペラという広大な森に入り込み、笑いの角度からあちこち枝を切り取って、コラージュを作ってみた。一つのキャンバスにいろいろなものを構成して貼り付けていくような感じでやってみた。筆者の気のむくまま、好き勝手に書きつらねたように見えるかもしれない。しかし、じつはけっこうそれなりに頭を使ったのだ。とにかく、書いた当人がおもしろがりながら書いたものだから、読む人にもそれが伝わるだろう、と期待している。
 この本を手にする人は、おそらくオペラを少し聴く人であろう。私としても、通向けに書いたのではない。それにしては、あまりメジャーじゃない作品がいくつも入っているじゃないか、と言われそうだ。しかしオペラ本が山ほど出ている昨今、日本でメジャーな作品ばかり集めてもいまひとつ意味がないように思われた。そのかわり、それぞれの作品解説を時代順に並べるような堅苦しいことはしていない。時代と無関係に、内容で大きくタイプ分けして、おおまかな鑑賞のしかたを提言したつもりである。問題があるとすると、本書を見てCDを買おうとして、手に入りにくいものもあるかもしれないということだ。探すのもまた楽しいことであると割り切って、お許し願いたい。
 カバーは渋い赤色で、デザインも素敵なものに仕上げてもらった。いうまでもなく赤は劇場の色。古いオペラハウスの座席のクッションや幕はふつう深紅が多いのではなかろうか。ハレの日のおしゃれな色なのだ。こう書いてふと思い浮かぶのは、パリにあるフランス古典劇の殿堂、コメディ=フランセ-ズのパレ=ロワイヤル劇場である。喜劇王モリエールの根城でもあったここでは、当時オペラもやっていたが、いまではオペラはオペラ座に移ってしまった。現在になって建物のわきのほうにちょっとした売店が設置されて、観光客用のおみやげグッズなどを売っていた。思い起こせば数年前、何の気なしに私はここでモリエールの小さな像を買ってきたのだった。ポスターやカレンダーなどのグッズは、みな同じ凝った深紅を基調としたデザインで統一されており、ディスプレイを見るだけでも楽しく、フランス人の色彩への執着を感じた。像はむろん白い普通のものだが、店員はそれを同じ渋い深紅の包み紙に包んだものをくれた。じつはこの像を眺めているうちに、本のアイディアが浮かんできたのだが。
 
 この本のタイトル『笑うオペラ』は「笑うためのオペラ」という意味だ。笑いをおこすオペラのすばらしさ、楽しさをわかってもらおう!というのが表向きの趣旨である。その裏には笑いをモチーフにした私の舞台芸術論が隠されている。そしてその根底にもやもやと流れているのは、日本における舞台芸術を取り巻く消極的な現状、沈みつつある状況そのものを憂えている、私の個人的な思いだ。多くの人にせめて言葉でなにかのメッセージを伝えねばならないのだ。それがいちばんいちばん手っ取り早い。むろん日本で、欧米のようにオペラを低料金で観劇できるようになるなどという、贅沢な日々が訪れるとはまったく思わない。異文化の輸入ものであるからだ。しかしながら、これほどまでに疲れきってなるべく小さく生きようとするいまのような時代になれば、当然、じゃんじゃん金を捨てるようなものと思われている舞台芸術の優先度はどんどん低くなる。そうしてオペラだけでなく舞台芸術全般において、芸術家にも、プロデューサーにも、創作意欲が失われていく。そうなると、そんな人たちの創ったものなどレヴェルが低くておもしろくないので、目の肥えた観客はますます育たないという悪循環になる。せっかくバブルのときに建てられた公立の劇場は、税金の投入に見合う質の高い活動をしているだろうか? そのうち取り壊されて駐車場にでも姿を変えはしないだろうか? 結局、建物は業者が潤うだけのものだったのか? それにしても、日本で劇場がいっぱいできたときのあの盛り上がりはいったいなんだったのか。熱しやすく冷めやすい日本人と、どれだけ言い古されてきたことか……。
 楽しそうな宣伝文を書かなければと思いつつ、悲観論になってしまった……。まあ日本の将来のことはさておき、好きな人は自分だけで楽しい思いをすればよいのだ。オペラなら映像も出ているし、いまや海外も行きやすい時代だから、そちらで吟味して観てくるのもいい。
 ほかにPRしたいところをあげるとしよう。自作のイラストについてである。なぜ描いたかというと、白黒写真や図版などよりもシルエットのはっきりした漫画のような絵のほうが、強いインパクトを残すと思ったからだ。私は子どものころに『ベルばら』を読んだ世代。オペラに出てくるような豪華絢爛な世界を漫画をとおして知った。それこそ昔は、『ベルばら』の登場人物の似顔絵を描くのは大得意であった。そんな私でもこの本のために、笑い顔を描く練習を相当重ねた。好きで描いているのは楽しかったが、笑い顔っていうのはホントに難しい。ちょっとした1ミリ程度の線のゆがみで、怒ったような顔にもなってしまうのだ(笑い顔とは関係ないけど、たとえば無表情なウサギのミッフィーみたいな、あんな単純な絵でもまねて描いてみると、微妙な線の違いで表情がまったく変わって別人のようになってしまいますね)。それから理想としては、もっとアマチュアくさい感じの不器用な絵にしたかったのだが(アマチュアでなければ描けない絵ってあると思う)、自分で言うのもナンだが、こういうことにはわりと器用なほうで、そういう絵を描くのはかえって難しかった。
 とにかくここで紹介した作品は、リヒャルト・シュトラウスの『エレクトラ』だのプッチーニの『トスカ』だのと違って、お家でワインでもあけながら、のんびりビデオで楽しめるようなものがほとんどだ。くつろげることを保証する。日本茶を飲みながらではよさは半減してしまう。ワインはやっぱり赤、なかでも深紅のボルドーがいいだろう。いまは夏だから赤ワインよりビールかもしれないが、じきにオペラの季節がやってくる。オペラ好きな人も、そうでない人も、とにかくみなさん、まず本を買って読んでみてくださいね!

田中マリコ『宝塚冗談タイムス』献辞。匠ひびき、絵麻緒ゆう、そして2001年度に退団した61人の生徒たちに

 えー、どうも、みなさま。田中マリコです。今度、新刊を出しましたのでよろしくというごあいさつでございます。
 今回はいつもの私の宝塚本と違い、ちょっとシリアスモードでまとめてみました。その意図は、いまの宝塚シーンそのものが非常に厳しく、とても個々の演技にツッコミを入れてシャレになる状況ではないからです。それなら開き直って、なぜ宝塚はこうなったのかを、『ベルばら』からの宝塚史三十年をテーマに考えてみました。
 そして、執筆中はあまりの状況の変化にまったく余裕がなかったのですが、完成してみますと、しみじみこの『宝塚冗談タイムス』は「彼女たちへのレクイエム」だったと思います。宝塚歌劇の新世紀へむけての転換期に巻き込まれ、花開かぬつぼみのまま、どこか不本意な思いを胸に秘めて宝塚を去っていった生徒たち。もちろん彼女たちは、舞台と観客に深く感謝を捧げて宝塚を去っていきました。しかし、それでもどこか無念だったのではないかと推測できるのは、企業化した宝塚歌劇団の方針が人間らしい情けをあまりに欠いたものだったからです。
 だからこそいま、ここで書き加えたい。「献辞。匠ひびき、絵麻緒ゆう、そして2001年度に退団した61人の生徒たちに」(「献辞」。これは三谷幸喜さんの舞台のセリフの一つですが)。
 さて、なぜタイトルが『宝塚冗談タイムス』なのか。そりぁ~、あーた、「このシリアスさが、ほんの冗談よー」ってことですわよ~。私の書くことをあんまり真に受けないよーに。なんて、本のあとがきに書くと、あんまりひっくり返しすぎかと思ってやめたのですが、「冗談」に厄払いの意味をこめております。おほほほ。
 今回のイラストは、ワコムのタブレットを使って、自分で撮影した写真をパソコンで加工したフォトコラージュです。挿絵の加工材料の写真のもとになった彫刻は花の道に安置されております。一度、お参りのほどを。5円、10円など、銅像の足もとにお供えして、宝塚歌劇の繁栄を願かけするのも、来宝記念になることでしょう。
 しかし、一企業の銅像を宝塚市の血税で建てたそうで、なんだか公費のムダ使いという気がせんでもないですが。まがりなりにも公費で建てたからには、りっぱな公共物なのですが、銅像が肖像権を主張したときにそなえて、いちおうこの作品は著作権登録しておきました。その名も「彫刻コラージュ」。コンセプトは「街頭彫刻に直接落書きすると器物破損になるが、自分でとった写真に落書きするとだれにも怒られず愉快。新しいイメージが生まれ、とても愉快」で、みごと著作物として認定がとおりました。
 なかでもとくにおもしろいものをホームページならではのカラーでご紹介しましょう。夏真っ盛りふう・君に胸きゅんきゅん。オスカルの手にしたブタの蚊取り線香にご注目。真琴グッズですね~。ブタの香取線香。ぜひ作ってほしいアイテムの一つでした。
 トップ娘役のイラストでお気に入り2点は、花總まりの千手観音と大鳥れいのカニ。基本的に両者とも、背負い羽根の要領で作れば実現可能だと思いますが、どうでしょう。花總まりに残された最後の高貴な役は、もう千手観音くらいしかないでしょう。大鳥れいは大阪の元気なねえちゃんで、道頓堀の名物看板・かに道楽のカニを背負わせました。♪とれ~とれ~ピチピチカニ料理~♪の名曲はナニワの心そのものです。月影瞳には二宮金次郎像の薪を背負わせようかと思いましたが、二宮の像が絶滅しており断念いたしました。プリクラふうもオツかと思いますが、♪赤い灯~、青い灯~は時節がら、グリコのマークがワールドカップ仕様なのも注目していただきたいですね。
 なおアンドレとオスカルの春琴ふうは、友人Hが17年前に新婚旅行にいったときのベルサイユ宮殿の春の噴水が背景ですが、しかしこうして実際にオルカルとアンドレを現地においてみますと、そこはかとなく笑いを誘うのはこれまたなぜでしょう。
  さて、ここで問題です。第1章の扉絵に壮大な仕掛けが隠されております。さて、それはなんでしょう。ヒントはやはりフランス語ですね。まぁ、訳して、大笑いしてください。
 あとの内容は読んでからのお楽しみということで、お買い上げのほど、よろしくお願い申し上げましょう~。

山本宏子『日本の太鼓、アジアの太鼓』『日本の太鼓、アジアの太鼓』を書き終えて

 自分の本が刊行されるというのは、なんとも晴れがましくうれしいものだ。いままでにも、さまざまなチャンスに、研究論文やエッセイを数えきれないほど(ちゃんと数えたことがないので)発表してきた。でも、それらが載っている本はすべて共同執筆だったので、たった一人で書いたいわゆる単著は、本書がはじめてだった。
 単著というものは著者に晴れがましさと同時に、恐怖ももたらす。共著だと大勢で執筆しているので「できた?」「まだ」という情報が飛び交い、「みんなで遅れりゃ怖くない」の標語のもと編集者を泣かせても、それほど罪悪感はおこらない。もちろん、あくまでも「それほど」であって、後ろめたさと申し訳なさはいっぱいであるが。しかし、一人で書いていると、申し訳なさに恐怖が加わってくる。
 本書はいくつかの書き下ろしを含んでいるが、それをこの1年間で執筆した。2001年は、私にとって過去・未来すべてを含む人生で、もっとも忙しい年だっただろう。ジェットコースターに乗ったような1年だった。旧正月に雲南省のチベット族芸能調査、3月にロンドンとパリの博物館・図書館で資料収集、5月に上海で国際研究会発表、夏にラサと四川省のチベット族芸能調査、年が明けて3月に上海と蘇州で楽器製作調査。それ以外にも11月に沖縄で国際学会発表、あいまを縫って四国・九州・関東・沖縄などでも芸能調査をおこなった。さらに、これがいちばんビックイベントだったのだが、大阪大学文学部に提出した博士論文「神を請う楽の音――福建省泉州提線木偶戯における技法の象徴性とその継承」を執筆していたのだ。 
 夏にラサへいくことが決まったときには、日ごろ楽天的な私もあおくなって泣きを入れた。矢野さんはおだやかに「わかりました、待ちましょう」とおっしゃってくださって、しばし猶予をいただいた。けっきょく2カ月にわたる夏休みには1枚も書かなかった。ラサで、ときどき矢野さんの顔が脳裏をチラチラした。このまま企画が流れてしまうのではないかという恐怖のもと、「ごめんね、矢野さん」と西の空の下で手を合わせながら、私は毎日楽しくチベット・オペラを見ていたのでした。
 刊行されてからは、また別の恐怖が始まる。出版当日、本屋に偵察に出かけて、並んでいる本書を見つけたとき、まずは小躍りしたいほどうれしかった。そばで本を選んでいる知らない人に「これ私の本、私の!」と言いたいくらいうれしかった。しかしその夜、本書を風呂敷で背負って、営業に精をだしている私の夢をみた。売れなかったらどうしよう。知人から「買いましたよ、おもしろかった」という手紙をいただいて、まずはホッとしている。
 青弓社とは、今回はじめてのお付き合いだ。どのような本を出版していたかはよく知らなかったが、お話があったとき、企画内容とその条件をはっきり提示してくださった矢野さんが頼もしくみえて、お引き受けすることにした。『青弓社図書目録』をいただいたけれど、なかなか目をとおすことができなかった。校正が佳境にはいったころ、編集担当の加藤さんを煩わせて日曜出勤してもらい、人気のない青弓社のオフィスで一日中楽譜を手直したり写真を付き合わせたりした。昼食後のひとやすみ、オフィスの一角に青弓社がいままでに出した本が並んでいるのを発見した。私が読んだことのある本があるではないか。さらに、どれとは申しませんが読みたい本がいっぱい。思わず「著者がもらえることになっている自分の本の代わりに、これらの本をもらえませんか」といいたくなるほどだ。一読者にもどって、本屋に探しに行ってみよう。
 さて、カバーのカラー見本が刷り上がってきたとき、本当に満足した。デザイナーの方には何度も要求を出して作り変えてもらったが、最終的な出来はすばらしいものとなった。思わず「カバーの抜き刷り(?)を作ってもらえませんか?」とお願いしたくなるほどだ。カバーは、それだけ単独でも欲しくなるほど、いいできあがりだった。
 原稿を書くことは大変だったけれど、一方では、フィールドで出会った音楽や芸能を再体験することでもあり、とても楽しかった。過去の体験でも、新たな視点で見直すことで、新たな発見につながることに気づかせてもらった。
 またいつか、次の企画でお会いできることを祈りつつ、もうひとつのあとがき「原稿の余白に」を終えることにしよう。

足立 博『まるごとピアノの本』「音が苦」ではなく「音楽」のために

 振り返ってみれば、幼いころピアノに興味をもちはじめてから、半世紀ちかくがたってしまった。当時は、男の子がピアノなんて、という風潮と認識のなかで、もちろん、家にはピアノはなく、私は学校の休み時間に音楽教室にもぐり込んで、先生や生徒の目を盗んでピアノに触れるのが精いっぱいだった。
 そんなわけで、私は親の無理解を長年恨みつづけたものだが、いまから思えば、今日までピアノに関する興味を保ちつづけることができたのは、このいわばハングリー精神が糧となっているという面があるかもしれない。皮肉にも、ピアノ教室にかよっていた妹やいとこたちは、ピアノを習う機会は十分与えられていながら、ピアノの演奏を楽しんでいるという様子はない。そして私も、もしも体育会系(?)のピアノ教師の訓練を受けていたなら、いまごろはかえってピアノ嫌いになっていたかもしれないとの思いもある。
 また、私よりも前の世代には、紙鍵盤で練習を重ねて、プロ並みの技術を身につけた人もいたと聞いているので、本当に才能があれば、環境や周囲の無理解はあまり関係がないということなのかもしれない。
 私自身もこの歳になってようやくピアノの練習をはじめたのだが、少しずつだがレパートリーも増え、趣味として楽しむには十分で、過去の経緯は、もう水に流してもよさそうだ。もっとも、私の繰り返しの練習に耐えかねて不平をもらす、妻や娘の無理解(?)と闘う必要はいまも続いているが。
 というわけで、私が拙著で訴えたかったことの一つは、ピアノの練習はいつでもできるということ、また本当に楽しんで練習してほしいということだ。そして、自分の弾きたい曲をいきなり練習してもいいということもぜひ知ってほしかった。
 ちなみに、私はいま、ベートーベンのソナタの『30番』の「第三楽章」とアンドレ・ギャニオンの『巡り合い』を練習している。音符の音程を一つ一つ指でなぞりながら一音一音弾く姿は、はたから見ればおかしいだろうと思うし、正統派のピアノの教師からは冒涜だと非難されそうだが、何度も同じことを繰り返して、やがて手がそれを覚えるようになると、われながらほれぼれするような(?)曲になっていくのは感動ものである。そして、ウサギとカメの寓話同様、いつかは正規の訓練を受けたものを超えたいとの願いもある。
 私が訴えたかった二つ目の点としては、調律も含めて、ピアノのメンテナンスはアマチュアにも、やってやれないことはないという点だ。アメリカでは、ピアノのメンテナンスが一種のホビーとして認知されているようであるが、日本ではピアノの内部にしろうとが手を出してはいけないという風潮があるように思う。それで、拙著がアマチュアチューナーのブームのきっかけとなるのではないかとの、ひそかな期待もいだいている。
 もっとも、しろうとが壊したピアノの修理のためにプロが奔走する事態も招きかねないが、業界の活性化(?)にも一役買うのではないだろうか。
 いずれにせよ、ユーザー車検のガイドブックが発表されたときは、かなりの物議を醸したことを記憶しているが、少なくとも命にかかわることのないピアノのメンテナンスについては、もっとオープンに考えても責められるべきではないと思う。
 さて、マイナーだが品質の優れたピアノが数多く存在することをぜひ知ってほしいということも、拙著を上梓するきっかけの一つだった。ユーザーあっての物づくりであるので、機械生産のピアノが普及するのはやむをえないことではあるが、楽器としてのピアノの命はけっしてなくしてほしくないとの思いが強い。ピアノ風キーボード(デジタルピアノ)の音色が標準になってしまったら、ピアノの命は終わりだとさえ思う。現に、デジタル風の音色の生ピアノがあるのが怖い。
 もっとも、この原因は結局はユーザーにあるのかもしれない。画一化や平等感を重んじる日本では個性的な楽器は受け入れられないのかもしれない。ウイスキーにしても住宅にしても「本物」が日本に定着することはなかった。もっとも、自動車などは近年はようやく本物になりつつあるので、ピアノについても今後は期待できるかもしれない。
 住宅に関しては、過去、十冊以上の本を上梓して、そのなかでの言いたい放題で、業界にかなりの影響と混乱をおよぼした責任を自覚しているが、ピアノに関しても、いろいろな意味で一石を、いや三石を投じるものになったのではないかと自負している。ともかく、拙著が業界の活性化の一助となり、真に優れたピアノの普及にいささかでも貢献できれば、本懐である。

太田省一『社会は笑う――ボケとツッコミの人間関係』テレビっ子は語る

 そもそも文章を書くという行為がそうなのかもしれないが、書いてみてはじめて自分の書きたかったことに気づかされることがある。ましてや一冊の本ほどの分量にもなると、その感はいっそう深い。だから今回書いてみてそうした感覚になったとしても不思議はないのだが、それでもそうした部分とは別に、今回とくに気づかされたこともあった。
 当初青弓社の矢野恵二さんと今回の企画について打ち合わせたときにコンセプトとしてあったのは、現代日本社会にあふれる笑いへの欲望のようなものを社会学的な視座から広く考察するというようなことだったと記憶している。ところが完成したものは、そのコンセプトを踏まえながらも、広くさまざまな事例を取り上げるというよりは、結局テレビの笑いということに相当大きな比重を置いたものになってしまった。当然ながら、笑いのかたちは、それだけではない。テレビの笑いが、いまやそのなかの主流を形づくるものだとしてもである。
 そうなってしまったのには、本書のあとがきでもふれたように、一つには、単純に筆者の個人的な嗜好によるところが大きい。その意味で、笑いを判断するとき、暗黙のうちにテレビ的なものを基準にする習性が身についているだろうし、とりあえず何でも笑えれば楽しいというある意味では困った価値観が染みついているような部分もある。要するに、筆者はいわゆる「テレビっ子」なのである。
 もちろんそうしたテレビっ子としての自己形成には、育ってきた時代背景もあるだろう。きわめて紋切り型な表現で恐縮だが、物心がついた時点ですでにテレビが身近にあったという環境は、大きな影響をおよぼしたにちがいない。テレビ世代以前と以後という区分けの説得力は、メディア史的な検証を待つまでもなく私たちの確たる実感として共有されているのではないか。
 しかし、そうした世代論ですませてしまうことにも抵抗を感じないではない。テレビっ子的あり方は、世代や成育環境といったことを超えて一つのコミュニケーション主体としてもはや無視できない実質を社会的に獲得しているように思われるからだ。そしてそれは、本書の基本前提でもある。
 たとえば、テレビに対してツッコむという行為を考えてみよう。テレビ画面での言動あるいは展開などに対して、「おいおい」とか「そんなわけないだろっ」とか言いながら、ほとんど反射的にツッコんでしまうという経験を、かなり多くの人がもっているのではないだろうか。さらに一人でテレビを観ているときだったりすれば、その頻度も高まるにちがいない(もちろん筆者もご多分にもれない)。
 この行為を一つの「コミュニケーション」として考えてみよう。するとそこには、テレビっ子のコミュニケーション主体としての特性がよくみえてくる。
 言うまでもなくそれは、疑似的なコミュニケーションにすぎない。ただしそれは、疑似だからこそ私たちを誘惑するという側面をもっている。そこには、他者から隔離された場所で物を言いたいという欲求と他者と言葉を交わしたいという欲求とが同居している。言葉を換えていえば、テレビに対するツッコミは、独白であると同時に会話なのである。そこには、テレビを自然に親しい他者とするような奇妙な感覚がみてとれるだろう。だがその両義的なあり方のなかにこそ、テレビっ子のコミュニケーション空間は成立している。
 ただしテレビっ子は、隔離されたところでツッコむ自分に完全に自足しているわけではない。そこには、どこか居心地の悪さがともなっている。そのことは、テレビに対して思わずツッコんでしまった自分に対してこみあげてくるあの気恥ずかしい感覚を思い出してもらえばいいだろう。それは、テレビにツッコむ自分に対してもツッコまずにはいられない自分が常に隣り合っていることのあかしである。そしてその自己反省的な部分もまた、テレビっ子的主体の本質的一面なのである。
 その意味で本書は、テレビっ子であることを自覚した筆者が、テレビっ子的あり方が当たり前のようになっている現在の日本社会を語る試みとして読んでもらえるだろう。そのような一種の自己分析的構図ゆえに、読者は、そこかしこで筆者が対象に寄り添いすぎているところを発見し、苦笑してしまわれるにちがいない。だがそのなかで、テレビっ子としての語りに新しさとおもしろさを少しでも感じとっていただければ、筆者としてそれに優る喜びはない。

延吉 実『司馬遼太郎とその時代――戦中篇』「他人の秘事」と文学と

 戦前期の大阪市浪速区は、司馬遼太郎こと福田定一の〈わが街〉であった。その街は、1945年(昭和20年)3月13日深夜から翌14日未明にかけて、アメリカ軍が大量に投下した焼夷弾で焼け野原になった。第一次大阪大空襲である。
 浪速区は壊滅状態。同区の区役所も焼けたが、敗戦後も、その被災した建物を改装補修して、ずっと使っていた。つい最近まで大阪市内の区役所のなかでは、戦前に建てられた唯一の建物だったという。全面的な建て替え工事が、2002年2月現在、おこなわれている。
 浪速区役所は、松本清張の長篇推理小説『砂の器』(1960~61年)に登場し、清張ファンならよくご存じだろう。建て替え前には、ときおり同区役所を訪ねてくる清張ファンがいたとも聞く。筆者が訪ねたのは、『砂の器』よりもむしろ戦前の福田定一の足跡をたどるためだった。戸籍係、庶務窓口、旧講堂などを覗いてみた。20歳の定一が1943年(昭和18年)に徴兵検査を受けたのは、3階の講堂だった。
 それにしても福田定一が浪速区民だったのは戦前期であり、半世紀以上も前の話だ。戦前の街は焼失し、当時の区民も、ほとんどが福田一家を含め借家住まいだったため、よそに離散している。区役所を訪ねても何がわかるだろうか。まさか「戦前に浪速区に住んでいた福田定一のことが何かわかりますか?」などと訊くわけにもいかない。
『砂の器』で蒲田操車場殺人事件の真相を追う今西刑事は、浪速区役所を訪ね、重大な発見をしている。しかし筆者の場合、何をしているのかと言えば、(大見得を切れば)文学(ブンガク)ということになるだろう。それではブンガクをやるとは、区役所へ行くことかと訊かれると、おおいに困ってしまうのだ。要するに、筆者の文学的営為などは、なんともとりとめないものだと告白せざるをえないのである。
 それはともかく、清張の『砂の器』と同時期に書かれた推理小説が司馬にもある。1960年(昭和35年)、「週刊文春」に連載された『豚と薔薇』だ。そのあとがきで、司馬はこんなことを書く。

  私は、推理小説に登場してくる探偵役を、決して好きではな
 い。他人の秘事を、なぜあれほどの執拗さであばきたてねばなら
 ないのか、その情熱の根源がわからない。それらの探偵たちの変
 質的な詮索癖こそ、小説のテーマであり、もしくは、精神病学の
 研究対象ではないかとさえおもっている。

(東方社、1968年、204―205ページ)

 上の一節は、推理小説の探偵役について述べられたものだが、司馬の「探偵役」忌避は推理小説の範囲外にもおよぶのだろうか。つまり、歴史作家・司馬遼太郎の伝記的側面の調査研究も「他人の秘事」をあばくことに含まれるのかということだ。筆者がそんな疑問を抱くのも、司馬の足跡をたどるうちに、ある不可解な出来事にでくわしたからである。
 東大阪市立花園図書館に、〈司馬遼太郎コーナー〉というのがある。司馬の自筆原稿や色紙、著作物などが展示されている。展示書籍には、司馬家からの寄贈本もあるようだ。なかに、いまは書店で入手不能なものが少なからずあった。
 鍵のかかったガラス戸書架を覗いていて、筆者は短篇小説集『白い歓喜天』(1958年)と『名言随筆・サラリーマン』(1955年)の閲覧を申し出た。前者は館内閲覧できたが、後者は見せられないと言われた。不可の理由を訊ねてみると、司馬家の申し入れで、なかを見せられないのだという。
 奇妙な話だが、そのときは事情がよくのみ込めず、『白い歓喜天』だけを閲覧した。筆者は納得していたわけではない。作家が刊行した自著を、あとになって絶版にすることはあるだろう。しかし一度公刊したものを、見せてはいけないと申し入れをするなどとは、普通は考えられない。
「噂の真相」1998年6月号に、「『戦後最大の歴史家』司馬遼太郎が歴史から抹殺した私生活の?過去?」という記事が載っていた。司馬には離婚歴があり、前妻とのあいだに息子があるということを暴露したものだ。これなどは、司馬のいう「他人の秘事」をあばきたてる行為にあてはまるのかもしれない。しかし、人の生きた証が秘事であるとは、本来おかしな話だ。ましてやそれが正式な婚姻や出生である場合には、なおさらそうだろう。
 同誌はまた、マスメディアも年譜作者たちも上の事実を記述していないことも指摘している。その点もまた、たしかに奇妙なことだと言わなければならない。たとえば、年譜を作成した山野博史氏などは、司馬家の申し入れを受けて書かずにいるのだろうか、という疑問はわいてくる。その場合、山野氏年譜の正統性とか真正性、文献学的誠意が当然問題になるだろう。
 いちおう筆者は文学研究者のつもりで、「噂の真相」の記者ではないから、司馬の「秘事」に心ひかれるわけではない。ブンガクをする筆者の願いは、あたりまえのことだが、作家の内面や精神・創作の根源に肉薄することであり、作品と作家個人にあるはずの人間の普遍的真実を明らかにすることだ。
 さて、『司馬遼太郎とその時代――戦中篇』は、司馬遼太郎こと福田定一の戦争体験を記述したものだが、福田定一の「秘事」をあばきたてるものではない。書きたかったのは、あの戦争の時代を生きた福田定一という一人の人間のこと、福田定一が生きたあの時代のことである。

大串夏身『文科系学生のインターネット検索術』分野・テーマごとのリンク集を

 書き終わってまず感じたことは、これからインターネット上の情報検索を効果的におこなうためには、分野・テーマごとに優れたリンク集を作る必要があるということだ。
 情報量が多くなるだけでなく、検索のための索引が精密になると、それだけページ検索でヒットするページが多くなり、そのなかから必要なものだけを選び出すことがますます難しくなる。一般的な検索エンジンである、YAHOO!JAPAN、goo、googleなどは、それぞれ工夫しているが、それだけでは無理がある。テーマ・分野ごとに検索エンジンが開発される必要もあるし、なにより、優れたリンク集が増えていくことが望まれる。
 優れたリンク集というものは、その分野に関するサイトを集めるというだけでなく、探しやすい分類がおこなわれ、さらにリンクされたサイト内の情報を的確に検索できるように検索エンジンが用意されている、というものである。こうした条件にあてはまるものは、まだごくわずかしかない。
 情報検索の本を最初に出したのが1990年、もう10年近くになる。その間、2年おきに出してきたので今回で5冊目になる。
 情報源が10年のうちにずいぶんと変わった。今回は、インターネット情報源を中心に、それもリンク集を核に据えて検索し、その周辺の情報を一般的な検索エンジンで検索するという方法を採用した。
 それと、インターネット情報源を補うものとして印刷資料を位置づけている。1990年前後とは、大変な違いといっていい。当時は、印刷資料が中心で、オンラインデータベースが、それを補うという関係にあった。
 それから、オンラインデータベースが充実し、オンラインデータベースを情報源としたルーキットという電子図書館ができ、一時は経営的にも軌道にのったようにも見えた。1995年、インターネットが一般社会のなかに入ってきたが、当初は、日本の情報源はわずかで、インターネットの恩恵が行き渡らなかった。
 ここ数年、日本のインターネット情報源の充実ぶりは目を見張るものがある。とくに中央政府と公的機関、大学図書館のサイトの充実ぶりはきわだっている。今回収録した情報源には、それらの割合が高い。
 ただ、それらにも問題はある。どんなに優れた情報をアップしているサイトであっても、検索しにくいものであるとなかなか使いこなすことができない。また、検索の対象とするにしても、的確なページの検索ができないようだと、これも使われる割合が低くなる。特定の人しか知らないと言うことになる。これでは困る。
 たとえば、中央政府のサイトの充実ぶりは歓迎すべきことで、中央政府のサイトの総合検索エンジン(「電子政府の総合窓口」〔本書158ページ〕で紹介)が充実したことも好ましいことといえる。
 しかし、それでも、たとえば個々の統計表がキーワードで検索できないというのは不都合きわまりない。これは、ページの検索用のキーワードなどが付与されていないから起きる現象とも考えられる。
 一般に検索用のキーワードの付与は、サイトを作成する人には視野に入っていないようである。これは、HTMLのタグにキーワードというタグがあり、そこに入れるとかなり検索できるようになるのだが、これが十分活用されていない、また、メタデータに対する理解がまだまだということも、遠因にあるようだ。
 いずれにせよ、個々の統計表が検索できるようになってほしい。
 検索できるようになると、悩みもまた生まれる。特定のキーワードで統計表を探そうとすると、中央政府だけではなく地方政府(地方自治体)の統計表もヒットして、統計表が都道府県別、ときにこれに加えて市町村別にずらりと並んでしまうことも考えられる。かえっていまのほうがいいという皮肉な結果となる可能性もある。
 問題がつきないのが情報検索ともいえるが、それらの問題をいくぶんでも解消するのが、最初にふれた優れたリンク集の出現だ。
 これからも、いましばらく情報検索・情報探索の方法について考えていきたい。

佐々木陽子『総力戦と女性兵士』女性の兵力化は「前進」か?

 本書は、ナショナリズムの要請によって創出された第二次世界大戦時の女性兵士に焦点をあてている。アメリカは「同時多発テロ」を契機に、いま、アフガニスタンのタリバンとの戦争につき進んでいる。この「新しい戦争」と呼ばれるアフガンでの戦争は、まさしくテロ勃発を契機にナショナリズムがどう高揚していくかをきれいに描いてみせている。星条旗があちこちにたなびき、ブッシュ大統領の支持率は上昇カーブを描いた。現段階で、有効な抑止力になるものを世界は想定できない。
 太平洋戦争時の日本での女性兵士創出は、戦局に応じて揺れ動く「戦略なき戦略」がもたらしたものと私は結論づけている。戦争では、誰が「味方」で誰が「敵」かの二分法による単純化の力学が作用するが、アメリカの状況はまさにこの構図にはまっており、アメリカから自分の側につくか敵の側につくかとせめよられ、湾岸戦争でのトラウマに引きずられるかたちで、日本は自衛隊の海外派兵に道をつけようとしている。この対応をみていると、戦後50年以上を経ているのに、「戦略なき戦略」を再びたどろうとしている経緯に衝撃を受ける。あれよあれよといううちに自衛隊の武器使用を許容する国外派兵に向けた法案作りがなしくずし的に進行していくプロセスに、1945年の敗戦間近に、同じくなしくずし的に法制化されていった民兵構想との類似がみてとれる。
 戦時下日本の高等女学校での「男まさり」の教練の実態を、聞き取りなどを通じて知るにつれ、日本女性が兵士的身体や兵士的精神を受容することを強く期待されていたことが鮮明にとらえられた。他方、第二次世界大戦時のアメリカには、立派な軍服を着用しながらも兵士性の受容を期待されずに事務職などをになった女性兵士が存在した。このみごとなコントラストに対する「なぜ」の問いが、本書を書く動機の一つとなっている。戦時下日本の高女の教練では、文部省の指導を超えて執銃訓練や射撃訓練が組み込まれる事態を生み出し、そこでは廊下は歩くものではなく、兵卒のように小走りに走ることが日常化する高女も登場する。ことにアメリカ軍の上陸拠点とされた海岸地域や外地の高女の教練は、とりわけ「過激」である。北京のある高女の記録によれば、高女生の閲兵分列行進は玄人はだしであると称賛され、銃剣術ではすばやく抜かなければ筋縮のために銃剣が抜けなくなると指導され、突く動作と抜く動作の繰り返しで足のおやゆびに負担がかかり、運動靴の指先部分に穴があいてしまうほどだったという。日本の戦局が破局へと向かうなかで登場する民兵構想に違和感をいだ かせない素地として、時代の潮流を具現しているともいえる女子教育の現場での教育実践が位置づけられる。
 戦時の女性兵士創出は、ナショナリズムやジェンダー、国家と暴力など、実に多くの問題を秘めながら、光があてられてこなかったテーマである。だが、日本・ソ連・アメリカ三国の第二次世界大戦時の女性兵士創出を比較すると、思いのほか対照的な類型化が導き出せる。できるかぎりの濃厚な情報提供、奥行きのあるテーマ、そして錯綜する情況の提示によって、本書が読者に多様な問題をなげかけうることを願っている。今後、このテーマはますます重要な領域になっていくだろう。なぜなら、女性兵士志願者数は各国で上昇し、そして同時に、徴兵対象になる男性の兵役拒否がますます増大することは明らかであるからだ。軍隊に入ってくる女と出ていく男の構図は、今後ますます鮮明になるだろう。「IBMを打ち上げるのに腕力はいらない」といわれてきたが、まさにハイテク機器が完備した軍隊は、遠くからのミサイル操作を可能とし「きれいな戦争」を可能としながら、それでもやはり地上戦では生命を犠牲とする覚悟を要請する特殊部隊の活躍が期待される。だが、今後、ナショナリズムにとって英雄であるこうした「国家的使命」を背負った戦士が男性なのか女性なのかは問題 にならなくなるのだろうか、それとも男の最後の砦として生命の危険を伴う地上戦領 域は男性領域として確保されるのだろうか。女性が戦闘領域などに進出することを 「前進」と呼んでいいのかとの問いが、本書に通底する疑問だ。違和感がついてまわる。
 本書は第二次世界大戦期の総力戦と女性兵士を比較社会学の観点からあつかっている。社会学と銘打っている以上、時空を違えても一定の条件が近似していれば適用できる理論を含み持つと自負している。社会や国家を考える一つの糸口になってくれれば幸いである。