〈孤独〉という創造力――『写真の孤独――「死」と「記憶」のはざまに』を書いて

伊勢功治

『写真の孤独』という本書の書名は、書き下ろしの「写真の孤独――ジャコメッリと須賀敦子の出会いから」からとった。通常、原稿を書いた後に書名を付けるものだが、まず、最初にこの書名が頭に浮かんだ。これは私にとって、はじめての経験だった。自然に生まれたものだったが、〈孤独〉という言葉に格別の思い入れがあったわけではない。
  私にとって写真は〈死〉の表象として常にそばにあり、写真はいつも〈孤独〉とともにあった。これまで人の死や病、そして別れが写真についての文章を書かせたような気がする。写真は遺影のように〈記憶〉をよみがえらせ、立ち止まって書くことによって追悼してきたともいえる。本書に書いたもののほとんどがそうだった。そして、この書き下ろしの原稿を書くにあたり、誰をその中心軸にするかが最大の課題となった。
  あるとき、イタリアの写真家マリオ・ジャコメッリの神父たちを捉えた写真が目に飛び込んできたときに、はじめてこのテーマで書けるという確信のようなものを得た。
  また、須賀敦子の『コルシア書店の仲間たち』(文藝春秋、1992年)のなかのジャコメッリの写真との出会いに関する記述が筆を進める後押しになった。この2人の作家の根底には、詩から多くのインスピレーションを得て、世界を広げ、自らの作品に浸透させて生まれた結晶がある。
  私にとって須賀の最初のエッセイ『ミラノ 霧の風景』(白水社、1990年)は、私がブックデザインの仕事を始めた頃の記念碑的な本でもあったので、運命的な再会のようなものを感じた。出会いはいつも深層の〈記憶〉のなかから生まれる、そんな気がした。
  写真作家について知りたいという気持ちが、ひとつひとつの川を渡るように筆を進める力になったのは事実だ。写真評論を生業としていないため、興味のある写真家や写真だけを取り上げることができたことは、幸いだったといえるかもしれない。
  本書に収めた10年ほどの間の写真家についての文章を振り返ると、作家の写真に直接入り込むことを避けるかのように、詩や音楽、映画などを経由しながら、写真に近づいていったことがわかる。ときには筆を止め、思考が道草することもあった。迂回し、遠回りしながらいちばん落ち着く場所を見つける、これまでの自分の歩み方にどこか似ているような気がする。
  ジャコメッリに関する資料を集める段になって、日本では多木浩二と辺見庸の著作以外にないことがわかり、洋書を集めることになった。そのために多くの時間を費やしたが、ジャコメッリという写真家について知れば知るほど、一筋縄ではいかないその奥行きの深さに興味が湧いた。
  特に彼が、詩や美術といった他分野の芸術から敏感に、かつ深く感応する芸術家でありながら、一方で現実に真摯に向き合う姿勢に強く惹かれた。従来の写真の様式にとらわれることなく、最前線の流行からも自由だった。彼は孤独を愛し、〈写真の孤独〉こそが創造の源泉であった。
 
  洋書のなかで、Enzo Carliの Giacomelli, CHARTA, 1995 の冒頭でJean Claud Lemagnyが書いたIntroductionの日本語訳は、早稲田大学院生の今中菜々さんにお願いした。この場を借りてお礼を言いたい。

(本書のオノデラユキに関する文章のなかで書いた私の詩が「小見さゆりが書いた」と間違えて表記されてしまった。小見さゆりさんには深くおわびを申し上げます)