「賢治する」と鉱物や樹木と共感できる――『宮沢賢治と天然石』を書いて

北出幸男

  『宮沢賢治と天然石』のカバー表の写真は花巻農学校の教師時代、28歳の宮沢賢治。『心象スケッチ 春と修羅』と童話集『注文の多い料理店』を出版したころで、作家として覇気と、おそらくは野望に満ちていた時期でした。鹿皮の陣羽織を仕立てなおした上着を着ていて、坊主頭や写真の雰囲気からはうかがいにくいのですが、けっこうおしゃれな人だったようです。
  カバー裏の石の写真は、1点は自然のいたずらで「愛の店」とも「愛の石」とも読めるソーラークォーツ、メノウを核に鍾乳石状に発達した水晶を輪切りにしたものです。世界全体の幸せを願った賢治に似つかわしいと思います。もう1点は切断したメノウに現れた天然の模様で、「見立て」の力を使うと氷山を背景に船が浮かんでいるように見えます。賢治の代表作『銀河鉄道の夜』にはタイタニック号の遭難事件で犠牲となった若者と彼に連れられた幼い姉弟が登場します。他者の救済のために自分を犠牲にしたこの事件に、賢治はいたく感動したようです。
  2点の鉱物の写真は石好きだった賢治が驚くようにと選んであります。偶然にもこれらの石をここで紹介できるようになったのは、不思議といえば不思議なことですが。
    
『銀河鉄道の夜』や『雨ニモマケズ』『風の又三郎』の作者として知られている宮沢賢治は、鉱物や地質学の専門教育を受けた民間の科学者で、短い期間、農村指導者として過ごしました。80年ほど前に現代的なフリースクールを創設したことでも有名です。
  賢治は霊視できる、幻臭を嗅ぐなど、生来のシャーマン的気質のために、容易に意識を変性させて向こう側へと行ってしまえる人でした。日常的な視覚を超えることで開けてくる世界を〈心象スケッチ〉とよび、幻想的で透き通った詩や物語を残しました。
  本書の第1部では、シャーマン的な気質のために生きることに難儀したこちら側での賢治の生涯を追いました。
  第2部ではシャーマン的気質と変性意識との関係を分析し、〈心象スケッチ〉は特異なものではなく、私たちも体験できることを検討しました。意識を変容させて賢治ふうの「行ってしまった景色」に遊ぶためのメソッドを付けています。
  第3部では、賢治と天然石に的をしぼり、彼が天然石をどのように眺めていたかを特集しました。蛋白石(オパール)・琥珀(アンバー)・玉髄(カルセドニー)・瑠璃(ラピスラズリ)・土耳古玉(ターコイス)など、賢治作品中の使用例を引いて、賢治と天然石の関係を解説しました。
  全体としてはポスト・ニューエイジの賢治論とでもいった味わい。「これまで誰も試みたことがない〈心象スケッチ〉の21世紀的解釈」となっています。
    
  ポスト・ニューエイジへのこだわりがぼくにはあって、宮沢賢治との出会いは、自分なりにそれを再考する機会になりました。
  日本ではオウム真理教事件以降、ニューエイジは地に落ちたようで、いまでは「スピリチュアル」という言葉も、幼児向けのガチャポンか女性誌の星占いと同程度に扱われています。「闇と暴力と混沌に満ちた世界ではなしに、透き通った愛と光にあふれた世界、精神の解放が水瓶座の時代なのである」(マリリン・ファーガソン『アクエリアン革命―― ’80年代を変革する「透明の知性」』堺屋太一監訳、実業之日本社、1981年)とうたわれたニューエイジはどこへいってしまったのか。このままでは、自分だけが得をすればいい、他人に迷惑さえかけなければ後は何だっていい、という風潮しか子どもたちの世代に残せないのではないか、といった心配は、ひとりひとりの人が「賢治する」ことで、その人のまわりから少しずつ解消されていくだろうと期待しています。
  ぼくと賢治とのかかわりは、本を1冊書いたから終わりというわけではなく、開催時期は未定ですが、今後は自分の店ザ・ストーンズ・バザールで「賢治と天然石展」のようなものを開き、ブログでは本書をまとめるにあたって省略した部分の紹介や、お気に入りの賢治作品のポスト・ニューエイジふう解説などを書いていこうと考えています。
  これらの情報には「ストーンズ・バザール」または「北出幸男」で検索するとアクセスできます。新刊の『宮沢賢治と天然石』をもっともっと楽しんでもらえるよう努めます。
  真昼の空や夜の月を眺め、草や木や石たちを眺めて、「きれいだなあ、おい」と、みんなのひとりひとりが言えるといい。