小田茂一
19世紀前半に発明された写真術という新しい技による視覚表現は、「ゆらぐ」ものへの関心を引き起こし、まずモネの絵画に取り入れられました。そして、写真から映像へと複製技術による視覚メディアが「進化」していくなかで、絵画の表現もまた変容していくことになったのです。本書『絵画の「進化論」』では、この流れをたどったのですが、写真や映像の絵画への影響や融合によってもたらされるさまざまな表現には、いまの世の中でも大変関心が集まっているように感じます。この本を刊行する前後の2008年2月から3月にかけても、液晶画面上に絵画的表現をおこなう「液晶絵画」展(三重県立美術館)や、昭和初期に活躍した大阪の写真倶楽部の前衛的写真や写真をベースとした現代の作品を紹介した展覧会「絵画の写真×写真の絵画」(大阪市立近代美術館〔仮称〕心斎橋展示室)などが開かれています。複製技術の進展、さらにデジタル化は、手作業をよりどころとしてきた「絵画」というジャンルの表現手段にも変化を促し、作品は多様な方法によって表出されるものとなっているのです。
ところで、多くの人が自身の体験として複製技術を利用する表現者となり始めたのはいつのころからでしょうか。筆者は、それは1950年代末から60年代にかけてのことではなかったかと考えています。デジタルカメラが普及し、写真と私たちとの関わり方が急激に変貌した近年の状況と同様に、アナログの世界で誰もが視覚メディアを使いこなすことはそのころに可能になったのです。筆者は自らの体験として、この最初の大衆化に遭遇しました。筆者の小学生時代の途中あたりから、カメラで写すことは急速にポピュラーなものになったのです。それ以前は、お金のかかる大人の趣味あるいは職業であったことが、子どもの領分にまで広がったのです。
こうしたことから、現在のメディア受容者の多くは、自分でカメラを操ることが大衆化されて以降に成長してきた人々といえるのです。19世紀半ば以来、受容者としてだけ接するものだった視覚メディアは、その時期を境として、子どもの趣味のレベルから自らが発信できるものになったのです。そして草野球の腕前と同じようなものとして私たちに身についていったといえるでしょう。またそのころは、テレビの普及とも重なる本格的な映像化へのスタートの時期でもあったのです。このことも当然のことながら、絵画制作や絵画の見方に大きな影響をもたらさないはずがありません。また、表現者としての手法も描くことより、まず写し撮ることが一層身近なものになっていったのです。
いわゆる団塊の世代は、スナップ写真を撮ることの大衆化の担い手となったのですが、その経緯に簡単にふれてみます。国内メーカーによるきわめて廉価なカメラが相次いで登場したことでこのことは引き起こされたのですが、わが国の子どもたちは、当然その中心となって恩恵を受けたといえます。具体的には、1957年に発売されたブローニ判の「フジペット」に始まって、59年になると、筆者自身もこれで写真撮影に興じた「ペット35」(富士フイルム)という安いながらも大変よくできたカメラ、そして35ミリフィルムをハーフサイズにして使った「オリンパスペン」という累計、1700万台を超えるシリーズなど、コンパクトカメラの一大ブームへと拡大していったのです。そこには、自動調整(Electric Eye)機能もついて、文字どおり誰にでも写せるものになっていきました。
こうして画像を作り出すことまでが日常に入り込んできたのですが、そのことはまた、描くことが変質していくプロセスだったとみることもできるかもしれません。本書で言及しているように、表現すべき「視覚的現実の大部分が自然そのものであったモネの時代」から、「印刷物などが身のまわりに溢れる視覚メディア万能のゲルハルト・リヒターの時代」への移り変わりをもたらしたといえるでしょう。その結果、私たち現代人は、切り取られた画像や映像のなかの現実にこそ、「絵画」表現への新たなモチベーションを見出すことを迫られるようになったのです。そのことをさらに推し進めるインターネット時代のインタラクティブな環境のなかで、私たちの想像力は、新たな表現としてこれから何を生み出していけるのでしょうか。