クラシックが地球を救う……?!――『それでもクラシックは死なない!』を書いて

松本大輔

 やつらは突如やってきた。
 透明な宇宙船でやってきたやつらは、1日目で世界中の各国の軍事基地を殲滅。2日目にアメリカ、イギリス、日本をはじめとする大国の政治的中枢を破壊。
 3日目、緑色の光線が世界中の都会を焼き払っているというニュースを伝えたのを最後に、新聞・テレビ・インターネット・電話などあらゆる通信手段は使用不能となった。もちろん飛行機・鉄道・船などの交通機関はとっくに停止している。
 人類はわずか3日でやつらの前に陥落したのである。

 4日目、かろうじて残っていた自衛隊が、街の生存者をいっせいに避難所に誘導していくことになった。私たちは着の身着のまま、大急ぎで最低限の食料と飲み物だけを用意した。
 ……そして、怒られそうだが、私は書斎にあった膨大なCDのなかから、お守りがわりに3枚のアルバムを探し出し、ジャケットのポケットに突っ込んだ。新刊『それでもクラシックは死なない!』という本に掲載したCDたちである。しかしこの本が出ることはもうないのかもしれない。……それより、この3枚のCDを聴くことさえもうないかもしれない。
 自衛隊のトラックは出発した。
 ところが道路は寸断されていてわずか30分ほどで立ち往生した。おそらく全長数百メートルの車列である。やつらに見つかったら攻撃対象になるのは間違いない。
 そしてその予感はすぐに的中した。突如空中から放たれた緑色の光線が、目の前の装甲車を一瞬にして消滅させた。トラックに乗っていたわれわれは完全にパニック状態に陥り、一片の理性もない哀しい群衆と化した。
 私はあっという間に家族と離れ離れになっていた。急いでもとの場所へ戻ろうとするが、押し寄せる群集に飲み込まれ、戻ることも進むこともできない。
 そのとき、まわりが真っ白になり……意識が途切れた。

 それからどれくらい時間がたったわからない。気づいたら、真っ白な祭壇のようなところに立っていた。
 目の前にやつらがいた。しかし真っ白な光に包まれているやつらの姿を直視することはできない。どうやらあまりいい状況ではない。……が、最悪の状況でもないような気がした。
 ぼーっとしている私の頭に、突如やつらの意識が入り込んできた。
「おまえの持ち物のなかに、3つの媒体が入っていた。これはなんだ?」
 目の前に、先ほどジャケットに入れたCDが3枚置かれていた。
「これは……CDです。音楽が入っています」
「音楽とは何だ? あらゆる原語解釈装置で調べたがどこの星雲の原語とも異なる。暗号でもない。まったく意味のないデータの集まりとしか思えない」
「データじゃないです。音楽ですから」
「音楽とは何だ?」
「楽器や声で、いろんな音色を奏でるんです」
「それに何の意味があるのだ? さまざまな音程の音が入っていることは確認したが、それがどういう意味をもつのだ?」
「意味はありません。それを聴いて、いろいろ感じるのです」
「よくわからん。くわしくこの3枚の媒体を説明してみろ」

 1枚目……。カレル・アンチェルがチェコ・フィルを指揮した1968年5月12日の『わが祖国』ライヴ。
「これはほかの国に占領されそうになったときに、その国の人たちが集まってお互いの勇気を高めあったときの音楽です。憎しみや怒りを、国を守るための勇気に変えてくれるのです」
 2枚目……。ガブリエル・フェルツが指揮したスークの『幻想的スケルツォ』。
「これはとてもとても美しい音楽です。聴く人の心の中にある絶望やおそれを、希望と喜びに変えてくれます」
 3枚目……。ラウテンバッハーがヴァイオリンを弾いた、ビーバーの『ロザリオ・ソナタ』。
「これはとても安らかで慈しみに満ちた音楽です。これを聴けば、どんな生き方をしてきた人でも、神の愛を感じることができると思います」

「おまえは何を言っているのか? おまえの言うことが本当であれば、この媒体を聴くだけで、おまえたち地球人はどのような状況でも希望と勇気をもちえるということになる」
「いえ、まあ必ずというわけではないのですが……」
「そして、われわれのような高次の生命体でもまだいつでもコンタクトできるわけではない神の意思に、おまえたちはいつでも自由に接触できるというのか?」
「そんな。いつでも感じることができるというだけです」
「それは不可能だ。そんなことは許されない」
 やつらは目の前のCDを取り上げた。
「でもこのCDを取り上げても、地球上にはこれと同じくらいすばらしい音楽がまだたくさんあります」
「ではすべての媒体を取り上げる」
「でもCDを取り上げても、楽器さえあれば地球人はいつでも音楽を生み出すことができます」
「ではその楽器というものも取り上げる」
「でも僕たちには歌があります。結局何をしたって地球人は生きている限り音楽とともにあるんです。だから地球人は絶対にあなたたちに降伏しないし、いつも神様がそばにいてくれる」
 やつらは目に見えて動揺し始めた。
「おまえの言ったことが本当かどうか調査する。おまえのDNAには、存在した地球人すべての知識と経験が収まっているのだ。それをチェックすればすぐに結果が出る」
 一瞬脳髄が真っ白になった。永遠のときを1秒間で経験した。
 意識が戻るとやつらはさらに動揺していた。
「この戦いは中止だ。戦略コンピュータによると地球人は地域によって宗教も思想も政治も経済もすべてバラバラだから占領は容易だという結論だったが、その戦略コンピュータに「音楽」という概念はなかった。その意味不明な「音楽」というものに対して共通認識をもつこんな生命体を、これ以上攻撃し続けるのはあまりにもリスクが大きすぎる」
 天井がぐるりと回った。また意識が遠くなった。「学習しないように、時間を4日前に戻す」。なんとなくそんな声が聞こえたような気がした。

 気づいたら自宅の庭だった。服装はやつらといっしょにいたときのまま。家に入って確かめると、やつらが攻め込んでくる前日の夕方。
 時が戻っている。やつらといっしょに母船にいたからか、私は時間を逆行しながらも記憶を失っていなかった。
 呆然としている私に家族が尋ねる。「ねえ、今日の晩ごはん何にする?」。もちろん彼らは何も知らない。
 晩ごはんのとき、まあ理解してはもらえないだろうと思いながらこの4日間の話を家族にした。息子たちは目を丸くして聞いてくれたが、妻は「で、それを私たち以外の人にはまさか話さないわよね」と言いながら風呂を掃除しに行った。
 まあ、息子たち以外は誰も信じないだろう。だが、このくすんだ3枚のCDが人類を救ったことは、まぎれもない事実なのである。

 ちなみに、幸いにも『それでもクラシックは死なない!』はその後無事刊行された。