「時代」のなかの図書館――『図書館と戦争と民主主義の百年』を出版して

渡邊重夫

図書館に助けられ

 2025年は、1926年の「昭和改元」から「100年」を迎えようとしていた。そして、「不敗」を誇った大日本帝国の敗戦から「80年」の年だった。このとき、私は何を考え、何をなすべきなのか。戸惑いのなかで無為に時間を過ごしていた。そのとき脳裏に浮かんだのは、「その間、図書館はどうだったのだろうか」という素朴な問いだった。その問いが本書の出発点になった。
 2025年の1月15日に原稿の執筆を開始し、脱稿できるのかという不安とともにキーボードを叩き始めた。しかし「100年」という長い年月、研究室もない在野の一図書館学研究者にとっては、所蔵する資料だけではとうてい間に合わない。その折、助けられたのは「図書館」だった。原稿執筆の背後には、いつも近くにある北海道立図書館の膨大な蔵書があった。特に同館の図書館学資料室は、本書の命綱だった。「図書館雑誌」(日本図書館協会)や「学校図書館」(全国学校図書館協議会)などの逐次刊行物の創刊号から始まり、各種の図書館学資料が丁寧に保存・整理されていて、この資料なくして原稿執筆は一行たりとも進まなかった。図書館のことを研究していて、「図書館に助けられた」という思いは何物にも代えがたい。その結果、本書『図書館と戦争と民主主義の百年』も出版することができた。

「聖戦」と「民主主義」

 さて本書は、「「聖戦」を担わされた図書館」(戦前)と「民主主義の「砦」としての役割を担う図書館」(戦後)とを素描した。昭和の始まりを告げる前年の1925年、その後の歴史を特色づける2つの出来事があった。普通選挙法の実施と治安維持法の制定である。真逆の法律が「抱き合わせ」で成立している。普通選挙法は、その後の大政翼賛会の成立とともに翼賛選挙になり、選挙の意義は形骸化していく。それと並行して図書館への国家権力の介入が露骨になっていく。軍事国家は、図書館を利用して国民の思想善導、国民良化の政策を推し進め、図書館も不承不承(ときには積極的に)それらの政策を受け入れていく。「聖戦」を担う図書館である。そして治安維持法は、制定当初は無政府主義者・社会主義者が摘発の対象だったが、やがて自由主義者・宗教者にもその範囲が拡大していく。思想・言論弾圧は、暴力装置としての特高(特別高等警察)とセットで、遂には「誰でも」「いつでも」「どこでも」その対象範囲を広げ、市井の人々を逮捕・投獄していく。本書では、北海道の教師や学生が遭遇したそのうちの2例をもとに論じた。
 1931年の満州事変を契機とした日本のアジアへの侵略戦争。その開始時に国民は熱狂的にその戦争を支持し、マスメディアもそれに乗じて戦意高揚の情報を報じる。そして、遂にマスメディアは国家の拡声器になり、大本営発表を伝える。いつの時代、どこの国にもみられるマスメディアと国家の一体化であり、その結末はいつも悲劇的である。こうした悲劇は図書館にも及ぶ。戦渦は図書館の存立事態を危うくし、図書館機能の不全を招くことになる。
 
「知的自由は環状になっている」

 図書館も社会的な一機関であるために、政治の影響から免れることはできない。戦後成立した国立国会図書館法の前文には「真理がわれらを自由にする」という一文がある。真理を求める人々の思いは、自由を享受しようとする人々の思いと一体だと思う。すなわち、図書館が最も生き生きと存在価値を発揮しうる社会は「思想・信条・内心・表現・学問」などの自由が容認される社会である。アメリカ図書館協会知的自由部が編纂している『図書館の原則』には、「知的自由は環状になっている。表現の自由か思想へのアクセスかのどちらかが抑えられると、この環は崩壊する」と記してある。日本国憲法の解釈に基づいて換言するなら、図書館は、情報発信者の自由(表現の自由)と情報受領者の自由(知る権利)を「仲立ち」している。そのため、そのどちらかの自由が損なわれると図書館の存在意義は喪失する。図書館は民主主義社会を基盤にその機能を発揮することができる。そのことを本書の後半に記した。民主主義の「砦」としての図書館である。
 しかし今日、世界の国々を見渡しても、表現の自由も思想の自由も抑圧された国は多々ある。あの国、この国……。日本もそうならない保証はない。政治学者・丸山眞男は、「自由は置き物のようにそこに「ある」のではなく、それを不断に行使「する」ことによって守られる」という。図書館が民主主義社会を維持するための社会的装置としてありつづけるか否かは、ひとえに国民(市民)の日々の営みに依拠しているといえる。そうしたことをあらためて(そんなことを「あらためて」と思うのか、という声が聞こえそうだが)考えさせられた執筆経過だった。

 本書は、青弓社からの9冊目の出版である。私の単著は合計15冊なので、その半分以上は青弓社から出版した。矢野恵二氏には、そのつどご迷惑をおかけしてきた。特に今回、提案してもらった書名に納得がいかない私は何度も変更を伝えた。そのつど私の勝手な思いを受け止めてもらい、最終的には納得できる書名になった。心から感謝を申し上げたい。
 さらに付記したいのは、青弓社の校正のすばらしさである。一文字のミスも見逃さず、不確実な出典には確実な典拠を求めるという姿勢は、とても心強い味方だった。校正を担当された方々にも感謝したい。
 思い起こせば、私が矢野氏に初めてお会いしたのは、1988年11月21日、札幌の東急インというホテルのロビーでである。そのとき、最初の拙書『図書館の自由と知る権利』の出版の打ち合わせとなった。幸いにもこの書は日本図書館学会賞(日本図書館学会)受賞の栄誉に浴した。このときの出会いを仲立ちしてくださったのは大串夏身氏(当時・東京都立図書館勤務、現在は昭和女子大学名誉教授)である。次に矢野氏にお会いしたのは2019年6月6日のことである。この日は拙書『子どもの人権と学校図書館』が学校図書館賞(全国学校図書館協議会)を受賞することになり、その授賞式と記念パーティーが東京の中野サンプラザでおこなわれていた。この書も青弓社からの出版だったが、その会場に矢野氏も出席し、私は二重の喜びを味わった。そのときに矢野氏と一緒に写した「破顔一笑」の一枚の写真は、私の宝物である。
 
『図書館と戦争と民主主義の百年』試し読み