タジタタン――あるいは上梓までの日々――『〈サラリーマン〉の文化史―― あるいは「家族」と「安定」の近現代史』を出版して

鈴木貴宇

 ものを書く仕事に就きたいなと憧れた10代のころ、そのイメージは万年筆を手に原稿用紙に向かい、一つの形容詞が思い浮かばずにため息をついて、早朝の森に散歩に出たりするといった、どうも串田孫一的スノビズムに彩られた、おまけに時代がかった「文人」のものだった。もちろん場所は片流れの品のいい屋根の別荘で、そこには無口だがすべてを心得ている年配の家政婦がいて、そっと紅茶を入れてくれる。訳ありの渋い執事でもいいけど、まあとにかく、私は万年筆を握ってさえいればいいのだ。時折はウイットの効いた編集者が、老舗和菓子なんぞを差し入れにきたりする。
 さすがにそりゃないわなと大学院に進学したあたりで気がつくのだが、今度は論文の執筆というのは、きっと知の集積みたいな研究室で、厳しい面持ちで臨むものに違いあるまい、とこれまた勝手にイメージしていた。これも違うわなと現実を知るものの、どこか「単著上梓」ということに関しては、最後のロマンではないけれど、なんとなく「おお! われ成し遂げり!」的な充実感があるんだろうなあと思っていた。メンデルスゾーンの「おお雲雀」が高らかに響いてしまう感じである。

 それも一つには、「あとがき」の為せる業だとおもう。これまで読んできたあまたの本にある「あとがき」は、なんてスタイリッシュなものが多かったことか。著者は必ず「理解ある職場」にいて、さらに「孤独を分かち合う友」もいて、おまけに「そっと励ましてくれる妻ないし夫」もいる(さらに、いつも寄り添ってくれるペットまでいたりする)。そして「セーヌ川のキャッフェで談論風発の日々を思いながら」なんていう締めの言葉で終わったりするのだ。ああ、私もそういうことを書いてみたい!と、三十路に入ったあたりから、悶々と「エセあとがき」を書いたりしていた。
 まあ、それは無理でも、とりあえず落ち着いた状況で行く末越し方を考えながら「あとがき」を書くことができたら、それだけでずいぶんと幸せじゃあないか、といろいろあった不惑以降の私は、ささやかながら「あとがき」を書ける幸せを楽しみにしていたわけである。

 ところが。まず青弓社の校正者は大変に熱心で、改善提案みっちりの初校ゲラが届き、当初はうれしい悲鳴も最後には単なる悲鳴となりながらなんとかゲラを返したら今度は編集部が私の訂正に手間取り(ごめんなさい)、さらにコロナ禍でスケジュールがすべて押せ押せとなって、私の本って本当に出るのかしらと訝しむ時期があったくらいである。
 かと思えば、年度が明けたら今度は猛ダッシュでどっかどかとゲラが投下されてきた。しかも「8月末に刊行するので、いついつまでに再校念校見本印刷」と、怒涛の勢いである。「あ、ということで、「あとがき」は7月7日までにデータで送ってください」との指示が期日3日前、すでに学期末のとんでもなく忙しい時期に入っている。七夕の日が締め切りというのはちょっとステキかしらと思うも、甘かった。通常授業の期間でさらに学期末となると、もはや「ステキ」なものなんてお茶休憩のチョコレートくらいしかないんじゃないかと思うくらい、バタバタである。文学少女のころからあんなに思い入れがあった「あとがき」なのに、ローソンのからあげクンをつまみにノンアルコールビールを片手に書くことになった。

 いま思えば、それしもまだマシだった。いよいよ書影が出て、うわあ、本当に出版してもらえるのか、いやはや、とドキドキする日が続いた8月はじめ、なんだかとにかく部屋が暑い。いやあねえ、緊張してるからほてってるのかしら、意外とウブなところがあるわね私、なんて思っていたら、本当に暑い。熱中症になりそうな気配である。もちろんエアコンはつけている。だけど原稿用紙のマス目が汗でにじむくらい暑い。ふと見れば、エアコンの電源ランプが点滅していて、送風口からは熱風が出ている。
 築10年ちょっとの物件で、決して古いものではないけれど、設備も10年たてば劣化する。さらに最近の暑さだ、フル稼働となったエアコンを責めるのも気の毒である。しかし、さすがに30度を超える日本の夏をエアコンなしで過ごすのは無理だ。おまけに念校も抱えている。しかもこれが起きたのは日曜日、管理会社の代行さんは、「ええ、そら暑いですよなあ、よくわかりますわ、だけどどうしようもないんですよなあ」の繰り返し。
 仕方ない、とりあえずビジネスホテルをとって、修理を待つしかないかと考えた月曜日、勤めを終えて電車に乗っていたらスマホが振動する。見るとなんと警察である。一瞬、再校ゲラが遅れてるから警察から督促がきたのかと焦るが、そんなわけはあるまいと電話に出ると、「あ、えーと、鈴木さんですか? あなたの住んでる建物、火事になってまして」と言うではないか。

はい?

 閑話休題。要は、隣室の壁のなかにあった分電盤がショートして、たまたまリモートワークで家にいた住人は急に部屋に煙が立ち込めるからびっくりして外を見たら燃えていた、ということらしい。消防車が派手に噴水してことなきを得たが、着いてみたら隣室の外壁は無惨に剥がされ、こりゃしばらく住めませんよねは一目瞭然だった。
 エアコンが壊れたおまけに火事に遭いまして、つきましては念校は大学に送ってください、と担当編集者さんに伝えたら「そりゃまあ、タジタタンですなあ」と呆れたのか驚いたのか、そんな言葉で返された。タジタタン? ああ、多事多端か、と脳内変換するも、多事多難ではなく「多端」ときたかと感心する。単に言い間違えかもしれないけれど、「タジタタン」という響きは、どこかスタッカートで、軽やかではないか(そんなことないか)。

 そんなわけで、何事も現実は小説よりも奇なりを地で行くような日々を過ごすうちに、10年かかった拙著『〈サラリーマン〉の文化史』を無事に上梓することができた。「あとがきのあとがき」くらいは、それこそ文人らしいことを書きたかったのだが、どうやらこれが私の身の丈である。最終章に登場してもらった山口瞳にならって、「この人生、大変なんだ」ということで、お読みいただけたらとてもうれしい。