船旅文化を築いた名もなき人々――『船旅の文化誌』を出版して

富田昭次

 本書で書き残したことがある。『愚か者の船』について、『絶望の航海』と『さすらいの航海』について、日本人によるユダヤ人救出について、そして阿波丸沈没の謎について。
 過酷な話ばかりである。だから、本書では取り上げにくかった。しかし、避けて通れないと思い直し、これを機会に少しだけ触れてみたい。
 アメリカ生まれのキャサリン・A・ポーターは1931年、メキシコからドイツへ航海の旅に出た。その船旅で、彼女は見聞きしたことをノートに書き留めた。それが『愚か者の船』(注1)というベストセラー小説に昇華し、同名で映画化もされた。「高級なドラマもあれば、低級な茶番もあり」(訳者の「あとがき」)という物語である。同書にこんな場面がある。教会の備品を販売するユダヤ人が「ユダヤ人の娘を侮辱することは、ユダヤ人全部を侮辱することですぞ」と言うと、多くのドイツ人乗客の一人が怒声を上げるのだ、「その汚らわしい口を閉じろ」と。ユダヤ人排斥思想の醜さについて描いていた。
 実話の『絶望の航海――ナチ・ドイツを逃れて』(注2)と、それを映画化した『さすらいの航海』(注3)もユダヤ人が主題だ。1939年、ナチス・ドイツは亡命希望者のユダヤ人937人をセントルイス号に乗せてキューバに向かわせる。「ナチが一番関心を持ったのは、船とその乗客がドイツを出発したあとで、これをどのように利用するかであった」(同書)
 キューバは、ナチスの策略もあってセントルイス号を受け入れることはなかった。ナチスから逃れる手立てはもうないのだろうか……。映画を見た同書の翻訳者・木下秀夫は「救いのない残酷物語」と題した一文を「キネマ旬報」に寄稿している(注4)。
「映画を見たときも、何回かハンカチを取りださなければならなかった」「船員と乗客の美しい娘が心中するが、あれは原著にはなかった。しかし一番感激的な場面の一つであった」
 第2次世界大戦下のユダヤ人救出に関して、日本人は杉原千畝の名を第一に挙げるだろうが、いつだったか、筆者はJTBの店舗でふと手に取った小冊子(注5)で、一つの秘話を知った。以下は、その小冊子に掲載してあったジャパン・ツーリスト・ビューロー(当時)の職員・大迫辰雄の詳細な手記(注6)によるものである。
 当時、日本はドイツと同盟の関係にあったが、同ビューローは人道的見地から、日本経由でアメリカに逃れる彼らを無事に送り届けようと尽力した。輸送するばかりか、アメリカ・ユダヤ人協会から送られてきた金銭を、本人確認をおこないながら手渡す業務も担った。
 その任務のなかで、まだ入社2年目だった大迫は、1940年(昭和15年)から翌年にかけて支給された船員服に身を包み、ウラジオストクから敦賀までユダヤ人を古びた天草丸で送り届けたのである。
 大迫は荒れる日本海を二十数回往復した。最初の往路で早速ひどい船酔いに苦しめられたが、復路では三等船室で雑魚寝する400人ほどのユダヤ人の世話に追われ、船酔いする暇もないほどだった。大きく揺れたときは沈没するのではないかと恐れたものの、航海を繰り返すうちに、案外沈まないものだと安心するようになり、また船酔いすることもなくなったという。
 過酷な事例をもう一つ挙げなくてはならない。
 ある古書市で、筆者は偶然見かけた有馬頼義の『生存者の沈黙』(注7)に手を伸ばした。『四万人の目撃者』などの推理小説で有馬の名が記憶に残っていたからだ。だが、これは単なる推理小説ではなかった。1945年(昭和20年)春に起きた阿波丸沈没の謎に迫った小説だった。
 太平洋戦争末期、阿波丸は連合国側から安全を保障されて航海を続けていたところ、アメリカ軍の潜水艦の魚雷攻撃を受けて沈没した。ただ1人の生存者を残して、2,000人を超える乗客が命を失った。赤十字の物資を輸送する任務を負っていた阿波丸がなぜ攻撃を受けたのか、その謎が残った。のちに、阿波丸には金銀財宝や戦時禁制品が積まれていたという噂が立った。乗客数が正確に把握されていなかったという謎も浮上した。
 有馬は15年もの長い歳月をかけてこの作品を書き上げた。その理由は、それらの謎に対する好奇心ばかりではなかったという。仲が良かった従兄の外交官が阿波丸の乗客の一人だったのだ。「あとがき」でこう書いている。「一小説家に過ぎない僕が知ることは、ずい分困難であった。しかし僕は、執念深く調査を続けた」
 暗く、つらい話はこれでやめよう。本来、船はロマンチックな乗り物である。読者のみなさんには、かつての人々が船旅で豊かな文化を築いてきたことを本書で知っていただけたらと願っている。


(1)キャサリン・A・ポーター『愚か者の船』小林田鶴子訳、あぽろん社、1991年
(2)ゴードン・トマス&マクス・モーガン‐ウィッツ『絶望の航海――ナチ・ドイツを逃れて』木下秀夫訳、早川書房、1975年
(3)『さすらいの航海』スチュアート・ローゼンバーグ監督、1976年
(4)木下秀夫「救いのない残酷物語」「キネマ旬報」1977年9月15日号、キネマ旬報社
(5)『“命のビザ”を繋いだもうひとつの物語』JTB(発行年不明)
(6)大迫辰雄「ユダヤ人海上輸送の回想録」(1995年1月25日記)、同冊子
(7)有馬頼義『生存者の沈黙』文藝春秋、1966年