塚田修一
本書では「ホームルーム」で講義を終えたので、ここでは、さしずめ「ホームルーム」後の講師室で、本書にまつわるこぼれ話を、というような雰囲気で書いてみたい。
実は、本書の著者2人がそろって格闘していたものが2つある。
まずは「経年変化」である。周知のように、アイドル文化は変化が早い。盛り込んだ最新のネタも、すぐに古くなってしまうのである。アイドル文化界隈の情報を定期的に仕入れながらの、記述のアップデート作業が私たちに付きまとった。
もう一つが「距離感」だ。よく言われることだが、アイドルファンは、物理的にも、心理的にも、どこかでアイドルとの「距離感」を楽しんでいる。アイドル(文化)を論じる際にも「距離感」、つまり、どのようなスタンスで記述するかに頭を悩ませた。
高踏的な論じ方は「鼻につく」(「学術論文」としてならば、それでいいのかもしれないが)。オタク的な知識や偏愛の披露では、「ツマラナイ」。さらに、教科書(参考書)というコンセプト上、読者が真似できない「名人芸」になってしまうのも避けなければならない。――アイドル文化を論じる、最適な「距離感」を模索して、私たちはあれこれ悩んだ。
ぶっちゃけてしまえば、私たちはこれらを解決できたわけではない(いまだに格闘中である)。
だが、暫定的な解決策として、本書では、「読者に積極的に委ねる」という形にしたつもりである。つまり、読者によって考えられ、埋められる「余白」とした、ということだ。――これが本書の重要な仕掛けである。
「経年変化」については、読者が各々アップデートして、「応用篇」をつむいでいってもらえるようにした。また「距離感」についてもやはり、読者によって書かれるべき「応用篇」を設定することで、読者の思考の参入を呼び込むかたちにして、「鼻につく」「ツマラナイ」「名人芸」――これらは要するに、読者が参入できないことに起因するものだ――をなんとか回避したつもりである。
これを「読者に丸投げしている」とは捉えないでほしい。
先述の暫定的解決策は、著者2人の、「余白」の必要性への敏感さから講じられたものだからだ。
例えば、私たちは大学や予備校での講義の際にしばしば、ある問題の思考方法から正解までをすべて説明してしまうのではなく(その場合、実は教育的効果は低いはずだ)、思考方法を示したうえで、「あとは自分で考えてみなさい」と指導するときがある。私たちは、「すべてを説明すること」が、必ずしも最善手でないことを体得的に理解している。そして、生徒や学生にわざと考えさせる、あるいは判断を委ねることの「効用」を知っているのである。
このようにして本書は、読者の手によって「余白」が埋められること、つまり読者によって「応用篇」が書かれることを想定した、少々奇妙なスタイルの「学術書」になっている。
そういえば、先日、知り合いの研究者からこんな連絡をもらった。指導しているゼミの女子学生が、本書を発売日に購入し、「国語」講を参照しながら、「女性が女性アイドルを応援すること」をテーマに、「握手会におけるコミュニケーション」の会話分析をおこなっているという。さっそく、本書の「応用篇」が試みられているのだ。――これほどうれしい知らせはない。
さて、2016年最大のアイドル関連ニュース(男女を問わず)といえば、SMAPの「解散」――「卒業」ではなく――だろう。私たちもやはり気になっている。
「解散」の時間モデルはどうなっているのだろうか。一応、「卒業」と同様の、〈線分〉の時間の〈終わり〉ということになるのだろうか。だが、それは「卒業」のように美化されたものでも、予期(期待)されたものでもないし、そもそもジャニーズのアイドルに「卒業」制度は存在しない。
また、SMAPファンはどうなるのだろう? ファンたちは、キャンディーズ「微笑みがえし」のキャンペーンを彷彿とさせるような運動(「世界に一つだけの花」の購買運動など)をおこなっているが、「解散」を翻意させるまでには至らなさそうである。では、ファンたちはうまく「あがる」または「おりる」ことができるのだろうか――。そんなことをあれこれ考えているところである。