小黒浩司
本書の執筆・校正と並行して、戦前期の図書館用品のカタログを復刻する計画を進めてきた。こちらは現在その解題などの校正中だが、ゲラを見ていてあらためて気付いたことがある。
図書館用品店のカタログには、それぞれの用品類を採用した図書館などの名称が写真入りで多く掲載されているが、その相当部分を植民地の図書館が占めている。植民地では図書館事業の改善に意欲的で、それが新しい用品の導入につながったと考えられる。植民地の図書館事業が内地に比べて「進んでいた」ことの一つの表れなのかもしれない。
一方、用品店は内地の図書館への売り込みに苦労していた。そこでその打開策として植民地の図書館に積極的な攻勢をかけた結果でもあるのだろう。それでは、内地での販売がなぜ振るわなかったのだろうか。その理由としては次のようなことが考えられる。
例えば木製の目録カードケースであれば、わざわざ用品店に注文しなくても、近所の木工業者に作らせたほうが手っ取り早いし、何かと融通がきいた。しかも総じて安上がりだった。
品質の面でも問題はなかった。日本には伝統的な技術、高度な技術を有する木工業者(指物師)が多数存在していた。船箪笥などを見ればその優れた技がわかるだろう。地元業者も、専門店に勝るとも劣らない製品をたやすく作ることができたのである。
さらには従来からの出入り業者への配慮も必要だろうし、地域の産業の保護・振興も考えなければならなかっただろう。新興のよそ者の用品店への発注は、さまざまな点から異例だったと考えられる。
これに対して、植民地には「しがらみ」がなかった(もちろん、植民地でも本来は現地企業の育成を図らなければならないはずなのだが)。図書館は購入したいと思う用品を買うことができた。「金に糸目を付けない」経営が可能だったのである。
図書館用品店は植民地の図書館との取引によって利益を確保し、技術を高めることができた。この国の図書館用品業の黎明期を支え、その後の発展の基礎を築いたのは外地の図書館だった。それは単に図書館用品だけではなく、この国の近代の産業全体の構図だろうし、他の列強諸国にもある程度共通していた事情だろう。
植民地の図書館事業に対して、日本の植民地経営総体に対して、肯定的な評価をする人たちが少なくない。しかし、そうした見方こそがこの国の「近代」に対する偏向した見方であり、世界史的な視点に欠けた論といえるだろう。