バカバカしいからこそ――『妖怪手品の時代』を書いて

横山泰子

 子ども時代の一時期、手品を練習しては家族に見せていた。父はあまり家にいなかったので、母に見せ祖父に見せ祖母に見せ妹に見せ……と一通り披露したが、同じ芸をやっていると仕掛けがわかってしまうので何度もできないのがつらいところであった。
 そんなとき、祖母の弟(Oのおじさんとしておこう)が飲みにきた。彼は本当にお酒が好きなようで、酔っぱらってくると他人の家でも靴下を脱いでくつろいでいた。その日の私はいつものように「こんにちは」を言いにいったが、普段と違うのは手にトランプを持っていたことだった。同居人には披露ずみのトランプ手品を、お客さんに見てもらいたかったのだ。
私「こんにちは」
おじさん「ああ、こんにちは。かわいいねえ」
私「トランプ手品をやってもいいですか?」
おじさん「手品か、いいよ」
 といった会話が交わされたかと思う。私はトランプを出してよく切って、
「こちらに見えないようにして、一枚好きなカードを選んでください」
とカードを抜いてもらった。それをおじさんだけが見て、カードの山のなかに戻してもらった。さらにトランプを切った後、私はこれぞという一枚を選び出し、
「おじさんの選んだのはこれでしょう?」
と得意げに見せた。ところが、なんと彼は
「あれえ、これだったかなあ?」
と言うのだ。絶対に自信はあったので私は動揺し、もう一度やってもらった。しかし、何度やっても彼は、
「あれえ、これだったかなあ?」
と言う。どうやら、おじさんは酔っぱらっていてカードの絵や数を忘れてしまうのだった。
 このとき私は「酔っぱらいには細かい手品は不向きである」という教訓を得た。そして、子どもの移り気さゆえに手品に対する興味を失い、この日の教訓も忘れてしまった。
 
 新著『妖怪手品の時代』では、江戸時代に素人(しろうと)が宴会で楽しんでいた手品について取り上げた。当時はアマチュア向けの手品の解説本が作られていて、現代人にはなかなか考えつかないようなさまざまな芸が紹介されている。人がお化けに扮する方法などが記されていて、「ちょっとふざけすぎではないか」と思うようなくだらない仕掛けもある。調査を始めたころはあまりのバカバカしさにあきれていたが、突然Oのおじさんのことを思い出した。
 酔っぱらいには細かい手品は不向きなのだった。宴席でお互いに隠し芸を見せ合うようなときには、演技をする本人も酔っぱらっているかもしれない。演じる側・見る側の双方にとって、本格的な奇術よりも笑いをとる芸の方がふさわしいのではないか。江戸時代の奇想天外な手品は、そのバカバカしさゆえに酒宴を盛り上げるのではないか。
 そんなことを考えながら原稿を書いた。当時の手品がどんなに奇抜かは、ぜひ本書を手に取ってごらんいただきたい。