第11回 イェリ・ダラニ(Jelly〈Yelly〉d’Aranyi、1893-1966、ハンガリー→イギリス?)

平林直哉(音楽評論家。著書に『フルトヴェングラーを追って』〔青弓社〕など多数)

ハンガリーの名花

 イェリ・ダラニは戦後、目立った活躍がほとんどなかったせいで、ずいぶん昔のヴァイオリニストのように思われている。ダラニは1893年5月30日、アディラ(1886年生まれ、ヴァイオリニスト)、ホルテンス・エミリア(1887年生まれ、ピアニスト)の三姉妹の末っ子として生まれる。祖父は大ヴァイオリニスト、ヨゼフ・ヨアヒムの兄妹ヨハンナと結婚したため、ヨアヒムとは親戚関係になる。イェリは最初ピアノを学び、6歳のときに初めてのコンサートを開いた。しかし、姉アディラが習っていた教師グルンフェルト(グルンフィールドの表記もあり)がイェリの手を見てヴァイオリニストに転向すべきと進言、イェリはそのグルンフェルトとイェネ・フバイのもとでヴァイオリンを学んだ。10歳のとき、ヨアヒムの前でルイ・シュポアの『ヴァイオリン協奏曲』を弾き、ヨアヒムは相応の年になったら再度指導してみたいと申し出たが、その前に他界してしまった。
 1909年、三姉妹はロンドンに移住、特にイェリはアディラとたびたび共演した。10年、イェリはロンドンで最初のリサイタルを開く。ロンドン滞在中にさまざまな作曲家と交遊が生まれ、バルトークはダラニに『ヴァイオリン・ソナタ第1番』(1922年)、同『第2番』(1923年)の2曲を献呈し、ラヴェルは『ツィガーヌ』(1924年)を同じくダラニに捧げ、レイフ・ヴォーン=ウィリアムスの『コンチェルト・アカデミコ』はダラニによって初演されている。また、グスターヴ・ホルストはアディラ&イェリ姉妹のために『2つのヴァイオリンのための協奏曲』(1929年)を書き上げている。
 1927年11月から翌28年3月まで、ダラニは最初のアメリカ・ツアーをおこなう。このとき同行したのはピアニストのマイラ・ヘスだが、のちにダラニとヘスは三重奏曲を録音することになる。30年代の中盤、ダラニは健康を害するが、38年、シューマンの『ヴァイオリン協奏曲』のイギリス初演を果たした。第二次世界大戦中はチャリティ・コンサートを多数おこなうが、なぜか戦後の活動についてはほとんど知られていない。
 ダラニは姉アディラとともに晩年をイタリアのフィレンツェで過ごし、最後のコンサートは1965年10月5日と記されている。66年3月30日、死去。
 献呈されたバルトークやラヴェルの作品の録音が残っていないのはかえすがえすも残念だが、それでもラッパ吹き込みから電気録音の時代に小品を中心として、それなりに正規録音がそろっている。
 まず、音として聴きやすい電気録音のなかでは、トマソ・ヴィタリの『シャコンヌ』(レオポルド・シャルリエ編)(イギリス・コロンビア 9875、1929年録音、ピアニスト不詳)がすばらしい。しなやかで、しっとりしていて、気品があふれている。いかにもなだらかな感じはダラニならではで、この曲のなかでも忘れがたい名演である。こんな演奏にLPもCDも復刻がないのは、とても残念だ。
 10インチのSPで聴けた小品は以下のようなものがある。まず、フランティシェク・ドルドラの『思い出』(イギリス・コロンビア 5681、ピアニスト不詳)、これまた柔らかく繊細で、ふわっと香るような甘さが何とも言えない。裏面はブラームス(ヨアヒム編)の『ハンガリー舞曲第8番』、機敏で切れ味がいいのだが、常に流麗さが感じられる。ヨアヒムが聴いても、きっと太鼓判を押したにちがいない。
 ベートーヴェン(フリッツ・クライスラー編)の『ロンディーノ』(イギリス・コロンビア 5427、ピアノ:コーエンラド・V・ボス)は、ささっと小走りに去るような風情だが、ウィーン情緒をしっかりと描き出している。裏面はクリストフ・ヴィリバルト・グルック(クライスラー編)のメロディー。ダラニの柔らかな音色はこの曲にぴったりだ。レオ・ドリーブ(グルエンベルク編)の「パスピエ」(『歓楽の王』より)、イェネー・フバイの『ハンガリーの詩』(イギリス・コロンビア 2042D、ピアノ:コーエンラド・V・ボス)、ガッティの『バガテル』、コルティの『グラーヴェ』(イギリス・コロンビア DB361、ピアニスト不詳)などは曲がちょっとなじみは薄いものの、音もいいので、それなりに楽しめる。
 ラッパ(アコースティック)録音のなかで最も重要なものはモーツァルトの『ヴァイオリン協奏曲第3番』である(イギリス・ヴォカリオン A0242~44、スタンリー・チャップル指揮エオリアン管弦楽団)。これはカデンツァこそ含まれてはいないが、この曲の世界初録音でもあった。単独でのCDはないが、『名ヴァイオリニストと弦楽四重奏団』(〔「モーツァルト・伝説の録音」第1巻〕、飛鳥新社、2014年)のセットのなかに入っている。解説書には「1925年11月録音」とあるが、この数字は初発売であり、録音データではないはずだ。でもまあ、CDで聴けるのはありがたい。演奏は決して先を急がない、とても優雅でおっとりしている(特に第1楽章)。最近の古楽演奏とは真反対といってもいいだろう。この協奏曲やヴィタリの『シャコンヌ』なんかを聴くと、ダラニが弾いたバルトークやラヴェルがどんなであっただろうかと、残念な気持ちがますますわき上がってくる。
 以下は、室内楽曲。同じくモーツァルトの『メヌエット』(イギリス・ヴォカリオン D02103)、これまた優雅の極みである。こんな演奏を生で聴きたいものだ。裏面はパガニーニの『奇想曲第24番』。バリバリ弾いても、どことなくほんのり甘いのがダラニらしい(ピアノはエーセル・ホブデイ)。
 アディラ&イェリ姉妹の共演では、以下のものを聴くことができた。ヘンリー・パーセル(コンスタント・ランバート編)の「アリア」(『インドの女王』より)、ジャン=マリー・ルクレールの『ソナタ作品9の3』(イギリス・ヴォカリオン K05168)、バッハの「協奏曲」第3楽章(『ハープシコード協奏曲BWV1060』より)、ニコロ・パガニーニ(モファット編)の『ソナタ』第1楽章(イギリス・ヴォカリオン K05110)、ルイジ・ボッケリーニ(モファット編)の『2つのヴァイオリンのためのソナタ』第1楽章、ガエターノ・プニャーニ(モファット編)の『2つのヴァイオリンのための6つのソナタ』第2楽章、第3楽章(イギリス・ヴォカリオン K05142)、パーセル(モファット編)の『黄金ソナタ』(イギリス・ヴォカリオン K05177)、ゴダールの『6つのヴァイオリン二重奏作品18の5、6』(イギリス・ヴォカリオン K05260)。ラッパ吹き込みだし、なじみのない曲ばかりなので、何となく気が進まないで鳴らし始めたが、これがけっこう面白かった。特にパガニーニ(K05110)とボッケリーニ(K05142)は親密な姉妹の会話を盗み聞きしたような背徳感と妖艶さがあって、ぞくぞくしてしまった。
 合わせ物ではブラームスの『ピアノ三重奏曲第2番』(イギリス・コロンビア LX497~500、1935年録音)を聴けた。ダラニのヴァイオリン、マイラ・ヘスのピアノ、ガスパール・カサドのチェロである。ちょっとモゴモゴした音だが、流麗で美しい。合わせ物ゆえにダラニの個性はそれほど強烈には感じられないが、それでもいい音色があちこちにちりばめられている。カサドも、とてもいい音がしている。
 シューベルトの『ピアノ三重奏曲第1番』(イギリス・コロンビア 9509-12、1927年)は未聴。このチェロはカサドではなくフェリックス・サルモンド。このシューベルトはLP復刻がある(Harmony HL7119)。
 なお、ダラニの表記について、その昔にハンガリー大使館に問い合わせた際は「イエーリ・デ・アラニ」がいちばん日本語表記に近いという回答を得た。ただ、「デ・アラニ」としてしまうと、しばしば使用されている「ダラニー」「ダラニィ」「ダラーニ」と違いすぎてしまうので、ここでは「ダラニ」にしておいた。あと、いろいろ調べてみると、「ダラーニ」はちょっと違うような気がする。

 

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