難波祐子(なんば・さちこ)
(キュレーター。東京都現代美術館を経て、国内外での展覧会企画に関わる。著書に『現代美術キュレーター・ハンドブック』『現代美術キュレーターという仕事』〔ともに青弓社〕など。現在、キュレーションした坂本龍一の個展「坂本龍一: seeing sound, hearing time」が北京の木木美術館〔M WOODS Museum〕で開催中〔2021年8月8日まで〕)
「他者」の表象と日本の現代美術の表象
ギモン1の「美術館と展覧会の歴史的背景」のところで少し述べたが、「美術史」と言えば、長年「西洋美術史」を示すことが欧米社会だけでなく、それ以外の地域でも一般的な認識だった。だが、1980年代末の冷戦の終焉と90年代の物流や経済のグローバル化、テクノロジーの発達による情報化の波を受けて、文化の面でも変化を余儀なくされ、そのなかで非欧米地域の美術史についての検証と理論化が進められてきた。現代美術史も長らく単線的な西洋美術の歴史の延長線上に位置づけられてきたが、90年代にポスト・コロニアル(ポスト植民地主義)の議論が盛んになるにつれて、複眼的な視点から、これまで美術史の外に置かれていたアジアやアフリカなど多様な地域の美術も含めて美術史を編み直す動きが見られた。国際的なビエンナーレやトリエンナーレでも非欧米地域の現代美術とその表象が大きなテーマとして各地で積極的に取り上げられるようになった。そこでの議論の中心になったのは、「他者」の表象を取り巻く言説だった。
「他者(the Other)」という英語表記で大文字の「O」を用いる言葉は、ポスト・コロニアルの言説でしばしば用いられる特殊な哲学用語である。「他者」とは、要は、異性愛者の白人男性から見た「他者」であり、有色人種、女性、そして近年よく耳にするLGBTなどの同性愛者やトランスジェンダーといった社会的少数派、マイノリティーを指す。こうした「他者」は、歴史的にも政治・経済・社会活動で表舞台から排除され、社会的弱者としての立場を余儀なくされてきていて、現在もその不均衡はまだまだ是正されきっていないのが現実である。美術の世界でもその傾向は同じであり、例えば一般的な美術史の教科書に名を残すような女性アーティストの数は、国や文化によって多少の差はあるものの、歴史的に見れば男性アーティストの数よりも圧倒的に少ない。また欧米諸国のアーティストに比べて非欧米諸国のアーティストは、1990年代に入るまでほとんど欧米で紹介されることがなかった。それが、グローバル化と情報化の流れを受けて、一気に世界中が簡易に移動できたり、瞬時にネットワークでつながるような動きが加速し、美術の世界でもこれまで知りうることが困難だった遠方の地での情報がリアルタイムで入手できるようになった。こうした状況に伴って、これまで文化的にも「周縁」とみなされてきた非欧米地域の美術が90年代に入って一気に紹介される機会が増大した。またこうした非欧米地域の美術を紹介する展覧会は、主に欧米のキュレーターが欧米の観客のためにキュレーションする、という帝国主義的・植民地主義的手法が長く主流を占めてきた。だが、そうしたアプローチに批判が高まってきたのも90年代であった。
「表象」という言葉についてもここで少し補足しておきたい。「表象(representation)」という言葉は、「他者」同様、記号論や人類学などで用いられる哲学用語である。文字どおり訳すと「(何かや誰かの)代わりに示す、表現する」という意味になるが、美術の場合だと、作品をある文化的な特徴を「表象」するものとして捉えたり、あるいはある特定の国や地域の美術を紹介する展覧会のことを、その国・地域の美術を「表象」する事象として扱う。例えば、日本の現代美術作品を集めた展覧会は、日本の現代美術を表象するもの、ということになる。このように「他者」の表象というのは、現代美術の場合、非欧米地域の文化や美術をどのように作家やキュレーターが表し、紹介しているのか、という意味で用いられている。
先に述べたとおり、1990年代に入って、非欧米地域の美術を欧米のキュレーターが欧米の観客に向けて紹介するという植民地主義的な展覧会への批判が高まった。それに対して、当該地域出身のキュレーターであれば、よりオーセンティックな、本物らしい、その地域の美術を表象できるのではないか、という期待が、欧米の美術関係者のなかでも寄せられていた。例えばアフリカの美術の展覧会ならアフリカ出身のキュレーター、アジアの美術ならアジア出身のキュレーターのほうが、欧米出身のキュレーターよりもより忠実にその地域の美術を理解し、欧米出身のキュレーターにはできない視点からよりオーセンティックな展覧会を作れるのではないか、と思われたのである。先に紹介した戦後の日本美術を紹介する2つの展覧会が実施されたのは、そうした論争が盛んになった時期でもあった。
ディアスポラなアーティストとキュレーターの登場
グローバル化が進むなかで、同時に台頭してきた世界的な傾向が、グローバルとは対極にある「ローカル」を志向する流れであった。欧米中心主義で画一的なグローバルに対して、自分たちが住む国、地域、地元ならではの個性、良さ、価値観、文化を大切にして、それを外に向けてアピールするような流れである。美術の場合はそれが先に述べた国際展などで顕著に現れた。またこうした国際展も、それまではヴェネチア・ビエンナーレやドクメンタ(ドイツ)、あるいはホイットニー・バイエニアル(アメリカ)など欧米を中心として開催されていたが、1990年代に入って、光州(韓国)、上海、台北、横浜、アジア太平洋(ブリスベーン、オーストラリア)などアジアを中心とする非欧米地域で新しいビエンナーレやトリエンナーレが次々と立ち上がった。こうした新興の国際展は、欧米のそれと差別化を図るうえで、その土地ならではのローカルな文脈を強調したり、その地域・国らしさを売りにする戦略が多く見られた。そしてこれらの国際展で台頭してきたのが、非欧米地域出身のキュレーターやアーティストだった。これらの国際展では、それまでの欧米の国際展では紹介されてこなかった、その開催地域出身のアーティストが、同じく開催地域出身のキュレーターによって数多く紹介された。だが、こうした非欧米地域出身のアーティストやキュレーターの多くは、実は欧米で教育を受けたディアスポラなアーティストやキュレーターが大半を占めていたことで、この「本物らしさ」や「その国・地域らしさ」をめぐる表象の問題はより混迷を深めることになった。
ここで「ディアスポラ」という聞き慣れない言葉が突然登場してしまったので、少し説明しよう。「ディアスポラ」とは、ギリシャ語で「離散」を意味する言葉で、もともとはパレスチナを離れて世界各地で暮らすユダヤ人のことを指していた。それが転じて近年は、政治的・思想的な理由で国を離れ、自国以外の場所を拠点として活動をおこなう者のことを意味する。現代美術の世界では、1989年の天安門事件をきっかけとして、多くの中国人アーティストやキュレーターがほかの知識人とともにニューヨークやパリへと移り住み、ディアスポラなアーティストやキュレーターの先駆けとなった。また90年代は、アジアやアフリカの富裕層の子弟や国費留学生などが欧米に留学することが一般的になり、彼らが大学卒業後に自国に戻って活躍する機会が増えた。例えばタイでは、主にアメリカの大学や大学院に留学したアーティストやキュレーターが、タイに戻ってアーティスト・ランのスペースを設立して運営したり、アートプロジェクトを企画するなどの動きが活発化した。こうした欧米で教育を受けたディアスポラなアーティストやキュレーターは、英語、フランス語、ドイツ語などの欧米の主要言語と、アートの専門用語(ジャーゴン)という二つの特殊な「言語」を駆使することに長けていて、欧米の専門家に対して、わかりやすく非欧米の表象について語ることができるという、ある意味、特権的な立場にいた(28)。つまりこうしたアーティストは欧米の美術関係者に対して、わかりやすいオーセンティックな「ローカル」の作品を提示することを得意としたのである。またキュレーターは、そうしたアーティストを、「グローバル対ローカル」や「グローカル」「ハイブリッド」などのはやりの言説を巧みに用いながら、その地域の美術を代表するものとして積極的に紹介する役割を果たした。だが、こうした他者の表象の立役者だった彼ら自身が、それまで欧米出身者が主流だった「スター・キュレーター」「スター・アーティスト」と呼ばれる国際展の常連組に同じように名を連ねるようになるには、時間はかからなかった。皮肉なことに結果的には、世界中どこの国際展に行っても、同じディアスポラなスター・キュレーターが選定する同じくディアスポラなスター・アーティストの顔ぶれによる企画が散見されることになった。そしてこうした非欧米地域の美術についての展覧会は、同じく非欧米地域出身のキュレーターの手によるほうがよりオーセンティックな表象になる、という一種の幻想的な期待が欧米・非欧米双方の美術関係者のなかで徐々に崩れ始めていった。
共同キュレーションによる新しい試み
2000年代に入って、こうした他者の表象をめぐる議論は、世界各地で盛んにおこなわれた共同キュレーションなどの試みによって、新たな方向性を模索していくようになった。そこでは誰が誰をというよりは、お互いがお互いに対話を通して新しい表象の可能性を切り開くというスタイルが主流になっていて、その傾向はいまも続いている。日本では、国際交流基金アジアセンターが主催した「アンダーコンストラクション――アジア美術の新世代」展がその好例の一つになった。この展覧会は、インドネシア、インド、韓国、タイ、中国、日本、フィリピンから9人の若手キュレーターが、アジア各地でリサーチして、アジアの表象について共同で模索する、という一大プロジェクトだった。このプロジェクトでは、2000年から参加キュレーターによる調査とセミナーがおこなわれ、01年から02年にかけて、アジア7都市で単独あるいは共同でキュレーションした展覧会を実施し、最終的には東京でそれまでのローカル展を総括する展覧会を開催した。このプロジェクトをきっかけにして構築されたアジア人キュレーターやアーティスト、美術関係者のネットワークは、その後の日本国内外のアジアの表象をめぐる展覧会にも大きく貢献することになった。
また2013 年に森美術館で開催された「六本木クロッシング2013 アウト・オブ・ダウト――来たるべき風景のために」もオーストラリア人のキュレーター、ルーベン・キーハンとアメリカ人キュレーターのガブリエル・リッターが森美術館の片岡真実と共同でキュレーションをおこなった。「六本木クロッシング展」は、同館で04年にスタートした3年に一度開催される、日本における多様なジャンルのアーティストやクリエーターを紹介する展覧会である。4回目となった13年は、海外から日本の現代美術に精通している2人のゲストキュレーターを迎え、若手作家だけではなく、異なる世代の作家や海外在住の日本人作家なども加えて、日本の現代美術を多角的に検証する機会とした。ここで大切なのは、キーハンが述べているようにこの展覧会が、「日本美術とは何なのか、何だったのかという問いではなく、日本美術がどうなりうるか、そして何ができるのか」を日本に対して、それも「単に約1億3,000万人の住む列島という場ではなく、何十億という人々がその意味を共有し、協議している日本という考え、概念に対して何ができるのか(29)」と問題提起している点である。
「日本の」現代美術
さて、ずいぶんとまわり道をしてしまったが、「日本人向けの展示というのはあるのだろうか」という今回のギモンを発端にして、ある特定の国や地域の美術を表象することについていろいろと考えてきた。ここでいちばん考えたかったことは、日本の現代美術は、誰にとって、誰が発信する「日本らしさ」「日本文化らしさ」なのだろうか、というギモンと、現在の日本人にとって、あるいは世界の人々にとってその国らしさを表象するということはどういった意味をもつのだろうか、という大きな問いだ。というのも、一国の文化をプロモーションするというのは、それが誰に向けたものであれ、第二次世界大戦中のナチス・ドイツの一大文化プロパガンダや、戦時中の日本の文化統制などを彷彿とさせるナショナリズムな動きと切り離して考えることができない、危険と背中合わせの行為だからである。異文化はもとより、LGBTや障害者など多様な背景をもつ人々に対する社会的包摂(インクルーシブ)が必要とされる現代社会で、ある特定の文化を表象することについて、私たちは注意深くあるべきである。
また、ここでこれまで当たり前のように用いてきた「日本の」現代美術が規定する「日本」や「日本らしさ」は、実は一定の決まりきった概念ではなく、時代によっても、また個々人によってもその定義は揺らいでいるものであることには留意する必要がある。日本は長らく単一民族による単一国家であるという幻想があったが、近年のアイヌや琉球文化への見直しや、日本に長期滞在している日系ブラジル人やアジア人労働者などの地域コミュニティとの関わりへの眼差しなどは、そうした考え方に一石を投じている。
また、同じ「非欧米地域」の「アジア」ではあっても、例えば日本の現代美術の国内外での紹介のされ方と、植民地支配を経験したほかのアジア諸国の現代美術の紹介のされ方を同一視することはできない。もっと言えば、「東洋」というコンセプト自体も、西洋側に規定されてきたものであり、そのことを忘れて十把ひとからげに「アジア」の美術とか、「日本」の美術という言い方をすることは、非常に乱暴な態度である(30)。したがって「日本の」現代美術の展覧会が開催されるときに、それが誰によって、誰のために開催されているか、というその背景にある文脈によって、その定義は常に流動的であることは頭の片隅に置いておく必要があるだろう。
先に登場した「他者」や「表象」といった言葉も、もともとは英語の「the Other」「representation」という欧米の知識人層で用いられる専門用語である。そもそもこれまで見てきた展覧会や美術館という枠組みそのものや、現代美術というカテゴリー自体が西洋生まれの概念だった。明治の時代に翻訳された「美術」という用語が日本でなじみがなかった概念であったように、文化や地域によって「美術」や「現代美術」の定義そのものも統一されたものではないことは、ローカルの文脈を考えるうえで大切な要素だろう。
国を挙げて推進されてきた東京2020の文化プログラムに関連する展覧会の多くは日本で実施され、コロナ禍の影響によって当初想定していた海外からのインバウンド客ではなく、日本国内の観客がその主たる対象になった。これらの展覧会を鑑賞する側から見れば、政府や組織委員会の思惑とは裏腹に、それが外国人向けに作られようと日本人向けに作られようと、もはや結果的には大差がないように見受けられる、というか比較検証することも物理的にできない、というのが正直なところだ。これらのプログラムの多くは、主には「海外」の観客に向けて日本文化を発信するものだったが、「海外」と一口に言っても、それは日本人や日本文化の定義が一様ではないように、「海外」を「日本以外」とした、かなり大ざっぱで漠然とした定義であると言えるだろう。先に見てきたように多言語化対応で中国語と韓国語が英語に加えられたことは、想定されていたインバウンド客のなかでもアジアの観客を意識したことは推察される。だが、ここで言う「アジア」も正確には東アジアの観客で、ここには西アジアや東南アジアは含まれていない。
コロナ禍における文化の表象
ある特定地域の美術の表象が1990年代に問題になったように、それを享受する観客についても、単純に「日本」の観客、「アジア」の観客と一括りにすることは、このグローバルな現代社会で、時代錯誤的な発想であると言わざるをえない。むしろコロナ禍という特殊な状況で、どこの国のアーティストもキュレーターも、そして観客も自由に移動することが制限され、自国にとどまることを余儀なくされたことで、この問題はまた新たな局面を迎えているのではないだろうか。
例えば、コロナ禍で展覧会や美術関係のシンポジウムもオンラインのプログラムが増えて、どこにいても、世界中のプロジェクトやプログラムを自宅にいながらにして享受できるようになった。そうしたプログラムでは世界各地をリアルタイムで同時に結ぶものも多い。そうなった場合に、対象となる観客の居住地域はもはや重要な要素ではなく、開催されるプロジェクトのテーマや内容に関心がある層であれば、言語や時差の問題はあるかもしれないが、基本的には誰でもどこからでも参加できる。そこでは何がオーセンティックなのか、ということはもはや問題にされないし、逆にいまを生きる私たちに何が必要なのか、またそれを異なる文化や社会に生きる各自がどう受け止めるか、それぞれの状況でどう対処しているのかを互いに学び、共有し合うことのほうが喫緊の課題になっていると言えるだろう。それは、キーハンらが提起した日本の現代美術に対する問いと共通する姿勢ではないだろうか。
これまで見てきたように日本の現代美術の表象は、時代とともに変化し続けている流動的なもので、今日のグローバルな文脈では、日本の現代美術も、ほかの地域の美術の表象と同じく複眼的に思考されることが求められていると言える。一方で、本ギモンの冒頭で少し例示したように、「日本の現代美術」と言われて、私たちが何となく曖昧にそれらしく思い描くもの、があることも事実である。それが東京2020の文化プログラムでは、よりはっきりと極端な方向性をもって可視化されることになった。だが、そもそも「日本人」にしかわからない「日本の現代美術」の展示などあるのだろうか。「日本人」のアイデンティティや定義が揺らぐなかで、同じ日本人でも年齢や住んでいる地域、生きている時代、自らの関心の対象によって、現代美術の受け止め方もそれぞれであるにちがいない。そして展覧会で「わかる」ことは重要なのだろうか。次のギモンでは、こうした問いについてまた一歩考えを進めていくために、赤ちゃん向けの展示があるのかという問いを通して、展覧会の観客について、また別の観点からあらためて考えていきたい。
注
(28)ディアスポラの知識人については、香港出身のレイ・チョウ『ディアスポラの知識人』(本橋哲也訳、青土社、1998年)を参照されたい。
(29)ルーベン・キーハン「喪失の構造、解放の構造」、森美術館編『六本木クロッシング2013 アウト・オブ・ダウト――来たるべき風景のために』所収、平凡社、2013年、212ページ
(30)タイの美術史家であるアピナン・ポーサヤーナンは、こうした「西洋」に対するアジアの単一的な「東洋化」や「アジア化」といった見方に対して異を唱えている。Apinan Poshyananda, “Roaring Tigers, Desperate Dragons in Transition” in Apinan Poshyananda eds, Contemporary Art in Asia: Traditions/Tensions, Asia Society Galleries, New York,1996, p. 24.
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