柿谷浩一(ポップカルチャー研究者)
希望の名言
山Pには、彼が語るからこそ胸に響く印象的な「名言」がいくつかある。なかでも、飛び抜けて多くの人に“救い”をもたらして記憶に残るのが「控えめに言って希望しかない」である。2021年、コロナ禍(新型コロナウイルス感染症拡大)の最中におこなわれたオンラインライブ「Beautiful World」の締めのトークで語られたフレーズだ。社会も人々も先のみえない不安に押しつぶされ、何に向かってどう歩けばいいかさえわからないなか、「ここからですよ」と言って、「楽しいこと」があふれる未来を観客に向けてありありとイメージさせ、力強く提示してみせた。コロナ禍の影響で今回かなわなかった生ライブもふくめて、今後の活動を前向きに予告したものだが、そのひと言の力は規格外だった。
人々が見失いかけていた生きることや人生、またこの世界のポジティブな側面を一瞬にして強く思い起こさせ、活力をもたらした。より正確にいえば、聴いている人のうちにある前向きさや気力、勇気といったものが山Pの言葉によって刺激され、おのずと、沸々と息を吹き返し、「この先はきっと大丈夫だ」という強い確信をぼくらは手にできた。そしてトークが終わるころには、暗鬱とした靄がかかっていた視界はすっと開け、コロナ禍以降はじめてといっても過言ではない解放感を強く感じた。
ほかのアーティストもそうだが、なかでもアイドルは、社会や文化状況がどれほど苦しいときも、いやむしろそういうときにこそ、人々にパワーや光を授ける、それが仕事のひとつの核といえる。とはいえ、誰も経験したことがないコロナ禍という絶望にも近い状況下で、ごく短いワードによって、有無をいわさない「希望」を与えてみせる。それは簡単なようにみえて、相当の覚悟と自信、そして責任も必要なことだ。当時たしかにいろいろな表現者が個々に「がんばろう」というエールを発して、どれもが力になった。だがこれほど堂々たる姿勢で、しかもきっぱりと〈宣言=断言〉するように、どう転ぶかわからない未来を自分の手につかむ。そんなたくましさとスケール感でもって「これから待っているのは希望ばかり」と豪語しえたアイドルはどれだけいただろう。おそらく稀有だったはずだ。
現代が「山Pの言葉」を待っている
対面ではないとはいえ、ライブの実施だけでも大きな「希望」だった。だがさらに言葉(の力)によって、コロナ禍の現状をとりまく閉塞感を楽しみへと瞬時に反転させ、光が差す道を指し示す。それは、たしかにファンへ向けたアイドルらしい身ぶりでありながら、コロナ禍を生きる人全員の「未来を保証する」、それぐらいの気概とパワーに満ちていた。
やや照れくさそうに笑みを浮かべた顔、キザっぽい決めぜりふの感じ、そして耳に残る表現選びなど、観客を少しでも笑顔にしたいという配慮にあふれ、たしかに言葉のトーンはカジュアルではあった。だが疑いなく、そのワンフレーズからは「未来の像」が力強くダイナミックに具現化されて伝わって、手ごたえも圧倒的だった。
この先の未来、それも激動のただなかにある社会の行方に言及することは、難しくナーバスなだけでなく、ともすると仰々しく映ったり、言葉が浮ついたりする恐れもある。だが山Pにそんな印象はかけらもなく、むしろあるのは「きっとそうにちがいない」と納得させられてしまう、強靭なまでの説得力である。長々とした説明で語りかけるのでも、目に見える根拠によりかかる説得でもなく、口から出る言葉ひとつでそれをなしえるのだから大したものである。
現実的な説明ができないわけではない。独立や海外進出など、ここまでの数年間、ほかのアイドルにとって未踏の挑戦を続け、数々の苦難や障壁を乗り越えながら実績を上げてきた山Pだ。その地道な歩み、堅実な努力、想像を上回る新しい景色を見せてきた実践力……、そうしたバックグラウンドがあってこそ、彼の言葉は信頼を獲得した。だがそうしたことをいったん脇に置いても、山Pには「言葉」で未来を作り上げる、それがいいすぎならば、未来へのレールをみせて実感させる。彼の直近のテーマに沿っていえば「vision」を打ち立てる。そんな力が、彼の言葉には十全に備わっているように思われてならない。
山Pはどんなときも、変に熱を帯びて語ったり、複雑なレトリックやロジックで話したりはしない。その逆で、顔つきやたたずまいに由来するクールさやスマートさで、どちらかといえばラフな軽妙さで、でもパワフルな確実性を備えて「芯の通ったこと」や「真を捉えたこと」を発信する。そのテイストこそ山下智久だ。そして、そこに比類ない信頼が含まれるのは、メッセージの中身や意味だけが理由ではおそらくない。彼の言葉の姿が、どこかいまの時代に合致し共鳴する、いわば現代の言葉のモードに応えられているためではないか、という感じが強くある。
このフレーズ以外にも、「人生は一度しかない」「(岐路では)困難なほうを選ぶ」をはじめとした彼の名言は、信念を貫くブレない生き方と、そこにある強い意志と結び付いて重みがある。だがそれでいて、その届け方とパッケージの仕方――そこには言葉の温度感や質感、耳触りなどのもろもろがふくまれる――は、常にクレバーでクリアで、風通しがいい。そしてシンプルである。
この息苦しい現代、ゆるぎない確かな希望や道しるべを求めている人は少なくない。だが暑苦しい力説や教訓なり、上段に構えた指南なりを欲しているわけでは必ずしもない。むしろ人々のニーズとしては、そう、山下智久の言葉のように端正でさっぱりしながらも、届けられる感触は厚く、「生」をグッと後押ししてくる。そういう言葉のかたちが、いま(特に平成から令和への移り変わりのなかで)受け入れられているように感じる。その点で彼の言葉は、まず第一にファンへ向けられてはいるものの、広く大衆の胸にも届く時代性を備えているのではあるまいか。いまや彼の発信の主要な場のひとつになった「Instagram」を見ても、それぞれの投稿に添えられるごく短い一言(ときに簡素な英語のフレーズなど)が心地よくも、同時にしばしば「格言」めいて響いて話題になることも、その象徴のひとつだ。
山下智久の言葉は、いまこそ求められている――。
紐倉哲のメッセージ力
そんな山下智久の名言、山Pと格言がもつパワーは、役のなかでも顕著だった。近作で思い起こすのは、テレビドラマ『インハンド』(TBS系、2019年)だ。――ちなみに、この作品が終盤で描く題材は、未知の新型エボラウイルス。日本中がその恐怖に包まれて困難な局面を打破していくストーリーは、いまから振り返れば、コロナ時代を半年先取りして意義深くもあった――。山Pが演じるのは、メカニックな義手を装着した、天才だが変わり者の寄生虫学者・紐倉哲。彼が独自の科学的知見から、感染症やウイルスに関する事件を解決していく医療ミステリーだ。その毎回のラストで、紐倉博士が関係者(被害者や加害者)に向けて繰り出すせりふが作品の肝だった。
初回の「お前は人類の希望だ」「僕たちの救世主だ」、同じく初回のラストに置かれて物語全体のテーマにふれた「誰も無力じゃない、僕も君もね。未来は、僕たちの手の中にある」のほか、第4話の「人間は笑顔になれる唯一の生物だ。だからもっと笑えばいい」など、ハッとする気づきや視点をもたらすとともに、シンプルながら深く考えさせるポジティブな名言が多く並んだ。人や事物の本質を鋭く突く至言なのはもちろんだが、博士のメッセージの凄みは、やはり圧倒的な「肯定力」にある。
といっても、相手への同情や共感とともにやみくもに慰めたり激励したりする、そういった浅い肯定ではない。博士がおこなうのは、その人の言動や心情というレベルをはるかに超えて、その存在自体を丸ごと、この世に等しく生きる「生物」というくくりで捉えて、強力かつ豪快に認めてみせること。それは、その人が世界に生きる命として、唯一無二にして大きな「希望」と「可能性」に満ちていることを証明する営みで、「君には生きている価値があり、生きるべき意味がある」、そんな保証というべきものだ。これはフィクション上の表現ではあるが、短い一言でがっしりと「希望」を授けて人を「未来」へと導く。その疑問を挟む余地もない圧巻の感触と桁外れの説得力は、やはり先にみた生身の山P(の言葉の特性)によって担保されている部分が少なくなさそうだ。「人類を代表して言うよ」といったせりふに代表されるように、メッセージの射程と規模もとにかく大きい。そこに違和感を抱かせず、地に足ついた言葉として感じさせたのは、やはり山下智久が演じればこそだ。
彼(という存在)から発せられる言葉は、語気や言い回しに特別な雄大さはないが、個の枠組みをはるかに超えた壮大なスケール(ここでは「地球」、そして古来からの「生命の歴史」という規模感)や重みにも耐えうる強度があって比類ない。時間でいえば未来、モノでいえば人類や世界全体――そうした遠大なものを対象にしたメッセージを語れる特質が、山下智久にはある。
語りの秘儀
しかもこの作品についていえば、山Pの語り口(の芝居)も秀逸だった。放送時には、博士のしゃべりがボソボソしていて聞き取りにくいという批判があったが、それは的を外している。たしかに山Pはほかのどの作品の役にもまして、意図的に声を低音にして、抑揚を欠いた話し方で演じている――感情を出さない持ち前の雰囲気もそこに加わるため、ことさら平坦な口調の印象は強かったのかもしれない。だが、それでいい。それでこそ博士の名言は成立しえた。
例えば第3話には、「生物は死を必要としている」として、死にゆく者とその悲しみの必然を説き、「僕たちは失ったものを受け入れて、それでも生きていくしかない」と語る場面がある。こうした言葉は、科学者のものだからこそ「真理」として胸に刺さる。その支柱をなすのは客観性と論理性だ。決して己を語るのでも、主義・主張を訴えるのでもなく、感情を極力セーブしながら、科学的事実を淡々と積み重ねて論証するようにして、博士の結論=メッセージは生まれゆく。その独特にして学者らしい思考のプロセス、言語の運動を、うまく制御された語りで見事に実現している。
しかも、こもった声のトーンは、博士の生き方と価値観――彼が徹底的な内省のもとに生きていることを巧みに表現して雄弁でもあった。最終話の「今日が無事に終わらなければ明日は来ない。明日が来なきゃ明後日もない。100年後っていうのは、そういったかけがえのない毎日の積み重ねでやってくる」は、科学の将来のため目の前の犠牲(死者)もやむなしと考える若手研究者に吐く言葉だが、博士は他者に向けて語りながら、常にそれを自分自身に向けてもいる。彼のメッセージは、単に相手に伝える考えや想いなのではなく、自身への確認や戒めだったり鼓舞だったりする。対話とメッセージに目を向けただけなら、それぞれの名言は核心を突いた「ゆるぎない答え」のようだが、博士にとってすれば、それは迷いや葛藤、課題として現在進行形で「揺れ動く問い」として存在している――とりわけ、親友の助手を死なせた過去の傷を背負って心の奥を閉ざした物語前半までの博士には、それが色濃く感じられた。つまり、くぐもって不明瞭にも思える山Pの声と語り口は、これらのメッセージが他者と同時に己に向けた「独白」でもある点で、よく機能して巧妙だったのだ。
名言が名言たりえるのは、それが一方的に言い放たれるのでなく、それを発した本人の内部で反芻され、自己の問題としても引き受けられる。その緊密な結び付きがあればこそ、鋭くも強靭で、またその一方で、慈しみ深いものとして力を帯びる。博士の語りにはそれがしっかりと確認できる。
書物の言葉のように
さらにいえば博士の口ぶりは、淡々としていながら、えもいわれぬ「詩情」のようなものを含んで響くのもいい。彼は科学者でありながら、その言葉には、科学とは反対にある文学や哲学にも似た色味がある。第9話に、医者の本望を忘れて私利私欲に落ちた人物へ放つ、こんなせりふがある。「肩書きがなくては己れが何なのかもわからんような阿呆共の仲間になることはない」。博物学者の南方熊楠の文章を引用したものだ。このシーンは、ほかにいろいろなフレーズがあるなかでも、ドキッとする衝撃で作中に引き込んだ。それは、場面の雰囲気を断ち切るように古風な文言を持ち出した意外さもさることながら、引用というスタイルが博士の話し方とじつによくマッチしていたためにほかならない。実際に引用が使われる場面はあまりないが、博士の名言は、何かの「書物」――あえていえば詩や小説の一節を引いて〈朗読〉するのに近い深みと味がある。単に理論的で理知的というのではなく、広大な「人文学の知」の杜から彼の名言は出てくる、そんなイメージとでもいったらいいか。それゆえグッと聴き入ってしまう。
山下智久を通して語られる「名言」は深く胸を刺してくる。繰り返すが、それは意味のためだけではない。彼はいうなればメッセンジャーとして、言葉の届け方/作り方の点で無類の個性を有しているのだ。それが現実か虚構かを問わず、そうした彼の言葉のかたちにも、ぜひもっと目を向けたいところだ。とりわけ、彼が語る「希望」や「未来」がもつ創造力は、いままで以上に波及して、ぼくらとこの世界のエネルギーになっていくにちがいないから……。
筆者X:https://x.com/prince9093
Copyright Koichi Kakitani
本ウェブサイトの全部あるいは一部を引用するさいは著作権法に基づいて出典(URL)を明記してください。
商業用に無断でコピー・利用・流用することは禁止します。商業用に利用する場合は、著作権者と青弓社の許諾が必要です。