ギモン8:何を残すの?

難波祐子(なんば・さちこ)
(キュレーター。弘前れんが倉庫美術館アジャンクト・キュレーター。東京藝術大学キュレーション教育研究センター特任准教授。東京都現代美術館を経て、国内外での展覧会企画に関わる。著書に『現代美術キュレーター・ハンドブック』『現代美術キュレーターという仕事』〔ともに青弓社〕など。企画した主な展覧会に「坂本龍一:seeing sound, hearing time」〔2021, M WOODS Museum | 木木美術館、北京〕など)

作品のオリジナルを保存・展示するとは?

 前回のギモン7では、主に作品のコレクションを擁する美術館について、その目的や特徴などをいくつかの事例を踏まえながら見てきた。作品の展示がなければ、展覧会活動や美術館活動は成り立たないことも、これまでのギモンで見てきたとおりだ。今回のギモンでは、ギモン7の最後に少し触れた、形が残らない作品、残りにくい作品の保存と展示について、もう少しさまざまな視点から考えてみたい。
 そもそも、美術館でコレクションされる作品は、絵画であれ彫刻であれ、良好な保管環境を用意しながら、定期的に点検し、何か不具合があれば、修復などの処置をおこなうのが定石だ。美術館にある作品は、「できるかぎりオリジナルの状態で残すもの」というのが大前提にある。そうすることで、一度展示した作品も、再度展示したり、調査研究のために活用されたり、別の美術館などの展覧会のために貸し出せるようになる。
 ここで作品展示と保存のあり方について考えるうえで、札幌芸術の森野外美術館の常設作品の一つである、砂澤ビッキの『四つの風』(1986年)を紹介したい。砂澤は北海道出身の戦後日本の彫刻界を代表する作家の一人であり、自然と交感しながら木と向き合い、ダイナミックな木彫作品を数多く制作したことで知られている。『四つの風』は、屋外にそびえ立つ高さ5.4メートルの巨大な四本の柱状の木彫で構成されているが、1986年に設置されてから、長い年月をかけて一本ずつ倒壊していき、三本がこれまで倒れて、2022年現在は最後の一本を残すだけになっている。だが、これは美術館がメンテナンスを怠っていたからではなく、作家本人の遺志に沿って、あえて手を加えることなく経年による変化も含めてそのままの形で残しているものである。砂澤は、『四つの風』について次のように述べている。
「生きているものが衰退し、崩壊してゆくのは至極自然である。それをさらに再構成してゆく。自然は、ここに立った作品に、風雪という名の鑿(のみ)を加えてゆくはずである(1)」。このように砂澤にとっては、「風雪という名の鑿」によって生じる現象も含めてすべてが作品を形成する要素であり、美術館としては作家本人が考える「オリジナル」に忠実に沿って作品を保存・展示していることになる。実際、『四つの風』は、キツツキが巣を作り、キノコが生え、倒れた柱の周りには若い木が生い茂って常に新しい風景を生み出している。『四つの風』の事例は、美術作品にとって、何がオリジナルなのか、またどのように残していくことが作家の意図に沿っているのか、ということを考えさせる。

砂澤ビッキ《四つの風》(1986年)、アカエゾマツ
札幌芸術の森野外美術館
(2022年7月撮影)
photo: 吉崎元章

メディアアート作品のオリジナルとは?

 近年増加傾向にある映像作品やメディアアート作品などは、機材や記録媒体などの変化が目まぐるしく、オリジナルの形で残すことが難しくなっていて、多くの議論がなされている(2)。具体的に言えば、8ミリや16ミリフィルムの作品は、フィルムが製造中止になっていたり、映写機自体が希少である。ブラウン管テレビを使う作品も、テレビやそのパーツの確保のために美術館関係者や作家自身が奔走するという話もよく耳にする。映像ならば、フィルム作品をDVDなどデジタルデータに変換すればいい、と思われるかもしれないが、イギリス人アーティストのタシタ・ディーンのように、フィルムを切り貼りしながらつなぎ合わせることで作品を制作して、映写機自体もインスタレーションの一部として見せる場合などもあり、ことはそう単純ではない。さらに言えば、デジタルデータであっても、マスターデータをハードディスクに保存する場合、ハードディスク自体の耐用年数も使用頻度にもよるが、約5年と言われていて、永遠ではない。またコンピューターでプログラミングされたデータを使って展示する作品の場合、使用するコンピューターのOSがアップデートされると、プログラムを書き換える必要が生じてくる。
 韓国出身のビデオ・アーティストであるナム・ジュン・パイクの場合は、ブラウン管テレビの特徴を利用した作品や、数十台、数百台ものテレビを彫刻的に積み上げて構成する作品などで知られているが、ブラウン管テレビが生産中止になり、世界中の美術館関係者の頭を悩ませている。例えば、『マグネットTV』(1965年)は、ブラウン管テレビの上に強力な磁石を置くことで、磁力でモニタの映像がゆがんで映し出され、観客が磁石を動かすとそれに合わせて映像も変化するという作品だ。テレビが映し出す情報(映像)を観客がコントロールすることで、人々が普段、知らず知らずのうちにテレビから発せられる情報によって支配されている社会の構図が、逆説的に浮かび上がる。このブラウン管モニタのかわりに例えば液晶ディスプレイを用いても、同じ効果を物理的に再現することはできない。また仮に磁力によって変化する映像をコンピューターでプログラミングして擬似的に再現してみせたとしても、それは作家の意図に沿うことにはならないだろう。
 パイク作品のなかでも最大規模である、韓国の国立現代美術館所蔵の『The More, The Better』(1988年)は、1003台のテレビをバベルの塔のように積み上げた高さ18.5メートルの巨大な作品だが、モニタの交換など補修を繰り返したのち、2018年に火災発生の恐れがあるなど安全上の問題から作動を停止した。同作品は、1988年のソウルオリンピックに合わせて制作され、発表時には衛星生中継で世界各国の放送局を結んで映像を映し出した。次々と映し出されるその圧倒的な映像が、インターネット社会の到来を予感させる、情報化時代を象徴するパイクの代表作だ(3)。この作品については、その保存・修復方法が早くから議論されていた(4)が、その後国内外の専門家が調査と協議を重ねて、なるべく原型をとどめる形になるように努める、という方向性で2019年から三年がかりで修復され、22年に6カ月間の試運転を経て、公開されることになった(5)。修復では、交換できるパーツは中古品を購入して交換され、一部、タワー上部のモニタについては、液晶ディスプレイが用いられた(6)。
 オランダでメディアアートのアーカイブについて研究・実践してきたガビー・ヴェイヤースは、メディアアートの保存・修復に関する倫理と実践についてまとめた論考のなかで、いくつか重要な指摘をしている(7)。ヴェイヤースが述べているように、メディアアート作品も、ほかの美術作品と同様にそれが本質的には唯一無二のオリジナルであることには変わりないが、ビデオ作品をはじめとするメディアアートの場合、その多くがデータをコピーすることが可能であり、また再生機も作家による改変を加えた例外的なものを除き、量産されたものが多いので、物質的に「唯一無二のオリジナル」という考え方が当てはまりにくい。さらに、日進月歩のテクノロジーを用いるメディアアート作品は、そのテクノロジーの特性ゆえに絵画や彫刻などと比べると短命に終わってしまうという脆弱性をはらんでいる。メディアアート作品の保存・修復については、1990年代の終わり頃から盛んに議論されていて、基本的には「なんとしてでもオリジナルの技術を追求する」派と、「改造・アップデートした技術を用いる」派の2つのアプローチに大別されている。ヴェイヤースは、その双方のアプローチはどちらも有効であるとしながら、適切なアプローチは、その両極の間にあるのではないかと述べている。そしてメディアアート作品においても、ほかの美術作品の保存・修復の場合と同様に、「物理的、美学的、歴史的」な観点から、いかに作家の意図を汲みつつ、作品のオリジナルの形を尊重していくかという倫理上の問題を考えていくかが火急の重要な課題であると、具体的な事例を交えて論じている。ここでは個々の事例は紹介しないが、簡単にまとめると、次のような視点が求められると言える。
 現存する作品を成立させる機材や記録媒体などが使えなくなった場合、既存の作品データを別の媒体にコピーするだけでいいのか、それとも再生機を含めた作品の見た目や、その機材を使用すること自体が作品が成立するうえで重要なのか、そうでないのか。代替機器や手段を使えば、再生方法は異なっても、見た目だけはそのままにすればいいのか、あるいは見た目は遜色なくとも、そうした代替手段による展示は作品の意味を変えてしまうので一切不可として、作品の寿命とするのか。もしくは作品のコンセプトはそのままで全く新しく別の形で作品を作り直すのか、など。ここで先のパイクの『The More, The Better』についてあらためて考えてみると、ここでのブラウン管モニタの使われ方は、『マグネットTV』とは少し異なり、その彫刻的な外観や、パイクがこの作品を発表していた1980年代の時代精神や社会的文脈などを伝えることがその大きな役割となる。よってブラウン管テレビは、作品のコンセプト的にも美的にも重要な意味をもっていて、できるかぎり維持していくことが望ましいと言える。一方で、その時代時代の最先端のテクノロジーに関心を抱いて作品に積極的に取り入れていたパイクの作品制作のあり方に鑑みると、もしパイクが存命であれば、迷わず新たなテクノロジーを導入するであろうことを、パイクを知る技術者や美術批評家が口をそろえて証言している(8)。だが、液晶ディスプレイは、ブラウン管モニタよりもフラットな画面で形状が異なり、ブラウン管モニタほど画面が明るくないので、すべてを液晶ディスプレイにしてしまうと、作品の生き生きとした見え方が変わってきてしまう。よって『The More, The Better』の修復に液晶ディスプレイを最低限の数で一部用いる、という解決策は、まさにこうした作品の背後にある作家の意図や美的・技術的な観点などの倫理をキュレーターやコンサバター(保存修復家)たちが総合的に吟味した結果であると言えるだろう。このように作品をその作品として成立させるために必要な条件については、できるかぎり作家本人や作家の制作に関わる関係者と事前によく相談し、どのように再現展示するかなどについても、記録をとっておくことが必要になる。こうした展示や保存に関する作家との確認プロセスの重要性は、近年、増加しているパフォーマンス作品の収集と展示でも同じことが当てはまる。

パフォーマンス作品の収集と展示

 ギモン1では、1960年代から70年代にかけて、従来のホワイト・キューブの美術館の外に飛び出した作品についていくつか見てきた。これらは、もともと美術館での展示を想定していない作品であり、その多くは、当時、「モノとして市場で取引される作品」という商業主義的な考え方そのものに反旗を翻すものでもあった。なかでも、形に残らないイベントやハプニング、パフォーマンスなどの作品については、長年、美術館で収蔵する際には、それらを記録した写真や映像、チラシや案内状などを対象とするか、コンセプチュアル・アート作品のように指示書が残されるだけで、パフォーマンスそのものを収蔵する、ということはなかった。だが、近年、ギモン2で紹介した2019年のヴェネチア・ビエンナーレ、リトアニア館の『Sun & Sea(Marine)』のように、パフォーマンスを展覧会の枠組みのなかで展示する試みも増えていて、パフォーマンスが美術館のコレクションに加わる、といったケースも00年代から見られるようになった。
 これには、テートで長年保存・修復を担当してきたピップ・ローレンソンが指摘するように、1960年代や70年代に作家自身が演者・実行者であることが大半だったパフォーマンス作品が、90年代頃から他者によって演じられるスタイルになったものが増加し、パフォーマンス作品のあり方が変容していることが、大きな一因になっていると言えるだろう(9)。従来のように作家自身が演者であり、そのことが作品の成立にとって不可欠であるパフォーマンス作品であれば、その作家が不在の場合、あるいは亡くなった場合は、オリジナル作品は再現不可能となるが、作家以外の演者による作品であれば、作家が課する条件を満たせば、再現することができる。そして、それはほかの絵画や彫刻作品のように収集や貸し出しまでも可能にするのである。
 大阪の国立国際美術館は、日本国内ではいち早くパフォーマンス作品の収蔵や展示を積極的に取り入れている。同館が2016年度に最初に収蔵したパフォーマンス作品は、プエルトリコを拠点として活動している二人組の作家アローラ&カルサディーラの『Lifespan』(2014年)であった(10)。これは、展示室の天井から吊り下げられた小さな石をめぐって、三人のボーカリストが口笛と息で交信をする約15分間のパフォーマンス作品であり、展覧会の会期中は毎日実施される。三人のボーカリストは、この石を取り囲むように立ち、石に向かって交互に、あるいは同時に息を吹きかけたり、口笛を鳴らしたりする。また三人は、しばしその場に立ち止まったり、ゆっくりと石の周りを回ったりしてそれぞれの立ち位置を変えていく。その光景は「ときに激しく、ときに緩やかに変化しつつ、言葉が誕生する前のコミュニケーションの有様を想像させる(11)」。この作品でモノとして物理的に収蔵されているのは、石(40億年以上前の冥王代の石)とスコア(五線譜と言葉のインストラクションからなる楽譜)である。作品の展示にあたっては、スコアの作曲家であるデイヴィッド・ラングによる指導が必要とされていて、18年の開館40周年記念展である「トラベラー まだ見ぬ地を踏むために」で展示するにあたって、国立国際美術館でも実際にラングをアメリカから招聘し、パフォーマーたちがトレーニングを受けた。また美術館が作品を購入した際にギャラリーと交わした契約書にも、展示や運営に関する事項が多数盛り込まれていた。これに加えて、収蔵後に美術館側が作家にインタビューして聞き取った展示に関する細かな諸条件(パフォーマーの男女比、服装、展示室のしつらえ、照明など)も大変重要な参考資料になっている。スコアに表現されていない事柄が多いため、リハーサルや運営の記録や、展示条件を記した資料類は、館内に大切にストックされている。こうした資料は、次回、同作品を展示する際のさまざまな判断材料になる。またもし同作品を再展示する際には、18年の展示に協力してくれた主に関西圏在住のパフォーマーに再び協力依頼をすることになると想定される。このようにパフォーマンス作品の収集と保存、展示では、メディアアート作品の場合と同様にどう作家側と丁寧に対話を積み重ねて作家の意向を確認し、作品を成立させるための条件を共有し、展示に関する細やかな環境を記録しておくかがカギとなってくる(12)。
 一方でギモン3で紹介したティノ・セーガルは、作家以外の演者・実行者によって成立するパフォーマンス作品を多数発表している(13)が、セーガルの場合、写真や映像などの記録を一切残さないことを展示や収集でも徹底していて、アローラ&カルサディーラのようにはいかない。セーガルの『これはプロパガンダ』(2002年)は、2006年にテート・ブリテンで開催されたテート・トライアニュアルで展示され、テートの収蔵作品となり話題になった。しかしこの作品の収集や展示にあたっては、ほかのセーガルの作品と同様に、映像などで記録しておくことはできない。またスコアや指示書も存在しない。購入にあたっては、契約書も書面ではなく、口承で交わされる(14)。セーガルはもともと経済学とダンスを学んだ作家であり、彼の作品は、モノとしての作品のあり方を否定する彼の経済的批評の実践になっている。そのため『これはプロパガンダ』に関しても、ある踊りを知っているダンサーがそれを別のダンサーに踊ることで伝授するように、「身体から身体への伝達」になるようデザインされた作品になっている(15)。この作品の展示や収集にあたっては、作家や作家のスタジオからスタッフが派遣され、オーディションで選ばれたパフォーマー(16)と美術館のキュレーター、コンサバターなどに直接、身ぶりや歌が伝承されていく。セーガルの作品は、一見、収蔵には不向きと思われるかもしれないが、既存の形ある美術作品を扱う仕組みを作家が意図的に巧みに利用していて、展示や収蔵が可能となっている。例えば『これはプロパガンダ』は、展示の際には、会期中は展示室で最低1カ月間展示することが課されている。またエディションを切ったり、アーティスト・プルーフ(AP)もあり、版画や映像作品のように売買したり、貸し出したりすることができる。ちなみにエディションやAPとは、版画や写真、映像作品のように複製可能な作品を取り扱うときに作家やギャラリーが複製する点数を決めて、作品の価値・販売価格をコントロールする仕組みである。例えば、版画の場合、100枚限定で刷って、それ以上は刷らないと決めて、通し番号を1/100、2/100……のように振っていく。この100がエディション数となる。ある美術館はエディション15/100を収蔵し、個人コレクターはエディション23/100をもっている、というふうな具合である。その際に試し刷りなどで作家の手元にある数点をAPと呼び、通常は作家の手元に残して販売の対象にはならない。セーガルの作品に話を戻すと、『これはプロパガンダ』については、あるエディションがテートのコレクションになっていて、APが別の展覧会に貸し出されている。とはいえ、版画や写真、映像作品と異なり、こうした記録をとることができない、美術館内外の人々の記憶に頼る作品を美術館でコレクションとして長期的に保存・維持していくには、ローレンソンが指摘するように、作品成立に関わる美術館内外の人とのネットワークを保てるように、定期的に再現展示をしたり、貸し出しをおこなったり、美術館で検証する機会を設けたりすることなどが不可欠になってくるだろう。そのために適切なメンテナンスのサイクルは作品ごとに異なり、細やかな対応が求められていくことになる(17)。

変化していく作品

 先に見たパイクなどのメディアアート作品では、何をもってその作品の「オリジナル」とするか、ということが作品の保存と展示では問われると述べてきた。ここで、本ギモンのまとめに入る前に、最初に紹介した砂澤ビッキの『四つの風』のように変化していくことを前提にしている作品の事例として、もう一つ、タレック・アトゥイの『The Reverse Collection』(2016年)を紹介したい。
 アトゥイは、レバノン出身でフランス在住のアーティストで、音を使ったインスタレーションやパフォーマンス、さまざまな協働作業を伴うプロジェクトなど、ユニークな活動を展開している。彼の長期にわたるプロジェクトの一つである『The Reverse Collection』の収集・展示のあり方は、作品が成立してきた経緯とともに、一風変わったものになっている。この作品は、まず2014年にアトゥイが実験音楽のミュージシャンたちをベルリンのダーレム地区にある民族学博物館に招き、そこに収蔵されている素性や演奏方法が定かではない民族楽器を即興で演奏してもらったことから始まる。アトゥイはこのときの楽器ごとの演奏を録音した素材をもとに、これらの楽器のためのスコアを書き、そのスコアは同年のベルリン・ビエンナーレで演奏された。そして今度は、このときの演奏を録音した音源をもとに、視覚的な情報を排除し、音だけを手がかりとして、この音を奏でることができる楽器を複数の現代楽器制作者たちに作ってもらうよう依頼した。結果的には8つのオリジナル弦、管、打楽器が作られ、14年11月にメキシコ・シティの展覧会で展示され、これらの楽器を使って演奏もされた。そして16年には、新たに中国とフランスで作った楽器二つを加えて、先の8つの楽器とともにテート・モダンで展示され、これらを使って定期的に展示室で演奏された。アトゥイはこれをさらに録音して、一時間のマルチチャンネルのサウンド作品を作り、それもテート・モダンでの展示に加えられた。こうして、『The Reverse Collection』は、音を手がかりに楽器を作る、という楽器制作のプロセスをタイトルのとおり「Reverse(逆行)」させる作品となり、テートのコレクションになった。だが、この作品の再展示にあたっては、その複雑な成立過程のように、幾通りもの可能性があるという点で、ほかの作品とは一線を画している(18)。
 まず、『The Reverse Collection』は、2016年のテート・モダンでの展示のようにインスタレーション作品として、アトゥイのサウンド作品と一緒に展示することができるが、このとき展示する楽器は全部でもいいし、一つだけでもかまわない。また新しい演奏者や作曲家を招いてパフォーマンス作品として発表することもできる。そして万一楽器の一つが壊れてしまった場合は、音だけを手がかりに新しい楽器を作ることも理論上可能である。実際、『The Reverse Collection』は、テート・モダンの展示のあとも、世界各地の別の展覧会などで、新しいリサーチに基づいて別の楽器制作者が作った楽器を加えたり、アトゥイの別のプロジェクトと組み合わせて発表されるなどして次々と形を変えて展示・演奏されている。このように最終的な形態が定まらず、オープン・エンドな作品の保存と展示では、キュレーターもコンサバターも、常に新たに生まれ変わる可能性がある作品の成立に立ち会うことになり、臨機応変な対応が求められる。

変化していくキュレーター、コンサバター、美術館

 これまで見てきたとおり、メディアアート作品やパフォーマンス作品など、長期にわたって形が残りにくい作品の展示と保存では、いずれも何が作品の成立にとって本質的な条件なのかについて、作家との話し合いを重ね、きちんと記録しておくことが不可欠であるとわかるだろう。物故作家の作品の場合は、そのプロセスはより困難になるが、作家を知る関係者や遺族などへの聞き取り調査や、それまでの展示の記録などを丁寧に掘り起こすことで、可能になるケースもある。例えばアメリカ人アーティストで2016年に亡くなったトニー・コンラッドの『Ten Years Alive on the Infinite Plain』(1972年)については、作家の死後にテートに収蔵されたが、スコアは残されていない作品であり、テートが関係者への聞き取りや資料のリサーチ、再現ワークショップなど非常に根気強いプロセスを経て、コレクションを可能にした(19)。
 メディアアート作品の場合、機材などの生産終了に備えて、スペアの部品や機器のストックなど物理的な面での備えが重要だが、同時にこうした機材を扱える技術者など人的資源の確保も課題になっている。美術館内に専門の技術スタッフが常駐している館の数は世界的に見ても限りがあり、展示や保存に際しては、外部の専門家に協力を依頼することが多い。またパフォーマンス作品の場合も、ティノ・セーガルやトニー・コンラッドの例のように作品の記憶を美術館内外のできるだけ多くの人と共有し、定期的に検証・アップデートしていくことが求められる。このようにメディアアート作品やパフォーマンス作品の展示と保存については、必要な機材などの確保、技術者や外部協力者の確保と人的ネットワークの構築、作品の再現展示を検証するための場所の確保やコストなどさまざまな課題が山積していて、一つの美術機関の予算とネットワークだけでは難しいことは明らかだろう。この分野で先駆的な試みにいくつも取り組んできたテートも、研究費や助成金などの外部資金を複数の機関とときには国を超えて共同して確保し、協力しながらリサーチや検証を進めている。日本でもメディアアートに関しては、メディア芸術アーカイブ推進支援事業(20)として、文化庁が支援をおこなっているが、単体のプロジェクトに対する支援となっていて、美術館内外を横断するようなネットワークの構築には至っていない。パフォーマンスを含めたタイムベースト・メディアの保存と展示に関する美術館内外を結ぶ包括的で国際的なネットワークの構築は、今後ますます求められていくことだろう。
 展覧会は、一過性の作品を展示するだけではなく、こうした形に残りにくい作品や、再現展示が難しい作品を検証し、後世に伝えていくという重要な役割もある。そうした作品の展示を実現すべく、キュレーターやコンサバターは日々、試行錯誤している。作品のあり方が変化するにつれて、作品の展示や保存を取り巻く環境もアップデートされていく。それを支えるコンサバターもキュレーターも、そして美術館もまた、当然ながらそのあり方を変えていくことが必要だろう。

 さて、本連載ではこれまでさまざまな角度からキュレーターをめぐるギモンの数々を取り上げてきた。ここでウェブでの連載は一区切りとし、残り二つのギモン9「どうして「展覧会」を作るの?」とギモン10「キュレーターって何をするの?」については、書き下ろしで書籍にまとめ、これまでのギモンを総括しながら、あらためて考えていきたい。


(1)札幌市企画、札幌芸術の森編『札幌芸術の森野外美術館図録』札幌芸術の森、1986年、86ページ
(2)メディアアート作品を中心にしたタイムベースト・メディアの修復・保存については、京都市立大学が中心になってまとめた「タイムベースト・メディアを用いた美術作品の修復・保存ガイド」(https://www.kcua.ac.jp/arc/time-based-media/)を参照されたい。また海外では、ニューヨーク近代美術館(MoMA)とサンフランシスコ近代美術館(SFMOMA)、テートの三館によって2004年に立ち上がったMatters in Media Art(メディアアートの諸問題)が、メディアアートの保存・修復と展示について、有益なオンラインのガイドを公開している。「Guidelines for the care of media artworks」(http://mattersinmediaart.org
(3)Nam June Paik, “Wrap around the World,” Media Art Net(http://www.medienkunstnetz.de/works/wrap-around-the-world/images/8/
(4)2012年11月23日には「How to Conserve The More, the Better」という国際シンポジウムが韓国国立現代美術館で開催されていて、そこですでにブラウン管モニタを液晶ディスプレイで代替する修復方法も提案されている。平諭一郎「《The More, the Better》は「なにか」の乗り物である」、『ナムジュン・パイク《The More, the Better》に関するノート』所収、東京藝術大学、2015年
(5)韓国国立現代美術館「Ending Test Operation of Paik Nam June’s ‘The More The Better’」、2022年7月8日(https://www.mmca.go.kr/eng/pr/newsDetail.do?bdCId=202207080008320
(6)「ナムジュン・パイク作品 モニター修理し原形保存へ=韓国美術館」「KONEST」COPYRIGHTⓒ YONHAP NEWS、2019年9月11日15時19分(https://www.konest.com/contents/news_detail.html?id=40599)、Park Yuna, “Paik Nam-june’s ‘The More, The Better’ operates for six-month test run,” The Korea Herald, January 24, 2022, 08:48(http://www.koreaherald.com/view.php?ud=20220123000112
(7)以下の考察は、次の論考を参照した。Gaby Wijers, “Ethics and practices of media art conservation, a work-in-progress (version0.5),” August, 2010(https://www.scart.be/?q=en/content/ethics-and-practices-media-art-conservation-work-progress-version05
(8)前掲「《The More, the Better》は「なにか」の乗り物である」、YOON SO-YEON, “‘The More, The Better’ has a monitor problem: The screens on Nam June Paik’s biggest work are staying retro,” Korea JoongAng Daily, September 16, 2019(https://koreajoongangdaily.joins.com/2019/09/16/movies/The-More-The-Better-has-a-monitor-problem-The-screens-on-Nam-June-Paiks-biggest-work-are-staying-retro/3067963.html
(9)Pip Laurenson and Vivian van Saaze, “Collecting Performance-Based Art: New Challenges and Shifting Perspectives,” in Outi Remes, Laura MacCulloch and Marika Leino eds., Performativity in the Gallery: Staging Interactive Encounters, Peter Lang, 2014, p. 33
(10)アローラ&カルサディーラ作品については、植松由佳「トラベラー まだ見ぬ地を踏むために」(橋本梓/植松由佳/林寿美編『トラベラー まだ見ぬ地を踏むために』展覧会カタログ所収、2018年、国立国際美術館)13―14ページ、林寿美「アローラ&カルサディーラ」(同書所収)112ページ、ならびに同館主任研究員の橋本梓氏へのメールインタビュー(2022年7月19日)に基づく。
(11)同書112ページ
(12)パフォーマンス作品の収集について考慮すべき手順や項目については、下記のテートによるリストが有益である。“The Live List: What to Consider When Collecting Live Works, Collecting the Performative,” TATE(https://www.tate.org.uk/about-us/projects/collecting-performative/live-list-what-consider-when-collecting-live-works
(13)ただし、ローレンソンによれば、セーガル自身は自分の作品を「パフォーマンス」と呼ばれることに関しては否定的で、「生きた彫刻(living sculptures)」「構成された状況・経験(constructed situations/experiences)」と呼んでいる。Laurenson and Saaze, op. cit., p. 35.
(14)Louisa Buck, “Without a trace: Interview with Tino Sehgal,” The Art Newspaper, March 1, 2006(https://www.theartnewspaper.com/2006/03/01/without-a-trace-interview-with-tino-sehgal
(15)ピップ・ローレンソン氏へのメールインタビュー、2022年8月16日
(16)セーガル本人は「パフォーマー」と呼ばず、「解釈者/翻訳者(interpreter)」と呼んでいる。同インタビュー
(17)Laurenson and Saaze, op. cit., pp. 36-37.
(18)タレック・アトゥイ作品については、下記を参照。Tarek Atoui, Tarek Atoui: The Reverse Sessions/The Reverse Collection, Mousse Publishing, 2017, p. 1, 19. 再展示に関する詳細については、ピップ・ローレンソン氏の下記シンポジウムでの発表とメールインタビューに基づく。国際交流基金・水戸芸術館共同企画特別国際シンポジウム「プレイ⇔リプレイ――「時間」を展示する」水戸芸術館ACM劇場、2018年11月3日(https://www.jpf.go.jp/j/project/culture/exhibit/exchange/2018/09-01.html
(19)トニー・コンラッドについては下記のテートのウェブサイトを参照。“Reshaping the Collectible: When Artworks Live in the Museum,” TATE(https://www.tate.org.uk/research/reshaping-the-collectible), “Conserving Tony Conrad,” TATE(https://www.tate.org.uk/art/artists/tony-conrad-25422/conserving-tony-conrad
(20)なお、文化庁のメディア芸術アーカイブ推進支援事業については、次の文化庁の「メディア芸術の振興」のサイトを参照されたい。文化庁「メディア芸術の振興」(https://www.bunka.go.jp/seisaku/geijutsubunka/media_art/

 

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