やるべきことを、やるべきときにやる――『海外ルーツの子ども支援――言葉・文化・制度を超えて共生へ』を出版して

田中宝紀

 約1カ月前、私の初めての単著『海外ルーツの子ども支援――言葉・文化・制度を超えて共生へ』を出版しました。
 私が海外ルーツの子ども支援に携わり始めたのが2010年。その頃の私は、現場のど真ん中で日々子どもたちや保護者と向き合い、必要があれば学校に出向いて交渉や相談を重ねる「支援者」でした。ときには自宅を繰り返し訪問したり、自治体の担当者に状況の改善を求めたりなど、“いま、目の前の子どもに必要なこと”を手探りで続けていました。
 そのような日々のなかで、子どもたちの現状や課題について「書いて発信する」ことを意識し始めたのは、この仕事に携わるようになってから5年後の2015年のことです。きっかけは、同年2月に神奈川県川崎市で発生したある事件で、当時中学1年生だった被害者の男子生徒が、河原で10代の少年たちにナイフで殺害された、残忍で痛ましい出来事でした。
 当時、メディアによる連日の報道によって事件の背景が明らかになるにつれ、私は主犯格の少年が海外にルーツをもっていることを知りました。そしてその主犯格の少年が置かれた環境から、もしかしたらこの少年は「シングルリミテッド」(母語を喪失し、日本語モノリンガルだが、その日本語力が小学校低学年程度でとどまっている状況)なのではないかと感じました。その直感をもとに、個人ブログの記事としてシングルリミテッド状態に置かれた子どもの苦しさや大変さ、なぜシングルリミテッド状態に陥る子どもが存在しているのか、その要因である日本語を母語としない子どもの教育機会が不十分な実態などを、主犯格の少年を理解する手掛かりになるのではないかという趣旨で書いて公開しました。
 正直にいうと、記事を公開するまでは不安や怖さがあり、強い批判を浴びるのではないかと感じていました。どちらかというと、記事の内容が主犯格の少年を“擁護”していると受け取られても仕方ないものだと思っていたからです。しかし、私の小さな懸念が吹き飛ぶくらいその記事は拡散され、最終的に何万もの人読まれました。そして記事を読んだ人から届いた感想やコメントのほとんどが、シングルリミテッド状態に陥る子どもの苦しさについて共感するものや、「(主犯格の少年に)そうした背景がある可能性を知ることができてよかった」といった内容のものでした。また、記事の内容の多くは、日頃海外ルーツの子どもと関わりをもつ私たち支援者にとっては「あるある」の事柄でしたが、読者からは「初めて知った」「気づかなかった」「重要な課題なのでもっと知りたい」といった声を寄せていただきました。
 この出来事をきっかけに、私は私たちの「あるある」がどれほど閉じたものだったか、そのことを「一般化して伝えること」や「身近に海外ルーツの子どもがいない人にわかりやすく伝えること」がどれほど大切であるか、に気づきました。

 それ以降、私は「課題の社会化」を活動テーマのひとつとして掲げ、海外ルーツの子どもやその家族が置かれた状況がどれほど困難なのか、その課題がどれほど重要なのか、どうやってそれを解決していけるのか、などを書いて発信していきました。もちろん、「わかりやすさ」は諸刃の剣であり、ときに偏見を強化することにつながったり、海外ルーツの子ども自身を傷つけたりする可能性も感じてはいました。それでも、伝わるように伝えなければいつまでも子どもたちが置かれている状況は変わらず、その存在さえも「見えない」ままになってしまうという危機感に後押しされ、発信を続けてきました。そしてその発信がどのような広がりとつながりをもたらしたかについては、拙著で書いたとおりです。

 現時点でも海外ルーツの子どものことを知らない人や、知っていても詳しくはわからない人はまだまだたくさんいますが、それでも国や自治体、教育関係者や公益活動の担い手など、海外ルーツの子どもたちにとって重要な役割を担う人々の間では少なからず「課題認知」は進んだ、という実感をもっています。
 半ば意図しない状況から「あるあるを書き、発信する」という役割を(勝手に)担って歩んできたこの数年間。書くべきときに書くべきことを書けないと悩んだり、批判を受けてもう書くことをやめようと思ったり、(私自身にとっては大きな)山も谷もそれなりに経験してきました。それでもなんとか書くことを続けてきた、その結果が、少しでも子どもたちの状況改善や課題解決につながってくれているのであれば、これほどうれしいことはありません。

 今回、これまでの歩みと経験から見いだした「あるある」をまとめたことで、私が担ってきた役割は一段落した、と肩の荷を少し下ろすことができました。これから先、私が書く文章がどのような役割を新たに担うかは、いまはわかりません。
 ただ、いまでも目の前に子どもたちがいて、コロナ禍のなかで状況はよくなる気配をまだみせていません。
【やるべきことを、やるべきときにやる】
 これからもそんなシンプルな日々を積み重ねて、子どもたちの未来を開き、多様な人々がともに生きることができる社会を実現する。その実現に向け、多くの方々とともにその一端を担い続けていきたいと思います。