井上祐子
昨今の経済状況は〈100年に1度の危機〉と言われている。前回の経済危機(世界恐慌)はちょうど80年前の1929年、アメリカの株価の大暴落に始まり、今回同様急速に世界各国に波及していった。1930年代は世界各国が恐慌から抜け出そうともがくなかでファシズム国家が台頭して国際体制を揺るがし、国際政治的にも危機に陥る時代であり、最終的には第二次世界大戦へ突入していく。日本もまた例外ではなく、その渦中にあった。本書はその時代の日本の社会、戦争、そして日本とアジアの人々の暮らしを写して海外に「日本」を伝えていたグラフ雑誌を紹介したものである。
私は15年前に戦時下の社会について勉強したいと思って大学院に入ったが、そのときにはこのような研究をすることになろうとは予想もしていなかった。研究分野を決めかねている私に、「広告とかどう?」と勧めてくださったのは、当時の指導教授であり、以来ずっとお世話になっている恩師赤澤史朗先生である。純粋芸術よりも大衆文化的なものの方が好きな私は、「それはいいかも」と思い、飛び付いた。それから戦時下の広告やポスター、漫画などいろいろな印刷メディアを眺める日々が始まる。グラフ雑誌についても国内向けの「アサヒグラフ」「写真週報」「同盟グラフ」などには一通り目を通し、海外向けの「FRONT」を含めて、論文にも少し書いた。
拙稿に目を留めてくださった青弓社から当初提案された企画は『「NIPPON」と「FRONT」』というタイトルで、2002年から復刻版の刊行が始まった「NIPPON」を題材にして、「FRONT」と比較考察しながらグラフ雑誌が展開した対外宣伝について論じるというものだった。「アサヒグラフ海外版」の存在を知ったのがいつだったか覚えていないが、私はそこに「アサヒグラフ海外版」も入れ、むしろ「アサヒグラフ海外版」を軸に書きたいと申し出た。青弓社編集部の矢野未知生氏には快諾をいただき、「アサヒグラフ海外版」を引き継いでアジア・太平洋戦争期に出される「太陽」、ジャワ現地で出されていた「ジャワ・バルー」、毎日新聞社が発行していた「SAKURA」も入れて、新聞社のグラフ雑誌を軸として、歴史的経緯を踏まえながら各グラフ雑誌を比較考察していくという本書のスタイルが決まった。
新聞社、そのなかでも朝日新聞社のグラフ雑誌を軸にした理由は、論文風に硬く言えば、「FRONT」や「NIPPON」とは異なる特質をもち、〈宣伝〉と〈記録〉の間で揺れ動く新聞社のグラフ雑誌を取り上げることで戦時下のグラフ雑誌がもっていた可能性と問題性に関する考察を深めたかったからということになるだろう。しかし、これはいささか格好よすぎる答えで、ザックバランに本音を言えば、スマートでおしゃれな「FRONT」や「NIPPON」よりも、社会や生活の〈記録〉にも力を注ぎ、日本とアジアのさまざまな人々の暮らしを取り上げた泥臭い「アサヒグラフ海外版」の方が私の性に合っていたというのがいちばん大きな理由である。
思い出話で恐縮だが、私が歴史に興味をもちはじめたのは小学校6年生のときである。当時の担任の先生は、教育熱心な青年教師だった。歴史の宿題は年表の作成だったが、その年表が普通とは少し違っていた。普通の年表のように大きな事件や政治や経済、外交上の出来事を書く欄もあったのだが、それに加えて「農民など人々の暮らし」という欄があって、その欄の方がむしろ大きかった。そこを埋めるには教科書だけでは足りず、参考書や百科事典を調べては書き込んでいた。ちなみにテストも普通のテストではなく、「~について述べよ」という記術式で、「大変よろしい」という二重丸の評価をいただくのがその頃の私の密かな喜びだった。先生は、大きな歴史の流れの背後にある一般の人々の暮らしを見つめることが大切で、両者を結びつけて理解していくことが歴史を学ぶということだと教えたかったのだろう。〈歴史〉といえば〈人々の暮らし〉と思ってしまう習い性は、このときに形成されたのだと思う。
このようなわけで〈人々の暮らし〉がふんだんに掲載されている朝日新聞社のグラフ雑誌を見ることは、私には興味深い作業だった。しかし、その後が大変だった。内容を追いかけるばかりでは論にはならないのだが、内容に興味をそそられるあまりその紹介に傾斜して、論を組み立てることから離れていく。書いては消し、消しては考え、問題意識を確認し、軌道修正を繰り返した。
試行錯誤のなかでようやく書き上げた拙い著作ではあるが、図版は豊富に入れることができたので、戦時下の社会を身近に感じていただけるのではないかと思っている。歴史に興味をおもちの方にはもちろん読んでみていただきたいし、「歴史はあんまり……」と思っている方にも一度当時の日本やアジアの人々の姿をのぞいてみていただけたらうれしい。本書がみなさんと戦時下のグラフ雑誌、そしてそのなかに写し出された人々とを結ぶメディア(媒介物)になれば幸いである。