最近、とある人からこう言われた。「平林さんは最近もっぱらオープンリールテープからの復刻をやっていますが、そうなると、盤鬼ではなくなるんですか?」。確かに、ここ最近発売した復刻盤はすべてオープンリールからのもので、近々発売を予定しているパレーの『フランス管弦楽曲集』(GS-2051)、ワルターのドヴォルザークの『新世界より』(GS-2052)なども同じくテープからの復刻である。
SPやLPはディスク=盤なわけで、テープはテープである。では、今後は“テープの鬼”ということになるのか。でも、これだと盤鬼に比べるとちょっと迫力に欠ける。また、テープは俗にヒモともいうが、では“ヒモの鬼”にしたらどうか。だが、これだと団鬼六の世界に近づいてしまいそうだ。
だが、CDの解説にも書いたように、オープンリールのカタログは非常に限られている。そのため、オープンテープからの復刻を出したくても出せないものの方が圧倒的に多いのである。ここ最近、たまたまテープの復刻が続いているだけで、来春にはLPからの復刻もいつくか用意しているので、安心していただきたい。
このオープンリールを聴いていて気がついたことがある。同一の音源をオープンリールから録ったものと市販のCDで比較すると、後者は明らかに「高域に冴えがない」ということである。つまり、アナログのマスターテープは多かれ少なかれ「シャー」というテープ・ヒスが含まれる。これまでの復刻盤は、まずそうしたノイズを除去することから復刻作業が始められているような気がする。普通に考えれば、オリジナル・マスターからの方が圧倒的に情報量が豊かなはずである。しかし、途中経過で余計な手間をかけると、どうやら逆転現象が起きてしまうようだ。
これはいつも書くことだが、たとえば高域のきつい音源があったとする。その音を丸くしようとしてある高域を削ると、聴きやすくはなるが、同時に多くの音楽的成分も失われているのである。ちなみに、8月末に発売を予定しているワルター指揮、コロンビア交響楽団のドヴォルザークの『新世界より』を聴いてみてほしい。確かにテープ・ヒスは目立つ。しかし、全体の情報量の多さには改めて驚かされるだろう。このワルターもすごかったが、その次に予定しているトスカニーニ指揮、NBC交響楽団のブラームスの『交響曲第1番』とムソルグスキーの『展覧会の絵』(番号未定)にも仰天してしまった。演奏者の汗が飛び散ってくるような音、これぞまさしくトスカニーニではないか。
リスナーのなかにはそうしたノイズ成分のない音が好きだという人もいることは知っている。けれど、本当にワルターやトスカニーニを好きな人は、そんな無菌室的な音は望んでいないと思う。
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