第7回 ヨウラ・ギュラーを聴く

 ヨウラ・ギュラーYoura Gueller(1895-1980)はその昔、「女優にならないか」と誘われたことがあるという。確かに若い頃の写真を見ると、そう言われるのも十分にうなずける。とはいえ、いくらきれいとはいっても演技ができるかどうかが問題なのだが。
  ギュラーの演奏は以前、ニンバスから出たベートーヴェンか何かを聴いたことがあるが、全く記憶に残っていない。しかし、今度Tahraから発売された『Inedits Youra GuellerⅡ』(TAHRA650)は強く印象に残るものだった。
  収録されているのは「シューマンの交響的練習曲」(1962年4月6日)、ベートーヴェンの「ピアノ協奏曲第4番」(1958年1月15日、アンセルメ指揮、スイス・ロマンド管弦楽団)、アルベニスの「トリーナ――「イベリア」より」、以上の3曲。このなかで極めつきはベートーヴェンである。
  いかにも女流らしい柔らかいタッチで始まるが、やや遅めのテンポを一貫させ、それほど崩しては弾かない。和音の響かせ方に独特なものがあり、その気品溢れる音色とあいまって独特の個性を放っている。だが、カデンツァに入ってものすごく驚いた。通常の3倍かと思われるほどテンポは遅く、しかも極端なピアニッシモなのだ。私は、しばし口をあんぐりとしていた。それは、いままで全く聴いたことがないカデンツァである。第2楽章はこの気分を持続したように、いまにも止まりそうなほどゆったりしたテンポ、そして繊細な弱音で歌っている。途中、指揮者がこらえきれなくなって棒を下ろしてしまうような場面もある。でも音楽は決して陰々滅々と暗くはない。むしろ、温かい夢心地といった方が適切だろう。
  第3楽章は舞うように、軽やかに上品に歌うが、トリルのかけ方ひとつにも独特の味わいがある。こんな個性的な演奏があったのかと、感心するばかりだ。いずれにせよ、この演奏はこの曲を愛する人には一聴を強く勧めたい。音質は、この時代のライヴとしては最上の部類。
  シューマンはベートーヴェンと違って男性的で彫りの深い表情を見せている。しかし、逸品はアルベニスだろう。ベートーヴェンでもあったような和音の独特な響かせ方と、崩すとは言わないまでも、微妙に変化させた独特の語り口が鮮やかな色彩感を演出している。ソロの2作品はスタジオでの収録らしく、音質は協奏曲よりもさらに鮮明。

追記
  第5回のアイダ・シュトゥッキで、彼女は『Discopaedis of the Violin』の第2版には出てこないと書いたが、これは完全な見落としだった。その原因は、シュトゥッキがアルファベット順に入るべき場所に入っていなかったことによる。これは第2版を制作中に順序を誤ってしまったことが推測されるので、「出ていない」と書いたのは私の責任ではないとも言える。しかし、こうした文献にこの程度の誤りは日常茶飯事なので、それを見抜けなかった私が悪いと思う。これがたとえば、シュトゥッキがSではなくZの項にでも入っていたら、それは明らかに本が悪いと言える。詰めが甘いと反省します。

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