第4回 トラックドライバーがコンビニエンスストアを変えた?――私の国道16号線見聞録

後藤美緒(日本大学文理学部助手。論文に「戦間期の学生の読書実践」〔「社会学評論」第62巻第1号〕など)

 国道16号線(以下、16号と略記)を走破してみた。一度は後部座席の乗客として全部を、次は運転手として一部区間を走った。ファミリーカー、ワゴン、大型トラックとさまざまな車両がこの道を駆けていく。立場はさまざまだったが、車中にいながら感じたことがある。はたして16号は、とりわけ自動車で移動する者たちにとって走りやすいのだろうかと。
 運転することは快楽であるとともに、思いのほか体を酷使するものだ。長時間運転して体がこわばった、のどが渇いた、気分転換がしたいなど、ドライバーは気ままに思いつく。
 実際にすでに走りだしてから小1時間。ちょうどいい具合にコンビニエンスストアが見えてきた。あそこで一息入れよう。雑誌を立ち読みしてからトイレに行って、甘い物でも買おうか。しかし、はたしてここはコンビニなのか。

写真1 埼玉県春日部市増戸地区を野田市方面から望む(2016年5月1日撮影)

16号上のサービスエリア?

 川口方面からは左手に、野田方面からは右手にそのコンビニは現れる。川口方面から駐車場に入ると、まず目に入るのは10トンを超える大型トラックの鼻先である。駐車スペースを求めて徐行運転すると、それが数台あることに気づき、いま何をしようとしていたのか忘れてしまう(写真2)。よく見ると、ナンバーはさいたまではない。札幌、山形、三重、大分と全国のナンバーだ。ウィンドーガラスには日中にもかかわらずカーテンがかけられ、エンジンが切られた車体同様、運転手たちも休んでいることがうかがわれる。

写真2 駐車場で出迎える大型トラック

 群居する車体を横目に店内に入って入り口付近に目をこらすと、まず飛び込んでくるのは、書体も鮮やかな廉価コミックとCDラック。次に車内用の消臭剤や芳香剤と携帯トイレ、簡易車体用ワックス、そして大容量の水色のカーウォッシャー液である。小さなカーショップ並みの品ぞろえをいぶかしみながら、ようやく書棚にたどり着くと、そこには女性ファッション誌はなく、地図や観光情報、男性マンガ雑誌、生活雑誌、成人雑誌が並ぶ。どうやらお目当てのものはないようだ。それではとトイレに向かうと、男女別に分かれてトイレが3つあることに気づく。こうなるとがぜん面白くなって店内散策に出かける。すると、弁当や飲料だけではなくアルコール類も小型スーパーマーケット並み。男性用肌着も都心のオフィス街レベルの品ぞろえだ。
 サービスエリアの基本設計は、駐車場、トイレ、電話、園地(休憩スペース)で構成されているという。巨大な駐車場に全国のナンバーのトラック、複数のトイレ設備、自動車用品を含む充実した品ぞろえは、あたかも高速道路のサービスエリアのようだ。しかし、ここは16号。幹線道路であって高速ではない。

ドライバーとコンビニ

 コンビニ経営の成立要件は人口密度、配送距離、配送コストの3点だといわれる。ここで取り上げたコンビニは、東北自動車道と国道4号線から車で約10分の幹線道路沿いにあり、近隣には徒歩圏内ではないものの住宅団地が広がっている。最寄りのコンビニまでも距離があり、深夜営業を売りにして競合する存在はない。独立した商圏が十分成立することが予想される。通勤通学途中にあるコンビニは、ちょっとした飲み物やお菓子にはじまり、昼食や夜食の調達、公共料金の振り込みや預金の払い戻しもでき、もはや地域になくてはならないものである。さしずめ、ここは地域のコンビニというところだろう。
 だが、ここではコンビニであるがゆえに、異なる時間と空間を引き寄せているのではないだろうか。2つの大きな道路網に囲まれた、片側2車線で中央分離帯と歩道が整備された春日部市内の16号は、拠点をつないで物を運ぶトラックにとって本来なら最適な道路である。しかし、彼らの欲求をまかなう施設は幹線沿いには見つからない。実際に移動してみると、飲食店にはファミリーカーを基本にした駐車場しかなく、トラック運転手が休息と栄養を補給する場所は必然的に限られる。付近には巨大な駐車スペースを備えた物流センターが散在するものの、そこにとどまってはあまりにも仕事と休息が地続きになってしまう。
 おおよそ、生活に必要なものをまかなえるのがコンビニである。訪れれば必ずこれだけはある、という確信が私たちをコンビニに運ぶ。そこに時間や場所に対する制約はない。それは誰に対してもだ。
 そうしたなか、幹線沿いの商店にとって、得意先を自動車で回る営業マンや運送業社のドライバーは重要な顧客である。昼夜を問わずおこなわれる長距離移動で疲れたトラックドライバーを休ませるのは、ひょっとするといつもの一杯かもしれない。しかも、コンビニは通勤途中だろうが、休日のドライブだろうが、勤務中だろうが理由を問わない。彼らを消費者として取り込もうとしたときに見いだされた身体性が、コンビニをサービスエリア化させ、コンビニの特性である没場所性を奪っていく。けれど、ここはコンビニ。駐車場やトイレは付属設備になり、純然たるサービスエリアになることはない。

 16号ではトラックとファミリーカーをしばしば見かける。それらは並列で、ときには縦列のように走っていることもある。ただ、それらは、一方通行の道を互いに無関心に走っている。また、散在する大型ショッピングセンターでは、ファミリーカーは幹線道路沿いから店舗正面へ、トラックは搬入口のある店舗の裏側に回り、ここでも交わることはない。目的も運転技術も異なる2つのドライバーは潜在的に不協和音を抱えているが、16号上で顕在化することはない。そうした出会わないドライバーが、商業を媒介に対面してしまうのがくだんのコンビニなのだ。
 本リレーエッセーの第2回「国道16号と私――あるいは『国道16号線スタディーズ』の私的企画意図」で西田善行が述べるように、16号は実は地域によってさまざまな表情を見せる。没場所性を有するコンビニは、一部とはいえ、16号と交わることでむしろ独自性を進化させていったのだ。

 

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第3回 相模原市緑区巡礼――Walking alone/along R16

松下優一(法政大学大原社会問題研究所環境アーカイブズRA。共著に『失われざる十年の記憶』〔青弓社〕ほか)

 筆者にとって国道16号線(以下、16号と略記)とは、何よりもまず、鉄道駅(JR線および京王線の橋本駅)へ向かうべく、ほぼ毎日のように横切る道路である。幅が広く、交通量が多く、大型車両が行き交うその道を渡るのは、いつも少し億劫だ(たいてい、長い信号待ちや地下道への迂回を強いられる)。電車で各地へ通勤する者にとって16号は、行く手を遮る障害物、多少の緊張感とともに横切る対象として現れる。
 このエリアに暮らしてはや数年になるが、思えば私は16号を横切るばかりで、道に沿って移動したことがないのだった(特に用がなかったからである)。そこで、今回のリレーエッセーでは、16号に沿って歩く、という非日常的な行為に出ることにしたい。区間は相模原市緑区。陸橋続きで、自動車ならあっという間に通り過ぎてしまうような距離だが、その沿線風景を見ていくと「16号的」要素連関が浮かび上がってくる、のではないだろうか。

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写真1 アリオ橋本屋上駐車場から北西=津久井方面を望む(2016年11月29日撮影)

相模原北部から八王子、福生、入間・狭山にかけては、16号のルートのうちで最も“山”が近づく区間である。横浜方面から北上すれば左手に、埼玉方面から南下すれば右手に“山”=関東山地が見える(関東山地は、相模川を挟んで北の秩父山地と南の丹沢山地に分かれていて、相模湖や津久井湖は相模川のダム湖にあたる)。橋本駅に入る京王線や駅周辺の少し高い建物から西の方角を眺めると、山の近さがよくわかる。

 

写真2 国道413号線分岐点前(2016年10月29日撮影

2016年の夏、私たちはメディア報道で「相模原市緑区」という地名をしばしば目にすることになった。「相模原障害者殺傷事件」の現場(津久井やまゆり園の所在地およびその容疑者の居住地)として、である。ただし、「事件が起きた場所は10年前までは相模原市ではなかった(1)」。緑区は、10年に政令指定都市になった相模原市の北部に位置し、JR横浜線・相模線と京王線が乗り入れる橋本駅を中心とした区域と、06年から07年に合併した旧・津久井郡4町(城山町・津久井町・相模湖町・藤野町)の広大な山間部からなる。16号は、緑区の東端をかすめるように走っている。写真は相模原から津久井・相模湖方面へ向かう幹線である国道413号線の分岐点。津久井方面へは葬儀屋の手前で左折、直進すればJR横浜線の踏切。

 

写真3 元橋本交差点付近(2016年10月29日撮影)

横浜線の踏切を渡って北へ行くと元橋本交差点。ここで16号は八王子バイパスと旧道に分岐する。地上に横断歩道はない。

 

写真4 八王子バイパスと多摩丘陵(2016年12月3日撮影)

写真4 八王子バイパスと多摩丘陵(2016年12月3日撮影)
16号緑区区間の北端。墓地の向こうには「境川」が蛇行し、東京都・町田市との境界線をなしている。このあたりは「元橋本」の地名のとおり、お寺や墓地があり、歴史が漂う。16号は境川を越えると東京都道47号線(通称・町田街道)と交差し、多摩丘陵にぶつかる。

 

写真5 元橋本交差点歩道橋上から横浜方面を望む(2016年10月29日撮影)

横須賀から58キロ、横浜から35キロ。新宿まで京王線特急で40分足らず。画面奥のタワーマンションが立ち並ぶあたりに、緑区の区役所ができた。ちなみに現在、首都圏には4つの緑区があり(ほかに横浜市・さいたま市・千葉市)、どの緑区も16号沿線である。

 

写真6 東京電力橋本変電所前(2016年11月22日撮影)

横浜方面に南下すると、向かって左側に、長いコンクリートの壁と送電線、そびえ立つ大小の鉄塔の群れが現れる。この一帯には、住宅地の頭上を送電線が走る“『ウシジマくん(2)』的な風景”が広がる。画面右の信号機には「自転車事故多発地点」という警告看板が立っている。左手に折れると、かなたまで続くコンクリート塀の有刺鉄線が殺伐たる雰囲気を醸している。写真1の右手に見える鉄塔はここに立つ。

 

写真7 小学校入り口(2016年10月29日撮影)

変電所からさらに南下すると左手に小学校。優先されるべき歩行者にはなかなか出会わない。

 

写真8 橋本五差路地下道(2016年10月29日撮影)

さらに南下すると、16号は国道129号線や津久井広域道路などと立体交差し、やや東に折れる。ここも横断歩道はなく、歩行者や自転車は地下道を通らなければならないのだが、枝分かれした地下道は複雑で、方向感覚をまひさせる。そのため往々にして意図せざる場所に出る羽目になる。

 

写真9 ロジポート橋本(2016年10月29日撮影)

五差路の地下道を無事抜けると、左手に巨大な箱のような建物が現れる。物流施設のようだ。やはり沿道に人影はない。

 

写真10 大河原陸橋側道(2016年10月29日撮影)

右手に16号、左手に日本山村硝子の工場。突き当たりはJR相模線、その向こうは神奈川医療少年院、中央区である。中央区の16号は道幅が広い直線区間で、銀杏並木が続き、ロードサイドの商業施設が増え、沿道は華やいで見える。この風景は、基地の痕跡である。道路の直線は戦前の軍都計画の名残だし、相模原初のロードサイド店は、道沿いに休憩施設がほしいという駐留アメリカ軍人や外国人観光客からの声を受けて1955年に開設された相模原レストハウスだったという(3)。

 

写真11 ラブホテル(2016年10月29日撮影)

もちろんある。ロジテック橋本の向かい。奥にもう一軒あり。

 

写真12 相模原機械金属工業団地(2016年11月29日撮影)

ここは大小さまざまな工場が立ち並ぶエリア。この一帯は、さながら巨大な迷路だ。まず、同じような工場や倉庫の建屋が続くので場所の見当をつけにくい。また、歩道がない道路が人を拒み、車両に脅かされる(工業団地なので当然だが)。夕暮れどきに迷い込めば、人外の心細さを味わうことができるだろう。

 

写真13 貸しコンテナ(2016年11月29日撮影)

最近このあたりに増えた気がする。モノは捨てないかぎり蓄積されていく。そして、大都市住民の居住スペースは限られている。これはあふれたモノ、持て余されたモノたちが行き着く先、ということになるのだろうか。

 

写真14 相模原市北清掃工場(2016年12月3日撮影)

写真14 相模原市北清掃工場(2016年12月3日撮影)
ゴミ収集車出動。相模原北部の廃棄物はここに集まる。粗大ごみを持ち込める施設も併設されている。

 

写真15 職業能力開発総合大学校跡(2016年12月3日撮影)

視界が開け、何やら大きな建物が取り壊されている。ここにあった学校は2013年に移転し、それ以後廃墟になっていた。

 

写真16 送電線の狭間の荒地(2016年12月3日撮影)

写真16 送電線の狭間の荒地(2016年12月3日撮影)
立て看板によれば、障害者福祉施設の建設予定地であるようだ。台地を下って少し行けば、相模川に出る。

 

写真16+1 相模川と圏央道(2015年8月10日撮影)

写真16+1 相模川と圏央道(2015年8月10日撮影)
相模川にかかる巨大な橋(県道510号線/津久井広域道路新小倉橋)の上は、足が竦むような高さである。奥の山が城山。手前を横切るのが圏央道の橋梁。画面右奥に城山ダム(ダム上を国道413号線が通る)、その向こうは津久井湖や相模湖が連なるエリアになる。遥拝。もはや16号からずいぶん離れたところまで来てしまった。

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 さて、今回の撮影地点は、以下の地図のとおりである。相模原市緑区の橋本エリア(相模川と境川のあいだに広がる台地)を、おおよそ東北南西に巡ったことになるだろうか。ルートとしては途中で16号を外れ、五差路で分岐する県道508号線(相模原から津久井への路線を複数化すべく整備中の「津久井広域道路」)に沿って北西へと向かっているが、この道は中央区から続く16号直線区間の延長線である。地図で見れば単純そうだが、実際に歩くとなれば話は別である。まず途中で歩道がなくなる。また工業地帯の道路が直線ということは大型車両のスピードが出るということであり、沿線の工場から輸送トラックがしばしば出てくるということである。自転車や歩行者は気が抜けず、車が怖くて脇道に逃げ込む。すると工場地帯をさまよう羽目になる。このルートを歩こうとされる奇特な方々はくれぐれも気をつけてほしい。
 なお採録は見送ったが、橋本変電所周辺に立つ送電線鉄塔の風景は、夕映えの山のシルエットとともに実にフォトジェニックである。鉄塔好きなら西へ続く送電線をたどるのも一興だ。橋本駅はアリオ橋本付近の相模線の歩道橋から撮るのがいい(相模線・横浜線・京王線が集散する様子が楽しめる)。境川付近は、曲がりくねった深い谷川に白鷺が歩き、町田街道と多摩丘陵周辺は『ブラタモリ』(NHK、2008年―)的な歴史散歩にもってこいではないだろうか。相模川付近では、段丘上の畑地にたたずむひまわりののどかさに癒される一方で、城山(津久井城)東麓は、巨大な橋梁や山を貫く圏央道、ダムや発電所など新旧の建造物が集中していて(小倉橋は1938年、城山ダムは65年完成、新小倉橋は2004年開通、愛川―高尾山間の圏央道は14年開通)、開発的近代の地層を露出させるかのように織りなす山河と人工物のスペクタクルが目をうつ(4)。やがてこのあたりの風景には、リニア中央新幹線が重なることになる。東京からほぼ途切れなく広がった都市が、“山”にぶつかる場所。東京の西の淵。そこでは20世紀に夢見られた近代的プロジェクトがいまなお作動し、堆積し続けている。


図1 撮影地点
『相模原市・愛川町 第6版』(〔「都市地図――神奈川県」第10巻〕、昭文社、2016年)を利用。


(1)猪瀬浩平「土地の名前は残ったか?――吶喊の傍らで、相模湖町の地域史を掘る」、「緊急特集 相模原障害者殺傷事件」「現代思想」2016年10月号、青土社、232ページ
(2)真鍋昌平『闇金ウシジマくん』(ビッグコミックス)、小学館、2004年―
(3)箸本健二「消費と商業をめぐる相模原市の現代史」、相模原市教育委員会教育局生涯学習部博物館編『相模原市史現代テーマ編――軍都・基地そして都市化』所収、相模原市、2014年、684―685ページ
(4)相模湖周辺の開発については、ひとまず前掲「土地の名前は残ったか?」参照。

 

Copyright Yuichi Matsushita
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