「お笑い」な日常をいく――『お笑い進化論』を書いて

井山弘幸

  現在1学期も半ばにさしかかり、殺人的に多忙なスケジュールにそろそろ疲労が蓄積したころである。月曜は県立女子大学で「自然科学概論」を教え、一旦自分の大学に戻ってオフィスアワーの時間は研究室に待機し、2時になると車を50分走らせて薬科大学に「歴史学」の話をしにいく。実際には前者は「科学とオカルト」、後者は「歴史のなかの偶然性」がテーマ。火曜は午前が「人間学演習」というゼミで現代科学論の講読。
  ここまでは「科学論」を看板に掲げている大学教官としてはありそうな話である。だが火曜の午後は「考える葦の冒険」という共通科目で約80人の学生を前に「お笑い」を主題にした講義を開講中。この時間に鑑賞するネタ選びのひとときは、1週間のなかで最も楽しい時間である。映画館なみの大スクリーンでコントや漫才を見せている間、私は画面を背にして、学生の反応をつぶさに観察する。こっそりと笑い声を録音して、作品ごとのスペクトルを記録する。学生たちは鑑賞したネタに講評を書き、自分なりに採点をすることになっているが、本当のところは実験台にされているのである。終了後すぐに判定用紙の集計をしてから帰宅。明日に備える。
  水曜日は午前に「情報メディア論演習」という別のゼミ。これもカモフラージュで、実際は「お笑いゼミ」なのだ。5年ほど続けているが、映像には残ってもシナリオ化されることのない往年の名作コントを分担して書き取り、テキストの作成と資料の分析を手がけてきた。活字に起こした作品は数百編にのぼる。
  というわけでこのたびの『お笑い進化論』の刊行に際して最も感謝すべき人間は、「お笑いゼミ」の学生たちであることは間違いない。「機械の体なんて、要らない!」という片桐仁の台詞でなぜ笑ったのか教えてくれたのも、新潟大学人文学部の学生だった。
  水曜の昼になると精力を使い果たした私の思考回路は停滞しはじめ、どうにか午後の大学院のゼミ「現代科学文化論」(文化人類学者のアメリカ文化論の講読)を終えると、夕方の会議では生ける屍と化すが、まだ1週間は終らない。木曜は午前が「科学基礎論」で6月は「実験方法論」の講義。この授業は奇しくも「考える葦」と同じ教室のため、ときどき錯覚して、現実の生真面目なレポートのなかに知らぬうちに笑いを探そうとしている自分に気がつく。映像設備があるので、30年以上前に放映された『ミステリーゾーン』を一緒に見たら好評だったので、何とか科学論にこじつけてラーメンズの「現代片桐概論」を見ようと思っている。昼は少し時間に余裕があるので、カフェ・ウェストという大学前の店で辛口野菜カレーを食べる。大学時代に駒場の満留賀という蕎麦屋で5年間ものあいだ、冷したぬき蕎麦を食べつづけたけれども、同一メニューの記録はウェストのカレーが遥かに上回ることになった。ブラックペパーの鼻に抜ける刺激で少し元気になって、午後の1年生向けの教養ゼミ「人文総合演習」の教室に行く。実は昨年はこのゼミでも「お笑い」を主題にしていたが、今年は「旅ゼミ」を開講している。あるゆる手段を使って自主的に旅を企画し、最後の日に全員で投票し最も人気のあった企画を実行するという単純なゼミである。
  木曜4時10分に、予定されているすべての授業が終わる。
  金曜日は卒論の指導と、夏のお笑いコンテストに参加予定の学生相手にシナリオ作成や演技指導をして、5時すぎに交響楽という名の珈琲専門店で1週間の疲れを癒して帰宅する。金曜の夜は先週から溜まっている録画ずみの番組の編集に当てられる。『お笑い進化論』脱稿後もTBS系の「ゲンセキ」や日テレ系の「ミンナのテレビ」など見逃せない番組が始まり、「もう書き終わったんだから、いいじゃない」と家族からは批判されながらも、お笑いのデータベースを完成すべく黙々と録画を続けている。
  というわけで「足を洗う」機会をつい逃してしまったため、お笑いの研究は現在もなお進行している。別に次の構想があるというわけではない。実際のところ、昨年夏に翻訳が終った『セレンディピティー論』の編集作業が始まっているし、同時進行でテレンス・ハインズの『オカルト論』の翻訳も年内に済ませなければならない。本当はお笑いどころではないのだ。ただ、『お笑い進化論』の終章にどさくさに紛れて挿入した「近代的自我とアイデンティティーの形成史」は、もともと別の機会に書こうと思っていた主題なので、モーリス・バーマンの Coming to our Senses あたりを手がかりに、きちんとした史的考証をまじえて完結したいと願っている。
  それにしても、本書を世に出すことができたのは、ひとえに青弓社の矢野恵二さんのおかげである。出版人とのつきあいは結構あるほうだが、これまで誰一人として「お笑い」をテーマにした本を書かせようとはしなかった。この道での実績はゼロの人間に勇気をもって執筆の機会を与えてくれた矢野さんに、この場を借りて感謝の気持を述べたい。お礼がわりに、いずれ矢野さんの好きそうなネタのセレクションでも作って進呈しようと思っている。