本書が受けるかもしれない誤解についての釈明――『怪獣から読む戦後ポピュラー・カルチャー――特撮映画・SFジャンル形成史』を書いて

森下 達

 エピローグにも書いたとおり、本書は、筆者の博士学位論文がもとになっている。博士論文を母校に提出したのは2014年12月のこと。そのときには、まさか2016年に新しいゴジラ映画が封切られることになろうとは――そして、それにふれた文章を書籍化した拙論に付け加えることになろうとは――夢にも思っていなかった。
 2015年7月、『シン・ゴジラ』(監督:庵野秀明、2016年)の製作発表に胸をときめかせた3カ月ののち、博士(文学)の学位を取得することに成功した筆者は、前後して改稿作業に力を注いでいった。最終的には、400字詰め原稿用紙に換算して150枚ほどの分量を削っている。もともとの論文にあった回り道や脱線を削除していけばいいのだから、これはそれほど大変な作業ではなかったのだが、問題は書名だった。
 すでに読んだ方はわかってくださると思うが、本書はいささか特殊な問題設定をおこなっている。特撮映画やSFを扱った本、というと、まず思い浮かぶのは、そのジャンルに包摂される作品に対する著者自身の熱い思いを紡いでいくことでジャンルの根本精神を深く深く掘り下げる体のものだろう。ファン向けのムックから評論本、学術的な香りをもった著作まで、読みの深さや議論の精度はそれぞれだが、こうしたスタイルを採用した書籍がもっとも広く世の中に流通している。
 そのほかに、著者の関心が作品よりも背後の社会に向けられている本も、学術書を中心にしばしば見ることができる。すなわち、ポピュラー・カルチャー作品を、社会の空気や時代の風潮をなんらかのかたちで反映しているものとして捉え、その変遷から社会の変化の重要な一側面を切り取って叙述する、というスタイルの書籍だ。
 だが困ったことに、本書はそのどちらでもないのだった。本書が焦点を当てるのは、前者の本がしばしば当たり前に存在するものとして議論の前提にする「特撮映画」や「SF」という「ジャンル」が、はたしてどのようにして形作られていったのか、ということだ。検討の過程では、ジャンルに包摂される作品そのものが第一に問題になるわけだから、この点では前者の著作にも通じる要素が本書にはある。しかし、ジャンルの存在を議論の前提とはしないので、これだけにとどまらず、主として同時代の作品評に着目して、当時どういったジャンル認識が通用していたのかも問題にしていく。その際、ジャンル形成の力学を、時代や社会との関係でもって論じることが多い点では、後者の著作にも近いところがある。こうした重層的な分析によって、ポピュラー・カルチャーという領域が「政治」や「社会」から切り離されたものとして形成されていった、その一断面を描き出してみようというのが本書の意図だった(成功しているかどうかについては、読者諸兄の判断を仰ぎたい)。
 しかし、このような執筆意図を、どのような書名でわかりやすくパッケージングすればいいのか。博士論文では、「「特撮映画」・「SF(日本SF)」ジャンルの成立と「核」の想像力――戦後日本におけるポピュラー・カルチャー領域の形成をめぐって」とタイトルを付したが、いかにも論文っぽくてぎこちなく、商業書籍の題名にはふさわしくない。研究者仲間に相談したら、『怪獣と政治』というすてきな書名を提案してくれたものの、なんの本かわからず「Amazon」が分類に困るということでこれもダメ。編集を担当してくださった矢野未知生さんからもさまざまなアイデアをいただき、紆余曲折を経て、『怪獣から読む戦後ポピュラー・カルチャー――特撮映画・SFジャンル形成史』に決定した。
 とはいえ、この書名が、「戦後ポピュラー・カルチャー」という領域の存在を前提にしたうえで、、、、、、、、、、、、、、、「怪獣というキャラクターがそこでどのような活躍をしてきたか」を歴史的に解説した本だという印象を与えかねないものでもあることに、筆者は一抹の不安を抱いてもいる。そのような期待を胸に本書を手に取り、購入するジャンルのファンがいるのではないかという懸念も、いまだにないではない。怪獣対決路線の映画が論じられていないとか、ガメラのほうが好きなんだとか、ウルトラマンを出せとか、「期待していたのと違う!」と、さまざまな不満を抱く方もいらっしゃるかもしれない。本当にすみませんでした、と、まずはこの場を借りて頭を下げておきたい。
 と同時に、「そういう趣味的な解説本ではなくて、あなたが興味をもっているそれらの領域がどのように形成されたかを外側から見る本なんです」ということも、あらためてここで強調しておこう。ポピュラー・カルチャーにはまった経験がある人にこそ、じっくりと読んでほしい。本書の問題設定を理解していただいたうえで、お付き合いいただければ幸いです。