第8回 ブリジット・ユーグ・ド・ボーフォン(1922-2008、フランス)

平林直哉(音楽評論家。著書に『フルトヴェングラーを追って』〔青弓社〕など多数)

 ブリジット・ユーグ・ド・ボーフォン Brigitte Huyghues de Beaufond、彼女の名を知る人は相当なヴァイオリン・コレクター、もしくは、かなりのご高齢の方だろう。ご高齢と言ったのは、実はボーフォンは1960年前後に数回程度、ほぼ毎年、来日していたからである。最初の来日は58年といわれるが、手元にある59年のボーフォンに関する新聞記事には「初来日」の文字がないため、58年は正しいのかもしれない。ただ、60年の記事にも来日回数については何もふれていないので、確かなことは言えないのだが。
 来日時のプログラムからボーフォンの履歴を追ってみると、まず、生まれはパリ。1934年、パリ音楽院でジュール・ブーシュリに師事(マルク・ソリアノ『ヴァイオリニストの奥義――ジュール・ブーシュリ回想録:1877―1962』〔桑原威夫訳、音楽之友社、2010年〕の巻末に、卒業生としてボーフォンの名前が掲載されている)、37年、プルミエ・プリ(第一位)で卒業。その後、個人的にジャック・ティボーに学ぶが、来日した際には「ティボーの愛弟子」と宣伝されていた。47年、ヴァイオリン・プルミエプリ協会から大賞を受賞。共演した指揮者はアンリ・ラボー、ジャック・ティボー、シャルル・ミュンシュ、アンドレ・クリュイタンスなど。また、ボーフォンがエリザベス女王臨席の演奏会に出演した際には、ティボーは自分の愛器を彼女に貸し与えたとされる。
 1960年の来日の際、ボーフォンは置き土産をしてくれた。ひとつは、わざわざスタジオに出向き、月刊誌「ディスク」6月号(ディスク社)の付録のソノシートのためにシューベルト(?)の「アヴェ・マリア」とシューマンの「トロイメライ」を録音している。もうひとつは同じく月刊誌「芸術新潮」4月号(新潮社)に「師ティボーを語る」というインタビューを残してくれた。この二つの出来事からすれば、当時、ボーフォンはそこそこ話題になっていたと推測できる。
 しかしながら、ボーフォンのレコードが国内で発売された形跡はない。というか、地元フランスでさえもまとまった録音はなさそうなのだ。けれども、少なくとも来日に関してはフランス政府が大きく関与していることは間違いないから、ある程度以上の力量のはずである。 
 いろいろ探していたら、非常に珍しい音源をせっせと復刻しているForgotten recordsaというのを見つけた。ただ、ここで扱っているのはCDではなくCD-Rなので、注文するのを一瞬ためらった。だが、実際に届いたのを試したところ、装丁はきれいだし、解説書も充実(ただし、フランス語表記だけ)、音質もよく編集もきっちり、録音データもできるだけ詳しく記されている。このくらいの質であれば紹介する価値はあると判断した(ただし、CD-Rの耐久性については、私自身はまったくわからないので、その点はご了承いただきたい)。
 そのFogottenからは2点発売されている(音はすべてモノーラル)。最初に出たものにはウェーバーの『ヴァイオリン・ソナタ作品10の1、3、5番』(1960年)、サン=サーンスの『ヴァイオリン・ソナタ第1番』、ガブリエル・ピエルネの『ヴァイオリン・ソナタ作品36』(以上、1957年)が含まれる(fr1055)。ピアニストはHelene Boschi、Varda Nishry、両者の経歴は不明。
 ウェーバーやサン=サーンスにおけるボーフォンは、ピンと張った、抜けるような明るい音が印象的である。それに、いかにも人なつっこいような雰囲気もある。しかし、ピエルネは少し異なる。ティボーのような蠱惑的な音色と、ジネット・ヌヴーのような集中力を足して2で割ったような感じ。
 2枚めはモーツァルトの『ヴァイオリン協奏曲第3番』(1960年)、ジャン=フェリ・ルベル(1666-1747)の『ソナタ』(ヴァイオリン独奏と管弦楽編曲版)(1962年)、ヴィラ=ロボスの『黒鳥の歌』(W123)、『雑多な楽章からなる幻想曲』からセレナード(W174)(1957年)、清瀬保二の『ヴァイオリン・ソナタ第3番』(1960年)(fr11279)を収録。このなかで最も個性的なのはモーツァルトの『第3番』(Capdevielle指揮、フランス国立放送室内管)である。ウェーバーなどは意外にすっきりしているが、これはときにテンポを落とし、ティボーに似た甘さや間の取り方が散見される。言うならば、いかにも昔風の情緒が漂ったものであり、彼女のほかのモーツァルトが残っているのなら、ぜひとも聴きたいと思わせる。これを聴くと、「女ティボー」という言葉はミシェル・オークレールではなく、このボーフォンのほうに付けられるべきではないかと思ってしまう。また、ルベルの曲は珍しいし、ボーフォンの独奏もみずみずしい。ヴィラ=ロボスは彼女のしなやかさが存分に出ていて、これも聴き物のひとつだろう。
 驚いたのは清瀬のソナタだ。これはNHKのスタジオでの収録とあるが、Forgottenの主宰者はどのようにしてこの音源を手に入れたのだろうか。ピアノは和田則彦だが、おそらく楽譜は前もってボーフォンのもとに届けてあったのだろう、しっかりと練り込んだ解釈である。
 以上、2枚の曲のなかでは、ときにざらついた音になる箇所もあるが、この時代の放送用録音としては非常に明瞭である。

 

Copyright Naoya Hirabayashi
本ウェブサイトの全部あるいは一部を引用するさいは著作権法に基づいて出典(URL)を明記してください。
商業用に無断でコピー・利用・流用することは禁止します。商業用に利用する場合は、著作権者と青弓社の許諾が必要です。